58 / 70
58.心が命じるままに
しおりを挟む
観客達はあっという間に浮足立った。
座って見物していた前方の人々も、腰を上げて突然の闖入者から逃れようとする。
顔色を変えたアナが、地面を蹴って駆け出した。おそらく警邏を呼んでくるつもりなのだろう。
一人取り残されたロッティは途方に暮れる。
(どうしよう、どうしたらいいの……!?)
震えながらクリスを振り返れば、彼は真っ青になって立ち尽くしていた。ほっそりとした白い手が、すがりつくかのようにポケットを握り締めている。
いつもと違う――迷子の子供のような彼の姿を目にした瞬間、ロッティの体に電流が走った。たった今まで感じていた恐怖も不安も、潮が引くように消えていく。
代わりに生まれたのは、爆発的な感情。
乱入してきたブロンの刺客達を、くらくらと目眩がするほど激しい怒りを込めて睨みつける。
(許せない……!)
クリスの、劇団シベリウスの舞台を壊させやしない。
決意と共に辺りを見渡せば、広場の後方にある一際大きな屋台が目に入った。頑丈そうな作りに、ロッティは考える間もなく走り出す。
「――ロッティ!」
野太い声に名を呼ばれたが、ロッティは振り返らなかった。一直線に屋台を目指し、息を弾ませながら傍らの大きな木箱に足を掛ける。
「おいロッティ、待てっつの!」
何度も自分を呼ぶ声を無視していたら、とうとう荒々しく肩を掴まれた。身をよじって振り払って、声の主を睨みつける。
「カイさん、邪魔しないでください! 私はクリスさんを助けないとっ」
「助けるったって……! 屋台によじ登って何する気だよ、お前は!?」
ロッティに答える余裕はない。
重ねられた木箱を不器用に登り、歯を食いしばって屋台の屋根を目指す。わけが分からず怒っていたカイも、彼女の危なっかしい動きを見て、慌てたように手を貸してくれた。
「よし、……っと」
木の板でできた屋根は薄っぺらく、踏み抜きやしないかとひやひやする。それでも、後戻りするつもりは全くなかった。
深呼吸してローブの懐に手を入れ、魔法の杖を取り出した。まっすぐに天に掲げ、高らかに唱える。
「――光よ、踊れ!!」
***
声が掠れた。
そう悟った瞬間、クリスの視界は真っ暗になった。背中を冷や汗がつたい、足が勝手に震え出す。
これ以上歌い続けるのが怖い。
けれど、演技を止めるわけにはいかない。
無意識に手が動き、守り袋の入ったポケットを握り締める。
(ロッティ……!)
――大丈夫。この魔石は絶対、絶対クリスさんの力になってくれるって、私が保証しますから。
自信に満ちた声が脳裏に蘇り、クリスははっとする。
出会ってすぐはおどおどしてばかりで、目すら合わせてくれなかった小さな魔女。
いつの間に彼女は、あんなにもまっすぐクリスを見つめるようになったのだろう。力強い声を出すようになったのだろう。
クリスはポケットを――守り袋を握る手に力を込める。
(もしかしてこれ、風の魔石かなぁ……?)
もしそうだったら嬉しい。
風の魔石、ロッティの瞳と同じ緑の魔石。
たとえ弱くたって強くなれるのだと、変わることができるのだと、きっとクリスを勇気付けてくれるに違いない。
気付けば口元に微笑が浮かんでいた。
(大丈夫……)
己に言い聞かせ、懸命に歌を紡ぎ続ける。
しかしクリスが決意を新たにしたその瞬間、下世話な声が響き渡った。酒瓶を片手に近付いてくるのは、おそらくは劇団ブロンの雇ったゴロツキ達。
見物客はどよめき、クリスの歌も止まってしまう。
蒼白になって辺りを見回すと、黒のローブを揺らして走る、小さな魔女の背中が目に飛び込んできた。なぜか屋台に登った彼女は、不安定にぐらぐら揺れながら長い棒を構える。
ローブの裾が風でふわりとはためいた。茜色の豊かな髪が広がり、陽光を弾いて美しく輝く。
息を詰めて見守るクリスを、彼女も見返してくれた気がした。
「ロッ……」
「――光よ、踊れ!!」
突如、凛とした声が響き渡る。
西広場の上空に、見覚えのある魔法の光球が浮かび上がる――……
***
アナは全力で走っていた。
後悔のあまり、血がにじむほど強く唇を噛み締める。
(迂闊だったわ……!)
フローラのことを見誤っていた。
彼女の性格、彼女が感じるであろう心の動き。
どう言えば彼女が不快に思うか、どんなふうに反応して行動を起こすのか。
完璧に把握しているつもりだったからこそ、わざわざ釘を差しに行ったというのに。劇団ブロンの暴挙を止めるどころか、逆に火を付ける結果になってしまったのか。
己の愚かさを悔やみながらも足は止めない。
反省なら後からいくらでもできる、今はどうやって公演をやり遂げるかだ。
焦燥感に急かされるように走り続け、勢いそのままに大通りの角を曲がる。その途端激しい衝撃を感じ、目の前に火花が散った。
尻もちをつきかけたアナを、さっと伸びてきた腕が支えてくれる。
「……っ。すみませ――」
「君は、劇団シベリウスの……?」
戸惑ったような声音に、アナはずきずきと痛む顔を上げた。長身のアナですら見上げなければならない、端正な顔立ちの男がそこにいた。
アナはこぼれんばかりに目を見開く。この男はそう、クリスの兄の――……
「フィルさん!?」
きらびやかな王立騎士の団服、腰には立派な長剣。
フィルの後ろにも同じ団服を身にまとう、頬に傷のある大男がいるのを見て取ると、アナは必死の形相で彼らの腕を掴んだ。
「お願い、クリスを助けて! 西広場に暴漢が現れたの!」
「なんだって!?」
顔色を変えたフィルが、すぐさま駆け出そうとしたその瞬間。
――ドォォォォォンッ!!
西広場の方角から、耳が痛くなるほどの轟音がとどろいた。
座って見物していた前方の人々も、腰を上げて突然の闖入者から逃れようとする。
顔色を変えたアナが、地面を蹴って駆け出した。おそらく警邏を呼んでくるつもりなのだろう。
一人取り残されたロッティは途方に暮れる。
(どうしよう、どうしたらいいの……!?)
震えながらクリスを振り返れば、彼は真っ青になって立ち尽くしていた。ほっそりとした白い手が、すがりつくかのようにポケットを握り締めている。
いつもと違う――迷子の子供のような彼の姿を目にした瞬間、ロッティの体に電流が走った。たった今まで感じていた恐怖も不安も、潮が引くように消えていく。
代わりに生まれたのは、爆発的な感情。
乱入してきたブロンの刺客達を、くらくらと目眩がするほど激しい怒りを込めて睨みつける。
(許せない……!)
クリスの、劇団シベリウスの舞台を壊させやしない。
決意と共に辺りを見渡せば、広場の後方にある一際大きな屋台が目に入った。頑丈そうな作りに、ロッティは考える間もなく走り出す。
「――ロッティ!」
野太い声に名を呼ばれたが、ロッティは振り返らなかった。一直線に屋台を目指し、息を弾ませながら傍らの大きな木箱に足を掛ける。
「おいロッティ、待てっつの!」
何度も自分を呼ぶ声を無視していたら、とうとう荒々しく肩を掴まれた。身をよじって振り払って、声の主を睨みつける。
「カイさん、邪魔しないでください! 私はクリスさんを助けないとっ」
「助けるったって……! 屋台によじ登って何する気だよ、お前は!?」
ロッティに答える余裕はない。
重ねられた木箱を不器用に登り、歯を食いしばって屋台の屋根を目指す。わけが分からず怒っていたカイも、彼女の危なっかしい動きを見て、慌てたように手を貸してくれた。
「よし、……っと」
木の板でできた屋根は薄っぺらく、踏み抜きやしないかとひやひやする。それでも、後戻りするつもりは全くなかった。
深呼吸してローブの懐に手を入れ、魔法の杖を取り出した。まっすぐに天に掲げ、高らかに唱える。
「――光よ、踊れ!!」
***
声が掠れた。
そう悟った瞬間、クリスの視界は真っ暗になった。背中を冷や汗がつたい、足が勝手に震え出す。
これ以上歌い続けるのが怖い。
けれど、演技を止めるわけにはいかない。
無意識に手が動き、守り袋の入ったポケットを握り締める。
(ロッティ……!)
――大丈夫。この魔石は絶対、絶対クリスさんの力になってくれるって、私が保証しますから。
自信に満ちた声が脳裏に蘇り、クリスははっとする。
出会ってすぐはおどおどしてばかりで、目すら合わせてくれなかった小さな魔女。
いつの間に彼女は、あんなにもまっすぐクリスを見つめるようになったのだろう。力強い声を出すようになったのだろう。
クリスはポケットを――守り袋を握る手に力を込める。
(もしかしてこれ、風の魔石かなぁ……?)
もしそうだったら嬉しい。
風の魔石、ロッティの瞳と同じ緑の魔石。
たとえ弱くたって強くなれるのだと、変わることができるのだと、きっとクリスを勇気付けてくれるに違いない。
気付けば口元に微笑が浮かんでいた。
(大丈夫……)
己に言い聞かせ、懸命に歌を紡ぎ続ける。
しかしクリスが決意を新たにしたその瞬間、下世話な声が響き渡った。酒瓶を片手に近付いてくるのは、おそらくは劇団ブロンの雇ったゴロツキ達。
見物客はどよめき、クリスの歌も止まってしまう。
蒼白になって辺りを見回すと、黒のローブを揺らして走る、小さな魔女の背中が目に飛び込んできた。なぜか屋台に登った彼女は、不安定にぐらぐら揺れながら長い棒を構える。
ローブの裾が風でふわりとはためいた。茜色の豊かな髪が広がり、陽光を弾いて美しく輝く。
息を詰めて見守るクリスを、彼女も見返してくれた気がした。
「ロッ……」
「――光よ、踊れ!!」
突如、凛とした声が響き渡る。
西広場の上空に、見覚えのある魔法の光球が浮かび上がる――……
***
アナは全力で走っていた。
後悔のあまり、血がにじむほど強く唇を噛み締める。
(迂闊だったわ……!)
フローラのことを見誤っていた。
彼女の性格、彼女が感じるであろう心の動き。
どう言えば彼女が不快に思うか、どんなふうに反応して行動を起こすのか。
完璧に把握しているつもりだったからこそ、わざわざ釘を差しに行ったというのに。劇団ブロンの暴挙を止めるどころか、逆に火を付ける結果になってしまったのか。
己の愚かさを悔やみながらも足は止めない。
反省なら後からいくらでもできる、今はどうやって公演をやり遂げるかだ。
焦燥感に急かされるように走り続け、勢いそのままに大通りの角を曲がる。その途端激しい衝撃を感じ、目の前に火花が散った。
尻もちをつきかけたアナを、さっと伸びてきた腕が支えてくれる。
「……っ。すみませ――」
「君は、劇団シベリウスの……?」
戸惑ったような声音に、アナはずきずきと痛む顔を上げた。長身のアナですら見上げなければならない、端正な顔立ちの男がそこにいた。
アナはこぼれんばかりに目を見開く。この男はそう、クリスの兄の――……
「フィルさん!?」
きらびやかな王立騎士の団服、腰には立派な長剣。
フィルの後ろにも同じ団服を身にまとう、頬に傷のある大男がいるのを見て取ると、アナは必死の形相で彼らの腕を掴んだ。
「お願い、クリスを助けて! 西広場に暴漢が現れたの!」
「なんだって!?」
顔色を変えたフィルが、すぐさま駆け出そうとしたその瞬間。
――ドォォォォォンッ!!
西広場の方角から、耳が痛くなるほどの轟音がとどろいた。
10
お気に入りに追加
264
あなたにおすすめの小説

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。


「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」
ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」
美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。
夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。
さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。
政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。
「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」
果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

覚悟はありますか?
翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。
「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」
ご都合主義な創作作品です。
異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。
恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる