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21.視線の先には
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フィルの思考は完全に停止していた。
劇場の裏口にたむろする男達を見つけた瞬間、カッとなって体が勝手に動いてしまった。衝動のまま彼らを追い払ったところまではよかったものの、うかつなことにロッティに闘う姿を目撃された。
彼女に、怯えられてしまったかもしれない。
せっかく少しずつ打ち解け始めていたところだったのに。
平静を装っていてもフィルの頭は真っ白で、心臓は早鐘を打っていた。
――けれど、ロッティは笑ってくれたのだ。
差し伸べた自分の手も、迷うことなく握り返してくれた。
(……なんて、せっかく安堵していたのに……!)
ようやく我を取り戻したフィルは、憤怒の表情で自分にしなだれかかる金髪頭を見下ろした。
荒々しく相手の肩を突き飛ばし、大急ぎでロッティを振り返る。
違う、誤解しないでくれ。
この女と僕はそんな関係じゃない。だって、そもそもコイツは――!
そう弁明しようと口を開きかけたのに、ロッティの反応はフィルが予想していたのと全く違っていた。
なんて女にだらしがない奴なんだと、軽蔑したような目で見られていると思っていた。
それかもしかすると、傷ついた顔をしているかもしれない。嫉妬してくれたら嬉しい、だなんて、少しも期待しなかったと言えば嘘になる。
しかし、目の前のロッティは――……
「わああ……っ。お似合い、ですね……!」
うっとりと手を組み、翠玉の瞳をキラッキラさせていた。なんでだ。
「…………」
絶望のあまり、フィルの視界が真っ暗になる。
斜めに傾いだところで、くくっと押し殺した笑い声が聞こえた。黄金の髪をふるふると小刻みに揺らしながら、迷惑な歌姫が涙目でフィルを見上げる。
「ぜ、全然眼中にないっていうか……っ。うけ、ウケるっ」
「煩いぞ!? というかお前、一体どういうつもりだっ!」
轟くような大声で怒鳴りつけるが、歌姫はどこ吹く風と笑い続けている。きょとんとしたロッティが、フィルの服を控えめに引っ張った。
「フィル、さん。もう夜ですから……」
「あっ……! す、すみません!」
赤面して頭を下げると、ロッティははにかんでかぶりを振った。その表情にまた心臓が跳ねる。
フィルの動揺に気付かぬまま、ロッティはくすくすと楽しそうに笑った。
「仲のいい、ご兄妹なんですね。羨ましいです」
『…………へ?』
フィルと歌姫の、間の抜けた合いの手が重なった。
***
「ねぇ。あなたはどうして、あたしとフィルが家族だって気付いたの? あたしとフィルはそりゃあ大層な美形だけど、さして似てはいないでしょう?」
「え、えっとそれは……!」
王立劇場の楽屋。
歌姫クリスティアナから強引に腕を引かれ、ロッティとフィルは劇場の中へと招き入れられた。
クリスティアナから整った顔をずいっと近付けられ、ロッティは挙動不審に視線を泳がせる。
フィルとの出会いで多少は免疫ができたものの、やはり堂々としたひとを前にすると萎縮してしまう。狼狽しながらクリスティアナから距離を取り、下を向いてもぞもぞと呟いた。
「フィ、フィルさんの……目、です」
「え?」
不思議そうに瞬きするフィルに救われたように、ロッティは大急ぎでフィルの側に寄り添う。
「フィルさんは、ずっと心配そうな眼差しを舞台に向けていました。苦しいから見たくないのに、見ないわけにはいかない。自分が目を逸らしちゃいけない。……そんな、葛藤したみたいな顔」
「それは……」
ためらうように言葉を濁す彼に、ロッティは慌てたように口をつぐんだ。もしや、触れてはいけないことだったのかもしれない。
しかし、クリスティアナは楽しげな笑い声を立てた。
「フィルってば、そんなにあたしのことを心配していたの? 馬鹿ね、あたしは絶対にとちったりしないのに」
「そう、ですね……。クリスティアナさんは、私なんかとは違うから……」
在りし日の失敗を思い出し、ロッティは自嘲するように呟く。フィルがロッティの肩に優しく手を置いた。
「ロッティ様?」
「あ……っ。す、すみませんっ」
真っ赤になって、わたわたと手を振り回す。
「わ、私の母が、フィルさんと同じ顔をしていたのを思い出したんです。私が、小さな子供の頃……村のお祭りで、踊りを披露した時に」
ロッティと母が二人きりで暮らしていた、郊外の農村。
綺麗な小川が流れ、作物が豊かに実る恵まれた土地だった。穏やかな日々を懐かしく思い出し、目を細める。
「年に一度、農閑期に村の大きな集会所に集まるのが恒例行事だったんです。村人みんなでお酒や料理を持ち寄って、たくさんおしゃべりして楽しんで。……それの余興で、村の子みんなで一緒に、そのぅ……」
「踊ったんですね? あなたはさぞかし、可愛らしかったに違いない」
「あら、あたしは無様に転けたに違いないと思うけど? この子、すっごく鈍臭そうだもの」
鼻で笑った瞬間、電光石火の早業でフィルが歌姫の後頭部を叩いた。ロッティは慌ててフィルを諌める。
「フィルさんっ。いいんです、本当にそうだったから。最前列で見守ってくれていた母も、『あっちゃあ』って顔をしてました……」
「くっ」
「あははっ」
フィルは飛び出しかけた笑みを懸命に噛み殺し、歌姫は手を叩いてあけっぴろげに大笑いした。情けなく二人を見比べたロッティも、ややあって恥ずかしそうに笑い出す。
濃い派手な舞台化粧を落としたクリスティアナは、薔薇色の頬のあどけない顔立ちだった。舞台で見た時は二十代だと思っていたが、おそらくまだ十代の半ばだろう。
年が離れているというフィルの妹。
そして、舞台に向けていたフィルのあの眼差し。
結びつけるのは、さして難しくはなかった。
たどたどしいロッティの説明に、クリスティアナは楽しげに耳を傾けた。すっかり聞き終えてから、「でもね」とにんまり笑う。
「半分正解で、半分ハズレ。――だって、あたしはフィルの妹じゃないもの」
「……え?」
それじゃあ、親戚とか?
目を丸くしてフィルを窺うと、フィルはげっそりと肩を落とした。ロッティに向かって、ゆるゆると首を振る。
「違います。親戚でも妹でもありません。……そう、コイツは僕の――」
「フィルは黙ってて。あたしから言うわ」
よく通る声でぴしゃりと制止して、クリスティアナは己の頭に手を伸ばした。かき混ぜるように黄金の髪に触れた途端、ぱちりと何かが外れる音がする。
瞬きするロッティの目前で、クリスティアナの髪がずるりと落ちた。
「………え」
現れ出たのは、同じ黄金色の短髪。
唖然として立ち尽くすばかりのロッティを鼻で笑い、クリスティアナは乱れた髪を手櫛で整えた。紫水晶の瞳で挑むようにロッティを見つめ、不敵に口角を吊り上げる。
「そんじゃ、改めて自己紹介しておこっか。おれはクリス・ウォーカー。フィルの腹違いの弟だよ」
よろしく、魔女さん?
ガラリと雰囲気を変えたクリスティアナに、ロッティはこぼれんばかりに目を見開いた。すかさず進み出たフィルが、少年の金髪頭へ盛大にゲンコツを落とす。
「兄さんと呼べといつも言ってるだろうが!」
劇場の裏口にたむろする男達を見つけた瞬間、カッとなって体が勝手に動いてしまった。衝動のまま彼らを追い払ったところまではよかったものの、うかつなことにロッティに闘う姿を目撃された。
彼女に、怯えられてしまったかもしれない。
せっかく少しずつ打ち解け始めていたところだったのに。
平静を装っていてもフィルの頭は真っ白で、心臓は早鐘を打っていた。
――けれど、ロッティは笑ってくれたのだ。
差し伸べた自分の手も、迷うことなく握り返してくれた。
(……なんて、せっかく安堵していたのに……!)
ようやく我を取り戻したフィルは、憤怒の表情で自分にしなだれかかる金髪頭を見下ろした。
荒々しく相手の肩を突き飛ばし、大急ぎでロッティを振り返る。
違う、誤解しないでくれ。
この女と僕はそんな関係じゃない。だって、そもそもコイツは――!
そう弁明しようと口を開きかけたのに、ロッティの反応はフィルが予想していたのと全く違っていた。
なんて女にだらしがない奴なんだと、軽蔑したような目で見られていると思っていた。
それかもしかすると、傷ついた顔をしているかもしれない。嫉妬してくれたら嬉しい、だなんて、少しも期待しなかったと言えば嘘になる。
しかし、目の前のロッティは――……
「わああ……っ。お似合い、ですね……!」
うっとりと手を組み、翠玉の瞳をキラッキラさせていた。なんでだ。
「…………」
絶望のあまり、フィルの視界が真っ暗になる。
斜めに傾いだところで、くくっと押し殺した笑い声が聞こえた。黄金の髪をふるふると小刻みに揺らしながら、迷惑な歌姫が涙目でフィルを見上げる。
「ぜ、全然眼中にないっていうか……っ。うけ、ウケるっ」
「煩いぞ!? というかお前、一体どういうつもりだっ!」
轟くような大声で怒鳴りつけるが、歌姫はどこ吹く風と笑い続けている。きょとんとしたロッティが、フィルの服を控えめに引っ張った。
「フィル、さん。もう夜ですから……」
「あっ……! す、すみません!」
赤面して頭を下げると、ロッティははにかんでかぶりを振った。その表情にまた心臓が跳ねる。
フィルの動揺に気付かぬまま、ロッティはくすくすと楽しそうに笑った。
「仲のいい、ご兄妹なんですね。羨ましいです」
『…………へ?』
フィルと歌姫の、間の抜けた合いの手が重なった。
***
「ねぇ。あなたはどうして、あたしとフィルが家族だって気付いたの? あたしとフィルはそりゃあ大層な美形だけど、さして似てはいないでしょう?」
「え、えっとそれは……!」
王立劇場の楽屋。
歌姫クリスティアナから強引に腕を引かれ、ロッティとフィルは劇場の中へと招き入れられた。
クリスティアナから整った顔をずいっと近付けられ、ロッティは挙動不審に視線を泳がせる。
フィルとの出会いで多少は免疫ができたものの、やはり堂々としたひとを前にすると萎縮してしまう。狼狽しながらクリスティアナから距離を取り、下を向いてもぞもぞと呟いた。
「フィ、フィルさんの……目、です」
「え?」
不思議そうに瞬きするフィルに救われたように、ロッティは大急ぎでフィルの側に寄り添う。
「フィルさんは、ずっと心配そうな眼差しを舞台に向けていました。苦しいから見たくないのに、見ないわけにはいかない。自分が目を逸らしちゃいけない。……そんな、葛藤したみたいな顔」
「それは……」
ためらうように言葉を濁す彼に、ロッティは慌てたように口をつぐんだ。もしや、触れてはいけないことだったのかもしれない。
しかし、クリスティアナは楽しげな笑い声を立てた。
「フィルってば、そんなにあたしのことを心配していたの? 馬鹿ね、あたしは絶対にとちったりしないのに」
「そう、ですね……。クリスティアナさんは、私なんかとは違うから……」
在りし日の失敗を思い出し、ロッティは自嘲するように呟く。フィルがロッティの肩に優しく手を置いた。
「ロッティ様?」
「あ……っ。す、すみませんっ」
真っ赤になって、わたわたと手を振り回す。
「わ、私の母が、フィルさんと同じ顔をしていたのを思い出したんです。私が、小さな子供の頃……村のお祭りで、踊りを披露した時に」
ロッティと母が二人きりで暮らしていた、郊外の農村。
綺麗な小川が流れ、作物が豊かに実る恵まれた土地だった。穏やかな日々を懐かしく思い出し、目を細める。
「年に一度、農閑期に村の大きな集会所に集まるのが恒例行事だったんです。村人みんなでお酒や料理を持ち寄って、たくさんおしゃべりして楽しんで。……それの余興で、村の子みんなで一緒に、そのぅ……」
「踊ったんですね? あなたはさぞかし、可愛らしかったに違いない」
「あら、あたしは無様に転けたに違いないと思うけど? この子、すっごく鈍臭そうだもの」
鼻で笑った瞬間、電光石火の早業でフィルが歌姫の後頭部を叩いた。ロッティは慌ててフィルを諌める。
「フィルさんっ。いいんです、本当にそうだったから。最前列で見守ってくれていた母も、『あっちゃあ』って顔をしてました……」
「くっ」
「あははっ」
フィルは飛び出しかけた笑みを懸命に噛み殺し、歌姫は手を叩いてあけっぴろげに大笑いした。情けなく二人を見比べたロッティも、ややあって恥ずかしそうに笑い出す。
濃い派手な舞台化粧を落としたクリスティアナは、薔薇色の頬のあどけない顔立ちだった。舞台で見た時は二十代だと思っていたが、おそらくまだ十代の半ばだろう。
年が離れているというフィルの妹。
そして、舞台に向けていたフィルのあの眼差し。
結びつけるのは、さして難しくはなかった。
たどたどしいロッティの説明に、クリスティアナは楽しげに耳を傾けた。すっかり聞き終えてから、「でもね」とにんまり笑う。
「半分正解で、半分ハズレ。――だって、あたしはフィルの妹じゃないもの」
「……え?」
それじゃあ、親戚とか?
目を丸くしてフィルを窺うと、フィルはげっそりと肩を落とした。ロッティに向かって、ゆるゆると首を振る。
「違います。親戚でも妹でもありません。……そう、コイツは僕の――」
「フィルは黙ってて。あたしから言うわ」
よく通る声でぴしゃりと制止して、クリスティアナは己の頭に手を伸ばした。かき混ぜるように黄金の髪に触れた途端、ぱちりと何かが外れる音がする。
瞬きするロッティの目前で、クリスティアナの髪がずるりと落ちた。
「………え」
現れ出たのは、同じ黄金色の短髪。
唖然として立ち尽くすばかりのロッティを鼻で笑い、クリスティアナは乱れた髪を手櫛で整えた。紫水晶の瞳で挑むようにロッティを見つめ、不敵に口角を吊り上げる。
「そんじゃ、改めて自己紹介しておこっか。おれはクリス・ウォーカー。フィルの腹違いの弟だよ」
よろしく、魔女さん?
ガラリと雰囲気を変えたクリスティアナに、ロッティはこぼれんばかりに目を見開いた。すかさず進み出たフィルが、少年の金髪頭へ盛大にゲンコツを落とす。
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