引きこもり魔女と花の騎士

和島逆

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10.つかめない思い

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 『拝啓 花の騎士様』

 宝玉の魔女の手紙は、そんな言葉から始まっていた。


 ***


 深夜。

 一日の業務を終えたフィルは、騎士寮の自室で花柄の便箋に目を落としていた。何度も読み返したせいで、内容はもうすっかり暗記してしまった。

(……花の騎士……)

 あの魔女にしては随分としゃれた物言いに、フィルは小さく苦笑する。

 朝食の人参丸かじりにはたまげたが、ロッティの方が可哀想なくらい慌てていた。真っ赤になって俯き、無言でこの手紙を差し出してきた彼女の姿を思い出す。

 女性からの手紙など普段なら面倒なだけなのに、なぜか今朝、ロッティから手紙を受け取った時の自分はひどく高揚していた。その場で可愛らしい花柄の封筒を開封し、彼女の目の前で読んでしまったくらいだ。

『今日はいい天気ですね』

「いや、雨だよ」

 楽しげに突っ込んで、フィルは喉の奥でこもった笑い声を立てた。ベッドにどさりと横になる。

『魔石のこと、本当にごめんなさい。作るって言ったり、作らないって言ったり……』

 たどたどしい文面は、いつもの彼女そのままだった。気弱な性格を表したような小さな文字を、そっと指で辿る。

『騎士様にもきっと何か事情があるのに、私、きちんと話も聞きませんでした。今さら遅いって思われるかもしれないけど、事情を教えてくれたら嬉しいです』

 長い前髪に隠された、彼女の美しい翠玉の瞳を思い出す。
 フィルの唇が緩く弧を描いた。手紙に向ける眼差しが、ふわりとやわらかくなる。

『私、魔石を作ることしかできないけど。それでもよければ、あなたの力になりたいです』

 ロッティより、と締めくくられた手紙を丁寧に折り畳み、ぼんやりと胸に抱き締める。

 一番最初にこれを読み終えたときの自分は、紛れもなく舞い上がっていた。
 なにせ、頬を染めて自分を窺うロッティに、「では返事はまた後日!」と高らかに宣言して帰ってきてしまったくらいだ。いやいやその場で話せばいいだろ、と気付いたのは後になってから。

 自分らしからぬ間の抜けた行動を思い出し、フィルは赤面して枕に顔を押し付ける。じたばたと暴れ出したいような、声の限り叫びたいような、なんとも不思議な感覚だ。

「……そうだ。返事を書かないと……」

 熱くなった頬を叩き、ベッドからむくりと体を起こす。

 書き物机の引き出しから、王立騎士団の紋章入りの便箋を取り出した。珍しい品だから、きっと彼女も喜んでくれるに違いない。

 楽しい想像に頬をゆるませ、フィルは羽根ペンを握って机に向かう。まずは「拝啓 宝玉の魔女様」と書きつけた。

(……さあ、何と返事をしようか?)

 手紙は一方的な恋文を貰うばかりで、自分で書くことはほとんどない。せいぜい、遠くで暮らす家族に送る程度だ。

 頭を悩ませながらも、口は自然と笑ってしまう。
 それはとても、心躍るひとときだった。



 ***


 書き上がった手紙を懐に、花束を右手にフィルは急ぎ足で街を歩く。一時間しかない昼休憩を抜け出したのは、少しでも早くこの手紙を彼女に届けたかったからだ。

 花束とフィル、という組み合わせはどうやら女心を刺激するようで、至るところから黄色い声が聞こえてくる。
 気が向けば声の主を振り返り、にこりと手を振ってみる。感激しすぎた女がへなへなと地面にへたり込んだ。

(ふふん。ちょろいな)

 今日のフィルは上機嫌だった。
 弾むような足取りで街はずれを目指し――ふと、足を止める。

 視線の先には、芳しい香りを放つ屋台。
 小麦を練った白い生地を蒸し上げ、肉と野菜を挟んだ軽食が売られている。誘われるように列の最後尾へと並んだ。

(人参だけだと栄養が足りないからな)

 なぜか己に言い訳しつつ、まだほかほかと温かな紙袋を手に歩く。時間のロスを悔やみながら足を早め、ようやく宝玉の魔女の自宅に到着した。

 チン、とドアベルを鳴らすが、例のごとく返事がない。ため息をつき、ドアノブに手を掛けた。

「――これ、すっごく美味しいですカイさんっ」

 扉を開いた途端に興奮したロッティの声が聞こえてきて、フィルは足を止める。咄嗟に息を殺し、忍び足で声の方向に近付いた。

 廊下の先で、慎重に居間を覗き込む。
 そこには嬉しそうにパンをかじるロッティと、向かいにはオールディス商会の男の姿があった。

「今度ウチで出す新店の試作品なんだ。女が好みそうな洒落た外観に仕上がったから、開店したらお前も買いに来いよ」

「……激しく場違いな気がするので遠慮します」

 偉そうにそっくり返ってる男に苦笑して、ロッティはまた嬉しそうにパンにかぶりついた。胸の奥から不快感が込み上げてきて、フィルは大急ぎで踵を返す。

 外に出て玄関の前に手紙を置き、小石で重しをした。横には花束もそっと添える。

(……これでいい)

 きっと、あの男が帰る時にちゃんと気付くはずだ。だから、何も問題ない。

 ――問題ない、はずなのに。

 フィルはいらいらと地面を蹴った。
 だいぶぬるくなった紙袋から軽食を取り出し、荒々しく食いちぎる。ふわふわの白い生地はほんのり甘く、濃いめの味付けの肉とよく合っている。

 きっと、これを食べればロッティも美味しいと喜んでくれただろう。顔を輝かせてフィルに感謝してくれたに違いない。

(クソッ……!)

 原因不明の焦燥感をぶつけるように、道端の石を蹴り飛ばした。

 なぜだかひどく、惨めな気分だった。
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