引きこもり魔女と花の騎士

和島逆

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5.思い通りにならない

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 夕闇が少しずつ色濃くなる夜の始まり。

 金糸のように美しい髪に茜色を弾かせながら、男が颯爽とした足取りで大通りを抜けていく。
 その身に纏っているのは、銀で縁取られた光沢のある濃紺のコート。左胸に縫い込まれた剣と盾の紋章が男の所属を表している。


 ――見て、ウォーカー様よ!

 ――きゃあ、こちらを向いてくれないかしら!


 嫌でも耳に入ってくる裏返った嬌声に、フィルは小さく舌打ちしそうになる。しかしそんな不快感はおくびにも出さずに、涼し気な顔でひたすら前だけを見て歩き続けた。

 その顔の裏、胸の奥で渦巻いているのは黒々とした鬱屈だった。
 頑丈なブーツで、ことさら強く地面を蹴り上げる。

(ああ、煩わしい……!)

 フィルとて、自分のこの美しい顔は気に入っている。

 これまで女に不自由したことは一度だってないし、この顔を存分に利用することでいつも有利に立ち回ってきた。自分がにっこり微笑めば、大抵の女は頬を染めて自分の言いなりになるのだ。


『ロッティは、アンタの思い通りにはならないぜ?』


 野卑な男の声が脳裏に蘇る。


『口説こうが褒めようが、上っ面だけの言葉にあいつがなびくはずがねぇ。せいぜい無駄な努力に勤しむこったな?』


(くそっ……!)

 せせら笑うような男の顔を思い出し、フィルは苛々と己の頭を掻きむしった。周囲の女達が息を呑む気配がして、慌てて表情を取り繕う。

 ふわりと微笑みを振りまくと、途端にうっとりとしたため息が漏れ聞こえてきた。女達は潤んだ瞳で、熱っぽくフィルを見つめる。

(……ふん。ほぅらな、簡単だろう?)

 自分が笑いかけるだけで、女は天にも昇る心地になる。

 あのもっさりした『宝玉の魔女』とて、曲がりなりにも女であるならば例外ではないはずだ。
 初対面では怖がられてしまったが、自分がこの武器を全面に押し出して迫ったなら、あの魔女とて容易に陥落するに違いない。

 蔑むように唇を歪めると、フィルは目に付いた花屋へ消えていく。

 そう。
 自分が、この美しい顔で微笑んだのなら――……



 ***


「ロッティ様。可愛らしいあなたに相応しい、この甘やかな薔薇を――」
「ひいぃぃぃぃっ!! カイさっ、カイさぁぁぁぁんっ!! おーたーすーけーーーーっ!!!」

 真っ黒なローブで全身を覆った『宝玉の魔女』が、狂ったように金切り声を上げている。
 薔薇の花束を手に、フィルは呆然とその光景を眺めた。

 顔が引きつりそうになるのを堪えながら、床にへたり込むロッティに歩み寄る。手を伸ばしかけ、散々ためらったすえ引っ込めた。

「……あの。ロッティ、様……?」

 小さな声で語り掛けると、ロッティは途端に肩を跳ねさせた。どうやら聞こえているらしいことに安堵して、フィルは勇気を出して再び手を伸ばす。

「ロッティ様。その……なぜ、鍋を被っているのです?」

 びく、と震えた鍋――ロッティの頭で鈍い輝きを放つそれを、フィルはコンコンと指で弾いた。澄んだ音に合わせるかのように、頭の鍋もゆらゆら揺れる。

 両手で鍋の取手を掴み、ロッティが恐る恐るといった調子で顔を上げた。

「ううう……。防災のつもり、だったんです……。これを被っておけば、あなたの顔が見えなくなるし、声も聞こえにくくなるんじゃないかな、って……」

「…………」

 まさか、この自分が災害認定される日が来ようとは。

 ぎゅんと血圧が跳ね上がった気がするが、フィルは努めて己を落ち着かせる。淡い微笑を浮かべ、下からすくい上げるようにしてロッティを覗き込んだ。

「それで、いかがでしたか?」

 ロッティがしゅんと鼻を鳴らした。

「駄目でした……っ。むしろ、耳元にわんわん響いちゃうんですっ。あなたのその、顔と同じぐらい綺麗で格好よくて素敵な声がっ」

「…………」

 フィルは愕然として動きを止める。

 なぜだろう。

 綺麗だの、格好いいだの素敵だの。
 フィルにとってはあきあきするぐらい聞き慣れた言葉だ。
 それなのに、この『宝玉の魔女』ときたら――

(どうして、こんなにも嫌そうに言うんだ……!?)

 他の女達ならば、「きゃー、素敵ー!」と普段より一オクターブは高い声を出すはずなのに。
 言葉だけ聞けば宝玉の魔女だって褒めてくれてはいるものの、その声音はまさに「虫酸が走る」と言わんばかり。フィルのプライドはもうズタズタだった。

 ゆらり、と花束を置いて立ち上がる。

「あ、あのう……?」

「……ロッティ様。急用を思い出しましたので、本日はこれで失礼させていただきます」

 我ながら死んだような声が出た。

 途端にロッティが頬を引きつらせ、騒々しく頭から鍋を落とす。つんのめるようにしてフィルに詰め寄った。

「ちちち、違うんですっ! わ、私なんて失礼なこと――。あ、あなたの綺麗な顔と声が決して悪いわけじゃなくて、つまりそのっ!」

 目を丸くするフィルにまくし立てると、ロッティは急に力を失ったように俯いた。その唇から囁きが漏れたのが聞こえて、フィルは懸命に耳を澄ます。

 黙りこくって待ち続けると、ようやくロッティが再び口を開いた。

「……私、綺麗なものが好きです……。だから、魔石が好き。完成した魔石を見るためだけに、毎日がんばって魔力を注ぎ込んでる……」

 フィルの顔を見ないまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「でも、ひとと話すのは、苦手……。だから、だから私が悪いんです。騎士さんは全然悪くなくて、見た目だけで一方的に怖がってる……私が、最低なんです……」

「ロッティ様……」

 小さな手をきつく握り締めるロッティになんと声を掛けるべきかわからず、フィルはただ馬鹿みたいに立ち尽くした。

(おかしい……)

 普段の自分ならば、いくらでも空虚な言葉を並べ立てられるはずなのに。なめらかに口の回る自分ならば、こんな引っ込み思案な女など簡単に丸め込めるはずなのに。

 無音の部屋の中、時計の秒針の音だけがやけに大きく響く。

 フィルがひりつく喉から声を絞り出そうとした、その瞬間。

「おい、ロッティ! お前はまた鍵開けっぱなしで――……って、げ。マジで今日も来たのかよ、騎士サマ……」

 うんざりしたような顔で吐き捨てる男に、フィルの眉が吊り上がる。
 しかしロッティは「カイさんっ」と声を弾ませた。

 さっきまでとは一変して嬉しげなその様子に、なぜかフィルの苛立ちが募っていく。
 床に置いたままになっていた薔薇の花束を取り上げると、ロッティの鼻先に突き付けた。

「どうぞ。……綺麗なものは好き、なのでしょう? この薔薇は美しいだけでなく、とても芳しい香りもしますから」

 呆けたように口を開けたロッティが、ややあってためらいがちに手を伸ばした。
 恐る恐る薔薇の匂いを嗅ぎ、へらりと口元をゆるめる。

「…………っ!」
「いい香り……です」

 ありがとうございます、と勢いよく頭を下げられて、フィルの喉は詰まったように声が出ない。
 荒々しく踵を返すと、「また明日」と言い残して出て行った。
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