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最終章
第63話 その提案は却下です!
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「豪快にど真ん中なんてどうでかしら?」
「いや、噴水の側も悪くないと思う」
喧々諤々と議論しつつ、二人手を繋いで小さな中庭を歩き回る。
賑やかにおしゃべりしているせいか、さっきまで場を支配していた圧倒的な静けさはもう感じられなかった。ガイウス陛下の温かな毛並みに寄り添うだけで、怖さなんてどこかへ吹き飛んでしまう。
体をぶつけてふざけ合いながら、奥にある噴水へと歩を進める。
「綺麗なお水……! 見て、まるで鏡みたいに私達が映ってるわ」
手を浸してみると、その冷たさにびっくりする。思わず甲高い悲鳴を上げた私を見て、陛下が鬣を揺らして大笑いした。
(……よかった)
この扉を開くことは、陛下にとって大変な一歩だったのだと思う。――幼い頃の苦い思い出を、乗り越えるための。
滲んできそうになる涙を笑顔で振り払い、濡れた手を陛下に向けてぴっと振った。雫が飛んで、陛下が慌てたように半歩下がる。
「リリアーナ! やったなっ」
「ふふっ。ごめんね、冷たかったかしら」
口では謝りつつ、また水をすくって陛下に掛けた。今度は身軽に避けた陛下は、体をひねらせて私を取り押さえる。
「きゃっ」
「捕獲成功だな」
長いおひげをそよがせてうそぶくと、ひょいと私を持ち上げた。何度目かの高い高いはやっぱり楽しくて、悲鳴を上げながらも大笑いしてしまう。
私を抱えた陛下はくるくる回って、大樹の根本へと着地した。
木に背中を預けて座り込む彼に、私も体をもたれさせる。ふかふかしたやわらかな毛並みに包まれて、うっとりと目をつぶった。
ぎゅうと彼にすがりつく。
「……しあわせ。ずうっとこうしていたいわ」
「そ、そそそそうかっ?」
うわずった声を上げる彼がおかしくて、くすくす笑いながら顔を埋めた。途端にとろりとした眠気に襲われる。
「……っ。駄目駄目、寝る前に種を植えないとっ」
慌てて己の欲求を振り払った。
名残惜しい気持ちに駆られながらも、強いて勢いをつけて立ち上がる。
「この木の横でもいいかもしれませんね? 陽が当たる位置なら――……」
ゴツゴツした幹に手の平を押し当てて、頭上から覆いかぶさるように茂る緑を見上げた。みっしり密集した葉の隙間から、木漏れ日がきらきらとこぼれ落ちている。
美しい光景に唇をほころばせて陛下を振り返ると、なぜか彼はまた様子を一変させていた。
今にも唸り声を上げそうな顔で牙を食いしばり、大樹を睨みつけている。
「ガイウス、陛下……?」
強ばった肩を恐る恐る揺さぶると、陛下ははっとしたように身じろぎした。小さく吐息をついて私を抱き寄せる。
「……すまない。今、思い出したのだが……」
暗い声と共に、しゅんとおひげを垂らした。
「父が以前、話していた。この樹には『精霊の実』が生るのだと」
「精霊の実?」
それって……収穫祭で私が貰った景品の?
首をひねる私に、ガイウス陛下がちらりと苦笑する。
「あれは精霊の実を模した単なる石――……父が言ったのは、本物の『精霊の実』の話だ」
――本物。
収穫祭で手に入れた、精霊の実を思い描く。
確か、りんごに似た形をしていたはずだ。眉根を寄せて、記憶を辿りながら口を開く。
「こぶし大くらいの大きさで……黄金色、でしたよね?」
「多分な。俺も現物は見たことがないから、しかとした事は言えないが。……それにしても黄金色の果実など、想像しただけで食欲がなくなるな」
自身の黄金色の瞳をなごませて笑うと、陛下もゆったりと大樹を見上げた。
「精霊の実は、精霊から王族への祝福なのだと父は話していた。……最後に実ったのはお前が生まれる前だったと、自分が子どもの頃には見事な実をつけたのにと、繰り返し繰り返し嘆いていたな」
「…………」
なんだかむっとして大樹を睨みつける。
祝福だというのなら、ガイウス陛下が生まれた瞬間に実をつけてくれればよかったものを。なんて見る目の無い大樹なの。
(それにそれにっ)
お父様の言い草も酷いと思う。
精霊の実が生らなかったのは、決してガイウス陛下のせいじゃないのに、本人に向かって何度も恨み言をぶつけるとは何事だろう。ああ腹が立つ。
むしゃくしゃして大樹の幹を指で弾いた。
「ガイウス陛下のお父様は、今どちらにいらっしゃるんですか?」
初めましての挨拶をするときには、ぜひとも礼儀正しく文句も述べなければ。そうだ、お砂糖とお塩を間違えたクッキーをプレゼントしちゃおうかしら?
鼻息を荒くする私に、陛下は瞳の色を翳らせる。苦しげに声を絞り出した。
「父は、その……。残念ながら、酒好きが祟って……」
「…………!」
そんな。
先代陛下が亡くなっていただなんて、そんな話は初耳だ。故人に対して、私はなんて酷い事を……!
「ガイウス陛下っ! ごめんなさ」
「退位して自由の身となった事なので、父はこれより至高の酒を求めて旅に出る。遠くの空からお前を見守り続けると約束しよう、ではさらば。……そう言い残して姿を消し、早二年と少し……。父上は、今頃どこにいらっしゃるのか……?」
生きとるんかい。
前のめりに倒れかけた私を慌てたように抱きとめ、陛下が不思議そうに首を傾げる。何でもない何でもないと、ひらひらと手を振った。
「ところで、精霊の実って食べられるんですか? 歯が欠けてしまわないかしら」
「どうかな、その話は聞いてな――……いや」
んんー? と陛下はさらに深く首をひねる。
鬣を抱え込んでうんうん唸り、ややあってぽんと手を打った。
「リリアーナ!」
大きな手で私の両肩を掴むと、きらきらした瞳を向ける。興奮したように私を揺さぶった。
「そういえば昔、父は『精霊の実を食べたら強くなれるんだぞ』と言っていた……気がする! もし君が精霊の実を食べれば、君はきっと健康になれるに違いない!」
「えええっ!?」
それって大丈夫!?
健康と引き換えに総入れ歯になったりしない!?
おののく私に気付かず、陛下は意気揚々と服の袖をまくりあげた。木の幹をがっしりと掴んで、靴を脱いだ足を掛ける。
「幼い頃は何度も木登りしたものだ。隅から隅まで探せば、もしやひとつぐらい実っているかもしれん……!」
「いやいやいや! 待って待って待って!?」
子どもの頃ならいざ知れず、今の陛下の巨体では枝が折れてしまうかもしれない。大慌てでたくましい腰にしがみつく。
「絶っ対に駄目っ!! 怪我でもしたらどうするの!?」
私の健康より陛下が五体満足でいる方が大事!
ついでに歯もね!
目を吊り上げて叱りつけると、陛下はぺしゃりとお耳を垂らしてしまった。上目遣いをうるうるとあざとく潤ませる。
くっ!
どんなに可愛くたって、駄目なものは駄目なんですからね!?
「いや、噴水の側も悪くないと思う」
喧々諤々と議論しつつ、二人手を繋いで小さな中庭を歩き回る。
賑やかにおしゃべりしているせいか、さっきまで場を支配していた圧倒的な静けさはもう感じられなかった。ガイウス陛下の温かな毛並みに寄り添うだけで、怖さなんてどこかへ吹き飛んでしまう。
体をぶつけてふざけ合いながら、奥にある噴水へと歩を進める。
「綺麗なお水……! 見て、まるで鏡みたいに私達が映ってるわ」
手を浸してみると、その冷たさにびっくりする。思わず甲高い悲鳴を上げた私を見て、陛下が鬣を揺らして大笑いした。
(……よかった)
この扉を開くことは、陛下にとって大変な一歩だったのだと思う。――幼い頃の苦い思い出を、乗り越えるための。
滲んできそうになる涙を笑顔で振り払い、濡れた手を陛下に向けてぴっと振った。雫が飛んで、陛下が慌てたように半歩下がる。
「リリアーナ! やったなっ」
「ふふっ。ごめんね、冷たかったかしら」
口では謝りつつ、また水をすくって陛下に掛けた。今度は身軽に避けた陛下は、体をひねらせて私を取り押さえる。
「きゃっ」
「捕獲成功だな」
長いおひげをそよがせてうそぶくと、ひょいと私を持ち上げた。何度目かの高い高いはやっぱり楽しくて、悲鳴を上げながらも大笑いしてしまう。
私を抱えた陛下はくるくる回って、大樹の根本へと着地した。
木に背中を預けて座り込む彼に、私も体をもたれさせる。ふかふかしたやわらかな毛並みに包まれて、うっとりと目をつぶった。
ぎゅうと彼にすがりつく。
「……しあわせ。ずうっとこうしていたいわ」
「そ、そそそそうかっ?」
うわずった声を上げる彼がおかしくて、くすくす笑いながら顔を埋めた。途端にとろりとした眠気に襲われる。
「……っ。駄目駄目、寝る前に種を植えないとっ」
慌てて己の欲求を振り払った。
名残惜しい気持ちに駆られながらも、強いて勢いをつけて立ち上がる。
「この木の横でもいいかもしれませんね? 陽が当たる位置なら――……」
ゴツゴツした幹に手の平を押し当てて、頭上から覆いかぶさるように茂る緑を見上げた。みっしり密集した葉の隙間から、木漏れ日がきらきらとこぼれ落ちている。
美しい光景に唇をほころばせて陛下を振り返ると、なぜか彼はまた様子を一変させていた。
今にも唸り声を上げそうな顔で牙を食いしばり、大樹を睨みつけている。
「ガイウス、陛下……?」
強ばった肩を恐る恐る揺さぶると、陛下ははっとしたように身じろぎした。小さく吐息をついて私を抱き寄せる。
「……すまない。今、思い出したのだが……」
暗い声と共に、しゅんとおひげを垂らした。
「父が以前、話していた。この樹には『精霊の実』が生るのだと」
「精霊の実?」
それって……収穫祭で私が貰った景品の?
首をひねる私に、ガイウス陛下がちらりと苦笑する。
「あれは精霊の実を模した単なる石――……父が言ったのは、本物の『精霊の実』の話だ」
――本物。
収穫祭で手に入れた、精霊の実を思い描く。
確か、りんごに似た形をしていたはずだ。眉根を寄せて、記憶を辿りながら口を開く。
「こぶし大くらいの大きさで……黄金色、でしたよね?」
「多分な。俺も現物は見たことがないから、しかとした事は言えないが。……それにしても黄金色の果実など、想像しただけで食欲がなくなるな」
自身の黄金色の瞳をなごませて笑うと、陛下もゆったりと大樹を見上げた。
「精霊の実は、精霊から王族への祝福なのだと父は話していた。……最後に実ったのはお前が生まれる前だったと、自分が子どもの頃には見事な実をつけたのにと、繰り返し繰り返し嘆いていたな」
「…………」
なんだかむっとして大樹を睨みつける。
祝福だというのなら、ガイウス陛下が生まれた瞬間に実をつけてくれればよかったものを。なんて見る目の無い大樹なの。
(それにそれにっ)
お父様の言い草も酷いと思う。
精霊の実が生らなかったのは、決してガイウス陛下のせいじゃないのに、本人に向かって何度も恨み言をぶつけるとは何事だろう。ああ腹が立つ。
むしゃくしゃして大樹の幹を指で弾いた。
「ガイウス陛下のお父様は、今どちらにいらっしゃるんですか?」
初めましての挨拶をするときには、ぜひとも礼儀正しく文句も述べなければ。そうだ、お砂糖とお塩を間違えたクッキーをプレゼントしちゃおうかしら?
鼻息を荒くする私に、陛下は瞳の色を翳らせる。苦しげに声を絞り出した。
「父は、その……。残念ながら、酒好きが祟って……」
「…………!」
そんな。
先代陛下が亡くなっていただなんて、そんな話は初耳だ。故人に対して、私はなんて酷い事を……!
「ガイウス陛下っ! ごめんなさ」
「退位して自由の身となった事なので、父はこれより至高の酒を求めて旅に出る。遠くの空からお前を見守り続けると約束しよう、ではさらば。……そう言い残して姿を消し、早二年と少し……。父上は、今頃どこにいらっしゃるのか……?」
生きとるんかい。
前のめりに倒れかけた私を慌てたように抱きとめ、陛下が不思議そうに首を傾げる。何でもない何でもないと、ひらひらと手を振った。
「ところで、精霊の実って食べられるんですか? 歯が欠けてしまわないかしら」
「どうかな、その話は聞いてな――……いや」
んんー? と陛下はさらに深く首をひねる。
鬣を抱え込んでうんうん唸り、ややあってぽんと手を打った。
「リリアーナ!」
大きな手で私の両肩を掴むと、きらきらした瞳を向ける。興奮したように私を揺さぶった。
「そういえば昔、父は『精霊の実を食べたら強くなれるんだぞ』と言っていた……気がする! もし君が精霊の実を食べれば、君はきっと健康になれるに違いない!」
「えええっ!?」
それって大丈夫!?
健康と引き換えに総入れ歯になったりしない!?
おののく私に気付かず、陛下は意気揚々と服の袖をまくりあげた。木の幹をがっしりと掴んで、靴を脱いだ足を掛ける。
「幼い頃は何度も木登りしたものだ。隅から隅まで探せば、もしやひとつぐらい実っているかもしれん……!」
「いやいやいや! 待って待って待って!?」
子どもの頃ならいざ知れず、今の陛下の巨体では枝が折れてしまうかもしれない。大慌てでたくましい腰にしがみつく。
「絶っ対に駄目っ!! 怪我でもしたらどうするの!?」
私の健康より陛下が五体満足でいる方が大事!
ついでに歯もね!
目を吊り上げて叱りつけると、陛下はぺしゃりとお耳を垂らしてしまった。上目遣いをうるうるとあざとく潤ませる。
くっ!
どんなに可愛くたって、駄目なものは駄目なんですからね!?
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