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最終章

第62話 境界の箱庭。

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 精霊廟、最奥。

 隣に立つガイウス陛下に聞こえるんじゃないかと心配になるぐらい、バクバクと激しく心臓が暴れまわっている。
 サイラスから貰った花の種をぎゅっと握り締め、胸にきつく押し当てた。震える呼吸を懸命に整える。

「ガイウス、陛下。……その、そろそろ参ります……?」

 掠れ声で問い掛けると、挑むように扉を見据えていた陛下も無言で頷いた。私に向かって毛むくじゃらの手を差し伸べる。

「行こう」

 短い言葉と共に、ふわりと優しく抱き上げられた。ふさふさした首に腕を回し、太陽の香りがするたてがみに顔を埋める。

 隠しきれずに震える私の背中を、安心させるように何度も撫でてくれた。

「怯えなくともいい。とても、綺麗な場所だから」

 静かな声で告げると、陛下は力強い足取りで歩き出した。迷いの無いその様子に勇気付けられ、恐る恐る顔を上げる。

 緑の蔦の絡まった、固く閉ざされた扉に向かって陛下が腕を伸ばした。ぶつり、と蔦の断ち切れる音がする。

 それ以外は軋む音すら立てず、なめらかな動きで扉が開いた。とても長年封印されていたとは思えない。

「ガイウス、陛下……」

「大丈夫」

 とうとう扉が開け放たれ、眩しい光が私の目を射った。痛みを感じて細めた目の隙間から、鮮やかな色彩の洪水が飛び込んでくる。

「…………っ!」

 まるで空気に色がついているかのようだった。

 地面を埋め尽くす輝かしい緑に、まっすぐに天を向いて咲き乱れる七色の花々。
 奥にある石造りの噴水は澄んだ水をたたえていて、その後ろには青々とした葉を茂らせた立派な大樹もある。

 四方は王城の煉瓦の壁に囲まれているものの、見上げた天には遮るものひとつ無い。抜けるように真っ青な空が広がっていた。

「……きれい、だわ……」

 小さく囁いたつもりなのに、思いのほか声が響いた。驚いて口を押さえる。

「不思議だろう。外に見えて、きっとここは閉じられた空間なんだ。だから音が反響する」

 ガイウス陛下がゆっくりと私を地面に降ろした。
 おっかなびっくり足を付けて、きょろきょろと落ち着きなく周りを見回した。しゃがみこんで、みずみずしい緑に指をすべらせる。

 二人口をつぐんだ途端、痛いほどの静寂が辺りに満ちた。呼吸すらはばかられ、なんだか胸苦しさを感じてくる。

 ごくりと唾を飲み込んだ。

「しずか、ね……。こんなに綺麗なのに、虫の羽音ひとつしない……。蝶々も小鳥も飛んでないわ。私達、二人だけ」

 どうしてだろう。
 この庭はこんなにも美しいのに。汚れひとつない、完璧な場所なのに。

(……こわい……)

 ここは、人間のいるべき場所じゃない。
 なぜだか無性にそう思った。

 ガイウス陛下に気付かれないよう、震える手をぎゅっと握り締める。
 そっと背後を窺うと、私と違ってガイウス陛下は落ち着き払っていた。懐かしそうに目を細めて庭を眺めている。

「子どもの頃は、毎日のようにここに遊びに来たものだ。……父は、あまり良い顔をしなかったが」

「お父様?」

 ランダールの先代の王。
 小首を傾げて続きを待っていると、ガイウス陛下は苦そうに笑った。

「初めに俺をここに連れてきたのは自分なのにな。俺がいつまで経っても精霊を見られないものだから、立ち入る資格が無いと思われたのかもしれない」

「そんな……っ!」

 声を荒げる私に、陛下は小さく首を振る。なだめるようにぽんぽんと頭を撫でてくれた。

「それで俺もだんだん、ここには来なくなった。父の事もあるが……何より……」

「ガイウス陛下?」

 黄金色の瞳が翳った気がして、毛むくじゃらの腕をそっと掴む。背伸びして顔を覗き込むと、陛下はためらうように視線を逸らせた。

「……ここに、来ると。あの子の事を、思い出してしまうから……」


 ――


 目をしばたたかせ、慎重に口を開く。

「それって……真っ白な、仔うさぎさん?」

 ビクリと肩を震わせた陛下は黙り込み、ややあって無言でゆっくりと頷いた。溜めていた息を吐き出して、やっと私を見てくれる。

「そうだ。さっき君と散歩した、王城の中庭で出会ったんだ。冷たい雨が降りしきる中、親とはぐれたのか小さな体でうずくまって。俺はあの子を抱き上げて、自分の部屋へと連れ帰った――……」

 体の弱い子だったんだ、とぽつりと呟く。

 獣医にも診てもらってうさぎの子は一時は回復したものの、すぐに体調を崩してはけほけほ咳き込んだり、ご飯を食べられなくなったり。
 その度に陛下はその子をここに連れてきて、必死で暖めてあげたという。

「……それでも、駄目だった。一緒に居られたのはほんの一月足らずの事。あの子は、大人になれずに逝ってしまった……」

「ガイウス陛下……」

 泣き出しそうに巨体を縮める彼に、そっと寄り添った。服の上からふかふかの毛並みを撫でて、頬を寄せて抱き締める。

 さっき彼がしてくれたみたいに、その背中をぽんぽんと叩いた。

「でも、きっと彼は幸せだったと思うわ。……ううん。思う、じゃなくって」

 絶対絶対、幸せだった。

 きっぱりと断言すると、陛下は黄金色の瞳をまんまるに見開いた。不思議そうに首をひねる。

「……その子が雄だったと、俺は話しただろうか?」

「へあっ!?」

 しまった、口がすべったあぁ!?

 内心だらだらと冷や汗をかきつつも、「ええ、確か前に言っていたわよ?」と澄まし顔ですっとぼけた。陛下はそれでも不審そうな様子を崩さない。

「そうだったか?」

「ええそうですともっ! 絶対そうでしたっ!」

 力を込めて押し切ると、「そうか、そう言われたらそんな気もしてきたな……?」と頷いてくれた。素直なその心が眩しいわ……!

 若干罪悪感に苛まれつつも、笑顔で彼の腕を引っ張った。

「さ、陛下! どこに花の種を植えましょうか?」
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