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第二章
第33話 二人、手を取り合って。
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『目線よりは上』
参加証の白い布には、簡潔にそう記されていた。
「…………」
布を回して全員が目を通したものの、皆黙りこくり、路地になんともいえない沈黙が満ちる。そっとガイウス陛下を見上げるが、必死で考えているのか彼は身じろぎひとつしなかった。
しばしして、イアンが額に浮いた汗を拭う。
「そう、か……。目線よりは上……。つまり今年の精霊の実は、地中には埋まってねぇってことだ」
「昨年の失敗を踏まえてでしょうね。参加者がそこら中を掘り返したせいで、収穫祭のあと都民からの苦情が絶えませんでしたから」
エリオットの言葉に、二人はうんうんと納得顔で頷き合う。
(……でも。目線より上って言われても……)
ざっくりしすぎじゃない?
眉根を寄せてもう一度陛下の様子を窺うが、彼はやはり一言もなく俯いている。おひげもピンと張って動きを止めていて、ちゃんと息をしているのかと心配になる。
「ガイウス陛下? どうされたんです?」
やわらかな腕を揺さぶると、彼ははっとしたように鬣を震わせた。おずおずと私を見下ろす。
「いや、なんでも……。これだけでは、実の在処はわからないな。リリアーナ、残念だがここはもう諦めて――」
「何言ってるんです陛下! ヒントならまだ私の分があるでしょう?」
弱気な言葉を遮って、大急ぎで赤い布を開いた。
記された文章を、皆にも聞こえるよう声を出して読み上げる。
「何なに……『ド下手くそから、まあ普通、まで』……って、ああもうっ。赤に黒文字って読みづらいわね。――えぇと、まだ続きがあって……」
四苦八苦しながら読み進める。
「天上……には届かない。精霊に捧げる、妙なる……雰囲気だけはある調べ。愛の告白……。高らかな、鐘の音……」
んん?
なんだか、覚えがあるような……?
首をひねっていると、メイベルが「ああーっ!!」と叫んだ。ガイウス陛下も目をまんまるに見開いている。
イアンがぽんと手を打った。
「そうかっ。きっと中央広場――姫さんが歌った舞台のことだな!?」
「そ、そうね! きっとそうだわ!」
勢い込んで頷いて、はたと動きを止めた。……んん?
ちょっと待って、ヒントに納得いかない文言があった気がするわ。
目を吊り上げて、もう一度参加証をつぶさに読み返す。
「……つまり、このヒントが言いたいのは。私の歌は『まあ普通』で、『天上には届かな』くて、『雰囲気だけ』ってこと? 私、もしかしてもしかしなくても貶されているのかしら?」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
全員が微妙な顔を見合わせて、無言の押し付け合いの結果メイベルが進み出た。にっこりと笑顔で取り繕う。
「そんなことありませんわ、リリアーナ殿下。殿下の歌声はとても素晴らしく、まるで小鳥のさえずりのようでしたもの。そうよね、イアンッ!?」
「ごふッ!! い、いや姐さん……。オレはガイウスを探して後ろに回ってたからな。姫さんのちっさな歌声なんざ、全っ然聞こえてねぇよ」
――聞こえてない!?
ぎょっとしてイアンに詰め寄った。大男の胸ぐらを掴んでゆさゆさ揺さぶる。
「嘘でしょう!? だって私、あんなに一生懸命歌ってたのに!?」
「いやー、前方の奴らの耳にしか届いてねぇんじゃねぇの? 少なくとも、後ろの奴らは『美人で優しそうな姫さんじゃなー』ってうっとり鑑賞してただけ」
あら、美人で優しそう?
品格って、やっぱり隠してても滲み出ちゃうものなのね。
くふふと含み笑いしたところで、はたと我に返った。――って、そうじゃないでしょう!?
頭を抱え、いやいやするように首を振る。
「ショックだわ……! 私の天上の歌声が、皆に届いていなかっただなんて……!」
「天上じゃなくて、まあ普通ごふぇ」
「本当ですわね、リリアーナ殿下っ。せっかく歌詞を変えたのに、まさか聴衆に聞こえていなかったとは!」
メイベルが涙ながらに私の手を握る。そうよね、せっかくの告白が――……
告白が?
――わたしの最愛……ガイウス陛下
「きゃああああああっ!!!?」
喉の奥から悲鳴がほとばしる。
地面に崩れ落ち、火を噴きそうなほど熱くほてった頬を押さえた。
(どど、どうしよう……っ。だってまさか、陛下が聞いてるだなんて思わなかったんだもの!)
いえ、でも聞こえていないかも!?
少なくとも舞台の真ん前には、怪しげな黒いローブ姿の人なんていなかったはず……!
へたり込んだまま、一縷の希望を胸に陛下に食ってかかる。
「ガイウス陛下! 私が歌っている間、一体どちらにいらっしゃいました!?」
「え? あ、俺は……。最後列の、端っこに……」
ぃよしっ!!
グッと両のこぶしを握り込み、私は何事もなかったかのように立ち上がった。乱れてしまったスカートを払い、しとやかに微笑む。
「さっ、陛下。精霊の実の在処も判明したことですし、そろそろレースに復帰しましょう?」
「いや、今の一人芝居は何だったんだよ姫さん」
混ぜっ返すようなイアンの言葉はきゅっと睨んで黙らせて、陛下に向かって手を差し伸べる。陛下は思わずといったように後ずさりした。……あら?
そこに至って、ようやっと私は気が付いた。
ぱちぱちと瞬きして、長身の陛下を気遣わしく見上げる。
「もしかして、ですけど。……ガイウス陛下は、レースに参加したくないんですか?」
ああ、それとも。
「王には参加禁止の決まりがあるとか? でしたら、仕方ないですから諦め――」
「いいえ、リリアーナ様。歴代の王は皆、率先してレースに参加しております。もちろん国民もそれを歓迎し、お互い手加減なしで勝負を繰り広げるのが恒例です」
エリオットの落ち着き払った声が割って入った。苦しげに俯く陛下に、つかつかと歩み寄る。
「ガイウス陛下。勝ち負けなど、どうでもいいではありませんか。現に王が敗れた例などいくらでも――」
「だが、俺はっ!!」
突然の大声に、他の誰でもなく陛下自身が驚いたように動きを止めた。荒い息を吐き、呻くように声を絞り出す。
「俺は……ただでさえ、『眼』を持たない王なのに……。もし参加して敗れでもしたら、ますます国民を失望させることになってしまう」
「ガイウス陛下……」
血を吐くような本音の吐露に、返す言葉を失った。
馬鹿みたいに立ち尽くすだけの私の肩を優しく叩き、イアンが進み出る。ぐしゃぐしゃと荒っぽく陛下の鬣をかき混ぜた。
「あのなぁ、ガイウス。国民はただ、お前が参加するだけで喜ぶと思うぞ? 今日だって、姫さんが舞台に立ったら皆大喜びで応援してたんだ。王の婚約者が祭りに参加してくれた、ってな」
「…………」
力なく顔を上げる陛下に、イアンが大きく頷きかける。
「大丈夫だ、胸を張って行ってこい。たとえお前が行かなくたって、姫さんは参加する気満々だぞ? なあ、姫さん」
「えっ……ええ。勿論よ!」
息をひそめて見守っていた私は、勢い込んで返事をした。
陛下のふかふかの腕に抱き着き、びくりと体が跳ねるのに気付かぬ振りをして、満面の笑みで彼を見上げる。
「行きましょう、ガイウス陛下。……きっと敗けちゃうと思うけど。だって私の足ってば、もうクタクタなんだもの」
でも、陛下は私を置いて行ったりしないでしょう?
いたずらっぽく舌を出すと、陛下の瞳に明かりが灯った。丸まっていた背がピンと伸びて、悠然と鬣をそよがせる。
「――ああ、リリアーナ。約束しよう」
「ふふっ。絶対よ?」
くすりと笑い、毛むくじゃらの大きな手を取った。そのまま二人で一緒に駆け出す。
獅子のお顔が、はにかむように笑った気がした。
参加証の白い布には、簡潔にそう記されていた。
「…………」
布を回して全員が目を通したものの、皆黙りこくり、路地になんともいえない沈黙が満ちる。そっとガイウス陛下を見上げるが、必死で考えているのか彼は身じろぎひとつしなかった。
しばしして、イアンが額に浮いた汗を拭う。
「そう、か……。目線よりは上……。つまり今年の精霊の実は、地中には埋まってねぇってことだ」
「昨年の失敗を踏まえてでしょうね。参加者がそこら中を掘り返したせいで、収穫祭のあと都民からの苦情が絶えませんでしたから」
エリオットの言葉に、二人はうんうんと納得顔で頷き合う。
(……でも。目線より上って言われても……)
ざっくりしすぎじゃない?
眉根を寄せてもう一度陛下の様子を窺うが、彼はやはり一言もなく俯いている。おひげもピンと張って動きを止めていて、ちゃんと息をしているのかと心配になる。
「ガイウス陛下? どうされたんです?」
やわらかな腕を揺さぶると、彼ははっとしたように鬣を震わせた。おずおずと私を見下ろす。
「いや、なんでも……。これだけでは、実の在処はわからないな。リリアーナ、残念だがここはもう諦めて――」
「何言ってるんです陛下! ヒントならまだ私の分があるでしょう?」
弱気な言葉を遮って、大急ぎで赤い布を開いた。
記された文章を、皆にも聞こえるよう声を出して読み上げる。
「何なに……『ド下手くそから、まあ普通、まで』……って、ああもうっ。赤に黒文字って読みづらいわね。――えぇと、まだ続きがあって……」
四苦八苦しながら読み進める。
「天上……には届かない。精霊に捧げる、妙なる……雰囲気だけはある調べ。愛の告白……。高らかな、鐘の音……」
んん?
なんだか、覚えがあるような……?
首をひねっていると、メイベルが「ああーっ!!」と叫んだ。ガイウス陛下も目をまんまるに見開いている。
イアンがぽんと手を打った。
「そうかっ。きっと中央広場――姫さんが歌った舞台のことだな!?」
「そ、そうね! きっとそうだわ!」
勢い込んで頷いて、はたと動きを止めた。……んん?
ちょっと待って、ヒントに納得いかない文言があった気がするわ。
目を吊り上げて、もう一度参加証をつぶさに読み返す。
「……つまり、このヒントが言いたいのは。私の歌は『まあ普通』で、『天上には届かな』くて、『雰囲気だけ』ってこと? 私、もしかしてもしかしなくても貶されているのかしら?」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
全員が微妙な顔を見合わせて、無言の押し付け合いの結果メイベルが進み出た。にっこりと笑顔で取り繕う。
「そんなことありませんわ、リリアーナ殿下。殿下の歌声はとても素晴らしく、まるで小鳥のさえずりのようでしたもの。そうよね、イアンッ!?」
「ごふッ!! い、いや姐さん……。オレはガイウスを探して後ろに回ってたからな。姫さんのちっさな歌声なんざ、全っ然聞こえてねぇよ」
――聞こえてない!?
ぎょっとしてイアンに詰め寄った。大男の胸ぐらを掴んでゆさゆさ揺さぶる。
「嘘でしょう!? だって私、あんなに一生懸命歌ってたのに!?」
「いやー、前方の奴らの耳にしか届いてねぇんじゃねぇの? 少なくとも、後ろの奴らは『美人で優しそうな姫さんじゃなー』ってうっとり鑑賞してただけ」
あら、美人で優しそう?
品格って、やっぱり隠してても滲み出ちゃうものなのね。
くふふと含み笑いしたところで、はたと我に返った。――って、そうじゃないでしょう!?
頭を抱え、いやいやするように首を振る。
「ショックだわ……! 私の天上の歌声が、皆に届いていなかっただなんて……!」
「天上じゃなくて、まあ普通ごふぇ」
「本当ですわね、リリアーナ殿下っ。せっかく歌詞を変えたのに、まさか聴衆に聞こえていなかったとは!」
メイベルが涙ながらに私の手を握る。そうよね、せっかくの告白が――……
告白が?
――わたしの最愛……ガイウス陛下
「きゃああああああっ!!!?」
喉の奥から悲鳴がほとばしる。
地面に崩れ落ち、火を噴きそうなほど熱くほてった頬を押さえた。
(どど、どうしよう……っ。だってまさか、陛下が聞いてるだなんて思わなかったんだもの!)
いえ、でも聞こえていないかも!?
少なくとも舞台の真ん前には、怪しげな黒いローブ姿の人なんていなかったはず……!
へたり込んだまま、一縷の希望を胸に陛下に食ってかかる。
「ガイウス陛下! 私が歌っている間、一体どちらにいらっしゃいました!?」
「え? あ、俺は……。最後列の、端っこに……」
ぃよしっ!!
グッと両のこぶしを握り込み、私は何事もなかったかのように立ち上がった。乱れてしまったスカートを払い、しとやかに微笑む。
「さっ、陛下。精霊の実の在処も判明したことですし、そろそろレースに復帰しましょう?」
「いや、今の一人芝居は何だったんだよ姫さん」
混ぜっ返すようなイアンの言葉はきゅっと睨んで黙らせて、陛下に向かって手を差し伸べる。陛下は思わずといったように後ずさりした。……あら?
そこに至って、ようやっと私は気が付いた。
ぱちぱちと瞬きして、長身の陛下を気遣わしく見上げる。
「もしかして、ですけど。……ガイウス陛下は、レースに参加したくないんですか?」
ああ、それとも。
「王には参加禁止の決まりがあるとか? でしたら、仕方ないですから諦め――」
「いいえ、リリアーナ様。歴代の王は皆、率先してレースに参加しております。もちろん国民もそれを歓迎し、お互い手加減なしで勝負を繰り広げるのが恒例です」
エリオットの落ち着き払った声が割って入った。苦しげに俯く陛下に、つかつかと歩み寄る。
「ガイウス陛下。勝ち負けなど、どうでもいいではありませんか。現に王が敗れた例などいくらでも――」
「だが、俺はっ!!」
突然の大声に、他の誰でもなく陛下自身が驚いたように動きを止めた。荒い息を吐き、呻くように声を絞り出す。
「俺は……ただでさえ、『眼』を持たない王なのに……。もし参加して敗れでもしたら、ますます国民を失望させることになってしまう」
「ガイウス陛下……」
血を吐くような本音の吐露に、返す言葉を失った。
馬鹿みたいに立ち尽くすだけの私の肩を優しく叩き、イアンが進み出る。ぐしゃぐしゃと荒っぽく陛下の鬣をかき混ぜた。
「あのなぁ、ガイウス。国民はただ、お前が参加するだけで喜ぶと思うぞ? 今日だって、姫さんが舞台に立ったら皆大喜びで応援してたんだ。王の婚約者が祭りに参加してくれた、ってな」
「…………」
力なく顔を上げる陛下に、イアンが大きく頷きかける。
「大丈夫だ、胸を張って行ってこい。たとえお前が行かなくたって、姫さんは参加する気満々だぞ? なあ、姫さん」
「えっ……ええ。勿論よ!」
息をひそめて見守っていた私は、勢い込んで返事をした。
陛下のふかふかの腕に抱き着き、びくりと体が跳ねるのに気付かぬ振りをして、満面の笑みで彼を見上げる。
「行きましょう、ガイウス陛下。……きっと敗けちゃうと思うけど。だって私の足ってば、もうクタクタなんだもの」
でも、陛下は私を置いて行ったりしないでしょう?
いたずらっぽく舌を出すと、陛下の瞳に明かりが灯った。丸まっていた背がピンと伸びて、悠然と鬣をそよがせる。
「――ああ、リリアーナ。約束しよう」
「ふふっ。絶対よ?」
くすりと笑い、毛むくじゃらの大きな手を取った。そのまま二人で一緒に駆け出す。
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