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第二章
第24話 侮りがたし、祭りの高揚感。
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「エリオット。お前、酒弱いくせになんで飲み比べになんか参加したんだよ?」
酒場からほど近い公園へと移動し、未だ前後不覚のエリオットを木陰のベンチで休ませる。濡らした手ぬぐいで彼の目元を冷やしていると、イアンがあきれたように問いかけた。
緩慢な仕草で手ぬぐいをずらしたエリオットは、腫れぼったくなった目を私達に向ける。
「……人間、どんなに嫌でも立ち向かわねばならぬときもある、と……。見せたいひとがいたもので」
……見せたいひと?
メイベルと不審の顔を見合わせていると、イアンが「あのなぁ」と思いっきり顔をしかめた。憤りを隠そうともせず吐き捨てる。
「だからって無茶しすぎだろうがよ。……ったく。危うく溺死するところだったんだぜ?」
「そうよ。アルコールの海で溺れるところだったのよ?」
「これに懲りたら二度とお酒は飲まないことね」
メイベルと二人してここぞとばかり畳み掛けた途端、なぜかイアンがどっと崩れ落ちた。地面に膝を突き、なんとも言えない表情で私達を見上げる。
「あら。どうかした?」
「……いや、何でも。――エリオットを連れて、いっぺん城に帰るかぁ。もう昼を過ぎちまったし、姫さん達も腹が減っただろ?」
確かに、この状態のエリオットを放ってお祭り見物などできない。ガイウス陛下も誘いたいし、一度城に戻るのに否やはない。
でも――
「昼食はお城で取るより、せっかくだから屋台で食べたいわ」
うきうきと声を弾ませる。
道中で見た屋台料理はどれも美味しそうで、実は到着してからずっとお腹が鳴りどおしだったのだ。
もちろん故国では買い食いなどしたことはないけれど、このランダール王国の気風でなら許される気がする。両手を合わせてイアンに強請ると、彼はあっさり首を縦に振った。
「アンタが嫌じゃねぇんなら、オレはもちろん構わねぇよ。姐さんもそれでいいか?」
しまった。
礼儀作法に厳しいメイベルのことだ、きっと却下されてしまうに違いない。
ぎゅんと勢いよく振り返った私に、メイベルは案の定しかめっ面を向ける。が、ややあって仕方なさそうに頷いた。
「まあ、今日は特別なお祭りですものね。ただし、あまり食べ慣れていないものは駄目ですよ? 殿下は身体が弱いのですから」
「はぁいっ! ありがとうメイベル!」
喜び勇んで彼女の手を握る。
エリオットもなんとか歩けるまで回復したので、全員で城に向けて出発した。道すがら、きょろきょろと好奇心いっぱいに辺りを見回す。
串で焼かれたお肉もお魚も、油で揚げたドーナツも、果物を包んだクレープも、どれもとっても美味しそう。食は細い方だから、どれを選ぶか慎重に吟味しなければ。
上機嫌で計画を立てていると、前方から小走りに駆けてくる子ども達に目が吸い寄せられた。……いや。正確には子ども達にではなく、彼らの持っている食べ物に。
棒に刺さった真っ赤な球体――どうやら小ぶりのりんごのようだ。表面はつやつやと光沢を放っていて、まるで宝石のように美しい。
私の視線に気付いた子ども達が、ニッと自慢気に笑ってりんごにかぶりついた。
「それ、なぁに? とっても美味しそうだわ」
腰を屈めて笑いかけると、彼らはくすぐったそうに顔を見合わせた。つんつんとお互いをつついて押しつけあってから、一番前にいた少年が代表で口を開く。
「お姉さん、ヘンなの~。りんご飴を知らないの? 収穫祭ではゼッタイみんな食べるのに!」
やいやい囃し立てる子ども達と私の間に、イアンがすばやく割り込んだ。小さな彼らを見下ろして、困ったように頬を掻く。
「あ~、この姉さんはランダールに来たばっかなんだよ。……それに、オレは食わねぇぞ? りんご飴なんざ子どもの食いもんだ」
「えーっ」
イアンの横槍に、彼らは不満そうに唇を尖らせる。真っ赤な舌であかんべえして、笑いさざめきながら行ってしまった。
「――ねぇ、イアン。私もりんご飴が欲しいわ。どこで売ってるの?」
子ども達の背中に手を振って、すぐさまイアンに問い掛ける。私が食べてみたいのはもちろんだが、何よりコハクへのお土産にぴったりだと思ったのだ。
今日まで精霊廟で幾度もコハクと会ったものの、彼の口から収穫祭の話題が出たことは一度もない。
人目を嫌うコハクだから、きっとお祭りには参加しないのだろうと思い、私も敢えて尋ねたりはしなかった。りんご飴とやらが収穫祭の定番なら、プレゼントすればお祭り気分だけでも味わえるかもしれない。
目を輝かせる私に、イアンは「どこって聞かれても」と苦笑した。
「りんご飴は屋台じゃなくて、飴売りが木箱を担いで売り歩いてんだ。見つけたら教えるよ」
「あら、そうだったの……って。――ねぇ、あっちの方から何か聞こえてこない?」
曲がり角の向こうから、賑やかな音色が流れてくる。音に誘われるまま足を早めた。
辿り着いた先は噴水のある広場で、端の方に巨大な木造りの舞台があった。舞台上では楽団が楽しげに音楽を奏でていて、聴衆達もやんややんやの大喝采だ。
メイベルも頬を上気させ、興奮したように手を叩いた。
「素敵! ランダールの音楽なのね。エリオットを送ったら、後でまたここに来ましょうよ」
「……いえ。わたしのことはお気になさらず、なんなら今ごゆるりとどうぞ。もはや歩くのも限界で……」
力なく告げたかと思うと、噴水の縁に座り込んでしまう。慌てて彼の背中をひと撫でして、周囲の屋台を見回した。
「まだお酒を薄め足りなかったのね。どこかで飲み物は売ってないかしら?」
「あっコラ、ひとりで行くなよ姫さんっ。いくらうちの国が平和とはいえ、迷子になったら困るだろがっ」
走り出した私を引き止め、イアンも隣に立って歩き出す。
満身創痍のエリオットはメイベルに託して、イアンと二人で屋台を探すことにした。足を急がせる私達の背中に、弱々しいエリオットの声が追いかけてくる。
「ひとつだけ希望を述べさせていただくのならばー、冷たくて甘くてー、でも甘すぎなくてー、喉越しがよくってぇー、それから舌がとろけそうなほど美味なる飲み物をー、ぎゃん」
「…………」
やっぱりメイベルに任せて正解だったわ。
と、いうか意外に元気そう?
イアンも安心したように歩調を緩めた。にやにやと意地悪く笑う。
「エリオットのヤツ、舌がとろける前に噛んじまうとは可哀想に。……お、舞台近くの屋台でジュース売ってんじゃね?」
「あら、本当ね」
ジュースの屋台は、舞台の本当にすぐ傍らにあった。お互いの声が聞こえなくなるほど大音量な音楽に、首をすくめて笑いながら声を張り上げる。
「屋台に、料理審査に、飲み比べに音楽に! 収穫祭ってすっごく賑やかなお祭りなのね!」
「おうよ! 国民全員で馬鹿やって遊びまくる、それが精霊への感謝の伝え方なのさ! 姫さんも思う存分楽しめよ!」
イアンが大笑して叫び返した瞬間、ドーン! という轟音と共に地面が揺れた。
雷かと驚いて顔を上げるが、音の出どころは見たこともない楽器だった。樽のような円柱形の楽器で、両面は皮で覆ってある。
両手に太い木の棒を持った男の人が、足を踏ん張って棒を叩きつけると、またも「ドーン!」という力強い音が轟き渡った。
「あれはっ、太鼓っつー打楽器なんだよ! 聞いてると元気になんだろっ?」
イアンが陽気に教えてくれるものの、元気になるというよりお腹に重く響く気がする。
ドンドコドンドコ鳴るたびに、胃もひゃっほうひゃっほうとでんぐり返ってるみたいだ。
「え、えぇと……。私には、少し刺激が強すぎるかも……?」
しどろもどろに答えた途端、ひときわ大きな音が鳴り響いた。
棒を持った男の人が「ファ~オゥ!」と甲高く吠える。舞台から落ちそうなほど身を乗り出し、ノリノリで上半身を揺らした。
「みんな楽しんでるかぁー!? ワタシは楽しんでるぞぇー! 今日はサボり魔上司に仕事を押し付けてー、ワタシは精霊に捧げる演奏会フォウッ!」
「…………」
立ち尽くす私の肩を、イアンが優しく叩いた。舞台の男に慈愛の笑みを向ける。
「後でちゃんと教えてやらねぇとなぁ……。アンタのサボり魔上司、酒飲んで今日は使い物になりません、って」
下界で待ち受けている、過酷な運命など知るべくもなく。
舞台上のハロルドは、「ファウッ」と陽気に叫んで再び演奏に戻っていった。
酒場からほど近い公園へと移動し、未だ前後不覚のエリオットを木陰のベンチで休ませる。濡らした手ぬぐいで彼の目元を冷やしていると、イアンがあきれたように問いかけた。
緩慢な仕草で手ぬぐいをずらしたエリオットは、腫れぼったくなった目を私達に向ける。
「……人間、どんなに嫌でも立ち向かわねばならぬときもある、と……。見せたいひとがいたもので」
……見せたいひと?
メイベルと不審の顔を見合わせていると、イアンが「あのなぁ」と思いっきり顔をしかめた。憤りを隠そうともせず吐き捨てる。
「だからって無茶しすぎだろうがよ。……ったく。危うく溺死するところだったんだぜ?」
「そうよ。アルコールの海で溺れるところだったのよ?」
「これに懲りたら二度とお酒は飲まないことね」
メイベルと二人してここぞとばかり畳み掛けた途端、なぜかイアンがどっと崩れ落ちた。地面に膝を突き、なんとも言えない表情で私達を見上げる。
「あら。どうかした?」
「……いや、何でも。――エリオットを連れて、いっぺん城に帰るかぁ。もう昼を過ぎちまったし、姫さん達も腹が減っただろ?」
確かに、この状態のエリオットを放ってお祭り見物などできない。ガイウス陛下も誘いたいし、一度城に戻るのに否やはない。
でも――
「昼食はお城で取るより、せっかくだから屋台で食べたいわ」
うきうきと声を弾ませる。
道中で見た屋台料理はどれも美味しそうで、実は到着してからずっとお腹が鳴りどおしだったのだ。
もちろん故国では買い食いなどしたことはないけれど、このランダール王国の気風でなら許される気がする。両手を合わせてイアンに強請ると、彼はあっさり首を縦に振った。
「アンタが嫌じゃねぇんなら、オレはもちろん構わねぇよ。姐さんもそれでいいか?」
しまった。
礼儀作法に厳しいメイベルのことだ、きっと却下されてしまうに違いない。
ぎゅんと勢いよく振り返った私に、メイベルは案の定しかめっ面を向ける。が、ややあって仕方なさそうに頷いた。
「まあ、今日は特別なお祭りですものね。ただし、あまり食べ慣れていないものは駄目ですよ? 殿下は身体が弱いのですから」
「はぁいっ! ありがとうメイベル!」
喜び勇んで彼女の手を握る。
エリオットもなんとか歩けるまで回復したので、全員で城に向けて出発した。道すがら、きょろきょろと好奇心いっぱいに辺りを見回す。
串で焼かれたお肉もお魚も、油で揚げたドーナツも、果物を包んだクレープも、どれもとっても美味しそう。食は細い方だから、どれを選ぶか慎重に吟味しなければ。
上機嫌で計画を立てていると、前方から小走りに駆けてくる子ども達に目が吸い寄せられた。……いや。正確には子ども達にではなく、彼らの持っている食べ物に。
棒に刺さった真っ赤な球体――どうやら小ぶりのりんごのようだ。表面はつやつやと光沢を放っていて、まるで宝石のように美しい。
私の視線に気付いた子ども達が、ニッと自慢気に笑ってりんごにかぶりついた。
「それ、なぁに? とっても美味しそうだわ」
腰を屈めて笑いかけると、彼らはくすぐったそうに顔を見合わせた。つんつんとお互いをつついて押しつけあってから、一番前にいた少年が代表で口を開く。
「お姉さん、ヘンなの~。りんご飴を知らないの? 収穫祭ではゼッタイみんな食べるのに!」
やいやい囃し立てる子ども達と私の間に、イアンがすばやく割り込んだ。小さな彼らを見下ろして、困ったように頬を掻く。
「あ~、この姉さんはランダールに来たばっかなんだよ。……それに、オレは食わねぇぞ? りんご飴なんざ子どもの食いもんだ」
「えーっ」
イアンの横槍に、彼らは不満そうに唇を尖らせる。真っ赤な舌であかんべえして、笑いさざめきながら行ってしまった。
「――ねぇ、イアン。私もりんご飴が欲しいわ。どこで売ってるの?」
子ども達の背中に手を振って、すぐさまイアンに問い掛ける。私が食べてみたいのはもちろんだが、何よりコハクへのお土産にぴったりだと思ったのだ。
今日まで精霊廟で幾度もコハクと会ったものの、彼の口から収穫祭の話題が出たことは一度もない。
人目を嫌うコハクだから、きっとお祭りには参加しないのだろうと思い、私も敢えて尋ねたりはしなかった。りんご飴とやらが収穫祭の定番なら、プレゼントすればお祭り気分だけでも味わえるかもしれない。
目を輝かせる私に、イアンは「どこって聞かれても」と苦笑した。
「りんご飴は屋台じゃなくて、飴売りが木箱を担いで売り歩いてんだ。見つけたら教えるよ」
「あら、そうだったの……って。――ねぇ、あっちの方から何か聞こえてこない?」
曲がり角の向こうから、賑やかな音色が流れてくる。音に誘われるまま足を早めた。
辿り着いた先は噴水のある広場で、端の方に巨大な木造りの舞台があった。舞台上では楽団が楽しげに音楽を奏でていて、聴衆達もやんややんやの大喝采だ。
メイベルも頬を上気させ、興奮したように手を叩いた。
「素敵! ランダールの音楽なのね。エリオットを送ったら、後でまたここに来ましょうよ」
「……いえ。わたしのことはお気になさらず、なんなら今ごゆるりとどうぞ。もはや歩くのも限界で……」
力なく告げたかと思うと、噴水の縁に座り込んでしまう。慌てて彼の背中をひと撫でして、周囲の屋台を見回した。
「まだお酒を薄め足りなかったのね。どこかで飲み物は売ってないかしら?」
「あっコラ、ひとりで行くなよ姫さんっ。いくらうちの国が平和とはいえ、迷子になったら困るだろがっ」
走り出した私を引き止め、イアンも隣に立って歩き出す。
満身創痍のエリオットはメイベルに託して、イアンと二人で屋台を探すことにした。足を急がせる私達の背中に、弱々しいエリオットの声が追いかけてくる。
「ひとつだけ希望を述べさせていただくのならばー、冷たくて甘くてー、でも甘すぎなくてー、喉越しがよくってぇー、それから舌がとろけそうなほど美味なる飲み物をー、ぎゃん」
「…………」
やっぱりメイベルに任せて正解だったわ。
と、いうか意外に元気そう?
イアンも安心したように歩調を緩めた。にやにやと意地悪く笑う。
「エリオットのヤツ、舌がとろける前に噛んじまうとは可哀想に。……お、舞台近くの屋台でジュース売ってんじゃね?」
「あら、本当ね」
ジュースの屋台は、舞台の本当にすぐ傍らにあった。お互いの声が聞こえなくなるほど大音量な音楽に、首をすくめて笑いながら声を張り上げる。
「屋台に、料理審査に、飲み比べに音楽に! 収穫祭ってすっごく賑やかなお祭りなのね!」
「おうよ! 国民全員で馬鹿やって遊びまくる、それが精霊への感謝の伝え方なのさ! 姫さんも思う存分楽しめよ!」
イアンが大笑して叫び返した瞬間、ドーン! という轟音と共に地面が揺れた。
雷かと驚いて顔を上げるが、音の出どころは見たこともない楽器だった。樽のような円柱形の楽器で、両面は皮で覆ってある。
両手に太い木の棒を持った男の人が、足を踏ん張って棒を叩きつけると、またも「ドーン!」という力強い音が轟き渡った。
「あれはっ、太鼓っつー打楽器なんだよ! 聞いてると元気になんだろっ?」
イアンが陽気に教えてくれるものの、元気になるというよりお腹に重く響く気がする。
ドンドコドンドコ鳴るたびに、胃もひゃっほうひゃっほうとでんぐり返ってるみたいだ。
「え、えぇと……。私には、少し刺激が強すぎるかも……?」
しどろもどろに答えた途端、ひときわ大きな音が鳴り響いた。
棒を持った男の人が「ファ~オゥ!」と甲高く吠える。舞台から落ちそうなほど身を乗り出し、ノリノリで上半身を揺らした。
「みんな楽しんでるかぁー!? ワタシは楽しんでるぞぇー! 今日はサボり魔上司に仕事を押し付けてー、ワタシは精霊に捧げる演奏会フォウッ!」
「…………」
立ち尽くす私の肩を、イアンが優しく叩いた。舞台の男に慈愛の笑みを向ける。
「後でちゃんと教えてやらねぇとなぁ……。アンタのサボり魔上司、酒飲んで今日は使い物になりません、って」
下界で待ち受けている、過酷な運命など知るべくもなく。
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