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第一章
第8話 初顔合わせは突然に。
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首都ドラムに到着したその夜から、私は高熱を発して寝込んでしまった。
長旅の疲れにうんうん苦しみ、ようやっと床上げしたのは一週間以上経ってから。げっそりとやつれ果てた私の前に、湯気を立てて給仕されたのは――……
「お米っ? ごはん!!」
真っ白に炊きあがったお米だった。
ああ、おかゆじゃないのがちょっぴり惜しいけど、パンよりよっぽど嬉しいわ――
涙ながらにほかほかご飯を噛み締める。
診察に来てくれたディアドラが、許しも請わず私の器にスプーンを突っ込んできた。ひとくち分すくい取り、ふうっと吹き冷ましてもぐもぐ咀嚼する。ややあって満足気に頷いた。
「うむ、美味い。米とは滋味あふれる食材なのだな」
「えっ、食べたことないの?」
てっきりランダール王国の主食だから出てきたとばかり思っていたのに。
私が首をひねっている隙に、ディアドラがまたもご飯を掠め取っていく。おのれ。
「食するのはこれが初めてだ。セシルから君がこれを好むと聞いていたものだから、事前に準備させていたのだが」
「……ああ、なるほど。私のために、わざわざ輸入してくれたのね?」
ご飯の盛られた器を、抱え込むようにしてディアドラから遠ざける。
あの昼行灯お気楽極楽ダメ男――もとい、セシル兄様もたまには役に立つじゃない。
どこかの空の下に多分きっといるであろう、我が兄に感謝の祈りを捧げていると、ディアドラがまたもスプーンを突っ込んできた。おんどれ。
奪われる前に平らげるべし。
大急ぎで口に詰め込んだはいいものの、ごふっと見事にむせてしまう。
ゲホゴホと体を二つ折りにして苦しむ私をよそに、ディアドラが無表情に私の大事なご飯を完食した。……ちょっと待ちなさいそこのヤブ医者。うちの怪力侍女のこぶしが唸っちゃうわよ?
「案ずるな。お代わりならいくらでもある」
ディアドラは注意深く周りを見回して、メイベルが不在なのを確認する。安堵したように胸を撫で下ろし、手早くお代わりをよそってくれた。
「これは我が国で初めて収穫した米なのだ。君に婚約を打診することが内々に決まり、すぐに国内で栽培を始めさせてな」
「へえ……」
満杯につがれた器を受け取りながら、驚きに目をしばたたく。
初めて育てたのに、こんなに美味しい米ができるだなんて。ランダール王国はよっぽど農業が得意なのね。
感心していると、ディアドラがふっと笑みを浮かべてかぶりを振った。
「我が国は精霊の強い加護を受けている。国民は皆、常日頃から精霊への感謝の心を忘れず、五穀豊穣を祈る。そして精霊も我らの願いに応えてくれる。作物の実りも安定した気候も、全ては精霊が在ればこそなのだ」
そういえば、ランダール王国では精霊とやらを信仰しているのだっけ。
この様子では国民みんなが精霊を心の拠り所としているのだろう。うっかり失言してこの国の人々を傷つけたりしないよう、重々注意しなければ。
ちなみにイスレア王国にも国教はあるものの、私自身はあまり信仰心の厚い方ではない。神の姿を見たことも、存在を感じたこともないからだ。……だって祈ろうが何をしようが、これまで何度も死にかけてきたのだもの。
うわの空で考え込みながら、口だけは忙しく動かしてご飯を平らげる。満腹になったことで気力が満ちて、思いっきり伸びをした。
「はあ、寝っぱなしですっかり強ばっちゃったわ。……ちょっとだけ散歩してきてもいいかしら」
「駄目だ。今の時間帯は日差しが強すぎる。外ではなく、城内なら構わな――そうだ!」
ディアドラがぱっと喜色を浮かべて立ち上がる。
「精霊廟に案内しよう! 王族に連なる者だけが祈りを捧げることのできる、特別な廟なのだ。君はガイウスの婚約者だから、資格は充分にある」
「――ええっ!?」
資格って言われても……。
当の本人とは、まだ会ったことすらないのに?
戸惑う私の腕を取り、ディアドラは強引に私を部屋から連れ出した。急くような早足で――って早すぎ早すぎ早すぎ!
私っ、病み上がりなんだってばーーー!
***
「――さあ、リリアーナ! どうだ入口からして神々しかろう! これぞ、我らランダールの獣人が誇る精霊廟だ!」
「…………っ」
「そうかそうか、感動しすぎて声も出ないか」
「……そっ……そ、ね……。ごほっ」
正確には息が上がって返事できないだけです。
胸を押さえてひゅーひゅー必死で酸素を取り込みつつ、精霊廟の重厚な扉に手を付いた。はあ、がっしりしてて安心感あるわぁ……。
ランダール城の入り組んだ廊下を抜けたさらに先。
特別な廟だと聞いていたものだから、もっと目立つ場所にあるかと思っていたのに。広大な城内の端の端はぼんやり薄暗くって、神々しいどころか寒々しい。
鳥肌の立った腕をひと撫でして、扉に彫られた不思議な紋様に指をすべらせる。なんだか変わった形。文字のような、絵のような……。
「これらは全て精霊の姿を表している。精霊は見る人間によって姿を変えるらしくてな。それでこのようにバラバラなのだ」
「ディアドラは、精霊を見たことがあるの?」
角が生えた毛むくじゃらの生き物、長い体をうねらせた鱗を持つ生き物。夢中になって観察しながら、振り返りもせずに問い掛ける。
「いや。精霊をその目に映せる人間は稀だからな。……ランダール王家の始祖は、精霊と交流し国土への加護を願ったと伝えられている。そのため王族には、代々精霊が見える者が多いのだが――」
「残念ながらわたしは例外だ。精霊の姿を見ることも、存在を感じ取ることも出来ない」
地を這うような低い声が聞こえ、慌てて扉から体を離す。
不機嫌丸出しな声の出どころを追うと、灰白色の髪を背中で結わえた男と目が合った。
刃物のように切れ味鋭い眼差しに、抜けるように白い肌。年の頃は二十代半ばぐらいの、怜悧な美形にドギマギする。もしかしてもしかして、このかたが私の……!?
天晴れ。
素敵。
格好いい。
故国を出て初めて知ったけれど、どうやら私は美形に弱いらしい。
長身の男の顔を食い入るように見つめながら、早鐘を打つ心臓を押さえる。――ああ、いけないわ。
(なんて、厳しそうなひとなの……!)
怠け者を許さない、心の狭いひとだったらどうしよう。
ぐうすか昼寝をさせてくれないぐらいなら、わたくし婚約者に見目なんか求めません。ええこれっぽっちも……でもやっぱりちょびっとぐらいは……ごにょごにょ。
――ピシッ!
澄んだ音に思考が遮られ、びくりと肩が跳ねた。
目の前の男がその手に握っているのは、長い縄をぐるぐると丸めて束ねた――鞭!?
「きゃっ……!?」
「初めまして、リリアーナ様。ランダール王国宰相、エリオット・フェレクと申します」
へっ?
……宰相?
回れ右して逃げ出そうとしていた体勢をなんとか戻し、落ち着き払った様子の彼をまじまじと見返す。彼は再び鞭を鳴らし、私に向かって堂々と掲げてみせた。
「そしてこちらはわたしの付属品。黒色第三号と申します」
付属品!?
名前まであるのか付属品!?
目を白黒させていると、エリオットの背後からぬうっと巨大な影が現れた。かっちりした緋色の服に、あふれんばかりの巨体を窮屈そうに収めている。
ふさふさと柔らかそうな、金茶色の立派な鬣。黄金色に輝く、大きなガラス玉のような瞳――……
へなへなと腰を抜かした私を、ディアドラが素早く支えてくれた。
『彼』は不快そうに髭をそよがせると、尖った牙を剥き出しにして威嚇する。
「ガイウス・グランドールだ。……ようこそランダール王国へ。そして案ずる必要は無い。婚約解消となった暁には、責任を持ってイスレア王国までお送りすると約束しよう」
私の倍以上はゆうにある、獅子そのものの顔を歪ませて。
甘い雰囲気など欠片もなしに、初めて会う婚約者は苦々しげに吐き捨てた。
長旅の疲れにうんうん苦しみ、ようやっと床上げしたのは一週間以上経ってから。げっそりとやつれ果てた私の前に、湯気を立てて給仕されたのは――……
「お米っ? ごはん!!」
真っ白に炊きあがったお米だった。
ああ、おかゆじゃないのがちょっぴり惜しいけど、パンよりよっぽど嬉しいわ――
涙ながらにほかほかご飯を噛み締める。
診察に来てくれたディアドラが、許しも請わず私の器にスプーンを突っ込んできた。ひとくち分すくい取り、ふうっと吹き冷ましてもぐもぐ咀嚼する。ややあって満足気に頷いた。
「うむ、美味い。米とは滋味あふれる食材なのだな」
「えっ、食べたことないの?」
てっきりランダール王国の主食だから出てきたとばかり思っていたのに。
私が首をひねっている隙に、ディアドラがまたもご飯を掠め取っていく。おのれ。
「食するのはこれが初めてだ。セシルから君がこれを好むと聞いていたものだから、事前に準備させていたのだが」
「……ああ、なるほど。私のために、わざわざ輸入してくれたのね?」
ご飯の盛られた器を、抱え込むようにしてディアドラから遠ざける。
あの昼行灯お気楽極楽ダメ男――もとい、セシル兄様もたまには役に立つじゃない。
どこかの空の下に多分きっといるであろう、我が兄に感謝の祈りを捧げていると、ディアドラがまたもスプーンを突っ込んできた。おんどれ。
奪われる前に平らげるべし。
大急ぎで口に詰め込んだはいいものの、ごふっと見事にむせてしまう。
ゲホゴホと体を二つ折りにして苦しむ私をよそに、ディアドラが無表情に私の大事なご飯を完食した。……ちょっと待ちなさいそこのヤブ医者。うちの怪力侍女のこぶしが唸っちゃうわよ?
「案ずるな。お代わりならいくらでもある」
ディアドラは注意深く周りを見回して、メイベルが不在なのを確認する。安堵したように胸を撫で下ろし、手早くお代わりをよそってくれた。
「これは我が国で初めて収穫した米なのだ。君に婚約を打診することが内々に決まり、すぐに国内で栽培を始めさせてな」
「へえ……」
満杯につがれた器を受け取りながら、驚きに目をしばたたく。
初めて育てたのに、こんなに美味しい米ができるだなんて。ランダール王国はよっぽど農業が得意なのね。
感心していると、ディアドラがふっと笑みを浮かべてかぶりを振った。
「我が国は精霊の強い加護を受けている。国民は皆、常日頃から精霊への感謝の心を忘れず、五穀豊穣を祈る。そして精霊も我らの願いに応えてくれる。作物の実りも安定した気候も、全ては精霊が在ればこそなのだ」
そういえば、ランダール王国では精霊とやらを信仰しているのだっけ。
この様子では国民みんなが精霊を心の拠り所としているのだろう。うっかり失言してこの国の人々を傷つけたりしないよう、重々注意しなければ。
ちなみにイスレア王国にも国教はあるものの、私自身はあまり信仰心の厚い方ではない。神の姿を見たことも、存在を感じたこともないからだ。……だって祈ろうが何をしようが、これまで何度も死にかけてきたのだもの。
うわの空で考え込みながら、口だけは忙しく動かしてご飯を平らげる。満腹になったことで気力が満ちて、思いっきり伸びをした。
「はあ、寝っぱなしですっかり強ばっちゃったわ。……ちょっとだけ散歩してきてもいいかしら」
「駄目だ。今の時間帯は日差しが強すぎる。外ではなく、城内なら構わな――そうだ!」
ディアドラがぱっと喜色を浮かべて立ち上がる。
「精霊廟に案内しよう! 王族に連なる者だけが祈りを捧げることのできる、特別な廟なのだ。君はガイウスの婚約者だから、資格は充分にある」
「――ええっ!?」
資格って言われても……。
当の本人とは、まだ会ったことすらないのに?
戸惑う私の腕を取り、ディアドラは強引に私を部屋から連れ出した。急くような早足で――って早すぎ早すぎ早すぎ!
私っ、病み上がりなんだってばーーー!
***
「――さあ、リリアーナ! どうだ入口からして神々しかろう! これぞ、我らランダールの獣人が誇る精霊廟だ!」
「…………っ」
「そうかそうか、感動しすぎて声も出ないか」
「……そっ……そ、ね……。ごほっ」
正確には息が上がって返事できないだけです。
胸を押さえてひゅーひゅー必死で酸素を取り込みつつ、精霊廟の重厚な扉に手を付いた。はあ、がっしりしてて安心感あるわぁ……。
ランダール城の入り組んだ廊下を抜けたさらに先。
特別な廟だと聞いていたものだから、もっと目立つ場所にあるかと思っていたのに。広大な城内の端の端はぼんやり薄暗くって、神々しいどころか寒々しい。
鳥肌の立った腕をひと撫でして、扉に彫られた不思議な紋様に指をすべらせる。なんだか変わった形。文字のような、絵のような……。
「これらは全て精霊の姿を表している。精霊は見る人間によって姿を変えるらしくてな。それでこのようにバラバラなのだ」
「ディアドラは、精霊を見たことがあるの?」
角が生えた毛むくじゃらの生き物、長い体をうねらせた鱗を持つ生き物。夢中になって観察しながら、振り返りもせずに問い掛ける。
「いや。精霊をその目に映せる人間は稀だからな。……ランダール王家の始祖は、精霊と交流し国土への加護を願ったと伝えられている。そのため王族には、代々精霊が見える者が多いのだが――」
「残念ながらわたしは例外だ。精霊の姿を見ることも、存在を感じ取ることも出来ない」
地を這うような低い声が聞こえ、慌てて扉から体を離す。
不機嫌丸出しな声の出どころを追うと、灰白色の髪を背中で結わえた男と目が合った。
刃物のように切れ味鋭い眼差しに、抜けるように白い肌。年の頃は二十代半ばぐらいの、怜悧な美形にドギマギする。もしかしてもしかして、このかたが私の……!?
天晴れ。
素敵。
格好いい。
故国を出て初めて知ったけれど、どうやら私は美形に弱いらしい。
長身の男の顔を食い入るように見つめながら、早鐘を打つ心臓を押さえる。――ああ、いけないわ。
(なんて、厳しそうなひとなの……!)
怠け者を許さない、心の狭いひとだったらどうしよう。
ぐうすか昼寝をさせてくれないぐらいなら、わたくし婚約者に見目なんか求めません。ええこれっぽっちも……でもやっぱりちょびっとぐらいは……ごにょごにょ。
――ピシッ!
澄んだ音に思考が遮られ、びくりと肩が跳ねた。
目の前の男がその手に握っているのは、長い縄をぐるぐると丸めて束ねた――鞭!?
「きゃっ……!?」
「初めまして、リリアーナ様。ランダール王国宰相、エリオット・フェレクと申します」
へっ?
……宰相?
回れ右して逃げ出そうとしていた体勢をなんとか戻し、落ち着き払った様子の彼をまじまじと見返す。彼は再び鞭を鳴らし、私に向かって堂々と掲げてみせた。
「そしてこちらはわたしの付属品。黒色第三号と申します」
付属品!?
名前まであるのか付属品!?
目を白黒させていると、エリオットの背後からぬうっと巨大な影が現れた。かっちりした緋色の服に、あふれんばかりの巨体を窮屈そうに収めている。
ふさふさと柔らかそうな、金茶色の立派な鬣。黄金色に輝く、大きなガラス玉のような瞳――……
へなへなと腰を抜かした私を、ディアドラが素早く支えてくれた。
『彼』は不快そうに髭をそよがせると、尖った牙を剥き出しにして威嚇する。
「ガイウス・グランドールだ。……ようこそランダール王国へ。そして案ずる必要は無い。婚約解消となった暁には、責任を持ってイスレア王国までお送りすると約束しよう」
私の倍以上はゆうにある、獅子そのものの顔を歪ませて。
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