上 下
6 / 87
第一章

第6話 志は山より高く?

しおりを挟む
 およそ半月に渡る船旅を終え、私達はランダール王国北端のカザル港に到着した。この先、首都ドラムへは馬車で移動するらしい。

「順風満帆な旅で良かったですね、リリアーナ殿下。嵐も凪もなくてほっとしましたわ」

「………」

 軽やかに港に降り立ったメイベルが、潮風に髪をなびかせながら微笑んだ。――しかし、私は返事をするどころではない。
 二週間もの長きに渡る船酔いで、心身ともに強烈なダメージを受けていたのだ。やっと陸に辿り着いたというのに、まだ地面がぐらぐらと揺れているような心地がする。……うっぷ。

「き、気分が……。悪いわ……」

 前のめりになって歩き出した私を、メイベルが大慌てで覗き込んだ。「大丈夫ですか?」と気遣わしげに眉をひそめ、優しく私の背中をさすってくれ――……

 っていやおい痛たたたたぁ!?

「ちょ、メイベル! 待ってぐふぅっ!?」

 危うく胃酸が逆流しそうになったが、すんでのところで踏みとどまる。
 たおやかな見た目に反し、なんという馬鹿力……!

 震えながら彼女を押し返そうとした瞬間、額にずきりと痛みが走った。視界が一気にせばまって、目の前をチカチカした光が点滅する。

「――おぅふっ」

「リリアーナ殿下ッ!!」

 悲鳴と共に崩れ落ちた私を、すかさず伸びてきた細腕が力強く支えてくれた。薄れゆく意識の中で、私も必死で彼女に縋りつく。

 ああ、メイベル。
 あなたはなんて頼りになるの――……

「殿下! 倒れるのならば、せめて『きゃあ』とか『うぅん』とか、もっと可愛らしい声をお上げなさいませ!」

 ……前言撤回。
 この状況で、そんな殺生……な……



***


 衣擦れの音が聞こえ、ぼんやりと意識が浮上した。

 さらさらしたシーツの感触が心地良い。どうやらベッドに横たわっているようだ。
 痛む首を動かして辺りを見回すと、開いた窓からやわらかな風が吹き込んで、カーテンがはたはたと揺れているのが目に入った。窓の外を眺めていたメイベルが、こちらに気付いてにっこりと振り返る。

「あら、殿下。お目覚めですか?」

 手早く水差しから水を注いでくれた。
 身体を起こしてゆっくりと水を飲み下し、腫れぼったくなった瞼を擦る。

「……私。どのぐらい、寝ていたの?」

 掠れ声で問い掛けると、メイベルは途端に表情を曇らせた。

「まるまる一昼夜です。病弱な殿下に船旅は過酷でしたね。……ちなみにここはカザル港近くの迎賓館ですわ。殿下の体調が回復次第、首都に向けて出発を――」

「それは駄目っ」

 サイドテーブルに音を立ててコップを叩きつけた。メイベルが驚いたように目を丸くする。

「私なら馬車でのんびり寝てるから大丈夫よ。身支度を整えたらすぐに出発しましょう」

 早口でまくし立てる私を、メイベルは押し黙って見つめた。ややあって眉根を寄せてかぶりを振る。

「いけません。今はまず休養を取らなくては」

「嫌よ、だって……」

 腕組みして私を見下ろす彼女に、必死になって訴えた。メイベルが私を案じてくれているのはわかってる。――でも、それでも。

「ガイウス陛下がお待ちなのでしょう? 私が体調を崩して立ち往生してるだなんて知られたら、きっとご心配をおかけしてしまうわ……」

 しおらしく目を伏せると、メイベルははっと息を呑んだ。みるみる瞳を潤ませ、感極まったように私の手を握る。

「リリアーナ殿下……! なんとお優しく、ご立派な心がけなのでしょう……!」

「メイベル! それじゃあ」

 手を叩いて喜びかけた私に、微笑みを浮かべたメイベルは首を振った。――左右に、きっぱりと。

「なりません。リリアーナ殿下が無茶をされる方が、ガイウス陛下は喜ばれませんわ。……陛下にはわたくしの方から書簡をお送りいたします。どうぞ、殿下は憂いなど忘れて休養を――」

「待って!? だから、それじゃ駄目なのっ」

 無理して気丈に振る舞う薄幸の美女……な演技をかなぐり捨てて、私は声を大にして叫んだ。ぐいぐいとメイベルを揺さぶる。

「私はね、一刻も早く王城に到着したいの! だってこんな移動途中なんかじゃ、思う存分ぐうたらできないんだもの!」

「…………は?」

 メイベルが呆けたように固まった。わかってる、言いたいことはよくわかっているわ。でもね?

「私は基本、動きたくない人間なのよ。正直、船出してすぐはイスレア王国に戻りたくなったわ。でも、今となってはもうランダール王国の首都の方が近いもの。首都にさえ到着してしまえば、私はもうそこから梃子でも動かない。この命を捧げる覚悟でぐうたらしてみせる……!」

 こぶしを握り締めて熱く語っている間、メイベルは一言も発しなかった。優しく微笑んだ表情のまま凍りついている。
 ピクピクと頬を引きつらせたかと思うと、顔を真っ赤にして怒鳴り出す。

「こンのっ、人がせっかく見直したと思ったら! やっぱりアンタは、まごうことなき『ぐうたら姫』――」

「素晴らしい。聞きしに勝る怠け者だ」

 突然、落ち着いた低い声が割って入った。
 驚いたメイベルもしゃっくりのような音を立てて黙り込み、勢いをつけて扉の方を振り返る。

「うっひゃあ!?」

 思いのほか近くに立っていたその人に、メイベルが思いっきり仰け反った。私も驚いたものの、ここぞとばかりに彼女をたしなめる。

「メイベルったら。悲鳴を上げるときは『はわわぁ~!』とか『ほよよぉ~?』とか、もっと可愛らしい声を出さないと駄目じゃない」

「いや仕返しのつもりか!? てかそんなアホ丸出しな悲鳴を上げる女がいたら、即座にぶん殴ってやるわよっ」

 ……わぁ、気を付けなければ。
 メイベルの馬鹿力で殴られてしまったら、きっと華奢な私は速攻で天国に旅立ってしまうに違いない。……それはそれで、ぐうたらし放題かもしれないけれど。

「素晴らしい。己が天国に行けると疑っていないとは」

 闖入者が、またも低い声で言い放つ――って私、今声に出してました!?

 ぎょっとする私に、その人は首を傾げて無感情な目を向ける。濃淡のある不思議な色合いの、灰色がかった髪が微かに揺れた。

 ざっくりと無造作に切られた短髪と、メイベルより頭ひとつ分は飛び抜けている背の高さから、一瞬男性と見間違えそうになる。けれど、よくよく見れば女の人だった。
 すっきりとした体躯に整った顔立ち。きりりとした細い眉と鋭い目が格好良くて、思わずぽうっとなって見惚れてしまう。

 彼女は彼女で、空のように青い瞳で値踏みするように私を眺めていた。ややあって納得したように大きく頷き、偉そうに腕組みして言い放つ。

「私は猫の獣人。純粋な人族と比べて格段に耳が良いのだ。……君はどうやら独り言を言う癖があるらしい。以後、気を付けるように」

「は、はい」

 背筋を伸ばして答えると、メイベルがキッと目を吊り上げた。私達に食ってかかる。

「何を素直に返事をしているのです、殿下! ――一体、貴女は誰ですか! 他国の王族、まして自国の王の婚約者に対して、その口のきき方は無礼でしょう!!」

 あまりの剣幕に首をすくめる私をよそに、彼女はメイベルを完璧に無視して、つかつかと私のベッドに歩み寄る。無言で椅子に腰掛けて、私の腕を取って脈を見始めた。

「……えぇと?」

「生憎、我が国は人族の国ほど礼儀にうるさくない。王に対してですら皆こんなものだ。……舌を出して、あかんべえしなさい」

「ひゃい」

 指示されるがまま、べーっと舌を出して下まぶたを引っ張る。彼女は真剣な面持ちで私を覗き込んだ。
 茫然と立ち尽くすメイベルが、戸惑ったように目をぱちぱちさせる。

「……もしや。貴女は、お医者様ですか?」

「無論。……自己紹介が遅れたな。私はディアドラ・フェレク、王城勤めの医師だ。天才にして秀麗。華麗にして峻烈。獣人から人族、果ては動物まで診られる完全無欠な総合診療医」

 おおっ!!

 感心して大きく拍手する私達に、彼女はふっと微笑んだ。気障きざったらしく髪をかき上げる。

「――そういう医者に、私はなりたい」

「いや単なる願望かあぁっ!!!?」

 ゴリィッ。

 メイベルの怒りの鉄拳が、音を立ててディアドラの脳天にめり込んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生悪役令嬢、物語の動きに逆らっていたら運命の番発見!?

下菊みこと
恋愛
世界でも獣人族と人族が手を取り合って暮らす国、アルヴィア王国。その筆頭公爵家に生まれたのが主人公、エリアーヌ・ビジュー・デルフィーヌだった。わがまま放題に育っていた彼女は、しかしある日突然原因不明の頭痛に見舞われ数日間寝込み、ようやく落ち着いた時には別人のように良い子になっていた。 エリアーヌは、前世の記憶を思い出したのである。その記憶が正しければ、この世界はエリアーヌのやり込んでいた乙女ゲームの世界。そして、エリアーヌは人族の平民出身である聖女…つまりヒロインを虐めて、規律の厳しい問題児だらけの修道院に送られる悪役令嬢だった! なんとか方向を変えようと、あれやこれやと動いている間に獣人族である彼女は、運命の番を発見!?そして、孤児だった人族の番を連れて帰りなんやかんやとお世話することに。 果たしてエリアーヌは運命の番を幸せに出来るのか。 そしてエリアーヌ自身の明日はどっちだ!? 小説家になろう様でも投稿しています。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される

安眠にどね
恋愛
 社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。  婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!? 【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】  

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

当て馬の悪役令嬢に転生したけど、王子達の婚約破棄ルートから脱出できました。推しのモブに溺愛されて、自由気ままに暮らします。

可児 うさこ
恋愛
生前にやりこんだ乙女ゲームの悪役令嬢に転生した。しかも全ルートで王子達に婚約破棄されて処刑される、当て馬令嬢だった。王子達と遭遇しないためにイベントを回避して引きこもっていたが、ある日、王子達が結婚したと聞いた。「よっしゃ!さよなら、クソゲー!」私は家を出て、向かいに住む推しのモブに会いに行った。モブは私を溺愛してくれて、何でも願いを叶えてくれた。幸せな日々を過ごす中、姉が書いた攻略本を見つけてしまった。モブは最強の魔術師だったらしい。え、裏ルートなんてあったの?あと、なぜか王子達が押し寄せてくるんですけど!?

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】番が見つかった恋人に今日も溺愛されてますっ…何故っ!?

ハリエニシダ・レン
恋愛
大好きな恋人に番が見つかった。 当然のごとく別れて、彼は私の事など綺麗さっぱり忘れて番といちゃいちゃ幸せに暮らし始める…… と思っていたのに…!?? 狼獣人×ウサギ獣人。 ※安心のR15仕様。 ----- 主人公サイドは切なくないのですが、番サイドがちょっと切なくなりました。予定外!

処理中です...