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第一章

第5話 貫き通します、我がお昼寝道。

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「……ぇ……?」

 掠れた声を上げる私に、メイベルの眉がぴくりと動く。その瞳は隠しきれない怒りに燃えていた。

「まだとぼけるおつもりですか? しらばっくれるのもいい加減に――」

「待って! 本当の本当に、何の話だかわからないの!」

 クッションを放り捨てて立ち上がる。
 声を荒げる彼女の前に立ち、震えながらすうっと息を吸い込んだ。

「だって。だって、私があなたを指名したのは――」

 あなたが私を、正面切って「怠け者」呼ばわりしたからよ!

「…………」

 ほとばしるように叫んだ私を、メイベルは瞬きして見返した。しばしの沈黙が満ちた後、慎重な様子で口を開く。

「……なるほど。意趣返しのおつもりでしたか。……ですが、随分と不公平な話ではありませんか? わたくしだけでなく、城の誰もが貴女のことを『ぐうたら姫』と――」

「違う! それは違うわ、メイベル」

 咳き込むように否定して、彼女の瞳を覗き込む。
 紫紺の瞳は吸い込まれるような美しさで、こんな場面でなければ見惚れてしまいそうだ。ごくりと生唾を飲み込み、必死で呼吸を整える。

「城の使用人達は、好き勝手に陰口を叩いているだけだわ。引きこもりだの無駄飯食いだの、見えないところでは言いたい放題。でも私、ちゃあんと聞いてるんだから。あの人達ってば、『壁にリリアーナ、障子にもまたリリアーナ』って言葉を知らないのよ」

「何それ!? あたしも初耳なんだけど!?」

 っていうか想像すると怖いわっ!

 先程までの慇懃な態度はどこへやら、メイベルがビシッと手刀をきめて全力で突っ込んでくる。……そうそう。これよ、これ。

 嬉しくなって得意満面で解説してみせる。

「東方の国では有名なことわざなの。えぇと確か、正確には『壁に耳ありーの、障子にもまた目ありーの』だったかしら」

 ちなみに、障子というのは薄い紙でできた窓のようなものらしい。しょっちゅう書庫にこもっているだけあって、ぼんくらに見えて私は意外と博識なのだ。

「へ、へぇ……。全然知らなかっ――」

 感心しかけて、メイベルは慌てたように咳払いで誤魔化した。再び目つきを鋭くし、腕組みして私を睨み据える。

「……それで? 一体何がおっしゃりたいのです、リリアーナ殿下」

「あなたには裏表がないってことよ、メイベル」

 きっぱりと断言すると、メイベルはまたもや目を丸くした。

 私が彼女を知ったのは、今年の春のこと。
 メイベルは義姉の侍女であり、それまで私とは接点がなかったのだ。

 ぽかぽか陽気のある日、私は一人でのんびりと庭園を散歩していた。暖かな日差しについつい地べたに座り込み、そのまま城の壁にもたれてお昼寝を開始した。たまたま窓を開けた彼女が私に気付き、ぎょっとしたように私を見下ろして――

「大急ぎで駆けつけてくれたでしょう? あなたは息を切らして、真っ赤な顔で私に怒ってくれたわ。『なんて非常識な! だらしがないのも大概になさいませ。そんなだから怠け者と侮られるのです!』って」

 それまで身内以外から叱られたことのなかった私は、メイベルの剣幕に驚きはしたものの、不快さは全く感じなかった。むしろくすぐったい気持ちになったぐらいだ。
 だから兄から侍女を選べと言われたとき、真っ先に彼女の名が浮かんだのだ。

「メイベルなら、陰口じゃなくて正面から文句を言ってくれると思ったの。……ああ、でも。これは私の一方的な望みであって……。あなたを、無理やり故国から引き離したことになる、わよね……?」

 今更ながら申し訳なさがこみ上げてくる。
 こんなだから私は駄目なのだ。

 しゅんとしてメイベルを窺えば、案の定彼女は無言で柳眉を逆立てていた。ぴくぴくと口元を引きつらせたかと思うと――突然ぶはっと噴き出した。

「成程……っ。そういう、ことでしたか」

 息も絶え絶えに笑いながら、目尻に滲んだ涙をぬぐう。

「申し訳ありません。誤解していたとはいえ、ひどく失礼なことを申し上げました」

「……! ううん! そんなの、全然構わないわ」

 勢い込んで否定する私に、メイベルは小さく首を振った。

「いいえ、完全に八つ当たりでしたもの。……わたくし、つい最近婚約が駄目になったんです。原因は、相手の浮気」

「うわっ」

「浮気。……お城の使用人の皆さんに、大層面白い噂話を提供してしまいました。どいつもこいつも……失礼、誰も彼もが寄ると触るとそればかり。リリアーナ殿下はご存知なかったんですね? 壁にも障子にもいらっしゃらなかったようで」

 壁にリリアーナ、痛恨の極み。
 口ほどにもないとはこのことね。

 唇を噛んで悔しがる私を眺め、メイベルはおかしそうに頬を緩めた。近寄りがたい雰囲気がやわらぎ、つられて私も微笑んでしまう。
 メイベルは目鼻立ちのはっきりとした美人で、紫紺の瞳は凛とした意思を宿している。「見た目だけならとってもはかな(以下略)」と言われる影の薄い私と違い、毅然とした力強さに溢れた女性だと思う。

「……メイベルを振るだなんて。随分と見る目のない男なのね」

 しみじみ呟くと、メイベルは「ええ、全く」と大真面目に同意した。

「家同士で決めた婚約で、愛情があったわけではありませんけれどね。それでももちろん腹は立ちますから、向こうの腹も痛めつけてやらねばと思いまして。みぞおちに十発ほどぶち込んでおきました」

 まあ。
 格好良いわ、メイベル。

 武勇伝に心が躍り、思わず彼女の手を取る。

「ぜひ私も見習うことにするわ。ガイウス陛下に浮気されたときに備えて、今度ぶち込みかたを教えてちょうだい」

「却下です。国際問題に発展しかねません」

 速攻で断られてしまった。
 常識人なんだから、もう。

 拗ねる私に苦笑して、メイベルは私をソファへと座らせた。私の肩に甲斐甲斐しくショールを掛け、用意されていた茶器で手早くお茶を淹れてくれる。

「……あのまま国に残っていたら、父がまた新たな縁談を持ち込んできたに違いありません。でもわたくしは、男なんてもうこりごり」

 苦々しげに吐き捨てて、ティーカップを私に差し出した。勝ち誇った笑みを浮かべる。

「ですからリリアーナ殿下。貴女のお誘いは、わたくしにとって渡りに船だったのです。――ご覧の通り口の悪い女ではございますが、どうぞこれからよろしくお願いいたします」

「ええ、もちろんよ! ……その、それとね? せっかく親友になれたのだから……メイベルも、普通にしゃべってくれないかしら。私と二人きりのときは、敬語なんかいらないわ」

 恥ずかしさにつっかえながらおねだりしたら、メイベルは途端に表情を消して唇を引き結んだ。いかめしく私を見下ろし、きっぱりとかぶりを振る。

「お断りいたします。殿下はわたくしの主人です。節度は守るべきですわ」

 んもう、生真面目なんだから。
 でも、それがきっとメイベルのいいところ――

「そもそも誰が親友ですが。わたくしと殿下は友人ですらありません。今やっと顔見知りから片足を脱け出した程度」

「………」

 し、辛辣……!
 でもでも、それがきっとメイベルの――

「わたくし、親友には常識的な振る舞いを求めます。庭で眠るなど言語道断。……と、いうわけで? 殿下がどうしても、わたくしの親友になりたいとおっしゃるのなら? まず、所構わずお昼寝するその悪癖を――」

「あら。それはとても無理ね。……残念だわ、メイベルとは一生親友になれないだなんて」

 嘆息ついでに、ふうふうお茶を吹き冷ました。一息に飲み干してカップを戻し、そのままソファに横たわる。……ああ、振られてしまった。切ない。苦しい。かよわい胸が張り裂けそう。

「きっと今日が人生で一番悲しい日…………ぐぅ」

「いや、なら寝るなっ!? 諦め早すぎ――っていうかアンタ、あたしの親友になりたいんじゃなかったの!?」

 夢現に、轟くような怒声が聞こえた気がしたけれど。
 多分きっと気のせいぐぅ。
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