28 / 28
エピローグ
しおりを挟む
花束を手に、前に一度だけ来た道を辿る。
獣道を先導してくれながら、アッシュ様がうずうずした様子で私を振り返った。
「驚かないでくれ、セシリア。以前とは随分様変わりしているんだ」
興奮を押し殺した声に、私は内心首をひねる。
今日私がここに来るより先に、アッシュ様とデューク様の二人が墓標を立てに訪れたという話は聞いていた。呪いが解けてすぐ翌日のことだから、私は二晩連続の徹夜が祟って留守番をしていたのだけれど。
「アッシュ様。それって……?」
「まあ、見てのお楽しみだ」
含み笑いをして、それからは黙々と足を動かした。
やがて木々の隙間から見えてきたのは、年月を経た古い丸太小屋だった。私は息を呑み、足を止める。
(え……!?)
恐る恐る近づけば、小屋を囲んでいた柵は倒れて土と同化してしまっていた。そして小屋の壁にはびっしりと緑の蔦が絡まっている。
以前に来た時は、まだ人が住んでいてもおかしくないほど綺麗な家だったのに。
蔦を手でかき分けると、びっくりしたように虫が逃げていく。
「まるで、一気に時が動き出したかのようだろう? ともかく、まずは墓参りをしようか。――こっちだ」
墓標は庭に立てられていた。
ここだけは以前と変わりなく、美しい花々が咲き乱れている。私は地面にひざまずき、持ってきた花束を供える。
「……日記帳は、家の中に戻しますか?」
アッシュ様を見上げて尋ねれば、アッシュ様は無言で首を横に振った。
背に負った荷物から数冊の日記帳を取り出して、墓前にきちんと重ねて置く。
「中はもう崩壊寸前なんだ。このまま自然に崩れて、森に還るのを待つばかりだ」
それから二人並んで手を合わせ、祈りを捧げる。
今日持ってきたのは呪い師の日記帳だけだ。
薬草書や仕事の記録帳とは違い、これだけはごくごく私的なものだったから。呪いが解けた今となっては、呪い師に返すのが筋のように思えた。
「……呪い師さん、お陰様で呪いが解けました。本当にありがとうございます」
お陰様?とつぶやいてアッシュ様が首を傾げたが、私は構わず墓前に語りかける。
「日記帳はお返しいたします。でも、よければ薬草書はこのままいただけたら嬉しいなって。私達みたいな素人には無理ですけど、専門家に渡せばあなたの知識と経験が活きると思うんです」
フォード伯爵領の治療院には、薬術師もいると聞く。
古いものとはいえ、呪い師の薬草書には伯爵領固有の薬草が数多く記載されていた。治療院に寄付すれば、伯爵領で病に苦しむ人々も救われるに違いない。
「もしもお嫌でしたら、来年の死者の祭りでその旨をどうぞ私に教えてください。それまでは薬草書と仕事の記録帳は、これまで通りフォード伯爵家のお屋敷で保管しておこうと思います」
身振り手振りで熱心に演説する私に、答える声はもちろんない。
それでも私は確信していた。彼女ならきっと、私の思いをわかってくれるはずだと。
アッシュ様はもの問いたげな目を私に向けたが、口に出しては何も言わなかった。
無言で伸ばされた手を、私も力強く握り返す。
「また、来ます。アッシュ様と一緒に、あなた方に会いに来ます」
墓標に名は刻まれていなかった。
日記帳に呪い師の名はなかったし、フォード伯爵家の家系図からは青年の名は削除されていた。だから代わりに、アッシュ様はただ一言こう刻んだ。
『――愛し合う二人に、心からの祝福を』
名もなき二人の恋人は、きっと今も死後の世界で寄り添い合っているはずだ。
墓標に微笑みかけ、時々は遊びに来てくれると嬉しいです、と心の中で語りかける。
立ち上がった私を、アッシュ様は優しく見つめた。木々がさらさらと涼やかな音を立てる。
「さあ、俺達の家に帰ろうか。セシリア」
「はい。アッシュ様」
視線を交わして微笑み合う。
固く手を取り合い、私達は未来に向かって踏み出した。
――了――
獣道を先導してくれながら、アッシュ様がうずうずした様子で私を振り返った。
「驚かないでくれ、セシリア。以前とは随分様変わりしているんだ」
興奮を押し殺した声に、私は内心首をひねる。
今日私がここに来るより先に、アッシュ様とデューク様の二人が墓標を立てに訪れたという話は聞いていた。呪いが解けてすぐ翌日のことだから、私は二晩連続の徹夜が祟って留守番をしていたのだけれど。
「アッシュ様。それって……?」
「まあ、見てのお楽しみだ」
含み笑いをして、それからは黙々と足を動かした。
やがて木々の隙間から見えてきたのは、年月を経た古い丸太小屋だった。私は息を呑み、足を止める。
(え……!?)
恐る恐る近づけば、小屋を囲んでいた柵は倒れて土と同化してしまっていた。そして小屋の壁にはびっしりと緑の蔦が絡まっている。
以前に来た時は、まだ人が住んでいてもおかしくないほど綺麗な家だったのに。
蔦を手でかき分けると、びっくりしたように虫が逃げていく。
「まるで、一気に時が動き出したかのようだろう? ともかく、まずは墓参りをしようか。――こっちだ」
墓標は庭に立てられていた。
ここだけは以前と変わりなく、美しい花々が咲き乱れている。私は地面にひざまずき、持ってきた花束を供える。
「……日記帳は、家の中に戻しますか?」
アッシュ様を見上げて尋ねれば、アッシュ様は無言で首を横に振った。
背に負った荷物から数冊の日記帳を取り出して、墓前にきちんと重ねて置く。
「中はもう崩壊寸前なんだ。このまま自然に崩れて、森に還るのを待つばかりだ」
それから二人並んで手を合わせ、祈りを捧げる。
今日持ってきたのは呪い師の日記帳だけだ。
薬草書や仕事の記録帳とは違い、これだけはごくごく私的なものだったから。呪いが解けた今となっては、呪い師に返すのが筋のように思えた。
「……呪い師さん、お陰様で呪いが解けました。本当にありがとうございます」
お陰様?とつぶやいてアッシュ様が首を傾げたが、私は構わず墓前に語りかける。
「日記帳はお返しいたします。でも、よければ薬草書はこのままいただけたら嬉しいなって。私達みたいな素人には無理ですけど、専門家に渡せばあなたの知識と経験が活きると思うんです」
フォード伯爵領の治療院には、薬術師もいると聞く。
古いものとはいえ、呪い師の薬草書には伯爵領固有の薬草が数多く記載されていた。治療院に寄付すれば、伯爵領で病に苦しむ人々も救われるに違いない。
「もしもお嫌でしたら、来年の死者の祭りでその旨をどうぞ私に教えてください。それまでは薬草書と仕事の記録帳は、これまで通りフォード伯爵家のお屋敷で保管しておこうと思います」
身振り手振りで熱心に演説する私に、答える声はもちろんない。
それでも私は確信していた。彼女ならきっと、私の思いをわかってくれるはずだと。
アッシュ様はもの問いたげな目を私に向けたが、口に出しては何も言わなかった。
無言で伸ばされた手を、私も力強く握り返す。
「また、来ます。アッシュ様と一緒に、あなた方に会いに来ます」
墓標に名は刻まれていなかった。
日記帳に呪い師の名はなかったし、フォード伯爵家の家系図からは青年の名は削除されていた。だから代わりに、アッシュ様はただ一言こう刻んだ。
『――愛し合う二人に、心からの祝福を』
名もなき二人の恋人は、きっと今も死後の世界で寄り添い合っているはずだ。
墓標に微笑みかけ、時々は遊びに来てくれると嬉しいです、と心の中で語りかける。
立ち上がった私を、アッシュ様は優しく見つめた。木々がさらさらと涼やかな音を立てる。
「さあ、俺達の家に帰ろうか。セシリア」
「はい。アッシュ様」
視線を交わして微笑み合う。
固く手を取り合い、私達は未来に向かって踏み出した。
――了――
367
お気に入りに追加
565
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
完結 お疲れ様でした
ありがとうございます
一気読みしました
主人公が 健気で とても一生懸命な
ところが、可愛いかったです。
呪われたヒーローが 救われて
ハッピーエンドが 最高でした~
私も 続編を 希望します
楽しみに、待っています
メイド長の キャラも 気に入りました
一気読みありがとうございます!
ハッピーエンド大好き人間なので、そう言っていただけてとても嬉しいです(*^^*)
メイド長は主人公二人のお母さんのような立ち位置で書いてみました。肝っ玉母ちゃんです♪
続編のリクエストもありがとうございます〜!
まだ構想はないのですが、もし投稿した際はよろしくお願いします!
素敵な物語をありがとうございます。
二人の関係性が大好きです。いつか二人の番外編が読めたら嬉しいです。
ご感想ありがとうございます!
楽しんでいただけたなら嬉しいです。書いてよかったなぁと思えます(*^^*)
番外編のリクエストもありがとうございます♪
もしまた投稿した際は、どうぞよろしくお願いします!