7 / 28
7.空腹がそろそろ限界です
しおりを挟む
たっぷりと朝日を浴びながら、二人乗りのバギーで緑あふれる街道をのんびり走る。
天気は上々で、気温も暑すぎず寒すぎず。やわらかな風は花の香りを含み、私の亜麻色の髪を優しくなびかせた。胸いっぱいに深呼吸した途端、お腹がぐうと派手な音を立てる。
「……おなか、へりました」
情けなく呟けば、隣で馬を御していたアッシュ様がちらりと私を見た。
「もう少しだけ我慢してくれ。湖まではそう遠くないから」
そっけなく告げるなり、さっさと視線を前方に戻してしまう。肩が触れ合うほど近くに座っているというのに、アッシュ様は先ほどから全く私を見ようとしなかった。
(……デューク様ってば、考えすぎだったんじゃないかなぁ)
膝に置いたバスケットを抱き締め、私はこっそりため息をつく。
バスケットの中に入っているのは今日の朝食。結局私達は食堂で食べるのではなく、このお弁当をデューク様から押し付けられて追い出されてしまったのだ。
ピクニックがてら湖にでも行って、しっかり二人でこれからのことを話し合ってこい、と釘を刺されて。
『仕事なんかよりこちらが急務だ、何せ時間がありませんからね。どうせ主は今日も0時にご就寝ですよ。で、明日にはまた綺麗さっぱり何もかも忘れてる』
そう言って、思いっきり嫌そうに顔をしかめたデューク様。
だけど、さすがにそれはないと思う。
アッシュ様にとっては、私はまだ出会って数時間の初対面同然の女なのだ。デューク様はなぜか焦っていたけれど、時間はまだまだ充分にあるに決まってる。
(アッシュ様がもう一度、私のことを……す、好きになるまで)
どのぐらい掛かるだろうか。
一週間、それとも一ヶ月? わからないけれど、また忘れられてしまう前に話し合う必要があるのは確かだ。呪いについてももっと詳しく知りたい。
「ね、アッシュ様」
笑顔を向ければ、アッシュ様はムッと眉をひそめた。うん、好かれるどころか嫌われているような。馬を御すのに集中したいから、邪魔するなってことなのかな。
仕方なく私も口をつぐむ。
かくして湖に到着するまで、二人して黙りこくる気まずい時間が続いたのであった。
◇
「わあっ、綺麗ですね!」
陽の光を反射してキラキラ光る湖に、私は思わず歓声を上げる。アッシュ様が馬を繋いでいる間に、うずうずして駆け出した。
「――こら、危ないだろうっ」
身を乗り出して湖面を覗き込もうとした瞬間、背後からきつく腕を掴まれる。
振り向けばアッシュ様が怒ったように私を睨んでいた。
「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから。落ちたりしません」
笑ってかぶりを振るのに、アッシュ様は怖い顔を崩さない。
「いいや、お前は度を越したおっちょこちょいなのだ。当家で働き出してから割った皿は数知れず、洗濯したてのシーツを抱えて転んで泥だらけにするのは日常茶飯事――と虎の巻に書いてあった!」
「…………」
過去のアッシュ様め、余計なことを。
むっとしつつ、私はすぐさまツンと顎を反らせて反論する。
「そ、それは勤め出してすぐの話です。今ではお皿を割ることなんか……滅多にないし、洗濯物だって……一気に運ぶのはやめにしたし」
だんだん声が小さくなってしまう。
まあ、ね? 人よりそそっかしい自覚は確かにありますよ。何もないところでつまずいては転び、生傷の絶えなかった子供時代。いやそういえば、成長してからも似たようなものだったか。
(そうだ。確か、初めてアッシュ様にお会いした時も……)
「湖は離れた場所から眺めるだけにしてくれ。ともかくまずは朝食にしよう」
何か思い出しかけたところで、アッシュ様が放り投げるように私から手を放した。うーん、やっぱり嫌われているような?
どことなく複雑な気持ちが込み上げて来たが、表面上は平気な振りをして手早くバスケットの中身を並べる。大ぶりのパンにチーズにバター、ハムにソーセージにゆで卵、デザートには果物もある。ああ、それから――
「ワインまで入ってる。デューク様ったら、今日は本格的に休めっておっしゃりたいんでしょうね」
これって確か、昨夜彼が結婚祝いとして差し入れてくれたものだ。
朝酒なんて初めてだけれど、何と言っても今日から私達の新生活が始まるのだ。今日ぐらいメイドの仕事を休んでもバチは当たらないかもしれない。
うきうきと二つのグラスに白ワインを注ぐ。
芝生の上にふわりとハンカチを敷き、横座りに座った。直立不動のアッシュ様を見上げ、ぽんぽんと隣を叩く。
「まずは乾杯しませんか?」
「う、ぐ……む、むむむ」
猛獣のようにうなりながらも座ってくれた。よかったー。
(さすがに旦那様を差し置いて一人で食べるわけにもいかないからね)
日もずいぶん高くなってきたし、もうお腹ぺこぺこなのだ。
二人で形ばかりグラスを合わせ、まずは一口。うん、すっきりしていて飲みやすい。ふわっと頬が熱くなり、つられて気持ちまで明るくなってくる。
「アッシュ様、パンにバターを塗りましょうか? ハムは載せます? それともチーズ?」
「むむむむ」
「はいかしこまりました、全部載せですね」
これなら文句はあるまい。
苦情は受け付けいたしません。
パンをスライスして具材を載せまくり、てっぺんにもう一枚パンを重ねる。ちょっと太いのでぎゅぎゅっとつぶして、はい完成!
「豪快だな……」
「見た目はイマイチですけど、きっと美味しいはずです!」
自信満々に告げて、もう一度贅沢全部載せパンを作る。だって私だって食べたいし。
大口を開けて、いただきます!
「う~ん、やっぱり美味しい~」
「うっ、横から具がはみ出してくる……!」
「今日はマナーなんて忘れてかぶりついちゃいましょ。どうせ私達しかいないんですから」
お互い食べにくいパンと格闘していたら、なんとなく空気が和やかになった。うん、今なら聞けるかも?
ナプキンで口元を丁寧に拭き、アッシュ様に向き直る。のんびりと湖を眺めている彼に、深呼吸して告げた。
「――アッシュ様。伯爵家の『呪い』について、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?」
天気は上々で、気温も暑すぎず寒すぎず。やわらかな風は花の香りを含み、私の亜麻色の髪を優しくなびかせた。胸いっぱいに深呼吸した途端、お腹がぐうと派手な音を立てる。
「……おなか、へりました」
情けなく呟けば、隣で馬を御していたアッシュ様がちらりと私を見た。
「もう少しだけ我慢してくれ。湖まではそう遠くないから」
そっけなく告げるなり、さっさと視線を前方に戻してしまう。肩が触れ合うほど近くに座っているというのに、アッシュ様は先ほどから全く私を見ようとしなかった。
(……デューク様ってば、考えすぎだったんじゃないかなぁ)
膝に置いたバスケットを抱き締め、私はこっそりため息をつく。
バスケットの中に入っているのは今日の朝食。結局私達は食堂で食べるのではなく、このお弁当をデューク様から押し付けられて追い出されてしまったのだ。
ピクニックがてら湖にでも行って、しっかり二人でこれからのことを話し合ってこい、と釘を刺されて。
『仕事なんかよりこちらが急務だ、何せ時間がありませんからね。どうせ主は今日も0時にご就寝ですよ。で、明日にはまた綺麗さっぱり何もかも忘れてる』
そう言って、思いっきり嫌そうに顔をしかめたデューク様。
だけど、さすがにそれはないと思う。
アッシュ様にとっては、私はまだ出会って数時間の初対面同然の女なのだ。デューク様はなぜか焦っていたけれど、時間はまだまだ充分にあるに決まってる。
(アッシュ様がもう一度、私のことを……す、好きになるまで)
どのぐらい掛かるだろうか。
一週間、それとも一ヶ月? わからないけれど、また忘れられてしまう前に話し合う必要があるのは確かだ。呪いについてももっと詳しく知りたい。
「ね、アッシュ様」
笑顔を向ければ、アッシュ様はムッと眉をひそめた。うん、好かれるどころか嫌われているような。馬を御すのに集中したいから、邪魔するなってことなのかな。
仕方なく私も口をつぐむ。
かくして湖に到着するまで、二人して黙りこくる気まずい時間が続いたのであった。
◇
「わあっ、綺麗ですね!」
陽の光を反射してキラキラ光る湖に、私は思わず歓声を上げる。アッシュ様が馬を繋いでいる間に、うずうずして駆け出した。
「――こら、危ないだろうっ」
身を乗り出して湖面を覗き込もうとした瞬間、背後からきつく腕を掴まれる。
振り向けばアッシュ様が怒ったように私を睨んでいた。
「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから。落ちたりしません」
笑ってかぶりを振るのに、アッシュ様は怖い顔を崩さない。
「いいや、お前は度を越したおっちょこちょいなのだ。当家で働き出してから割った皿は数知れず、洗濯したてのシーツを抱えて転んで泥だらけにするのは日常茶飯事――と虎の巻に書いてあった!」
「…………」
過去のアッシュ様め、余計なことを。
むっとしつつ、私はすぐさまツンと顎を反らせて反論する。
「そ、それは勤め出してすぐの話です。今ではお皿を割ることなんか……滅多にないし、洗濯物だって……一気に運ぶのはやめにしたし」
だんだん声が小さくなってしまう。
まあ、ね? 人よりそそっかしい自覚は確かにありますよ。何もないところでつまずいては転び、生傷の絶えなかった子供時代。いやそういえば、成長してからも似たようなものだったか。
(そうだ。確か、初めてアッシュ様にお会いした時も……)
「湖は離れた場所から眺めるだけにしてくれ。ともかくまずは朝食にしよう」
何か思い出しかけたところで、アッシュ様が放り投げるように私から手を放した。うーん、やっぱり嫌われているような?
どことなく複雑な気持ちが込み上げて来たが、表面上は平気な振りをして手早くバスケットの中身を並べる。大ぶりのパンにチーズにバター、ハムにソーセージにゆで卵、デザートには果物もある。ああ、それから――
「ワインまで入ってる。デューク様ったら、今日は本格的に休めっておっしゃりたいんでしょうね」
これって確か、昨夜彼が結婚祝いとして差し入れてくれたものだ。
朝酒なんて初めてだけれど、何と言っても今日から私達の新生活が始まるのだ。今日ぐらいメイドの仕事を休んでもバチは当たらないかもしれない。
うきうきと二つのグラスに白ワインを注ぐ。
芝生の上にふわりとハンカチを敷き、横座りに座った。直立不動のアッシュ様を見上げ、ぽんぽんと隣を叩く。
「まずは乾杯しませんか?」
「う、ぐ……む、むむむ」
猛獣のようにうなりながらも座ってくれた。よかったー。
(さすがに旦那様を差し置いて一人で食べるわけにもいかないからね)
日もずいぶん高くなってきたし、もうお腹ぺこぺこなのだ。
二人で形ばかりグラスを合わせ、まずは一口。うん、すっきりしていて飲みやすい。ふわっと頬が熱くなり、つられて気持ちまで明るくなってくる。
「アッシュ様、パンにバターを塗りましょうか? ハムは載せます? それともチーズ?」
「むむむむ」
「はいかしこまりました、全部載せですね」
これなら文句はあるまい。
苦情は受け付けいたしません。
パンをスライスして具材を載せまくり、てっぺんにもう一枚パンを重ねる。ちょっと太いのでぎゅぎゅっとつぶして、はい完成!
「豪快だな……」
「見た目はイマイチですけど、きっと美味しいはずです!」
自信満々に告げて、もう一度贅沢全部載せパンを作る。だって私だって食べたいし。
大口を開けて、いただきます!
「う~ん、やっぱり美味しい~」
「うっ、横から具がはみ出してくる……!」
「今日はマナーなんて忘れてかぶりついちゃいましょ。どうせ私達しかいないんですから」
お互い食べにくいパンと格闘していたら、なんとなく空気が和やかになった。うん、今なら聞けるかも?
ナプキンで口元を丁寧に拭き、アッシュ様に向き直る。のんびりと湖を眺めている彼に、深呼吸して告げた。
「――アッシュ様。伯爵家の『呪い』について、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?」
165
お気に入りに追加
565
あなたにおすすめの小説
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる