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6.前を向いていきましょう!

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 なんとなく落ち着いたところで、朝食を取るために食堂に移動することになった。今まで通り使用人部屋に向かおうとした私を、アッシュ様とデューク様が引き止める。

「その、だな。あの、だな……っ」

「セシリア様。領主の奥様として朝食は主とご一緒にお取りください」

 顔を赤くして口ごもるアッシュ様を押しのけて、デューク様が慇懃に頭を下げた。……って、そう言われましても。

 私は困ってしまい、自身のメイド服を見下ろす。

「でも私、離縁前提の仮の妻ですし。アッシュ様は私のこと忘れちゃってるし――……」

「なんだってぇっ!? もう忘れちまったってのかい、まさか結婚して一日も保たないだなんてねぇっ!!」

 突然、素っ頓狂な叫び声が廊下に響き渡った。
 弾かれたように振り向くと、初老のメイド長が目を吊り上げてこちらを見ていた。デューク様が「まずい」と言うように顔をしかめる。

「まあまあまあ、なんてことだろ。セシリア、アンタ大丈夫かね? 可哀想に、辛かったろう……っ。新妻を忘れるだなんて、酷すぎるよっ」

 せかせかと告げながら、メイド長が足早に私に歩み寄った。アッシュ様と私の間に、たくましい体を割り込ませる。

「旦那様、左様でしたらセシリアはあたしが引き受けますのでね。これで失礼させていただきますよ」

 アッシュ様をひと睨みすると、メイド長は鼻息荒く私の腕を掴んだ。
 アッシュ様が顔色を変え、慌てたように私に手を伸ばす。

「待て、メイド長。つ、妻は……俺と」

「ささ、早くおしセシリア。食欲なんてないだろうけどね、まずはしっかり朝食を食べて元気を出すんだよ。アンタはまだ若いんだ、新しい出会いなんかいっくらでもあるんだからね?」

 メイド長はアッシュ様を無視して私を引っ張った。
 その力強さについ歩き出しながらも、私は迷ってアッシュ様を振り仰ぐ。

「アッシュ様、あの私」

「セシリア、未練を残すんじゃないよ! 旦那様も納得ずくなんだ、最初からそういう約束だったんだから!」

 ……約束?

 アッシュ様が息を呑む。

 虚を衝かれて黙り込む私に、メイド長はイライラと頷いた。

「あたしはね、最初っから反対してたんだ。結婚なんかしてセシリアを忘れたら、セシリアの心に消えない傷を残すことになりますよ、ってね。けど旦那様は引き下がられなかった。セシリアをあのロクデナシ親父から完璧に引き離すためには、これが最善の策なんだとおっしゃって」

「そう……、だったんですね……」

 確かに肩書だけとはいえ、伯爵家の妻となった私に父はもう手を出すことができない。アッシュ様はそこまで考えた上で、この婚姻を提案してくれたのだ。

 改めてアッシュ様への感謝の気持ちが込み上げてくる。
 離れた場所からじっとアッシュ様を見つめると、アッシュ様が頬を赤らめた。

「セ……セシリア。俺は」

「旦那様は『絶対惚れない』って豪語されたんだよ。あたしらから見れば、どう考えたって無理なのはわかりきってたのにね」

 メイド長が苦々しげに吐き捨てる。どうやら彼女もまた、フォード伯爵家の呪いについて知っていたらしい。

 言葉を失っていたら、デューク様が情けなさそうにため息をついた。

「まあこれまでの実績を思えば、な。……けどなメイド長、散々言い聞かせたろう。主だっていずれは結婚せねばならないし、これはある意味、呪いを乗り越えるいい機会になるかもしれないって」

「あたしだって散々申し上げましたよ、デューク様。年頃の娘をもてあそぶような真似はよしてください、って」

 メイド長は一歩も引かない。
 眉を下げて彼らを見比べていると、アッシュ様が立ったまま『虎の巻』ノートを開いた。すばやく目を走らせて、ウッと喉を詰まらせる。

「メイド長との約束……。万が一呪いが発動した場合は、その後セシリアと一切の接触を禁止する、だと……!?」

「言っておきますが、オレはちゃんと止めましたよ主。けど主は全部忘れてるもんだから、無駄に自信満々で受けて立っちゃって」

 デューク様が疲れたように肩を落とした。
 メイド長は鼻高々に胸を張る。

「忘れようが約束は約束です。セシリアはこれまで通りメイドとして働いてもいいし、領主様の奥様としてのんびり過ごしてもいい。旦那様との接触さえなければ、どちらでもセシリアの望む通り――」

「あのう……」

 私は恐る恐る挙手をした。
 全員の視線が一気に集まって、なんとなく顔が赤くなってしまう。それでもアッシュ様のすがるような眼差しを感じ、私は勇気を振り絞った。

「メイド長、あの、ありがとうございます。私なんかのことを、そんなに気にかけてくださって」

「いいんだよ。上司として当然さ」

 優しく微笑むメイド長に、「でも」と小さく首を横に振る。

「お気持ちはとってもありがたいんですけど――……でも私」

 私が何を言う気かと、アッシュ様とデューク様も固唾を呑んで見守っていた。
 三人を等分に見回して、私はすうっと深呼吸する。

「――私、全然傷ついてなんかいないです」

「へ?」

 メイド長が笑顔のまま固まった。
 私はぎゅっと手を握り締め、必死になって彼女に言い募る。

「ほ、本当です。だってアッシュ様は悪気があって私を忘れたわけじゃなくて、全部呪いのせいなんでしょう? アッシュ様は私の恩人で、怒るとか悲しいとか全くありません。とにかく私、私、アッシュ様と離れたくない……!」

「セ、セシリアッ!?」

 血を吐くような思いで叫べば、アッシュ様が耳まで真っ赤に染め上げた。
 デューク様はなぜか「あっちゃあ」と呟き、頭を抱え込む。メイド長は呆気に取られて立ち尽くしていた。

「忘れられようが好かれようが嫌われようが、私はアッシュ様にご恩返しがしたいんです! 側にいて、できることを探したい。だからお願いです、どうか私達を引き離さないで……!」

「セシリア……」

 メイド長が鼻をすすった。
 私の手を取り、大きな両手で包み込む。

「わかったよ。アンタが大丈夫だって言うんなら、あたし達はただ黙って見守るだけさ。そうだよね、デューク様?」

「あ、ああ。だけどなメイド長」

「けどねセシリア、辛くなったらすぐに言うんだよ? それから、うっかり旦那様を惚れさせないよう気をつけること! 毎朝自己紹介から始める奇天烈な結婚生活なんか、アンタも絶対ごめんだろ?」

「いやでもな、メイド長」

「あはは、確かに。これからアッシュ様と二人で気をつけます。ね、アッシュ様?」

「む、無論だとも! 任せろセシリア、俺はこう見えて身持ちの固い男だからな!」

 胸を張るアッシュ様の隣で、デューク様がげんなりと肩を落とした。

「いや、今まで一体何度同じことを繰り返してきたと……? 黙って見守るだけだなんて、どう考えたって不可能だろ。振り回される一番の被害者は、間違いなくオレじゃないか」
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