6 / 28
6.前を向いていきましょう!
しおりを挟む
なんとなく落ち着いたところで、朝食を取るために食堂に移動することになった。今まで通り使用人部屋に向かおうとした私を、アッシュ様とデューク様が引き止める。
「その、だな。あの、だな……っ」
「セシリア様。領主の奥様として朝食は主とご一緒にお取りください」
顔を赤くして口ごもるアッシュ様を押しのけて、デューク様が慇懃に頭を下げた。……って、そう言われましても。
私は困ってしまい、自身のメイド服を見下ろす。
「でも私、離縁前提の仮の妻ですし。アッシュ様は私のこと忘れちゃってるし――……」
「なんだってぇっ!? もう忘れちまったってのかい、まさか結婚して一日も保たないだなんてねぇっ!!」
突然、素っ頓狂な叫び声が廊下に響き渡った。
弾かれたように振り向くと、初老のメイド長が目を吊り上げてこちらを見ていた。デューク様が「まずい」と言うように顔をしかめる。
「まあまあまあ、なんてことだろ。セシリア、アンタ大丈夫かね? 可哀想に、辛かったろう……っ。新妻を忘れるだなんて、酷すぎるよっ」
せかせかと告げながら、メイド長が足早に私に歩み寄った。アッシュ様と私の間に、たくましい体を割り込ませる。
「旦那様、左様でしたらセシリアはあたしが引き受けますのでね。これで失礼させていただきますよ」
アッシュ様をひと睨みすると、メイド長は鼻息荒く私の腕を掴んだ。
アッシュ様が顔色を変え、慌てたように私に手を伸ばす。
「待て、メイド長。つ、妻は……俺と」
「ささ、早くおしセシリア。食欲なんてないだろうけどね、まずはしっかり朝食を食べて元気を出すんだよ。アンタはまだ若いんだ、新しい出会いなんかいっくらでもあるんだからね?」
メイド長はアッシュ様を無視して私を引っ張った。
その力強さについ歩き出しながらも、私は迷ってアッシュ様を振り仰ぐ。
「アッシュ様、あの私」
「セシリア、未練を残すんじゃないよ! 旦那様も納得ずくなんだ、最初からそういう約束だったんだから!」
……約束?
アッシュ様が息を呑む。
虚を衝かれて黙り込む私に、メイド長はイライラと頷いた。
「あたしはね、最初っから反対してたんだ。結婚なんかしてセシリアを忘れたら、セシリアの心に消えない傷を残すことになりますよ、ってね。けど旦那様は引き下がられなかった。セシリアをあのロクデナシ親父から完璧に引き離すためには、これが最善の策なんだとおっしゃって」
「そう……、だったんですね……」
確かに肩書だけとはいえ、伯爵家の妻となった私に父はもう手を出すことができない。アッシュ様はそこまで考えた上で、この婚姻を提案してくれたのだ。
改めてアッシュ様への感謝の気持ちが込み上げてくる。
離れた場所からじっとアッシュ様を見つめると、アッシュ様が頬を赤らめた。
「セ……セシリア。俺は」
「旦那様は『絶対惚れない』って豪語されたんだよ。あたしらから見れば、どう考えたって無理なのはわかりきってたのにね」
メイド長が苦々しげに吐き捨てる。どうやら彼女もまた、フォード伯爵家の呪いについて知っていたらしい。
言葉を失っていたら、デューク様が情けなさそうにため息をついた。
「まあこれまでの実績を思えば、な。……けどなメイド長、散々言い聞かせたろう。主だっていずれは結婚せねばならないし、これはある意味、呪いを乗り越えるいい機会になるかもしれないって」
「あたしだって散々申し上げましたよ、デューク様。年頃の娘をもてあそぶような真似はよしてください、って」
メイド長は一歩も引かない。
眉を下げて彼らを見比べていると、アッシュ様が立ったまま『虎の巻』ノートを開いた。すばやく目を走らせて、ウッと喉を詰まらせる。
「メイド長との約束……。万が一呪いが発動した場合は、その後セシリアと一切の接触を禁止する、だと……!?」
「言っておきますが、オレはちゃんと止めましたよ主。けど主は全部忘れてるもんだから、無駄に自信満々で受けて立っちゃって」
デューク様が疲れたように肩を落とした。
メイド長は鼻高々に胸を張る。
「忘れようが約束は約束です。セシリアはこれまで通りメイドとして働いてもいいし、領主様の奥様としてのんびり過ごしてもいい。旦那様との接触さえなければ、どちらでもセシリアの望む通り――」
「あのう……」
私は恐る恐る挙手をした。
全員の視線が一気に集まって、なんとなく顔が赤くなってしまう。それでもアッシュ様のすがるような眼差しを感じ、私は勇気を振り絞った。
「メイド長、あの、ありがとうございます。私なんかのことを、そんなに気にかけてくださって」
「いいんだよ。上司として当然さ」
優しく微笑むメイド長に、「でも」と小さく首を横に振る。
「お気持ちはとってもありがたいんですけど――……でも私」
私が何を言う気かと、アッシュ様とデューク様も固唾を呑んで見守っていた。
三人を等分に見回して、私はすうっと深呼吸する。
「――私、全然傷ついてなんかいないです」
「へ?」
メイド長が笑顔のまま固まった。
私はぎゅっと手を握り締め、必死になって彼女に言い募る。
「ほ、本当です。だってアッシュ様は悪気があって私を忘れたわけじゃなくて、全部呪いのせいなんでしょう? アッシュ様は私の恩人で、怒るとか悲しいとか全くありません。とにかく私、私、アッシュ様と離れたくない……!」
「セ、セシリアッ!?」
血を吐くような思いで叫べば、アッシュ様が耳まで真っ赤に染め上げた。
デューク様はなぜか「あっちゃあ」と呟き、頭を抱え込む。メイド長は呆気に取られて立ち尽くしていた。
「忘れられようが好かれようが嫌われようが、私はアッシュ様にご恩返しがしたいんです! 側にいて、できることを探したい。だからお願いです、どうか私達を引き離さないで……!」
「セシリア……」
メイド長が鼻をすすった。
私の手を取り、大きな両手で包み込む。
「わかったよ。アンタが大丈夫だって言うんなら、あたし達はただ黙って見守るだけさ。そうだよね、デューク様?」
「あ、ああ。だけどなメイド長」
「けどねセシリア、辛くなったらすぐに言うんだよ? それから、うっかり旦那様を惚れさせないよう気をつけること! 毎朝自己紹介から始める奇天烈な結婚生活なんか、アンタも絶対ごめんだろ?」
「いやでもな、メイド長」
「あはは、確かに。これからアッシュ様と二人で気をつけます。ね、アッシュ様?」
「む、無論だとも! 任せろセシリア、俺はこう見えて身持ちの固い男だからな!」
胸を張るアッシュ様の隣で、デューク様がげんなりと肩を落とした。
「いや、今まで一体何度同じことを繰り返してきたと……? 黙って見守るだけだなんて、どう考えたって不可能だろ。振り回される一番の被害者は、間違いなくオレじゃないか」
「その、だな。あの、だな……っ」
「セシリア様。領主の奥様として朝食は主とご一緒にお取りください」
顔を赤くして口ごもるアッシュ様を押しのけて、デューク様が慇懃に頭を下げた。……って、そう言われましても。
私は困ってしまい、自身のメイド服を見下ろす。
「でも私、離縁前提の仮の妻ですし。アッシュ様は私のこと忘れちゃってるし――……」
「なんだってぇっ!? もう忘れちまったってのかい、まさか結婚して一日も保たないだなんてねぇっ!!」
突然、素っ頓狂な叫び声が廊下に響き渡った。
弾かれたように振り向くと、初老のメイド長が目を吊り上げてこちらを見ていた。デューク様が「まずい」と言うように顔をしかめる。
「まあまあまあ、なんてことだろ。セシリア、アンタ大丈夫かね? 可哀想に、辛かったろう……っ。新妻を忘れるだなんて、酷すぎるよっ」
せかせかと告げながら、メイド長が足早に私に歩み寄った。アッシュ様と私の間に、たくましい体を割り込ませる。
「旦那様、左様でしたらセシリアはあたしが引き受けますのでね。これで失礼させていただきますよ」
アッシュ様をひと睨みすると、メイド長は鼻息荒く私の腕を掴んだ。
アッシュ様が顔色を変え、慌てたように私に手を伸ばす。
「待て、メイド長。つ、妻は……俺と」
「ささ、早くおしセシリア。食欲なんてないだろうけどね、まずはしっかり朝食を食べて元気を出すんだよ。アンタはまだ若いんだ、新しい出会いなんかいっくらでもあるんだからね?」
メイド長はアッシュ様を無視して私を引っ張った。
その力強さについ歩き出しながらも、私は迷ってアッシュ様を振り仰ぐ。
「アッシュ様、あの私」
「セシリア、未練を残すんじゃないよ! 旦那様も納得ずくなんだ、最初からそういう約束だったんだから!」
……約束?
アッシュ様が息を呑む。
虚を衝かれて黙り込む私に、メイド長はイライラと頷いた。
「あたしはね、最初っから反対してたんだ。結婚なんかしてセシリアを忘れたら、セシリアの心に消えない傷を残すことになりますよ、ってね。けど旦那様は引き下がられなかった。セシリアをあのロクデナシ親父から完璧に引き離すためには、これが最善の策なんだとおっしゃって」
「そう……、だったんですね……」
確かに肩書だけとはいえ、伯爵家の妻となった私に父はもう手を出すことができない。アッシュ様はそこまで考えた上で、この婚姻を提案してくれたのだ。
改めてアッシュ様への感謝の気持ちが込み上げてくる。
離れた場所からじっとアッシュ様を見つめると、アッシュ様が頬を赤らめた。
「セ……セシリア。俺は」
「旦那様は『絶対惚れない』って豪語されたんだよ。あたしらから見れば、どう考えたって無理なのはわかりきってたのにね」
メイド長が苦々しげに吐き捨てる。どうやら彼女もまた、フォード伯爵家の呪いについて知っていたらしい。
言葉を失っていたら、デューク様が情けなさそうにため息をついた。
「まあこれまでの実績を思えば、な。……けどなメイド長、散々言い聞かせたろう。主だっていずれは結婚せねばならないし、これはある意味、呪いを乗り越えるいい機会になるかもしれないって」
「あたしだって散々申し上げましたよ、デューク様。年頃の娘をもてあそぶような真似はよしてください、って」
メイド長は一歩も引かない。
眉を下げて彼らを見比べていると、アッシュ様が立ったまま『虎の巻』ノートを開いた。すばやく目を走らせて、ウッと喉を詰まらせる。
「メイド長との約束……。万が一呪いが発動した場合は、その後セシリアと一切の接触を禁止する、だと……!?」
「言っておきますが、オレはちゃんと止めましたよ主。けど主は全部忘れてるもんだから、無駄に自信満々で受けて立っちゃって」
デューク様が疲れたように肩を落とした。
メイド長は鼻高々に胸を張る。
「忘れようが約束は約束です。セシリアはこれまで通りメイドとして働いてもいいし、領主様の奥様としてのんびり過ごしてもいい。旦那様との接触さえなければ、どちらでもセシリアの望む通り――」
「あのう……」
私は恐る恐る挙手をした。
全員の視線が一気に集まって、なんとなく顔が赤くなってしまう。それでもアッシュ様のすがるような眼差しを感じ、私は勇気を振り絞った。
「メイド長、あの、ありがとうございます。私なんかのことを、そんなに気にかけてくださって」
「いいんだよ。上司として当然さ」
優しく微笑むメイド長に、「でも」と小さく首を横に振る。
「お気持ちはとってもありがたいんですけど――……でも私」
私が何を言う気かと、アッシュ様とデューク様も固唾を呑んで見守っていた。
三人を等分に見回して、私はすうっと深呼吸する。
「――私、全然傷ついてなんかいないです」
「へ?」
メイド長が笑顔のまま固まった。
私はぎゅっと手を握り締め、必死になって彼女に言い募る。
「ほ、本当です。だってアッシュ様は悪気があって私を忘れたわけじゃなくて、全部呪いのせいなんでしょう? アッシュ様は私の恩人で、怒るとか悲しいとか全くありません。とにかく私、私、アッシュ様と離れたくない……!」
「セ、セシリアッ!?」
血を吐くような思いで叫べば、アッシュ様が耳まで真っ赤に染め上げた。
デューク様はなぜか「あっちゃあ」と呟き、頭を抱え込む。メイド長は呆気に取られて立ち尽くしていた。
「忘れられようが好かれようが嫌われようが、私はアッシュ様にご恩返しがしたいんです! 側にいて、できることを探したい。だからお願いです、どうか私達を引き離さないで……!」
「セシリア……」
メイド長が鼻をすすった。
私の手を取り、大きな両手で包み込む。
「わかったよ。アンタが大丈夫だって言うんなら、あたし達はただ黙って見守るだけさ。そうだよね、デューク様?」
「あ、ああ。だけどなメイド長」
「けどねセシリア、辛くなったらすぐに言うんだよ? それから、うっかり旦那様を惚れさせないよう気をつけること! 毎朝自己紹介から始める奇天烈な結婚生活なんか、アンタも絶対ごめんだろ?」
「いやでもな、メイド長」
「あはは、確かに。これからアッシュ様と二人で気をつけます。ね、アッシュ様?」
「む、無論だとも! 任せろセシリア、俺はこう見えて身持ちの固い男だからな!」
胸を張るアッシュ様の隣で、デューク様がげんなりと肩を落とした。
「いや、今まで一体何度同じことを繰り返してきたと……? 黙って見守るだけだなんて、どう考えたって不可能だろ。振り回される一番の被害者は、間違いなくオレじゃないか」
219
お気に入りに追加
564
あなたにおすすめの小説
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。
木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。
その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。
そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。
なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。
私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。
しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。
それなのに、私の扱いだけはまったく違う。
どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。
当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
私と一緒にいることが苦痛だったと言われ、その日から夫は家に帰らなくなりました。
田太 優
恋愛
結婚して1年も経っていないというのに朝帰りを繰り返す夫。
結婚すれば変わってくれると信じていた私が間違っていた。
だからもう離婚を考えてもいいと思う。
夫に離婚の意思を告げたところ、返ってきたのは私を深く傷つける言葉だった。
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる