上 下
2 / 28

2.何をおっしゃっているのやら?

しおりを挟む
「なん……っ、なん……っ」

 恐怖に顔をひきつらせ、じりじりと後ずさりするアッシュ様。
 どうやらまだベッドには入っておらず、机で書き物をしていたらしい。

 立ち上がって窓辺まで後退した彼は、助けを求めるように手を泳がせた。すがるように掴んだのはカーテンで、自身の体にぐるぐると巻き付けて身を隠す。うん、ミノムシかな?

「失礼いたします、アッシュ様。先ほど私の部屋に乱入しないとお約束くださいましたが、私が乱入してはいけないとはおっしゃいませんでしたので」

 一礼して、ずかずかと部屋に入り込む。
 カーテンから顔だけ出したアッシュ様が、長身の体を一生懸命に縮こまらせた。

「アッシュ様。一年で離縁されるとおっしゃるのなら、せめてその間だけでも私を妻としてお役立てくださいませ。そうでなければ、手切れ金など到底いただけません」

「お、俺は」

「ほらほら、まずはカーテンから出て。そしてどうぞ教えてください、あなた様にご恩返しするために、私に何ができるかを」

 アッシュ様がごくりと喉仏を上下させる。

 じっと私を見つめたが、私に引く気がないと悟ったのだろう。
 のろのろと回転してカーテンから脱出すると、うなだれたままソファに腰を下ろした。ひと一人分空けて私も隣に腰掛けて、端正な横顔を真摯に見つめる。

 ややあって、アッシュ様はうめくように口を開いた。

「……お前の、その亜麻色の髪」

 ……ん? 髪?

 私は小首を傾げ、自身の長い髪に指を絡める。
 ふわふわと緩くカールした、雨の日には大爆発な困った頭。いつもは髪留めでまとめているものの、今はそのまま下ろしていた。

「……それから、その濃い茶色の瞳……」

 母譲りの焦げ茶の瞳は、とても地味だ。アッシュ様のような綺麗な青の瞳とは大違い。

「愚痴ひとつこぼさず、くるくるとよく働くところ……」

 確かに働くのは好きだけれど、最初の頃はダメダメの役立たずだったと思う。
 待遇が良いものだから、このお屋敷に勤める使用人は誰も辞めたがらない。古株ばかりの同僚達は、おっちょこちょいな新人の私を辛抱強く指導してくれた。

「菓子をほおばる時の、幸せそうな笑顔……」

 アッシュ様は心配りのある主で、使用人へのお菓子の差し入れを欠かさない。いつもみんな大喜びでかぶりつく。

 ……で、これって一体何の話です?

 きょとんとしていたら、アッシュ様はふうーっと深く重苦しいため息をついた。ゆっくりと私に向き直り、暗く陰った目を向ける。

「俺は、そんなお前を――……ずっと以前から、好ましく思っていて。気づけばいつも目で追って、お前に惹かれて焦がれて」

 えええっ!!?

「いたのか?」

 知らないよ!
 なんでいきなり疑問形!?

 息を詰めて聞き入っていた私は、思わず盛大にずっこけた。自然アッシュ様の胸に頭突きするような格好になり、アッシュ様が「うおおっ!?」と悲鳴を上げてカーテンに逃げ込む。

「ああもうっ、カーテンを巻き付けないでくださいったら! 怖くないです、襲いません! というかアッシュ様、武芸大会で優勝するほどの剣の名手と伺っていますけど!?」

「が、学生の頃の話だっ。それに剣の腕など関係なく、お前にだけは勝てる気がしないのだ!」

「ええっ、私は非力でか弱い女ですよ!?」

 カーテンを引っ張り合いっこしていたら、部屋の柱時計がボーンと一回鳴った。アッシュ様がはっとして時計を睨む。

「いけない、あと三十分で0時になってしまう……! 頼む、どうか今夜は部屋に戻ってくれ。事情は必ず明日、説明を――説明を――」

 苦しげに眉根を寄せ、首をひねる。

「……するのか?」

 だから知りませんて!
 どうしていちいち自信無さげなの!!

「明日じゃ駄目ですっ。仮初めだろうが何だろうが、今夜は私達の初夜なのですよ。夜通しだって構いませんから、じっくり腰を据えてお話しましょう!」

 語気を強めて訴えれば、アッシュ様の顔が強ばった。ベッドを振り返り、ゆるゆると力なくかぶりを振る。

「それは無理だ。おそらく俺は、今夜は0時を越えて起きていられないと思う……」

「え?……ご、ごめんなさい! 随分とお疲れだったんですね、私ったら全然気づかなくて」

 申し訳なく眉を下げる私に、アッシュ様は「そうじゃない」と静かに否定した。

「これは、我がフォード伯爵家特有の事情なのだ。お前に話さずに済むものなら、最後まで隠し通そうと思っていたが……。まさか初日からこのような、くっ。己があまりに不甲斐ない!」

 爪が食い込みそうなほどきつく手を握り、アッシュ様が顔を歪める。
 事情がわからずおろおろするばかりの私を、アッシュ様は再度扉へと促した。

「さあ、お前は部屋でゆっくり休……ん?」

 不意に、扉からコツコツとノックの音がした。

 アッシュ様が今度は慎重に「誰だ?」と確かめると、「デュークです」と静かに返答がある。……デューク?

「あ、デューク様……もがっ」

「デューク、生憎俺はもう休むところだ! 用ならば明朝にしてくれ!」

 私の口をふさぎ、アッシュ様が大声で叫ぶ。必死に目で合図してくるので、私もすぐに察して口をつぐんだ。

「……そうでしたか、残念です。結婚の祝い酒を酌み交わしたいと思ったのですが、よかったら一口だけでも召し上がりませんか?」

 軽い口調で、扉の向こうから屈託なく誘ってくる。

 デューク様は代々フォード伯爵家に仕える家柄の出で、現在はアッシュ様の下で領主補佐として働いている。
 その仕事ぶりは有能で、アッシュ様からの信頼も厚い。子供の頃からの長い付き合いのお二人が、公私ともに親しい間柄だというのは周知の事実だ……けれど。

 私はむっとして眉根を寄せた。

(さすがに初夜に訪ねてくるのはおかしくない? いくら親友だとして、も……)

 あ。

 はっと気がついた瞬間、私は身を翻してアッシュ様の手から脱出する。アッシュ様が止める間もなく、部屋の扉を開け放った。

「セ、セシリアッ!!」

「――こんばんは、デューク様」

 寝衣のワンピースの裾をつまみ、澄まし顔で挨拶する。
 明るい茶色の髪をした男が、ひゅっと息を呑んで立ち尽くした。信じられないものを見る目を私に向ける。

「なっ、え?……す、すまないっ。まさか君がいるとは思わなくて、オレはそのっ」

(……やっぱりね)

 私はその様子を見て確信する。

 いつも笑顔を絶やさず、万事をそつなくこなす彼にしては珍しい動揺ぶり。
 初夜の真っ最中なはずの親友を酒に誘うという、普通だったらあり得ない非常識な振る舞い。

 きっとデューク様は知っていたのだろう。
 花嫁はアッシュ様の部屋におらず、彼が一人きりだということを。

「デューク様。デューク様は、この婚姻が仮初めのものだということをご存知なのですね?」

 ぎゅっとお腹に力を入れて、言葉を失う二人を見比べる。
 ぎくしゃくと顔を見合わせる彼らに、私はひるむことなく言葉を重ねた。

「ひいては、アッシュ様のおっしゃる『事情』の詳細もおわかりなのでしょう。……でしたら今すぐ、私にも教えていただけませんか?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

くだらない結婚はもう終わりにしましょう

杉本凪咲
恋愛
夫の隣には私ではない女性。 妻である私を除け者にして、彼は違う女性を選んだ。 くだらない結婚に終わりを告げるべく、私は行動を起こす。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

私と一緒にいることが苦痛だったと言われ、その日から夫は家に帰らなくなりました。

田太 優
恋愛
結婚して1年も経っていないというのに朝帰りを繰り返す夫。 結婚すれば変わってくれると信じていた私が間違っていた。 だからもう離婚を考えてもいいと思う。 夫に離婚の意思を告げたところ、返ってきたのは私を深く傷つける言葉だった。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

処理中です...