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第三話
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何か大きな音が聞こえた気がして、リナは料理を作る手を止めた。
毎日毎日厨房に押しかけては料理の極意を盗もうとしていたロイドが、はっとしたように目を見開く。みるみる顔を険しくすると、問答無用でリナの腕を引っ掴んだ。
「ドラゴンの襲撃だっ。ここはこのままにして、お前は今すぐ地下室に避難しろ!」
「え……? は、はい!」
リナは砦の屋上へと走るロイドや兵士達とは逆の方向へと進み、エプロン姿のまま地下室へと急ぐ。
ドラゴンの襲撃自体は、西方砦に来てから何度も経験していた。
ただ、一人で避難するのはこれが初めてだった。これまでは近くにいた兵士がリナを地下室まで送ってくれていたのだ。
「きゃあっ!?」
激しい振動を感じ、リナが悲鳴を上げる。
震える体を抱き締め、覗き窓に向かって背伸びした。
「…………っ!」
真緑色のドラゴンが、信じられないほど近くを通り過ぎる。
食い入るように目で追っていると、ドラゴンはロイド達のいる屋上へと方向転換した。城壁すれすれをすべるようにして高度を上げていく。
「ロイドさん、皆さん……! うわわっ!?」
突如、凄まじい爆発音と共に火花が散った。
リナは咄嗟に耳を塞ぐ。おそらく、屋上の兵士が魔法を放ったのであろう。
ドラゴンはいったんは砦から離れたものの、派手な音と光に怯むことなく再び屋上へと翼をはためかせる。
言葉を失って見入りながらも、リナは内心で首をひねっていた。
(変ですね……。緑色が鮮やかすぎます。それに、成体よりも一回り体が小さいような――)
そこから導き出される答えに、はたと手を打つ。
「そうか……! あのドラゴンさんは、きっと……!」
◇
「リナ! 避難しろと言っただろうがっ!!」
「すみ、ません……。でもっ、緊急、なので!」
屋上へと一直線に駆け上がったリナは、息を弾ませながらも必死で主張する。
大剣を構えたロイドが素早く彼女を背中に庇った。
「ロイド、さんっ。あのドラゴンさんは、おそらく、まだ子供ですっ。だから――!」
「だから何だ!? 子供だから見逃せとでも言うつもりかっ」
ロイドが剣を振るうたび、周辺の空気がビリビリと震える。目に見えない真空の刃がドラゴンに襲いかかった。
「ロイドさんっ、駄目っ!!」
リナが転がるように前に出る。
両手を広げて立ち塞がる彼女を見て、ロイドは驚いたように動きを止めた。
「リナ!?」
「リナさん、危険なことはやめてください! 心配なさらずとも、ドラゴンは人間に倒せるような相手ではありません! せいぜい威嚇して追い払うぐらいが関の山――」
目を血走らせたメルヴィンが叫ぶが、リナはそこから動こうとしなかった。呼吸を整え、しゃにむにかぶり振る。
「そうじゃありませんっ。あのドラゴンさんは子供です、イタズラ好きでやんちゃな子供なんです! だから、だからっ!!」
上空を飛び回るドラゴンを、キッとして睨み据えた。
「構えば構うほどつけあがります! そしてお母さんドラゴンも近くにいるはずです! お母さんを怒らせてしまったら最悪ですよ!!」
◇
結局、それからほどなくしてドラゴンは去っていった。いつものごとく勝利の雄叫びを上げながら、だ。
「……多分、飽きたんだと思います」
食堂のテーブルで、リナが困ったように笑う。
凶悪な形相のロイドが、荒々しくテーブルを叩きつけた。
「それじゃあ何か? 俺らは単に、ガキのお遊びに付き合わされてたってわけかっ」
「まあまあ隊長。……リナさん。どうして貴女は、それほどドラゴンについて詳しいのですか?」
ロイドをなだめつつ、メルヴィンが不思議そうに首を傾げる。リナは瞬きすると、こそこそと声をひそめた。
「……私の出身が、薬草の名産地だってことは以前にお伝えしましたよね?」
「そうだったな」
ぐっと身を乗り出すロイドとメルヴィンに、リナはますます声を落とす。
「実は、ここだけの話。……私の出身は、ドラゴンの名産地でもあるんです」
「…………」
ドラゴンに名産地なんてあるのかよ。
目は口ほどに物を言っている二人にリナは苦笑する。
「正確には、名産地『だった』んですけど。……ドラゴンは数百年に一度、縄張りを変えると言われています。縄張りに選ばれちゃったらもう仕方がないので、ドラゴンと上手くご近所付き合いしていくしかないんですよ」
ドラゴンは知能が高く、人語すら解すると伝えられている。
加えて凶暴な性質でもないので、人間とドラゴン双方が礼儀正しく距離を保ちさえすれば、そうそう争い事には発展しない。
……はずなのだが。
ロイドが思いっきり眉根を寄せる。
「いやいや。充分凶暴だろうが。こっちは何もしていないのに、仕掛けてくるのはいつも向こうからだぞ」
「ですから、子供が遊んで遊んでって強請ってるようなものなんです。私が生まれるより前、うちの村でも同じことがあったらしいんですけど……」
しっぽを振りつつ村を訪れては、じゃれつくように家や畑に被害を与えていく子ドラゴン。必死で抵抗する村人達。
そして、放任主義でのんびりとした母ドラゴン。
人間にちょっかいを出す我が子をあくび交じりで見物しつつ、自身はぬくぬくと日向ぼっこを楽しんでいたという。
「でも、あるとき人間側が威嚇しすぎたそうなんです。子ドラゴンさんの爪の先が、ちょっぴり欠けてしまったんだとか。そうしたら、いつも放置しっぱなしだったお母さんドラゴンさんが――」
うちの子に何するんじゃいワレエェッ!!!
……とでも言いたげに、牙を剥き出して村の自警団に襲いかかってきたとか。
「理不尽ッ!!」
ロイドが頭を抱え込む。
「西方砦では幸い、まだ母ドラゴンの姿を見たことはありませんが……。注意した方が良さそうですね」
呻くメルヴィンに頷き、ロイドはリナに向き直った。
「リナ。子ドラゴンに対抗する術に心当たりはあるか?」
「そうですね……。心当たり、というほどではありませんが……」
リナが考え込むように視線を落とす。
そうして、ある提案をするのだった。
◇
ふた月ほど前に一人で辿った森の道を、今日はロイドと二人で歩く。
生真面目に前を見据えて歩く男を見上げ、リナは鈴を鳴らすように笑った。
「ロイドさんが一緒なら、お目当てのもの以外も色々と仕入れられそうです。手が増えるって素敵なことですね!」
「……あのな、これでも俺は隊長なんだぞ。荷物持ち呼ばわりするんじゃない」
苦虫を噛み潰したような顔で答えながらも、ロイドも内心ではうきうきしていた。
ドラゴン騒動が始まってからこっち、ロイドは西方砦に釘付け状態だった。張り詰めた毎日の中、緊張を解くこともままならず、肉体的にも精神的にも疲労困憊して――……
そこまで考え、ロイドははっとする。
(いや……)
そういえば、ここ最近はそうでもなかった気がする。
前途を悲観して夜も眠れない、なんてことは一切なかった。リナのまずい料理を苦しみつつ腹いっぱい食べ、夜は夢も見ないで眠りこけ、朝の目覚めは爽快だった。
こっそりとリナを盗み見る。
(こいつのお陰か……?)
それに、自分だけではない。
メルヴィンを含めた他の隊員達も、リナが来る前は酷い状態だったのに。食欲など完全に失って、死んだ魚のような目をしていた彼らが、今では食事中でもぎゃあぎゃあ騒ぐほどの元気っぷりだ。
「ロイドさん?」
「……っ。ああいや、何でもない!」
なんとなく気恥ずかしくなって、ロイドはリナから顔を背ける。リナはきょとんと目を丸くしていた。
◇
「――ああ、リナ! 久しぶりだねぇ、ドラゴンは大丈夫だったかい!?」
西方砦から一番近い村に足を踏み入れた途端、年配の女が転がるように駆けてきた。
リナもまた嬉しそうに彼女の手を握る。
「こんにちは、おばさん! 今日は砦の隊長さんと一緒に、食材の買い出しに来たんですよ。……ロイドさん。こちらは、私が砦に来る前に勤めていた職場の店主さんです」
一歩下がって見守っていたロイドは、慌てて「どうも」と笑顔を作った。
彼女も挨拶を返すと、嬉しそうに何度も頷く。
「隊長さん、リナが来てくれて大助かりでしょう? この子の料理は最初こそびっくりしますけど、そりゃあ栄養満点なんだから」
「う……。そ、そう」
ですね、と返そうとしてロイドは思いとどまった。
傍らのリナが、キラッキラと目を輝かせてこちらを見ていたからだ。その瞳は「解雇撤回? 撤回ですよね?」と言っている……ような気がする。
ロイドは一転してしかめっ面になると、きっぱりと首を横に振った。
「そうですかねぇ? ちょっと自分にはわかりかねます。あまりのまずさに意識が奪われてしまうせいかもしれませんなぁ、あっはっはっ」
「…………」
リナが悲しげに表情を曇らせた。
いつも天真爛漫な彼女らしくない、初めて見る表情にロイドの鼓動が跳ねる。泡を食ってリナに手を伸ばした。
「違っ、今のは――」
「困ったものです。ロイドさんってば、ご自分の体調変化にすら気付けないぼんやりさんなんですね……」
隊長さんたるもの、己の健康にもっと目を向けなきゃ駄目ですよ?
しかつめらしく言い聞かされ、ロイドは思わずずっこける。リナはさっさと歩き出すと、笑顔でロイドを振り返った。
「さ、早く行きましょう! おばさんのところは食堂兼商店なんです。目的のものがきっと見つかりますから!」
◇
食堂を素通りし、奥まで進むとそこが商店だった。
リナは買い物カゴを手にすると、勝手知ったる様子で次々と食材を放り込んでいく。ロイドは彼女の手元を覗き込んだ。
「見事に草ばっかりだな。肉も買ってくれ」
「はいはい。ロイドさんはまだまだ食べ盛りの成長期なんですものね」
「まあな」
軽口を叩き合いつつ、薬草や野菜、燻製肉など砦用の食料を選ぶ。何気なく棚を眺めて、ロイドはふと澄んだ緑色の瓶に目を奪われた。
「――ああ、それは薬草酒ですよ」
目敏く気付いたリナが教えてくれる。
「でも買わなくっても大丈夫ですよ。私が作った飲み頃の薬草酒がちゃんとありますから、帰ったらご馳走してあげます」
胸を張って宣言するリナに、ロイドが顔を引きつらせた。ぶるっと震え、嫌そうにかぶりを振る。
「遠慮しておく。酒は好きだが、薬草なんざもうこれ以上見たくもない」
「おや、それは偏見だよ。リナの料理がまずいのは認めるけどさ、薬草酒だけは別なんだ。ちょいと癖になる味だよ、あれは」
店主がすかさず口を挟んできた。
正面切って「まずい料理」呼ばわりされても、リナには別段腹を立てる様子はない。「そうそう、薬草酒って美味しいんですよ~」と幸せそうに手を叩く。
それでロイドも少しばかり心が惹かれた。
たとえ料理はまずくとも、酒ならば試してみる価値はあるかもしれない。
まるでロイドの心を読んだかのように、リナがくすりと笑みをこぼした。背伸びして、からかうように長身のロイドの顔を覗き込む。
「じゃあ、今度ふたりで一緒に飲みましょう?」
「うっ……! ま、まあ、その……。あまり気乗りはしないが、このドラゴン騒動が、片付いた後でなら……」
付き合ってやらないこともないがな。
しどろもどろに答えると、リナがぱあっと顔を輝かせた。嬉しげに一回転して、「約束ですよ」と声を弾ませる。
ロイドが言葉を失って立ち尽くしている間に、リナはさっさと踵を返してしまった。棚の向こうから、「わっ、発見しましたよ」とはしゃぐ声が聞こえてくる。
ロイドも慌てて彼女を追いかけた。
毎日毎日厨房に押しかけては料理の極意を盗もうとしていたロイドが、はっとしたように目を見開く。みるみる顔を険しくすると、問答無用でリナの腕を引っ掴んだ。
「ドラゴンの襲撃だっ。ここはこのままにして、お前は今すぐ地下室に避難しろ!」
「え……? は、はい!」
リナは砦の屋上へと走るロイドや兵士達とは逆の方向へと進み、エプロン姿のまま地下室へと急ぐ。
ドラゴンの襲撃自体は、西方砦に来てから何度も経験していた。
ただ、一人で避難するのはこれが初めてだった。これまでは近くにいた兵士がリナを地下室まで送ってくれていたのだ。
「きゃあっ!?」
激しい振動を感じ、リナが悲鳴を上げる。
震える体を抱き締め、覗き窓に向かって背伸びした。
「…………っ!」
真緑色のドラゴンが、信じられないほど近くを通り過ぎる。
食い入るように目で追っていると、ドラゴンはロイド達のいる屋上へと方向転換した。城壁すれすれをすべるようにして高度を上げていく。
「ロイドさん、皆さん……! うわわっ!?」
突如、凄まじい爆発音と共に火花が散った。
リナは咄嗟に耳を塞ぐ。おそらく、屋上の兵士が魔法を放ったのであろう。
ドラゴンはいったんは砦から離れたものの、派手な音と光に怯むことなく再び屋上へと翼をはためかせる。
言葉を失って見入りながらも、リナは内心で首をひねっていた。
(変ですね……。緑色が鮮やかすぎます。それに、成体よりも一回り体が小さいような――)
そこから導き出される答えに、はたと手を打つ。
「そうか……! あのドラゴンさんは、きっと……!」
◇
「リナ! 避難しろと言っただろうがっ!!」
「すみ、ません……。でもっ、緊急、なので!」
屋上へと一直線に駆け上がったリナは、息を弾ませながらも必死で主張する。
大剣を構えたロイドが素早く彼女を背中に庇った。
「ロイド、さんっ。あのドラゴンさんは、おそらく、まだ子供ですっ。だから――!」
「だから何だ!? 子供だから見逃せとでも言うつもりかっ」
ロイドが剣を振るうたび、周辺の空気がビリビリと震える。目に見えない真空の刃がドラゴンに襲いかかった。
「ロイドさんっ、駄目っ!!」
リナが転がるように前に出る。
両手を広げて立ち塞がる彼女を見て、ロイドは驚いたように動きを止めた。
「リナ!?」
「リナさん、危険なことはやめてください! 心配なさらずとも、ドラゴンは人間に倒せるような相手ではありません! せいぜい威嚇して追い払うぐらいが関の山――」
目を血走らせたメルヴィンが叫ぶが、リナはそこから動こうとしなかった。呼吸を整え、しゃにむにかぶり振る。
「そうじゃありませんっ。あのドラゴンさんは子供です、イタズラ好きでやんちゃな子供なんです! だから、だからっ!!」
上空を飛び回るドラゴンを、キッとして睨み据えた。
「構えば構うほどつけあがります! そしてお母さんドラゴンも近くにいるはずです! お母さんを怒らせてしまったら最悪ですよ!!」
◇
結局、それからほどなくしてドラゴンは去っていった。いつものごとく勝利の雄叫びを上げながら、だ。
「……多分、飽きたんだと思います」
食堂のテーブルで、リナが困ったように笑う。
凶悪な形相のロイドが、荒々しくテーブルを叩きつけた。
「それじゃあ何か? 俺らは単に、ガキのお遊びに付き合わされてたってわけかっ」
「まあまあ隊長。……リナさん。どうして貴女は、それほどドラゴンについて詳しいのですか?」
ロイドをなだめつつ、メルヴィンが不思議そうに首を傾げる。リナは瞬きすると、こそこそと声をひそめた。
「……私の出身が、薬草の名産地だってことは以前にお伝えしましたよね?」
「そうだったな」
ぐっと身を乗り出すロイドとメルヴィンに、リナはますます声を落とす。
「実は、ここだけの話。……私の出身は、ドラゴンの名産地でもあるんです」
「…………」
ドラゴンに名産地なんてあるのかよ。
目は口ほどに物を言っている二人にリナは苦笑する。
「正確には、名産地『だった』んですけど。……ドラゴンは数百年に一度、縄張りを変えると言われています。縄張りに選ばれちゃったらもう仕方がないので、ドラゴンと上手くご近所付き合いしていくしかないんですよ」
ドラゴンは知能が高く、人語すら解すると伝えられている。
加えて凶暴な性質でもないので、人間とドラゴン双方が礼儀正しく距離を保ちさえすれば、そうそう争い事には発展しない。
……はずなのだが。
ロイドが思いっきり眉根を寄せる。
「いやいや。充分凶暴だろうが。こっちは何もしていないのに、仕掛けてくるのはいつも向こうからだぞ」
「ですから、子供が遊んで遊んでって強請ってるようなものなんです。私が生まれるより前、うちの村でも同じことがあったらしいんですけど……」
しっぽを振りつつ村を訪れては、じゃれつくように家や畑に被害を与えていく子ドラゴン。必死で抵抗する村人達。
そして、放任主義でのんびりとした母ドラゴン。
人間にちょっかいを出す我が子をあくび交じりで見物しつつ、自身はぬくぬくと日向ぼっこを楽しんでいたという。
「でも、あるとき人間側が威嚇しすぎたそうなんです。子ドラゴンさんの爪の先が、ちょっぴり欠けてしまったんだとか。そうしたら、いつも放置しっぱなしだったお母さんドラゴンさんが――」
うちの子に何するんじゃいワレエェッ!!!
……とでも言いたげに、牙を剥き出して村の自警団に襲いかかってきたとか。
「理不尽ッ!!」
ロイドが頭を抱え込む。
「西方砦では幸い、まだ母ドラゴンの姿を見たことはありませんが……。注意した方が良さそうですね」
呻くメルヴィンに頷き、ロイドはリナに向き直った。
「リナ。子ドラゴンに対抗する術に心当たりはあるか?」
「そうですね……。心当たり、というほどではありませんが……」
リナが考え込むように視線を落とす。
そうして、ある提案をするのだった。
◇
ふた月ほど前に一人で辿った森の道を、今日はロイドと二人で歩く。
生真面目に前を見据えて歩く男を見上げ、リナは鈴を鳴らすように笑った。
「ロイドさんが一緒なら、お目当てのもの以外も色々と仕入れられそうです。手が増えるって素敵なことですね!」
「……あのな、これでも俺は隊長なんだぞ。荷物持ち呼ばわりするんじゃない」
苦虫を噛み潰したような顔で答えながらも、ロイドも内心ではうきうきしていた。
ドラゴン騒動が始まってからこっち、ロイドは西方砦に釘付け状態だった。張り詰めた毎日の中、緊張を解くこともままならず、肉体的にも精神的にも疲労困憊して――……
そこまで考え、ロイドははっとする。
(いや……)
そういえば、ここ最近はそうでもなかった気がする。
前途を悲観して夜も眠れない、なんてことは一切なかった。リナのまずい料理を苦しみつつ腹いっぱい食べ、夜は夢も見ないで眠りこけ、朝の目覚めは爽快だった。
こっそりとリナを盗み見る。
(こいつのお陰か……?)
それに、自分だけではない。
メルヴィンを含めた他の隊員達も、リナが来る前は酷い状態だったのに。食欲など完全に失って、死んだ魚のような目をしていた彼らが、今では食事中でもぎゃあぎゃあ騒ぐほどの元気っぷりだ。
「ロイドさん?」
「……っ。ああいや、何でもない!」
なんとなく気恥ずかしくなって、ロイドはリナから顔を背ける。リナはきょとんと目を丸くしていた。
◇
「――ああ、リナ! 久しぶりだねぇ、ドラゴンは大丈夫だったかい!?」
西方砦から一番近い村に足を踏み入れた途端、年配の女が転がるように駆けてきた。
リナもまた嬉しそうに彼女の手を握る。
「こんにちは、おばさん! 今日は砦の隊長さんと一緒に、食材の買い出しに来たんですよ。……ロイドさん。こちらは、私が砦に来る前に勤めていた職場の店主さんです」
一歩下がって見守っていたロイドは、慌てて「どうも」と笑顔を作った。
彼女も挨拶を返すと、嬉しそうに何度も頷く。
「隊長さん、リナが来てくれて大助かりでしょう? この子の料理は最初こそびっくりしますけど、そりゃあ栄養満点なんだから」
「う……。そ、そう」
ですね、と返そうとしてロイドは思いとどまった。
傍らのリナが、キラッキラと目を輝かせてこちらを見ていたからだ。その瞳は「解雇撤回? 撤回ですよね?」と言っている……ような気がする。
ロイドは一転してしかめっ面になると、きっぱりと首を横に振った。
「そうですかねぇ? ちょっと自分にはわかりかねます。あまりのまずさに意識が奪われてしまうせいかもしれませんなぁ、あっはっはっ」
「…………」
リナが悲しげに表情を曇らせた。
いつも天真爛漫な彼女らしくない、初めて見る表情にロイドの鼓動が跳ねる。泡を食ってリナに手を伸ばした。
「違っ、今のは――」
「困ったものです。ロイドさんってば、ご自分の体調変化にすら気付けないぼんやりさんなんですね……」
隊長さんたるもの、己の健康にもっと目を向けなきゃ駄目ですよ?
しかつめらしく言い聞かされ、ロイドは思わずずっこける。リナはさっさと歩き出すと、笑顔でロイドを振り返った。
「さ、早く行きましょう! おばさんのところは食堂兼商店なんです。目的のものがきっと見つかりますから!」
◇
食堂を素通りし、奥まで進むとそこが商店だった。
リナは買い物カゴを手にすると、勝手知ったる様子で次々と食材を放り込んでいく。ロイドは彼女の手元を覗き込んだ。
「見事に草ばっかりだな。肉も買ってくれ」
「はいはい。ロイドさんはまだまだ食べ盛りの成長期なんですものね」
「まあな」
軽口を叩き合いつつ、薬草や野菜、燻製肉など砦用の食料を選ぶ。何気なく棚を眺めて、ロイドはふと澄んだ緑色の瓶に目を奪われた。
「――ああ、それは薬草酒ですよ」
目敏く気付いたリナが教えてくれる。
「でも買わなくっても大丈夫ですよ。私が作った飲み頃の薬草酒がちゃんとありますから、帰ったらご馳走してあげます」
胸を張って宣言するリナに、ロイドが顔を引きつらせた。ぶるっと震え、嫌そうにかぶりを振る。
「遠慮しておく。酒は好きだが、薬草なんざもうこれ以上見たくもない」
「おや、それは偏見だよ。リナの料理がまずいのは認めるけどさ、薬草酒だけは別なんだ。ちょいと癖になる味だよ、あれは」
店主がすかさず口を挟んできた。
正面切って「まずい料理」呼ばわりされても、リナには別段腹を立てる様子はない。「そうそう、薬草酒って美味しいんですよ~」と幸せそうに手を叩く。
それでロイドも少しばかり心が惹かれた。
たとえ料理はまずくとも、酒ならば試してみる価値はあるかもしれない。
まるでロイドの心を読んだかのように、リナがくすりと笑みをこぼした。背伸びして、からかうように長身のロイドの顔を覗き込む。
「じゃあ、今度ふたりで一緒に飲みましょう?」
「うっ……! ま、まあ、その……。あまり気乗りはしないが、このドラゴン騒動が、片付いた後でなら……」
付き合ってやらないこともないがな。
しどろもどろに答えると、リナがぱあっと顔を輝かせた。嬉しげに一回転して、「約束ですよ」と声を弾ませる。
ロイドが言葉を失って立ち尽くしている間に、リナはさっさと踵を返してしまった。棚の向こうから、「わっ、発見しましたよ」とはしゃぐ声が聞こえてくる。
ロイドも慌てて彼女を追いかけた。
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