86 / 101
83.再会と、そして
しおりを挟む
「ぱぇあ……」
「――疲れたか、シーナ」
「ずっと黙々と練習してたもんねぇ。そろそろ休憩したら?」
「そうだな。夕食前には起こしてやるから、少し寝るといい」
うつらうつらする私を、大きな手が包み込む。
すぐにふわりと体が浮いて、膝の上に載せられた。なだめるように撫でる手が心地よくて、私は素直に目をつぶる。
そのまますうっと眠りに落ちた――……
◇
恐怖と寒さに凍えていた体が、急激にぽかぽかと温まり始める。
一瞬自分がどこにいるかわからなくて、私はぼんやりと周囲を見回した。
(う……。ここ、は……?)
傍らに倒れている痩せ細った子ども、燃えるような赤髪が目に飛び込んでくる。その瞬間、ぱっと意識が覚醒した。そうだ、彼は……!
過去に戻れたのだ、とやっと気がつき、私は慌てて彼にすがりついた。
暗い牢屋にいる時にはわからなかった、目が覚めるように鮮やかな赤い髪。牢屋生活のせいかぱさぱさに傷んだその髪を、必死になって撫で続ける。
(お願い、目を覚まして……!)
あんなに寒かったはずなのに、光に満ちた礼拝堂はぐんぐん暖かくなっていく。
遥か高い天井からこぼれ落ちる、きらきらした光の粒。私たちを護るように周囲を舞い飛んだ。
やがて光は一点に収束し、ひときわ明るい輝きを放つ。
――ルー……おいで……
鈴を鳴らすような美しい声が響き、光から溶け出すようにして長身の女性が現れる。
(……ルーナさんっ!)
安堵と歓喜が胸にあふれ、私は彼女に向かって駆け出した。
今と全く変わらない姿、輝くばかりの黄金の髪。真っ白でなめらかな絹のドレス。
いつも通りの柔和な笑みを浮かべた彼女は、私を見て嬉しげに目を輝かせた。すぐさまほっそりした手を差し伸べられるが、私は首を振って背後の少年を指し示す。
『ぱぇ、ぱぇあっ。ぱうぅ~!』
(お願い、どうか今すぐあの子を助けてください!)
必死になって訴える私に、ルーナさんはきょとんと瞬きした。うつ伏せになった少年と私を不思議そうに見比べる。
ややあって、彼女はおっとりと首を傾げた。
『……助ける? その死にかけている子どもを、このわたくしが? 駄目よ、それはできないわ。人間の一生など、取るに足らないほど短く、そして儚きものなのよ。神たるわたくしが干渉する価値などないわ』
さあ、帰りましょう。
あやすように告げられて、私は泣きそうになりながら何度もかぶりを振る。だめ、だめだよ。私はあの子を、絶対に死なせたくないの!
『ぱぅっ、ぽぇあぁ~!』
(助けてもらったの! 私、あともう少しでヴァレリー王に殺されるところだった!)
楽しげだったルーナさんの顔が凍りつく。
黙って少年を見下ろし、みるみる表情を険しくした。
『……なんてこと。人間の分際で、わたくしの大事な眷属に手を出した、ですって? 思い上がりも甚だしいわ』
ぞっとするほど冷たい声で吐き捨てると、ルーナさんはふわりと宙を飛んだ。まるで見えない羽でも生えているかのように、音もなく少年の側に着地する。
ルーナさんが無言で手をかざした瞬間、『う……』と少年が低くうめいた。固く閉じていた目が開く。
『け、けだ、ま……?』
『! ぱう! ぽえ、ぽぇあ~!』
(ここ! 私はここだよっ)
駆け寄る私を見て、少年は嬉しげに微笑んだ。はっとするほど濃い、緋色の瞳。ヴィクターと全く同じ色に、どきりと心臓が跳ねる。
少年は私に向かって手を伸ばしかけ、ルーナさんに気がつき息を呑んだ。
ルーナさんがすうっと目を細める。
『――人の子よ、我こそは月の女神ルーナ。我が眷属たる聖獣ルーを救ってくれたこと、まずは礼を言おう』
平坦な声で、無表情に言い放つ。
いつもの彼女とは全く違う、ピリピリした雰囲気に圧倒されて動けなくなってしまう。
少年は食い入るようにルーナさんを見上げると、よろめきながら体を起こす。大きく息をつき、ひざまずいて礼を取った。
『……月の女神、ルーナ様。俺たち森の民……は、一切の信仰を捨てたが、神を敬う心を持たぬわけではない……。俺は、この毛玉に救われた。主たる、あなたに……、心から、お礼を申し上げる』
ぜいぜいと息を弾ませながらも、深く頭を垂れる。
ルーナさんは目を丸くすると、『あらぁ?』とのんびり呟いた。
『おかしいわね。聖獣ルーは、あなたが命の恩人だと言っていたけれど?』
『それは、違う……。そもそも、毛玉がヴァレリーに殺されそうになったのは、全て俺のせいなのだから……っ』
胸を押さえ、苦しげに訴える。
ルーナさんは初めて興味を惹かれたように、まじまじと少年を見つめた。無言で私を手招きして呼び寄せると、もふっと額と額をくっつける。
『あら、まあ……。ふぅん……? なるほど、そういうことだったのね』
やがて、納得したように深く頷いた。
私を離して肩へと移動させ、ドレスを払って立ち上がる。
『謙遜することなんてないわ。この子の記憶を読んだけれど、あなたは確かに聖獣ルーを救ってくれた。……感謝のしるしとして、死にゆくあなたの願いをひとつだけ、神たるこのわたくしが叶えてあげましょう』
(え……っ?)
愕然とルーナさんを見上げると、ルーナさんは静かに首を横に振った。
『駄目なの。助けることは叶わないわ。この子の命の灯火は、もう消えかけている。いかに神であろうと、定められた寿命を変えることなどできないのよ』
「――疲れたか、シーナ」
「ずっと黙々と練習してたもんねぇ。そろそろ休憩したら?」
「そうだな。夕食前には起こしてやるから、少し寝るといい」
うつらうつらする私を、大きな手が包み込む。
すぐにふわりと体が浮いて、膝の上に載せられた。なだめるように撫でる手が心地よくて、私は素直に目をつぶる。
そのまますうっと眠りに落ちた――……
◇
恐怖と寒さに凍えていた体が、急激にぽかぽかと温まり始める。
一瞬自分がどこにいるかわからなくて、私はぼんやりと周囲を見回した。
(う……。ここ、は……?)
傍らに倒れている痩せ細った子ども、燃えるような赤髪が目に飛び込んでくる。その瞬間、ぱっと意識が覚醒した。そうだ、彼は……!
過去に戻れたのだ、とやっと気がつき、私は慌てて彼にすがりついた。
暗い牢屋にいる時にはわからなかった、目が覚めるように鮮やかな赤い髪。牢屋生活のせいかぱさぱさに傷んだその髪を、必死になって撫で続ける。
(お願い、目を覚まして……!)
あんなに寒かったはずなのに、光に満ちた礼拝堂はぐんぐん暖かくなっていく。
遥か高い天井からこぼれ落ちる、きらきらした光の粒。私たちを護るように周囲を舞い飛んだ。
やがて光は一点に収束し、ひときわ明るい輝きを放つ。
――ルー……おいで……
鈴を鳴らすような美しい声が響き、光から溶け出すようにして長身の女性が現れる。
(……ルーナさんっ!)
安堵と歓喜が胸にあふれ、私は彼女に向かって駆け出した。
今と全く変わらない姿、輝くばかりの黄金の髪。真っ白でなめらかな絹のドレス。
いつも通りの柔和な笑みを浮かべた彼女は、私を見て嬉しげに目を輝かせた。すぐさまほっそりした手を差し伸べられるが、私は首を振って背後の少年を指し示す。
『ぱぇ、ぱぇあっ。ぱうぅ~!』
(お願い、どうか今すぐあの子を助けてください!)
必死になって訴える私に、ルーナさんはきょとんと瞬きした。うつ伏せになった少年と私を不思議そうに見比べる。
ややあって、彼女はおっとりと首を傾げた。
『……助ける? その死にかけている子どもを、このわたくしが? 駄目よ、それはできないわ。人間の一生など、取るに足らないほど短く、そして儚きものなのよ。神たるわたくしが干渉する価値などないわ』
さあ、帰りましょう。
あやすように告げられて、私は泣きそうになりながら何度もかぶりを振る。だめ、だめだよ。私はあの子を、絶対に死なせたくないの!
『ぱぅっ、ぽぇあぁ~!』
(助けてもらったの! 私、あともう少しでヴァレリー王に殺されるところだった!)
楽しげだったルーナさんの顔が凍りつく。
黙って少年を見下ろし、みるみる表情を険しくした。
『……なんてこと。人間の分際で、わたくしの大事な眷属に手を出した、ですって? 思い上がりも甚だしいわ』
ぞっとするほど冷たい声で吐き捨てると、ルーナさんはふわりと宙を飛んだ。まるで見えない羽でも生えているかのように、音もなく少年の側に着地する。
ルーナさんが無言で手をかざした瞬間、『う……』と少年が低くうめいた。固く閉じていた目が開く。
『け、けだ、ま……?』
『! ぱう! ぽえ、ぽぇあ~!』
(ここ! 私はここだよっ)
駆け寄る私を見て、少年は嬉しげに微笑んだ。はっとするほど濃い、緋色の瞳。ヴィクターと全く同じ色に、どきりと心臓が跳ねる。
少年は私に向かって手を伸ばしかけ、ルーナさんに気がつき息を呑んだ。
ルーナさんがすうっと目を細める。
『――人の子よ、我こそは月の女神ルーナ。我が眷属たる聖獣ルーを救ってくれたこと、まずは礼を言おう』
平坦な声で、無表情に言い放つ。
いつもの彼女とは全く違う、ピリピリした雰囲気に圧倒されて動けなくなってしまう。
少年は食い入るようにルーナさんを見上げると、よろめきながら体を起こす。大きく息をつき、ひざまずいて礼を取った。
『……月の女神、ルーナ様。俺たち森の民……は、一切の信仰を捨てたが、神を敬う心を持たぬわけではない……。俺は、この毛玉に救われた。主たる、あなたに……、心から、お礼を申し上げる』
ぜいぜいと息を弾ませながらも、深く頭を垂れる。
ルーナさんは目を丸くすると、『あらぁ?』とのんびり呟いた。
『おかしいわね。聖獣ルーは、あなたが命の恩人だと言っていたけれど?』
『それは、違う……。そもそも、毛玉がヴァレリーに殺されそうになったのは、全て俺のせいなのだから……っ』
胸を押さえ、苦しげに訴える。
ルーナさんは初めて興味を惹かれたように、まじまじと少年を見つめた。無言で私を手招きして呼び寄せると、もふっと額と額をくっつける。
『あら、まあ……。ふぅん……? なるほど、そういうことだったのね』
やがて、納得したように深く頷いた。
私を離して肩へと移動させ、ドレスを払って立ち上がる。
『謙遜することなんてないわ。この子の記憶を読んだけれど、あなたは確かに聖獣ルーを救ってくれた。……感謝のしるしとして、死にゆくあなたの願いをひとつだけ、神たるこのわたくしが叶えてあげましょう』
(え……っ?)
愕然とルーナさんを見上げると、ルーナさんは静かに首を横に振った。
『駄目なの。助けることは叶わないわ。この子の命の灯火は、もう消えかけている。いかに神であろうと、定められた寿命を変えることなどできないのよ』
21
お気に入りに追加
663
あなたにおすすめの小説
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
転生幼女具現化スキルでハードな異世界生活
高梨
ファンタジー
ストレス社会、労働社会、希薄な社会、それに揉まれ石化した心で唯一の親友を守って私は死んだ……のだけれども、死後に閻魔に下されたのは願ってもない異世界転生の判決だった。
黒髪ロングのアメジストの眼をもつ美少女転生して、
接客業後遺症の無表情と接客業の武器営業スマイルと、勝手に進んで行く周りにゲンナリしながら彼女は異世界でくらします。考えてるのに最終的にめんどくさくなって突拍子もないことをしでかして周りに振り回されると同じくらい周りを振り回します。
中性パッツン氷帝と黒の『ナンでも?』できる少女の恋愛ファンタジー。平穏は遙か彼方の代物……この物語をどうぞ見届けてくださいませ。
無表情中性おかっぱ王子?、純粋培養王女、オカマ、下働き大好き系国王、考え過ぎて首を落としたまま過ごす医者、女装メイド男の娘。
猫耳獣人なんでもござれ……。
ほの暗い恋愛ありファンタジーの始まります。
R15タグのように15に収まる範囲の描写がありますご注意ください。
そして『ほの暗いです』
異世界に来たようですが何も分かりません ~【買い物履歴】スキルでぼちぼち生活しています~
ぱつきんすきー
ファンタジー
突然「神」により異世界転移させられたワタシ
以前の記憶と知識をなくし、右も左も分からないワタシ
唯一の武器【買い物履歴】スキルを利用して異世界でぼちぼち生活
かつてオッサンだった少女による、異世界生活のおはなし
【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
転生幼女の怠惰なため息
(◉ɷ◉ )〈ぬこ〉
ファンタジー
ひとり残業中のアラフォー、清水 紗代(しみず さよ)。異世界の神のゴタゴタに巻き込まれ、アッという間に死亡…( ºωº )チーン…
紗世を幼い頃から見守ってきた座敷わらしズがガチギレ⁉💢
座敷わらしズが異世界の神を脅し…ε=o(´ロ`||)ゴホゴホッ説得して異世界での幼女生活スタートっ!!
もう何番煎じかわからない異世界幼女転生のご都合主義なお話です。
全くの初心者となりますので、よろしくお願いします。
作者は極度のとうふメンタルとなっております…
異世界のんびり料理屋経営
芽狐@書籍発売中
ファンタジー
主人公は日本で料理屋を経営している35歳の新垣拓哉(あらかき たくや)。
ある日、体が思うように動かず今にも倒れそうになり、病院で検査した結果末期癌と診断される。
それなら最後の最後まで料理をお客様に提供しようと厨房に立つ。しかし体は限界を迎え死が訪れる・・・
次の瞬間目の前には神様がおり「異世界に赴いてこちらの住人に地球の料理を食べさせてほしいのじゃよ」と言われる。
人間・エルフ・ドワーフ・竜人・獣人・妖精・精霊などなどあらゆる種族が訪れ食でみんなが幸せな顔になる物語です。
「面白ければ、お気に入り登録お願いします」
外れスキルをもらって異世界トリップしたら、チートなイケメンたちに溺愛された件
九重
恋愛
(お知らせ)
現在アルファポリス様より書籍化のお話が進んでおります。
このため5月28日(木)に、このお話を非公開としました。
これも応援してくださった皆さまのおかげです。
ありがとうございます!
これからも頑張ります!!
(内容紹介)
神さまのミスで異世界トリップすることになった優愛は、異世界で力の弱った聖霊たちの話し相手になってほしいとお願いされる。
その際、聖霊と話すためのスキル【聖霊の加護】をもらったのだが、なんとこのスキルは、みんなにバカにされる”外れスキル”だった。
聖霊の言葉はわかっても、人の言葉はわからず、しかも”外れスキル”をもらって、前途多難な異世界生活のスタートかと思いきや――――優愛を待っていたのは、名だたる騎士たちや王子からの溺愛だった!?
これは、”外れスキル”も何のその! 可愛い聖霊とイケメンたちに囲まれて幸せを掴む優愛のお話。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる