上 下
81 / 101

78.ただ、祈る

しおりを挟む
『……め、ろ……っ』

 ざり、と石床を爪で引っ掻く音がする。
 ヴァレリー王が動きを止め、鉄格子の中の少年を振り返る。けれどすぐ、興味を失ったように私に向き直った。

 短剣の当たった私の首筋から、真っ白な毛がパラパラと落ちていく。ヴァレリー王は無表情に私を見据えると、指先にぐいと力を込めた。

『――やめろぉぉぉぉぉっ!!』


 ドォォォォォンッ!!


 突如、眩しいほどの光が辺りに満ちる。
 光と共に、耳をつんざくような轟音もとどろいた。

『なん……っ!?』

 土煙にヴァレリー王が咳き込んで、動揺して周囲を見回した。息がかかりそうなほどすぐ側に、痩せ細った少年が幽鬼のように立っている。

『ひっ……!』

『そいつを、放せ。ヴァレリー……』

 背後の鉄格子はめちゃめちゃに壊れていた。
 ヴァレリー王はあわあわと声にならない声を漏らし、尻もちをついたまま惨めに逃げようとする。が、少年はそれを許さなかった。

 無造作に少年が手を払った瞬間、目に見えない刃が放たれる。
 刃はあやまたず王の手にある短剣を打ち、短剣が遠くへ弾け飛んだ。王がまたも悲鳴を上げる。

『そいつを、返せ……。それとも、己の手を、失いたいか……?』

『わ、わかっ……わかっ、た……!』

 ガクガク震えながら、ヴァレリー王が両手で私を差し出した。
 少年はひったくるように受け取って、泣き出しそうな顔で私を覗き込む。

『怪我は……、ぐっ!』

 胸を押さえ、床に崩れ落ちる。
 げほげほと激しい咳が響き、ヴァレリー王が我に返ったように立ち上がった。苦しむ少年を化け物を見るような目で睨み、そろりそろりと後ずさりする。

『や、やはりお前も魔獣であったか。恐ろしい、すぐに討手を差し向けねばっ』

『そうは、させない……っ』

 逃げ出した王の背中に向かって、上半身を折ったまま少年が手をかざした。突風が巻き起こり、王の体が壁に叩きつけられる。

 悲鳴も上げず、ヴァレリー王がずるずると床に倒れ伏した。

『……大丈夫だ、死んではいない。ほんの少し、ほんの少しだけ時間が稼げれば構わないんだ……。お前さえ外に逃がせれば、俺は……っ』

 ヴァレリー王の呼吸を確認し、少年は彼のベルトから鍵束を抜き取った。苦しげに私を抱き締めるので、私はぱえぱえ鳴いて少年にすがりつく。

(だめ。だめだよ。私だけじゃなくて、あなたも一緒に逃げるんだよ……!)

 まるで心が通じたかのように、少年がふっと表情をゆるめた。私の顎をくすぐり、静かに首を横に振る。

『俺にはもう、帰る場所なんてない。初めて魔法が使えた……、だけど、もう遅すぎた。もう母は、一族は、みんな死んでしまったのだからっ』

 涙が後から後から頬をつたう。
 涙と一緒に、血を吐くような咳が彼を襲う。床を殴りつけ、少年は慟哭した。

 気絶しているヴァレリー王が、かすかにうめいた。少年ははっとして、涙を拭いてよろめきながら立ち上がる。

『急が、なくては……。地下牢から出よう、毛玉。お前は、生きてくれ』

『ぱ、う……っ』

(王は……!)

 ヴァレリー王は、どうするの。

 王を振り向く私に、少年は泣き笑いの顔を向けた。

『仇討ちをしたところで、母たちは戻ってこない。それに、こいつを殺せば、こいつが正しかったと認めることになる。俺は、血に飢えた魔獣なんかじゃない……』

 人間なんだ。

 そうぽつりとこぼし、少年は私を抱いて走り出す。ぐねぐねした階段を登り、光の漏れる出口に奪った鍵を差し込んだ。

『ヴァレリー陛――……ぎゃあぁっ!?』

 兵士らしき男たちを、さっきと同じ突風で攻撃する。
 ぜいぜいと息を乱しながらも、少年は懸命に走り続けた。まるで迷路のように複雑な廊下を、当てずっぽうに突き進んでいく。

(あ……っ?)

『ぱ、ぱえっ!』

『毛玉……? どう、した……?』

 不意に、私は大声を上げて廊下の一点を指差した。
 足を止めた少年が、不審げに私を覗き込む。彼の胸の中、私は必死で短い手を振って廊下を示した。

(あっち! あっちだよ! わかるの、だって光が呼んでるから!)

 廊下にぽつぽつと落ちる、まるで足跡のような黄金の輝き。あれはルーナさんの光だ。間違いない。

『ぱえっ!』

 少年を叩いて降ろしてもらい、光の軌跡を辿っていく。何度も振り向きながら手招きすれば、彼もよろめきつつ付いてきてくれた。

 やがてたどり着いたのは、廊下の突き当たりの部屋。細かな装飾の施された、重厚な扉に閉ざされている。
 体当するように扉を押して、私たちは中へとすべり込んだ。

(ここは……?)

 天井の高い広い空間には、長椅子が等間隔に並んでいる。奥にしつらえられているのは祭壇で、たくさんの蝋燭に火が灯されていた。

(そっか。ここって……)

 ――礼拝堂だ。

 月の聖堂と似たような造りで、ルーナさんをかたどったらしき女神像もある。荘厳な雰囲気に安堵の息を吐いた瞬間、少年が胸を押さえて崩れ落ちた。

『ぱ、ぱぇっ?』

『ああ、すまない……。だが、おれは、もう……』

(……嫌だ……!)

 ぞわりと総毛立ち、私は鳴きながら彼にすがりつく。嫌だ、嫌だ。お願いだから死なないで……!

(助けて、助けてよルーナさんっ! お願い、私にできることなら何だってするから!!)

 女神像に向かって強く祈りを捧げた、その瞬間。


 ――天井からこぼれ落ちるように、きらきらと温かな光が舞い降りた。


 ◇


 慌ただしく扉を叩く音。
 そして早口にささやき合う声。

 周囲の喧騒を感じ、私はぼんやりと目を開けた。……あれ? ここは、現実?

 そう認識した途端、跳ねるように起き上がった。

(――あの子は、どうなったの!?)

 胸が締めつけられたみたいに苦しくなる。
 けれどすぐにルーナさんの光を思い出し、次第に呼吸が落ち着いてきた。
 大丈夫、きっと大丈夫だ。あれは間違いなくルーナさんだった。私にはわかる。
 あの子も迷子のシーナちゃんも、絶対にルーナさんが助けてくれるに違いない――……

 必死で己に言い聞かせれば、ようやく周囲を見回す余裕が出てきた。
 ヴィクターのベッドの中、隣で寝ていたはずの彼の姿が見当たらない。

「ぱぇぱぁ?」

「……っ。シーナ!」

 ヴィクターが弾かれたように私を振り向いた。
 扉の側に立っていて、ロッテンマイヤーさんと言葉を交わしている。
 ヴィクターは急いでベッドへ取って返すと、ひざまずいて私に目線を合わせた。

「たった今、出動要請が入った。俺はすぐに魔獣の討伐に向かう。お前は屋敷で――……いや」

 ためらいがちに言葉を切って、ゆるゆるとかぶりを振る。

「……屋敷も安全とは言い切れん。お前も連れて行く。決して俺の側を離れるな、シーナ」

「ぱぇ……?」

 お屋敷が安全と言えない……?
 一体、どういうこと?

 目を丸くする私を見て、ヴィクターは苦渋の表情を浮かべた。そっと私を抱き上げ、低く声を落とす。

「落ち着いて聞け。王都が魔獣に襲われている」

「……っ!?」

「――神官共の結界を破り、魔獣が内部まで侵入したんだ」
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

召喚されたら聖女が二人!? 私はお呼びじゃないようなので好きに生きます

かずきりり
ファンタジー
旧題:召喚された二人の聖女~私はお呼びじゃないようなので好きに生きます~ 【第14回ファンタジー小説大賞エントリー】 奨励賞受賞 ●聖女編● いきなり召喚された上に、ババァ発言。 挙句、偽聖女だと。 確かに女子高生の方が聖女らしいでしょう、そうでしょう。 だったら好きに生きさせてもらいます。 脱社畜! ハッピースローライフ! ご都合主義万歳! ノリで生きて何が悪い! ●勇者編● え?勇者? うん?勇者? そもそも召喚って何か知ってますか? またやらかしたのかバカ王子ー! ●魔界編● いきおくれって分かってるわー! それよりも、クロを探しに魔界へ! 魔界という場所は……とてつもなかった そしてクロはクロだった。 魔界でも見事になしてみせようスローライフ! 邪魔するなら排除します! -------------- 恋愛はスローペース 物事を組み立てる、という訓練のため三部作長編を予定しております。

転生幼女の怠惰なため息

(◉ɷ◉ )〈ぬこ〉
ファンタジー
ひとり残業中のアラフォー、清水 紗代(しみず さよ)。異世界の神のゴタゴタに巻き込まれ、アッという間に死亡…( ºωº )チーン… 紗世を幼い頃から見守ってきた座敷わらしズがガチギレ⁉💢 座敷わらしズが異世界の神を脅し…ε=o(´ロ`||)ゴホゴホッ説得して異世界での幼女生活スタートっ!! もう何番煎じかわからない異世界幼女転生のご都合主義なお話です。 全くの初心者となりますので、よろしくお願いします。 作者は極度のとうふメンタルとなっております…

「無加護」で孤児な私は追い出されたのでのんびりスローライフ生活!…のはずが精霊王に甘く溺愛されてます!?

白井
恋愛
誰もが精霊の加護を受ける国で、リリアは何の精霊の加護も持たない『無加護』として生まれる。 「魂の罪人め、呪われた悪魔め!」 精霊に嫌われ、人に石を投げられ泥まみれ孤児院ではこき使われてきた。 それでも生きるしかないリリアは決心する。 誰にも迷惑をかけないように、森でスローライフをしよう! それなのに―…… 「麗しき私の乙女よ」 すっごい美形…。えっ精霊王!? どうして無加護の私が精霊王に溺愛されてるの!? 森で出会った精霊王に愛され、リリアの運命は変わっていく。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

転生したら、実家が養鶏場から養コカトリス場にかわり、知らない牧場経営型乙女ゲームがはじまりました

空飛ぶひよこ
恋愛
実家の養鶏場を手伝いながら育ち、後継ぎになることを夢見ていていた梨花。 結局、できちゃった婚を果たした元ヤンの兄(改心済)が後を継ぐことになり、進路に迷っていた矢先、運悪く事故死してしまう。 転生した先は、ゲームのようなファンタジーな世界。 しかし、実家は養鶏場ならぬ、養コカトリス場だった……! 「やった! 今度こそ跡継ぎ……え? 姉さんが婿を取って、跡を継ぐ?」 農家の後継不足が心配される昨今。何故私の周りばかり、後継に恵まれているのか……。 「勤労意欲溢れる素敵なお嬢さん。そんな貴女に御朗報です。新規国営牧場のオーナーになってみませんか? ーー条件は、ただ一つ。牧場でドラゴンの卵も一緒に育てることです」 ーーそして謎の牧場経営型乙女ゲームが始まった。(解せない)

面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜

波間柏
恋愛
 仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。 短編ではありませんが短めです。 別視点あり

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

処理中です...