上 下
44 / 101

42.落ち込まないで

しおりを挟む
「お帰りなさいませ、シーナ・ルー様! 今宵もまた美しい月が出ておりますよ! 首を長くしてお帰りをお待ちしておりましたっ」

 日がとっぷりと暮れてから。

 屋敷に戻った私とヴィクター、馬車に同乗してきたカイルさんを出迎えたのは、テンション高めなキースさん。夜も遅いってのに元気だなぁ……。
 今日は聖堂に寄って遅刻をした分、仕事が押してこの時間になってしまった。

 騎士服の襟元をゆるめながら、ヴィクターは不快げに眉根を寄せる。

「……人の家に日参するのも大概にしろ」

 書類の山に埋もれて苦しんで、まだ不機嫌を引きずっているらしい。が、キースさんは気にしたふうもなく、にこにこと私たちを玄関に招き入れた。

「シーナ・ルー様からの聞き取りが、まだまだ全くもって進んでおりませんからね。月が見える限り、そしてシーナ・ルー様の体調が許す限り、わたしは毎日だって人間シーナ・ルー様と腹を割って話し合い、親交を深めさせていただくつもりですよ! そうヴィクター殿下、あなたに代わって!」

「…………」

 ヴィクターから一切の表情が抜け落ちる。
 ゲッとうなったカイルさんが、慌てた様子で二人の間に割り込んだ。

「ちょっ、キース! 最後の一言がめちゃくちゃ余計だよ。ヴィクターから禍々しい負のオーラが――……ってあああ、シーナちゃんっ!?」

 私はふらりと傾いて、危うくヴィクターの肩から落ちそうになっていた。
 カイルさんが手を伸ばすより早く、ヴィクターがさっと私を支えてくれる。……お、おおう。今一瞬、魂が抜けかけてたわ。

「ぱぇぱぁ、ぱうぅ~っ」

(ヴィクター、怖いよっ)

 半泣きでヴィクターをぽふぽふ殴る。
 こうして即座に文句を言える程度には、恐怖耐性の低いシーナちゃんだって彼に慣れてきたのだ。そうそう死にかけてばかりいられないもんね。

 ヴィクターはそうっと私を抱き上げると、小さくため息をついた。

「……悪かった。気をつける」

「ぱえっ」

 うん、お願いします!

 ほっとヴィクターの手を座り込み、しっぽで軽やかに彼をひと撫でする。ヴィクターなりに努力してくれてるのは、私にだってちゃんと伝わってるから。

 ヴィクターの瞳がやわらいだ。
 一部始終を見ていたカイルさんとキースさんが、引きつった顔を見合わせる。

「い、今の聞いた? キース」

「え、ええ。もちろんですとも、カイル」

 ――あのヴィクターが、「悪かった」って謝ったよ今っ!!

 声を殺しながらも、大興奮でささやき合う。途端にヴィクターの額にビキリと青筋が立った。

「カイル、キースっ! 貴様ら俺を何だと思っている!?」

「ぱ、ぱうぅっ?」

 こらぁヴィクター!
 たった今! 気をつけるって言ったばっかでしょうがっ!? 有言実行しなさいよっ!

 ……なんて、文句を言う間もなく。

「シーナちゃん!?」
「シーナ・ルー様っ」
「……っ。シーナ!」

 男たちの慌てふためく声を子守唄に、今度こそ私はへろへろと気絶するのであった。む、無念……。夜ごはん、食べたかったぁ……。


 ◇


(……ん……?)

 ふわり、と甘い香りを嗅いだ気がして、鼻が勝手にぴすぴす鳴り出した。
 ゆっくりと目を開ければ、ほんの鼻先にねじれた形の焼き菓子があった。こんがり狐色の表面には、粗めの砂糖がたっぷり振りかけられている。

「ぱぅっ!」

 勢いよく体を起こした瞬間、周囲から温かな笑い声が上がった。
 カイルさんがおかしそうに私を覗き込んでいて、口元にお菓子をあてがってくれる。条件反射で一口かじった。

「ぽあぁ……」

(やわらかーい)

 しっぽを振り振り、頬を押さえて身悶える。まだほんわり温い、優しい甘さのドーナツだ。

(美味しいぃ。夜の甘いものって格別だよね)

「どうぞ、シーナ・ルー様。ホットミルクもお召し上がりくださいませ」

「ぱえ~」

 今度はキースさんからマグカップの縁を当てられる。ホットミルクはほどよく人肌程度に冷めていて、私は喉を鳴らして一気に飲み干した。

 死にかけて疲れてしまった体に染みわたる。さしずめ回復薬ってところかな。

 すっかり元気を取り戻し、ねじれドーナツを受け取って周囲を見回した。そこは見慣れたヴィクターの部屋で、にも関わらず家主の姿が見当たらない。

「ぱぇぱぁ?」

「あ、シーナちゃん。ヴィクターならそこだよ、そこ」

 カイルさんが苦笑して振り返る。
 彼の視線をたどれば、ソファに無言で腰掛けるヴィクターの姿があった。いやいたのっ!?

(な、なんか暗すぎません……?)

 ずぅぅぅん、という擬音が背後に付きそうなほど、彼の近辺だけやけによどんでいる。虚空を睨みつける顔はいつも通り怖いんだけども、落ち込んでいるのは明らかだった。

 すがるようにカイルさんを見上げると、カイルさんは笑いながら私を抱き上げた。
 ソファに歩み寄り、ヴィクターの膝にそっと私を載せて後ろに下がる。

 ヴィクターが暗い眼差しをこちらに向けた。
 私はごくんと唾を飲み、上目遣いに彼を見上げる。

「ぱぇぱぁ? ぽぇ、ぽぇあ~?」

(ヴィクター? さっきのこと、気にしてるの?)

 もぐもぐ、もぐもぐ。

「ぱぅ、ぽえぇ~」

(大丈夫だよ、なにせ私は死にかけのプロなんだから)

 もぐもぐ、もぐもぐ。

「ぱぇあ、ぽえぽえ~!」

(ほら、元気出していこ!)

 もぐもぐ、もぐ

「いや食べながら片手間で慰めるな!!」

 頭上から一喝された。
 途端にカイルさんとキースさんが爆笑する。

 私はヴィクターの膝に座り込み、小さくなったねじれドーナツをゆうゆうと平らげた。怒った振りをしてるけど、本当は照れ隠しに怒鳴ってるだけ。ちゃんとわかってますからね?

「ぽえっ!」

(ご馳走さま!)

 てっ、と両手を上げると、ヴィクターは無言で私の手を拭いてくれる。口元まで荒っぽくぬぐってから、探るように私を見た。

「……どうする、シーナ。今夜は人間に戻るのはやめておくか」

「ぱぅえ~」

 ううん、と私はきっぱりと首を横に振る。
 戻るよ、戻りますとも。多少の無理なんかいとわない。
 最大限に努力して、一日も早くこの呪いを解いてみせるって決めたんだから。

(そして……)

 ちらっとヴィクターを見上げ、大急ぎでうつむいた。

 ヴィクターと、ちゃんと話したい。
 手を繋ぎたい、とかは……。ちょっと、よく、自分でもわかんないんですけどね?

 もじもじとしっぽをいじくる私を、ヴィクターはいたわるように撫でてくれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

異世界に来たようですが何も分かりません ~【買い物履歴】スキルでぼちぼち生活しています~

ぱつきんすきー
ファンタジー
突然「神」により異世界転移させられたワタシ 以前の記憶と知識をなくし、右も左も分からないワタシ 唯一の武器【買い物履歴】スキルを利用して異世界でぼちぼち生活 かつてオッサンだった少女による、異世界生活のおはなし

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

【完結】ヒトリぼっちの陰キャなEランク冒険者

コル
ファンタジー
 人間、亜人、獣人、魔物といった様々な種族が生きる大陸『リトーレス』。  中央付近には、この大地を統べる国王デイヴィッド・ルノシラ六世が住む大きくて立派な城がたたずんでいる『ルノシラ王国』があり、王国は城を中心に城下町が広がっている。  その城下町の一角には冒険者ギルドの建物が建っていた。  ある者は名をあげようと、ある者は人助けの為、ある者は宝を求め……様々な想いを胸に冒険者達が日々ギルドを行き交っている。  そんなギルドの建物の一番奥、日が全くあたらず明かりは吊るされた蝋燭の火のみでかなり薄暗く人が寄りつかない席に、笑みを浮かべながらナイフを磨いている1人の女冒険者の姿があった。  彼女の名前はヒトリ、ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者。  ヒトリは目立たず、静かに、ひっそりとした暮らしを望んでいるが、その意思とは裏腹に時折ギルドの受付嬢ツバメが上位ランクの依頼の話を持ってくる。意志の弱いヒトリは毎回押し切られ依頼を承諾する羽目になる……。  ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者の彼女の秘密とは――。       ※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さん、「ノベリズム」さん、「ネオページ」さんとのマルチ投稿です。

異世界でイケメンを引き上げた!〜突然現れた扉の先には異世界(船)が! 船には私一人だけ、そして海のど真ん中! 果たして生き延びられるのか!

楠ノ木雫
恋愛
 突然異世界の船を手に入れてしまった平凡な会社員奈央。私に残されているのは自分の家とこの規格外な船のみ。  ガス水道電気完備、大きな大浴場に色々と便利な魔道具、甲板にあったよく分からない畑、そして何より優秀過ぎる船のスキル!  これなら何とかなるんじゃないか、と思っていた矢先に吊り上げてしまった……私の好みドンピシャなイケメン!!  何とも恐ろしい異世界ライフ(船)が今始まる!

転生幼女具現化スキルでハードな異世界生活

高梨
ファンタジー
ストレス社会、労働社会、希薄な社会、それに揉まれ石化した心で唯一の親友を守って私は死んだ……のだけれども、死後に閻魔に下されたのは願ってもない異世界転生の判決だった。 黒髪ロングのアメジストの眼をもつ美少女転生して、 接客業後遺症の無表情と接客業の武器営業スマイルと、勝手に進んで行く周りにゲンナリしながら彼女は異世界でくらします。考えてるのに最終的にめんどくさくなって突拍子もないことをしでかして周りに振り回されると同じくらい周りを振り回します。  中性パッツン氷帝と黒の『ナンでも?』できる少女の恋愛ファンタジー。平穏は遙か彼方の代物……この物語をどうぞ見届けてくださいませ。  無表情中性おかっぱ王子?、純粋培養王女、オカマ、下働き大好き系国王、考え過ぎて首を落としたまま過ごす医者、女装メイド男の娘。 猫耳獣人なんでもござれ……。  ほの暗い恋愛ありファンタジーの始まります。 R15タグのように15に収まる範囲の描写がありますご注意ください。 そして『ほの暗いです』

異世界のんびり料理屋経営

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
主人公は日本で料理屋を経営している35歳の新垣拓哉(あらかき たくや)。 ある日、体が思うように動かず今にも倒れそうになり、病院で検査した結果末期癌と診断される。 それなら最後の最後まで料理をお客様に提供しようと厨房に立つ。しかし体は限界を迎え死が訪れる・・・ 次の瞬間目の前には神様がおり「異世界に赴いてこちらの住人に地球の料理を食べさせてほしいのじゃよ」と言われる。 人間・エルフ・ドワーフ・竜人・獣人・妖精・精霊などなどあらゆる種族が訪れ食でみんなが幸せな顔になる物語です。 「面白ければ、お気に入り登録お願いします」

可愛いけど最強? 異世界でもふもふ友達と大冒険!

ありぽん
ファンタジー
[お知らせ] 書籍化決定!! 皆様、応援ありがとうございます!!      2023年03月20日頃出荷予定です!! 詳しくは今後の刊行予定をご覧ください。  施設で暮らす中学1年生の長瀬蓮。毎日施設の人間にいいように使われる蓮は、今日もいつものように、施設の雑用を押し付けられ。ようやく自分の部屋へ戻った時には、夜22時を過ぎていた。  そして自分お部屋へ戻り、宿題をやる前に少し休みたいと、ベッドに倒れ込んだ瞬間それは起こった。  強い光が蓮を包み込み、あまりの強い光に目をつぶる蓮。ようやく光が止んできたのが分かりそっと目を開けると…。そこは今まで蓮が居た自分の部屋ではなく、木々が生い茂る場所で。しかも何か体に違和感をおぼえ。  これは蓮が神様の手違いにより異世界に飛ばされ、そこで沢山の友達(もふもふ)と出会い、幸せに暮らす物語。 HOTランキングに載せていただきました。皆様ありがとうございます!! お気に入り登録2500ありがとうございます!!

処理中です...