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2章 二人の前途は多難です!
伯爵、閃く!
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西の外れの地区は、安全な場所に避難しようと逃げ惑う人々でごった返していた。雲は低く、今にも雨が降りそうだ。
緊迫した雰囲気の中、魔晶石の倉庫にほど近い通りで、憲兵が懸命に逃げる人々を誘導していた。
「早く逃げろ! 余計な荷物は置いていけ! 火のついた魔晶石に雨が降れば、この一帯は吹き飛ぶことになる! 早くここから離れるんだ! ――って、おい、そこのふたりッ! そっちは危険だぞ!」
燃える魔晶石の倉庫にまっすぐ向かう金髪をツインテールにした女と、背の高い銀髪の男という、どこか奇妙な印象の二人組を、憲兵は止める。しかし、憲兵の抑止にもかかわらず、ふたりは歩を緩めない。結局、憲兵は奇妙な二人組の背中が揺らめく蜃気楼のなかに消えていくのを見守ることしか出来なかった。
炎に向かって突き進むのは、救国の聖女エミと、王国きっての天才であるディル・K・ソーオン。はた目から見れば、ほとんど自殺行為だ。
赤々と燃える魔晶石の倉庫は、ふたりの目の前まで迫っている。
「おおー、すっごい燃えてんねぇ~!」
場違いに明るい声で、エミがはしゃぐ。もはや呼吸をするのも苦しいほどの熱風が吹き荒れている。
苦悶の表情を浮かべるディルはぐしゃぐしゃと前髪を乱した。
「……聖女よ、先ほど話した計画は、すべてあくまで理論上の話だ。しかし、お前は本当に良いのだな?」
ディルは唸るように言った。
ここに来るまでの間、ディルは炎を消し止める方法を考えていたのだ。頭に入っているすべての知識を総動員して、ついに彼はひらめいた。
「理論上、人間の多大な魔力エネルギーは、魔晶石のエネルギーを超越する。だから、お前のありったけの魔力を炎にぶつければ、残存する魔晶石のエネルギーを中和させ――」
「よくわかんないけど、炎に炎をぶつければオッケーって話でしょ? 間違ってる?」
「……間違っていないが、お前の口から聞くと妙に不安になるのだが……。やはり再考の必要がある気がしてきた……」
「えーっとさ、ぶっちゃけそんな時間ないっしょ?」
「ぐっ……」
ぐうの音も出ない正論だ。苦い顔をするディルに、エミは微笑んだ。
「大丈夫だって。ハクシャクが言うことなら全部あたしは信じるよ♡」
「お前はもう少し人を疑う心を持て! だいたい、失敗すれば私たちは確実に死ぬんだぞ!」
「やってみなきゃわかんないじゃん? 失敗すれば、死なば諸共ってヤツだねぇ」
「急に物騒なことを言うな! ……おい、なにをやっている。ちょっと待て! 構えるな! まだ心の準備が!」
ディルの悲鳴を無視して、エミは微笑んで手を上げる。空はどんより曇っていて、いつ雨が降ってもおかしくない。迷ったり、考えたりする時間はないのである。
「えーっと、とにかくでっかい超特大の火球――ッ!!」
エミの手のひらから視界から巨大な炎が渦をまき、燃え盛る倉庫に激突した。
ちゅどーん、という音ともに、耳をつんざくような大爆発が起きる。
ディルは爆風で吹き飛ばされそうになったエミの手を反射的に掴み、その大きな身体で守った。
「――ぐッ!?」
ディルはエミを守ろうと、その華奢な身体を抱きしめる。エミは「きゃー」とも「わー」ともいえない、くぐもった悲鳴を上げた。その悲鳴が、爆発に驚いたから発したものなのか、それとも抱きしめられたことによる喜びの奇声なのかは、ディルにはわからなかった。とにかく飛んでくる瓦礫から、エミを守るのに必死だ。
やがてあたりが静かになった。燃えさかる炎がはじける音も、建屋が崩れる轟音すらしない。完全に無音だ。あまりの静けさに、ディルは一瞬この世界が終わってしまったような錯覚に陥る。
(やはり、あの計画は失敗だったのか――……)
真っ先に考えたのは、国のことでも、仕事のことでも、領地のことでもない。エミのことだった。あの婚約者と二度と話せないと思うと、胸が引きつるように苦しい。
後悔が胸いっぱいに広がったそのとき、腕の中で暖かい何かがごそごそと動いた。ディルははっと我に返る。
「い、生きているのか……?」
「むー、ハクシャク~、苦しいよー……!」
呆然としていたディルが、慌ててエミを解放する。エミはディルの腕の中からぴょっこり顔を出して、おおきく深呼吸をした。
「ぷはぁ、空気がめちゃくちゃおいしーい!」
「……すまない、力加減を考えずに抱きしめてしまったようだ。生きているか?」
「うん、もちろんだよぉ! ほらほら、超元気! イェーイ☆」
両手でピースサインをしてみせるエミに、ディルは思わず安堵の息を漏らした。幸いなことに、エミに大きな怪我はなさそうだ。
ディルとエミは立ち上がると、あたりを見回した。
さきほどまで燃えさかっていた魔晶石の倉庫の火は完全に消えている。それどころか、エミの強大な魔力によって完全に更地と化していた。
ところどころ煙が上がっている場所もあるが、それほどひどくはない。
「一部まだ燃えている箇所もあるが、あの程度であれば放っておけばそのうち消えるだろう。しかし、お前の魔法のスケールは、やはり桁違いだな……。尊敬の念を抱かずにはいられない」
「ハクシャクのおかげだよ! やっぱりしごできの彼ぴ持ってると、サクッと世界救えていいわ~! 大成功じゃん!」
「……ふむ。やはり私の計算は間違えていなかったようだ。古の魔法の理論によれば、晶核のエネルギーを越える魔力をぶつければ、その不安定な分子がエネルギー吸収をはじめるという。しかし、その法則を逆に利用すれば反作用として多少の魔力間摩擦が発生し……」
「わぁ、早口すぎて呪文みたいでかっこいい♡」
「おい、私の説明は呪文ではないと何度言ったら……」
ふたりはふいに見つめあった。
エミのギャルメイクはボロボロで、あれほどこだわったアイラインは消えかけているわ、右の付けまつげは爆風で飛んでいってしまっているわで、散々だ。ディルはといえば、服はすすけてボロボロで、いつも隙なく整えられた髪は乱れている。鼻の先は墨を塗ったように真っ黒だ。
あまりの惨状に、ふたりは同時に吹き出した。
「アハハ、今の状況マジやばたんすぎる! あたしたち、本当によく生き残ったねえ」
「……お前の魔力があったからだ。もしあの魔法が失敗していれば、今頃どうなっていたか……」
「あたしは大丈夫ってわかってたけど、ちょっとドキドキしたかも。これもスリルがあってたまにはいいよね」
「ドキドキ、した……?」
ドキドキ、という単語に、ディルがピクリと反応する。
突如ディルの脳裏に、セバスチャンの言葉が浮かぶ。――プロポーズは、ドキドキするようなシチュエーションで行うものだ、と。
(……現在、心拍数は通常より上昇している。つまり、ドキドキするようなシチュエーションと言うことなのではないだろうか。さらに、セバスチャンは条件としてふたりきりの時がいいと話していたが、ちょうど今はまわりに誰もいない。つまり、今はプロポーズに絶好のシチュエーションである)
さらに都合が良いことに、ディルは先ほどヴィンセント宝飾店で婚約指輪を受け取ったばかりだ。
こうなれば、天才の頭が割りだす答えはひとつである。
(プロポーズするには、今しかない!)
この場にセバスチャンがいれば、「そのドキドキではありません!」と大真面目に止めただろう。
しかし、セバスチャンはあいにく不在である。
ディルはすぐさまボロボロのコートのポケットのなかの婚約指輪を取り出す。幸いなことに、指輪の箱は若干すすけてはいるものの、無事だ。
「聖女エミよ」
「なになに? サクぴが心配しちゃうから、早くお城に帰らないと……、って、ハクシャク!? どうしたの!?」
ディルのいつにもない真剣な呼びかけに応じてなにげなく振り返ったエミが、ぎょっとした顔をする。
それもそのはず、ディルは片膝を地面につき、熱っぽい視線でエミを見つめていた。
エミは慌てた様子でディルに歩みよる。
「やーん、どうしたの? いまさら腰抜けた感じ!?」
その瞬間、ディルはパカッと小箱をあけた。小箱の中で、指輪が繊細に光った。状況が掴めなかったらしく、エミは一瞬硬直する。
「なぁにこれ……?」
「……聖女エミよ、どうか私と結婚してくれないか!」
「はぇえ!?」
完全に不意をつかれたエミは、気の抜けた声をあげた。
緊迫した雰囲気の中、魔晶石の倉庫にほど近い通りで、憲兵が懸命に逃げる人々を誘導していた。
「早く逃げろ! 余計な荷物は置いていけ! 火のついた魔晶石に雨が降れば、この一帯は吹き飛ぶことになる! 早くここから離れるんだ! ――って、おい、そこのふたりッ! そっちは危険だぞ!」
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赤々と燃える魔晶石の倉庫は、ふたりの目の前まで迫っている。
「おおー、すっごい燃えてんねぇ~!」
場違いに明るい声で、エミがはしゃぐ。もはや呼吸をするのも苦しいほどの熱風が吹き荒れている。
苦悶の表情を浮かべるディルはぐしゃぐしゃと前髪を乱した。
「……聖女よ、先ほど話した計画は、すべてあくまで理論上の話だ。しかし、お前は本当に良いのだな?」
ディルは唸るように言った。
ここに来るまでの間、ディルは炎を消し止める方法を考えていたのだ。頭に入っているすべての知識を総動員して、ついに彼はひらめいた。
「理論上、人間の多大な魔力エネルギーは、魔晶石のエネルギーを超越する。だから、お前のありったけの魔力を炎にぶつければ、残存する魔晶石のエネルギーを中和させ――」
「よくわかんないけど、炎に炎をぶつければオッケーって話でしょ? 間違ってる?」
「……間違っていないが、お前の口から聞くと妙に不安になるのだが……。やはり再考の必要がある気がしてきた……」
「えーっとさ、ぶっちゃけそんな時間ないっしょ?」
「ぐっ……」
ぐうの音も出ない正論だ。苦い顔をするディルに、エミは微笑んだ。
「大丈夫だって。ハクシャクが言うことなら全部あたしは信じるよ♡」
「お前はもう少し人を疑う心を持て! だいたい、失敗すれば私たちは確実に死ぬんだぞ!」
「やってみなきゃわかんないじゃん? 失敗すれば、死なば諸共ってヤツだねぇ」
「急に物騒なことを言うな! ……おい、なにをやっている。ちょっと待て! 構えるな! まだ心の準備が!」
ディルの悲鳴を無視して、エミは微笑んで手を上げる。空はどんより曇っていて、いつ雨が降ってもおかしくない。迷ったり、考えたりする時間はないのである。
「えーっと、とにかくでっかい超特大の火球――ッ!!」
エミの手のひらから視界から巨大な炎が渦をまき、燃え盛る倉庫に激突した。
ちゅどーん、という音ともに、耳をつんざくような大爆発が起きる。
ディルは爆風で吹き飛ばされそうになったエミの手を反射的に掴み、その大きな身体で守った。
「――ぐッ!?」
ディルはエミを守ろうと、その華奢な身体を抱きしめる。エミは「きゃー」とも「わー」ともいえない、くぐもった悲鳴を上げた。その悲鳴が、爆発に驚いたから発したものなのか、それとも抱きしめられたことによる喜びの奇声なのかは、ディルにはわからなかった。とにかく飛んでくる瓦礫から、エミを守るのに必死だ。
やがてあたりが静かになった。燃えさかる炎がはじける音も、建屋が崩れる轟音すらしない。完全に無音だ。あまりの静けさに、ディルは一瞬この世界が終わってしまったような錯覚に陥る。
(やはり、あの計画は失敗だったのか――……)
真っ先に考えたのは、国のことでも、仕事のことでも、領地のことでもない。エミのことだった。あの婚約者と二度と話せないと思うと、胸が引きつるように苦しい。
後悔が胸いっぱいに広がったそのとき、腕の中で暖かい何かがごそごそと動いた。ディルははっと我に返る。
「い、生きているのか……?」
「むー、ハクシャク~、苦しいよー……!」
呆然としていたディルが、慌ててエミを解放する。エミはディルの腕の中からぴょっこり顔を出して、おおきく深呼吸をした。
「ぷはぁ、空気がめちゃくちゃおいしーい!」
「……すまない、力加減を考えずに抱きしめてしまったようだ。生きているか?」
「うん、もちろんだよぉ! ほらほら、超元気! イェーイ☆」
両手でピースサインをしてみせるエミに、ディルは思わず安堵の息を漏らした。幸いなことに、エミに大きな怪我はなさそうだ。
ディルとエミは立ち上がると、あたりを見回した。
さきほどまで燃えさかっていた魔晶石の倉庫の火は完全に消えている。それどころか、エミの強大な魔力によって完全に更地と化していた。
ところどころ煙が上がっている場所もあるが、それほどひどくはない。
「一部まだ燃えている箇所もあるが、あの程度であれば放っておけばそのうち消えるだろう。しかし、お前の魔法のスケールは、やはり桁違いだな……。尊敬の念を抱かずにはいられない」
「ハクシャクのおかげだよ! やっぱりしごできの彼ぴ持ってると、サクッと世界救えていいわ~! 大成功じゃん!」
「……ふむ。やはり私の計算は間違えていなかったようだ。古の魔法の理論によれば、晶核のエネルギーを越える魔力をぶつければ、その不安定な分子がエネルギー吸収をはじめるという。しかし、その法則を逆に利用すれば反作用として多少の魔力間摩擦が発生し……」
「わぁ、早口すぎて呪文みたいでかっこいい♡」
「おい、私の説明は呪文ではないと何度言ったら……」
ふたりはふいに見つめあった。
エミのギャルメイクはボロボロで、あれほどこだわったアイラインは消えかけているわ、右の付けまつげは爆風で飛んでいってしまっているわで、散々だ。ディルはといえば、服はすすけてボロボロで、いつも隙なく整えられた髪は乱れている。鼻の先は墨を塗ったように真っ黒だ。
あまりの惨状に、ふたりは同時に吹き出した。
「アハハ、今の状況マジやばたんすぎる! あたしたち、本当によく生き残ったねえ」
「……お前の魔力があったからだ。もしあの魔法が失敗していれば、今頃どうなっていたか……」
「あたしは大丈夫ってわかってたけど、ちょっとドキドキしたかも。これもスリルがあってたまにはいいよね」
「ドキドキ、した……?」
ドキドキ、という単語に、ディルがピクリと反応する。
突如ディルの脳裏に、セバスチャンの言葉が浮かぶ。――プロポーズは、ドキドキするようなシチュエーションで行うものだ、と。
(……現在、心拍数は通常より上昇している。つまり、ドキドキするようなシチュエーションと言うことなのではないだろうか。さらに、セバスチャンは条件としてふたりきりの時がいいと話していたが、ちょうど今はまわりに誰もいない。つまり、今はプロポーズに絶好のシチュエーションである)
さらに都合が良いことに、ディルは先ほどヴィンセント宝飾店で婚約指輪を受け取ったばかりだ。
こうなれば、天才の頭が割りだす答えはひとつである。
(プロポーズするには、今しかない!)
この場にセバスチャンがいれば、「そのドキドキではありません!」と大真面目に止めただろう。
しかし、セバスチャンはあいにく不在である。
ディルはすぐさまボロボロのコートのポケットのなかの婚約指輪を取り出す。幸いなことに、指輪の箱は若干すすけてはいるものの、無事だ。
「聖女エミよ」
「なになに? サクぴが心配しちゃうから、早くお城に帰らないと……、って、ハクシャク!? どうしたの!?」
ディルのいつにもない真剣な呼びかけに応じてなにげなく振り返ったエミが、ぎょっとした顔をする。
それもそのはず、ディルは片膝を地面につき、熱っぽい視線でエミを見つめていた。
エミは慌てた様子でディルに歩みよる。
「やーん、どうしたの? いまさら腰抜けた感じ!?」
その瞬間、ディルはパカッと小箱をあけた。小箱の中で、指輪が繊細に光った。状況が掴めなかったらしく、エミは一瞬硬直する。
「なぁにこれ……?」
「……聖女エミよ、どうか私と結婚してくれないか!」
「はぇえ!?」
完全に不意をつかれたエミは、気の抜けた声をあげた。
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