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2章 二人の前途は多難です!
伯爵、企む!
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エミは四苦八苦しながらなんとかディルの身体の下から脱出すると、ほっと安堵の息をついた。
改めて見てみると、久しぶりのディルは、ひどく疲れた顔をしていた。いつもの覇気はなく、なんとなくやつれた気がする。エミは心配そうな顔をした。
「目の下のクマ、ヤバたんだねー。あたしのコンシーラー使う? チーク上にハイライトしこめば、顔色もいい感じになると思う! あと、ちょっとだけ眉をいじらせてもろてぇ……」
「……好きにしろ……」
「ええー、いいの!? あたしいつかハクシャクにメイクしてみたかったんだよねえ! 間違いなく化粧映えするお顔だもん♡」
エミはうれしそうにそう言って、化粧台の上に置いてあるコスメボックスを取りにいくべく、腰を浮かせた。しかし、ディルの腕がのびてきてエミの手をがっしりつかんでそれを阻止する。
「離れるな……」
「ええー、なにそれ! そしたらお化粧できないじゃん!」
「そばに、……いてほしいんだ……」
そういうと、ディルはエミの手首をがっしりつかんだまま、安らかな寝息を立て始めた。限界だったらしい。
何度かぶんぶんと手を振ってみたものの、相変わらずディルの手はがっしりエミをつかんでいる。よほど、そばにいてほしいのだろう。
「えーん、お化粧したかったぁ……。でも、疲れてるんなら仕方ないよね」
あいているほうの手でディルにブランケットをかけて、ディルの隣にエミはころんと横たわった。
エミはこっそりディルの額にキスをした。
「……ホントはいろいろ話したいことあったけど、さすがに疲れてるっぽいし、また今度だね」
エミは頬杖をついて、眠っているディルにぽつりとつぶやく。
いろいろ話を聞いてほしいことがあった。サクラとのショッピングや、宮廷で食べたサクラ考案の牛丼もどき、これから魔法のレッスンを受けること――そして、エリックが言っていたディルが夜な夜な出かけていう理由も。
エリックの話を思い出して、エミは一人顔をしかめた。
エリックの言うとおり、ディルは首都にいる馴染みの女のところに顔を出しているのだろうか。それとも、夜な夜な花街にでかけ、両手に夜の蝶たちを侍らして――
「やーん、知りたくなかったよぉ! 本当は、会いに来てくれるだけでも、うれしいはずなのに、なんかめっちゃモヤモヤする……。いや、別に男の人だから仕方ないのかもだけど、だけどイヤなんだもん!」
エミはぐるぐると悩む。心の中のモヤモヤは「独占欲」という名前の感情だとエミが知るのは、残念ながらずっとあとのことだ。
相変わらず、エミの悩みなど知るよしもないディルはエミの手を握ったままのんきに深い寝息をたてていた。エミは「えいえい」と言いながら、ディルの頬をつつく。
「あたし、ハクシャクにはどんどんワガママになっちゃう……」
盛大にため息をついて横になったエミは、大きなあくびをする。今日はいろいろあったのだ。さすがのエミも疲れている。
「それにしても、エリックが言ってた秘策ってなんなんだろ……?」
眠りに落ちる寸前にエミの頭にふとその疑問がよぎる。しかし、その疑問を深く考える体力がエミにはもう残っていなかった。
間もなくして、静かな部屋にふたり分の寝息が聞こえ始めた。
*
明朝のこと。
「……ハッ、いかん!」
エミの部屋で痛恨の寝落ちをしてしまったディルが、がばっと身体を起こした。隣を見ると、エミが手を握ってすやすやと寝ている。婚約者の寝顔を網膜に焼き付けるほど凝視すると、ディルは小さくため息を漏らした。
五分だけ寝るつもりだったのだが、気がついたら朝になっていた。窓の外をみれば、開け始めた空にかろうじて一番星だけが残っている。
ロイの使者から「エリックが聖女エミの元へ向かったようだ」と告げられたのは昨晩のこと。国王に大量に押しつけられた仕事を残して、ディルは走ってエミの部屋に向かい、エリックに言い寄られるエミを救出した。まったく、第一王子はいまだにしつこくエミに言い寄ろうとしているらしい。
とにかく、エリックからエミを救出し、なんとかエミの部屋に待避したところまで記憶はある。が、その後はあやふやだ。なにやら情熱的なキスをした気もするのだが、願望が夢になって出てきただけの気もしていた。
(今ならまあ、その願望を実現させることも可能だろうが……)
ガウンの隙間から伸びるすらりとした足に、ディルの目が釘づけになったものの、理性を総動員してなんとか視線をそらした。
眠っている婚約者を欲求のままに無理矢理抱きつぶして、傷つけるようなことはしたくない。自分の生理的欲求をコントロールできない野蛮人と嫌われるようなことがあったら、最悪だ。それだけは避けねばならない。
ディルの葛藤はつゆ知らず、エミはうーんと寝返りを打った。はずみでエミの白い胸元がはだける。ディルはあさっての方向を見ながら、エミにそっとブランケットをかけてやった。今すぐ暴走しそうな欲求は、鉄壁の理性でなんとか抑えつける。
「当初の目的を果たさねばなるまい……」
ディルは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、かねてから用意していた細い糸をポケットからごそごそと取り出し、エミの左手の薬指に巻き付け、サイズを測った。ミッション完了だ。
「よし、この大きさで、指輪を頼めばいいんだな……。月給の2.5ケ月分の婚約指輪を……」
満足げにそうつぶやいて、ディルは抜き足差し足でエミの部屋を去って行く。今日も仕事は山ほどあるが、不思議と足取りは軽い。
何も知らないエミは、いまだにすやすやとのんきな寝息をたてていた。
改めて見てみると、久しぶりのディルは、ひどく疲れた顔をしていた。いつもの覇気はなく、なんとなくやつれた気がする。エミは心配そうな顔をした。
「目の下のクマ、ヤバたんだねー。あたしのコンシーラー使う? チーク上にハイライトしこめば、顔色もいい感じになると思う! あと、ちょっとだけ眉をいじらせてもろてぇ……」
「……好きにしろ……」
「ええー、いいの!? あたしいつかハクシャクにメイクしてみたかったんだよねえ! 間違いなく化粧映えするお顔だもん♡」
エミはうれしそうにそう言って、化粧台の上に置いてあるコスメボックスを取りにいくべく、腰を浮かせた。しかし、ディルの腕がのびてきてエミの手をがっしりつかんでそれを阻止する。
「離れるな……」
「ええー、なにそれ! そしたらお化粧できないじゃん!」
「そばに、……いてほしいんだ……」
そういうと、ディルはエミの手首をがっしりつかんだまま、安らかな寝息を立て始めた。限界だったらしい。
何度かぶんぶんと手を振ってみたものの、相変わらずディルの手はがっしりエミをつかんでいる。よほど、そばにいてほしいのだろう。
「えーん、お化粧したかったぁ……。でも、疲れてるんなら仕方ないよね」
あいているほうの手でディルにブランケットをかけて、ディルの隣にエミはころんと横たわった。
エミはこっそりディルの額にキスをした。
「……ホントはいろいろ話したいことあったけど、さすがに疲れてるっぽいし、また今度だね」
エミは頬杖をついて、眠っているディルにぽつりとつぶやく。
いろいろ話を聞いてほしいことがあった。サクラとのショッピングや、宮廷で食べたサクラ考案の牛丼もどき、これから魔法のレッスンを受けること――そして、エリックが言っていたディルが夜な夜な出かけていう理由も。
エリックの話を思い出して、エミは一人顔をしかめた。
エリックの言うとおり、ディルは首都にいる馴染みの女のところに顔を出しているのだろうか。それとも、夜な夜な花街にでかけ、両手に夜の蝶たちを侍らして――
「やーん、知りたくなかったよぉ! 本当は、会いに来てくれるだけでも、うれしいはずなのに、なんかめっちゃモヤモヤする……。いや、別に男の人だから仕方ないのかもだけど、だけどイヤなんだもん!」
エミはぐるぐると悩む。心の中のモヤモヤは「独占欲」という名前の感情だとエミが知るのは、残念ながらずっとあとのことだ。
相変わらず、エミの悩みなど知るよしもないディルはエミの手を握ったままのんきに深い寝息をたてていた。エミは「えいえい」と言いながら、ディルの頬をつつく。
「あたし、ハクシャクにはどんどんワガママになっちゃう……」
盛大にため息をついて横になったエミは、大きなあくびをする。今日はいろいろあったのだ。さすがのエミも疲れている。
「それにしても、エリックが言ってた秘策ってなんなんだろ……?」
眠りに落ちる寸前にエミの頭にふとその疑問がよぎる。しかし、その疑問を深く考える体力がエミにはもう残っていなかった。
間もなくして、静かな部屋にふたり分の寝息が聞こえ始めた。
*
明朝のこと。
「……ハッ、いかん!」
エミの部屋で痛恨の寝落ちをしてしまったディルが、がばっと身体を起こした。隣を見ると、エミが手を握ってすやすやと寝ている。婚約者の寝顔を網膜に焼き付けるほど凝視すると、ディルは小さくため息を漏らした。
五分だけ寝るつもりだったのだが、気がついたら朝になっていた。窓の外をみれば、開け始めた空にかろうじて一番星だけが残っている。
ロイの使者から「エリックが聖女エミの元へ向かったようだ」と告げられたのは昨晩のこと。国王に大量に押しつけられた仕事を残して、ディルは走ってエミの部屋に向かい、エリックに言い寄られるエミを救出した。まったく、第一王子はいまだにしつこくエミに言い寄ろうとしているらしい。
とにかく、エリックからエミを救出し、なんとかエミの部屋に待避したところまで記憶はある。が、その後はあやふやだ。なにやら情熱的なキスをした気もするのだが、願望が夢になって出てきただけの気もしていた。
(今ならまあ、その願望を実現させることも可能だろうが……)
ガウンの隙間から伸びるすらりとした足に、ディルの目が釘づけになったものの、理性を総動員してなんとか視線をそらした。
眠っている婚約者を欲求のままに無理矢理抱きつぶして、傷つけるようなことはしたくない。自分の生理的欲求をコントロールできない野蛮人と嫌われるようなことがあったら、最悪だ。それだけは避けねばならない。
ディルの葛藤はつゆ知らず、エミはうーんと寝返りを打った。はずみでエミの白い胸元がはだける。ディルはあさっての方向を見ながら、エミにそっとブランケットをかけてやった。今すぐ暴走しそうな欲求は、鉄壁の理性でなんとか抑えつける。
「当初の目的を果たさねばなるまい……」
ディルは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、かねてから用意していた細い糸をポケットからごそごそと取り出し、エミの左手の薬指に巻き付け、サイズを測った。ミッション完了だ。
「よし、この大きさで、指輪を頼めばいいんだな……。月給の2.5ケ月分の婚約指輪を……」
満足げにそうつぶやいて、ディルは抜き足差し足でエミの部屋を去って行く。今日も仕事は山ほどあるが、不思議と足取りは軽い。
何も知らないエミは、いまだにすやすやとのんきな寝息をたてていた。
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