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1章 謎の聖女は最強です!

伯爵、戸惑う!

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 書斎に一人残されたディルは一人、肺の中の空気を全部吐き出すような、深いため息をつく。

「な、なんだったんだ、いったい……」

 そこはかとない疲労感を感じる。頬が何だか異常に熱い。しかし、存外になんだか悪い気は全くしない。むしろ、奇妙な高揚感すらある。
 ディルはセバスチャンが先ほどいれた紅茶でとりあえず喉を潤した。久しぶりに誰かを質問攻めしてしまったため、さすがに喉が渇いたのだ。他人に興味を持って質問攻めにするなど、実に久しぶりのことだった。もしかしたら、幼少期に興味の赴くままにメイドに質問攻めした時以来かもしれない。

「……聖女、興味深い存在だ」

 ディルは一人呟きつつ、エミから手渡された2通の封筒に目を落とす。

 一通目は薄桃色の封筒で、流麗な字で「サクラ」と署名がしてあった。もう一人の聖女の名前だ。
 サクラの名前を見たディルは、皮肉気に片頬を吊り上げた。以前も、このように婚約者の友達を名乗る女から手紙を受け取った覚えがある。しかも複数。自称友達からの手紙の内容は、「親友をお願いします」といった、くだらない友情ごっこの延長戦のようなもので、追伸には『なにかあったらご相談くださいな。ふたりきりでお話しましょう』と決まって書いてあった。醜悪なほどの下心の数々に、いま思い出しても反吐が出そうになる。
 しかし、手紙の内容がなんであれ、この国を救った聖女から送られてきた手紙だ。無下にすることもできず、ディルはさっさと処理すべく内容を確認すべく封を開ける。

「まったくもって、女とはめんどくさ……、なんだこれはッ!」

 ディルは動揺する。手紙の内容は非常に簡潔だった。

『エミたそを不幸にしたらぶっ殺すから』

 そう、鮮血のような赤いインクで書かれていたのだ。
 あまりに怨念溢れる短い文章にディルは戦慄する。このパターンはまったく予想していなかった。訳が分からない。言葉を交わしたこともなければ、顔すらも知らない聖女に脅迫されている。
 そもそも、エミはサクラのことを、「か弱くて守ってあげたくなるような」聖女だと話していたはず。あまりに話と違うではないか。か弱い女であれば、こんな訳アリな文面の手紙は普通よこさない。
 ディルは眉間に皺を寄せ、しばらくグリグリとこめかみのあたりを揉みながら、二通目に手を伸ばす。こちらは見慣れたもので、王家の紋章であるモミの木あしらった蝋封がほどこされている。
 蝋封は強力な魔法が施されており、ディルの魔力でしか開封できないようになっていた。ディル以外の人間が手紙を読もうとすると、蝋封が発火し、手紙ごと燃える仕組みだ。
 極秘の内容なのだろうと覚悟して、ディルは蝋封に指を滑らせ、魔力を指先に集めると、便箋を開封する。そして、手紙の内容を読んで、ますます混乱した。こちらも、予想していないパターンだ。

『聖女エミは、危険につき常に監視すべし。もし危険と判断した場合、すみやかに殺せ』

 ディルは自分の目を疑い、何度か手紙を読み返す。しかし、何度読んでも内容は同じ。少し右上がりの焦ったような走り書きの文字は、確かに国王の筆跡だ。

「聖女エミが危険……? 危険と判断すれば、殺せ……?」

 ディルは信じられない気持ちでガシガシと頭を掻く。彼は、エミが危険な人物だと言われてもにわかには信じられないのだ。

 先ほど触れたエミの手はあまりに小さく、無力に見えた。明るい笑顔ときらきらと無邪気に輝く瞳を見れば、邪な思いを胸に抱いている人物だとはとても思えない。
 長い睫毛とド派手な化粧、ツインテールに結われた金色の髪。ディルの眼から見れば奇怪な格好をしているように見えるが、彼女は異世界から来たのだし、多少の文化の違いなら許容の範囲内だと思っている。

(いや、しかし、あの短いスカートからは太ももがチラチラ見えるのは多少けしからんと思わないこともない。他の男があれを見たらどうするん――……)

 そこまで考えて、ディルは低く唸って思考を遮った。まったく、どこを見ているのだ。

 とにもかくにも、エミをこの屋敷に迎えたことで、なにやら面倒なことになったことは確かだ。
 殺すと脅されたり、殺せと命令されたり、意味が分からない。あまりに物騒すぎる。

 しかし、国王が聖女エミを「危険」と言う理由もひっかかる。

 サンクトハノーシュ王国の国王は愚鈍だが、臆病者(ビビリ)ゆえに、「危険なもの」や「脅威をもたらすもの」に対しては、昔から妙に勘が冴えわたる人物だった。ディルもその危険予知能力だけは一目置いているため、迂闊に彼の警告を無視することはできない。

「……とりあえず、しばらく様子見するしかないか」

 ふう、とディルは息を吐く。
 何らかの理由で聖女エミを「危険」と判断することがあれば、ディルは国王の命に従って彼女を殺さなければならない。ディルも貴族の端くれとはいえ、それなりに剣を使えるように訓練されている。魔法も得意だ。いざとなれば、か弱い女の首を刎ねるくらい造作ない。

(……しかし、聖女エミをこの手で殺すことは絶対に避けたい。なんとしてでも守りぬかねばなるまい。まあ、聖女エミを殺すような事態になれば、確実に首都にいる聖女サクラに命を狙われるだろうしな……)

 聖女サクラのことはよく分からないが、執念深い人物だということだけははっきりしている。
 面倒くさいことになった、と思わずにはいられないものの、不思議と不快ではなかった。「誰かを守りたい」という思いが胸に芽生えたこと自体、冷血伯爵と呼ばれるディル・K・ソーオンらしくない。
 しかし、あの風変りな聖女のことを考えていると、冷え切った胸の中が、明かりが灯ったように温かくなる。それは、どこか落ち着かないような、それでいて甘やかで、不思議な感覚だった。

「聖女には、なぜかずっと笑っていてほしいと、私は願っている」

 ぽつりとそう呟いた時、ふいに窓の外からこの屋敷らしからぬ明るい歓声が聞こえた。エミの声だ。

「庭ヤバい!! 広すぎて運動会できる広さだよこれぇ!」

 ディルは反射的に立ち上がり、いつも閉じられているカーテンを開ける。予想通り、聖女エミと案内役のセバスチャンが広い庭を散策しているのが見えた。
 二人はすっかり打ち解けた様子で、なにやら話している。セバスチャンがなにか冗談を言ったのか、エミが軽やかに笑う。その笑顔を見たディルの胸が再びきゅんとなったため、彼は不思議そうに胸の当たりをさすった。

(先ほどから、なんなんだ、これは……)

 ディルは得体の知れないフワフワした気持ちに一人首を傾げつつ、すっかり温くなった紅茶を飲みながら、飽きることなく庭を散策するエミを見つめ続けた。
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