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1章 謎の聖女は最強です!
伯爵、待つ!
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ところ変わって、ガシュバイフェン。
ガシュバイフェンを治めるソーオン辺境伯爵こと、ディル・K・ソーオンは、先ほどから1ページたりとも進まないぶ厚い本を前に、重いため息をついた。
ため息に反応した執事のセバスチャンが慌てた顔をする。
「あ、主様! な、なにか、お心を煩わすことでもございましたでしょうか? このセバスチャン、命じていただければなんなりと……」
「別に」
ディルは短く答える。彼はあまり口数が多い方ではないが、今日はいつにもまして寡黙だ。
気をつかったセバスチャンは、とりあえず温かい紅茶を気難しい彼の主人に差し出した。甘党の彼のために、いつも通り砂糖を多めに入れた紅茶だ。
ディルは差し出された紅茶をとりあえず黙って口にし、そして押し黙る。
あまりに気まずい沈黙が、二人の間に流れた。
ついに重苦しい雰囲気に耐えられなくなったセバスチャンが、口を開く。
「差し出がましいことを申し上げますが、もう少しリラックスされはいかがでしょうか。 本日は聖女エミ様が、ガシュバイフェンにいらっしゃるのです。未来の花嫁様になるお方と初めて会うのですから、緊張なさるのはごもっともですが……」
「緊張している? 私が?」
ディルは自分の手首に片方の手を添え、しばらく脈拍を測ったあと、ふっと息を吐いた。
「脈拍はいつも通り。体温も変わりはしない。つまり、私は緊張していない」
「さ、左様でございますか。失礼いたしました」
「……これは備考だが、昨日はほとんど眠りにつけず、今日の朝食はほとんど食べられなかった。胸のあたりが不自然にソワソワしたのだ。……しかし、そのような状態だからといって、緊張状態との相関性は取られないと判断する」
堰を切ったように話し始めたディルに、セバスチャンは一瞬息を飲んで、それから胸の内に浮かんできた一言をそのまま口にした。
「そ、それは、だいぶ緊張されているのでは……?」
セバスチャンの一言は正論だったものの、ディルはギロリとセバスチャンを睨んだ。気が小さいセバスチャンは、慌てて口をつぐみ、目を泳がせる。
再び、沈黙が二人の間に流れる。
セバスチャンは、こっそり分厚い本に目を落とす彼の主の横顔を見つめた。相変わらず、表情は硬いままだが、同性である彼の目からしても、ディルは十分魅力的に映る。
凍てつく冬の空のような青い瞳。程よく整えられた輝く銀髪。鍛えてもいないのに肩幅はがっしりとしていて、若くから宮廷に身を置いていたためか、立ち振る舞いは優雅で洗練されている。
その上、神経質そうではあるものの、彫りの深い顔立ちは名匠の彫刻のように整っており、黙っていても――いや、黙っていればこそ、女たちが黄色い悲鳴を上げるような色男なのだ。
(まったく、主様は黙っておられればすべての貴族のご令嬢たちが恋に落ちてもおかしくないだろうに……。今回の婚約者様は聖女様と聞いたが、果たしてうまく行くのだろうか……)
セバスチャンは内心深いため息をつく。
ディル・K・ソーオン。
政治、法、発明、化学に魔法、さらに建築や土木、数理など、ほぼすべての分野において才覚を発揮する、稀代の天才。
ソーオン男爵家の次男で、その非凡な才能でめきめきと頭角を現し、齢17歳にして王室に助言を与える参与職にまで上り詰めた男。合理的過ぎるゆえにしばしば冷酷な判断を下してしまうことから、付いたあだ名は「冷血伯爵」。
そして王都で行われた極めて重要な話し合いで、よりにもよって国王本人に対し、真っ向から「お前は馬鹿か」と言い放ったことにより、3年前に王都から追放された男。
しかし、不敬な物言いで王都を追放されたディルは、国王から「辺境伯爵」の地位と、ガシュバイフェンを領土として与えられた。異例の大出世に、貴族たちは大いに驚いた。
しがない男爵家の次男が、広大な領土を有するガシュバイフェンの辺境伯爵に任命されたのは、サンクトハノーシュ王国の長い歴史において前例がない。
しかも、ディルの特別扱いは出世だけにとどまらなかった。
辺境伯爵となり王都を離れたディルは、王政に強い影響力を持ち続けたのだ。
国王は月に一度御用聞きを送り込み、三日に一度は長々とした手紙を送りつけ、ことあるごとに彼の意見を聞こうとする。国王はディルを彼の右腕として重宝し続けた。――まあ、ディル曰く、国王はなんでもかんでも彼に意見を求める癖があるだけらしいのだが。
そんなこんなで、国王からのぶ厚い手紙が来るたびに、「ここまで来ると王室御用達の便利屋だな」と、ディルが自嘲気味に一人呟くのは、もはや執事のセバスチャンにとっては恒例行事のようになってしまった。
こういう経緯もあって、ディル・K・ソーオンは、宮廷を離れていながら国家運営に絶大な影響力を持ち続けた。ディルにとっては若干不本意ではあるが、致し方ない。
そして、そんな冷血伯爵たるディルは目下、独身街道を爆走している。
国王からの信頼が厚く、広大な領土の辺境伯爵で、酒やギャンブルの類は一切嗜まないという超優良物件にもかかわらず、である。
この国では10代で婚約、結婚するのが普通だが、ディルはすでに28歳。結婚適齢期はとうに過ぎている。
別に、ディル自身に結婚願望がないわけではない。先も述べたとおり、顔も整っている方で、宮廷にいる際は遠巻きに貴族令嬢からきゃあきゃあ言われていた。
いわゆる名家と呼ばれるような家柄の貴族令嬢の婚約話を受けたこともあるにはある。この屋敷に婚約者としてレディを招いたこともないわけではない。
しかし、結局ディルは結婚までにたどり着かなかった。
「こんな冷血男と生涯添い遂げるなんてイヤ!」
と、一方的に婚約破棄されてきたのである。しかも、立て続けに三人ほど。
(お顔立ちは整っていらっしゃるのに、喋るとすこぶる残念な感じになってしまうのは、どうにかならないものか……)
セバスチャンはディルに仕えて長らくこの問題に頭を悩ませていた。解決の糸口はつかめていない。
とにかく、そんな彼にも4度目の春(チャンス)が来ようとしていた。そして、恐らくこれがディルにとっては最後のチャンスとなるだろう。悲しいことだが、何度も婚約破棄された男に嫁いでこようなんて物好きな貴族令嬢は、王国中探してもそうそういないのである。
ガシュバイフェンを治めるソーオン辺境伯爵こと、ディル・K・ソーオンは、先ほどから1ページたりとも進まないぶ厚い本を前に、重いため息をついた。
ため息に反応した執事のセバスチャンが慌てた顔をする。
「あ、主様! な、なにか、お心を煩わすことでもございましたでしょうか? このセバスチャン、命じていただければなんなりと……」
「別に」
ディルは短く答える。彼はあまり口数が多い方ではないが、今日はいつにもまして寡黙だ。
気をつかったセバスチャンは、とりあえず温かい紅茶を気難しい彼の主人に差し出した。甘党の彼のために、いつも通り砂糖を多めに入れた紅茶だ。
ディルは差し出された紅茶をとりあえず黙って口にし、そして押し黙る。
あまりに気まずい沈黙が、二人の間に流れた。
ついに重苦しい雰囲気に耐えられなくなったセバスチャンが、口を開く。
「差し出がましいことを申し上げますが、もう少しリラックスされはいかがでしょうか。 本日は聖女エミ様が、ガシュバイフェンにいらっしゃるのです。未来の花嫁様になるお方と初めて会うのですから、緊張なさるのはごもっともですが……」
「緊張している? 私が?」
ディルは自分の手首に片方の手を添え、しばらく脈拍を測ったあと、ふっと息を吐いた。
「脈拍はいつも通り。体温も変わりはしない。つまり、私は緊張していない」
「さ、左様でございますか。失礼いたしました」
「……これは備考だが、昨日はほとんど眠りにつけず、今日の朝食はほとんど食べられなかった。胸のあたりが不自然にソワソワしたのだ。……しかし、そのような状態だからといって、緊張状態との相関性は取られないと判断する」
堰を切ったように話し始めたディルに、セバスチャンは一瞬息を飲んで、それから胸の内に浮かんできた一言をそのまま口にした。
「そ、それは、だいぶ緊張されているのでは……?」
セバスチャンの一言は正論だったものの、ディルはギロリとセバスチャンを睨んだ。気が小さいセバスチャンは、慌てて口をつぐみ、目を泳がせる。
再び、沈黙が二人の間に流れる。
セバスチャンは、こっそり分厚い本に目を落とす彼の主の横顔を見つめた。相変わらず、表情は硬いままだが、同性である彼の目からしても、ディルは十分魅力的に映る。
凍てつく冬の空のような青い瞳。程よく整えられた輝く銀髪。鍛えてもいないのに肩幅はがっしりとしていて、若くから宮廷に身を置いていたためか、立ち振る舞いは優雅で洗練されている。
その上、神経質そうではあるものの、彫りの深い顔立ちは名匠の彫刻のように整っており、黙っていても――いや、黙っていればこそ、女たちが黄色い悲鳴を上げるような色男なのだ。
(まったく、主様は黙っておられればすべての貴族のご令嬢たちが恋に落ちてもおかしくないだろうに……。今回の婚約者様は聖女様と聞いたが、果たしてうまく行くのだろうか……)
セバスチャンは内心深いため息をつく。
ディル・K・ソーオン。
政治、法、発明、化学に魔法、さらに建築や土木、数理など、ほぼすべての分野において才覚を発揮する、稀代の天才。
ソーオン男爵家の次男で、その非凡な才能でめきめきと頭角を現し、齢17歳にして王室に助言を与える参与職にまで上り詰めた男。合理的過ぎるゆえにしばしば冷酷な判断を下してしまうことから、付いたあだ名は「冷血伯爵」。
そして王都で行われた極めて重要な話し合いで、よりにもよって国王本人に対し、真っ向から「お前は馬鹿か」と言い放ったことにより、3年前に王都から追放された男。
しかし、不敬な物言いで王都を追放されたディルは、国王から「辺境伯爵」の地位と、ガシュバイフェンを領土として与えられた。異例の大出世に、貴族たちは大いに驚いた。
しがない男爵家の次男が、広大な領土を有するガシュバイフェンの辺境伯爵に任命されたのは、サンクトハノーシュ王国の長い歴史において前例がない。
しかも、ディルの特別扱いは出世だけにとどまらなかった。
辺境伯爵となり王都を離れたディルは、王政に強い影響力を持ち続けたのだ。
国王は月に一度御用聞きを送り込み、三日に一度は長々とした手紙を送りつけ、ことあるごとに彼の意見を聞こうとする。国王はディルを彼の右腕として重宝し続けた。――まあ、ディル曰く、国王はなんでもかんでも彼に意見を求める癖があるだけらしいのだが。
そんなこんなで、国王からのぶ厚い手紙が来るたびに、「ここまで来ると王室御用達の便利屋だな」と、ディルが自嘲気味に一人呟くのは、もはや執事のセバスチャンにとっては恒例行事のようになってしまった。
こういう経緯もあって、ディル・K・ソーオンは、宮廷を離れていながら国家運営に絶大な影響力を持ち続けた。ディルにとっては若干不本意ではあるが、致し方ない。
そして、そんな冷血伯爵たるディルは目下、独身街道を爆走している。
国王からの信頼が厚く、広大な領土の辺境伯爵で、酒やギャンブルの類は一切嗜まないという超優良物件にもかかわらず、である。
この国では10代で婚約、結婚するのが普通だが、ディルはすでに28歳。結婚適齢期はとうに過ぎている。
別に、ディル自身に結婚願望がないわけではない。先も述べたとおり、顔も整っている方で、宮廷にいる際は遠巻きに貴族令嬢からきゃあきゃあ言われていた。
いわゆる名家と呼ばれるような家柄の貴族令嬢の婚約話を受けたこともあるにはある。この屋敷に婚約者としてレディを招いたこともないわけではない。
しかし、結局ディルは結婚までにたどり着かなかった。
「こんな冷血男と生涯添い遂げるなんてイヤ!」
と、一方的に婚約破棄されてきたのである。しかも、立て続けに三人ほど。
(お顔立ちは整っていらっしゃるのに、喋るとすこぶる残念な感じになってしまうのは、どうにかならないものか……)
セバスチャンはディルに仕えて長らくこの問題に頭を悩ませていた。解決の糸口はつかめていない。
とにかく、そんな彼にも4度目の春(チャンス)が来ようとしていた。そして、恐らくこれがディルにとっては最後のチャンスとなるだろう。悲しいことだが、何度も婚約破棄された男に嫁いでこようなんて物好きな貴族令嬢は、王国中探してもそうそういないのである。
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