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番外編

恋とはどういうものかしら ※レオナルド視点 (2)

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「な、なんで、お前はそれを……っ」
「おっと、その反応だと、俺の勘は当たったらしいな」

 その瞬間、鎌をかけられたと気づいたイライアスは、レオナルドをきつく睨む。
 イライアスの反応で、レオナルドは笑みを深めた。

「やっぱり、ジェシカ嬢が第一騎士団の入団テストを受けるわけだな。それで、お前は彼女を尻を追って騎士団に入りたがってるわけだ。いい加減、初恋の呪縛から解放されたらどうなんだ。しつこい男は嫌われるぞ?」
「レオ!」
 
 わざと嫌味な言い方をするレオナルドに、イライアスはあからさまに苛立った顔をした。ジェシカの話になると、イライアスはとにかくわかりやすい男になる。
 両親の不仲が原因で、イライアスはローデ夫人の実家に一時期身を寄せていた。その時、近くに住んでいたのがウォグホーン子爵家だったらしい。ウォグホーン子爵家の長女ジェシカとイライアスは、同い年ということもあってすぐに仲良くなったという。
 そして、イライアスはジェシカに恋に落ちたらしい。
 寡黙なイライアスが、ジェシカに対する想いをはっきりと言葉にしたことはない。しかし、その話しぶりや態度から、イライアスがジェシカを憎からず思っているのは明らかだった。
 イライアスは、ジェシカの話をする時だけ、年相応の顔をする。普段が無表情なだけに、その変化は顕著だ。
 その上、ジェシカに首ったけなイライアスは、社交界の女たちに見向きもしない。毎日舞い込んできているだろう婚姻話も、一切進めていないと聞いている。現に、今日のティーパーティーでも、ちらちらと熱い視線を注がれているのに、彼はどんな美しい令嬢にも全く興味がないようだった。
 イライアスがこれほどまでに惚れ込んでいるのだ。ジェシカ・ウォグホーンはさぞかし美人なのだろうと思うのだが、残念ながらレオナルドは一度も彼女に会ったことがない。
 とにかく、イライアスがジェシカ・ウォグホーンを憎からず思っているのは事実だ。そして、レオナルドがそれを苦々しく思っていることも。

(そういえば、誰かが恋する男は馬鹿になると言っていたな。まさか、イライアスがその典型例になるとは……)
 
 王族として生を享けたレオナルドは、自分の立場はよく弁えているつもりでいる。いつかは政略結婚をするだろうが、相手は自分にとって最大のメリットをもたらす相手にすると決めていた。
 彼の人生にとって、色恋の類いは邪魔になるものという認識だ。現に、目の前に座るイライアスが、恋愛に振り回されている。
 
「馬鹿め。女一人ごときで人生を棒に振る気か。理解できないな」
「……ジェシカは特別なんだ」

 イライアスの口から発せられた彼女の名前は、聞いているこちらがドキッとしてしまうような、甘い響きを含んでいた。遠い目をするイライアスの横顔は、心なしか切なげで、――幸せそうだ。
 レオナルドは不思議だった。どうして、ジェシカという女の話をするたびに、イライアスがこんな顔をするのかが分からない。いくら相手が特別だからとはいえ、この変わりようは異常だ。

「そんなに特別なら、お前が騎士団に入るなんてまどろっこしいことをせずに、ジェシカ嬢と結婚すればいい。伯爵家のお前から申し込めば、ウォグホーン子爵家も断れないだろう。金を積めばいうことなしだ」
「それは、良くない。……ジェシカはSubではなく、Normalなんだ」
「それがどうした。DomとNormalの結婚なんて、珍しくない。俺たち貴族にとって、ダイナミクスのパートナーと結婚相手は別だ。妾を持つ者だって少なくない。ひとまずジェシカ嬢と結婚して、Subの相手は別に用意すればいい」

 イライアスとレオナルドのダイナミクスは、Domだ。つまり、支配したいという欲求が人並以上に強い。人口の大半を占めるNormalには、この欲求は理解しがたい。結局のところ、Domの欲求を埋めることができるのは、Subだけなのだ。
 つまり、NormalとDomが結ばれたとしても、DomはSubを求めてしまう。だからこそ、ダイナミクスの不一致が起こりやすい政略結婚では、結婚相手以外にダイナミクスのパートナーを持つのが貴族の間では通例となっている。特に高位貴族のDomは支配欲求が強い者も多く、複数人のSubを囲っていることがざらにある。
 長い沈黙の後、イライアスは首を振った。

「……俺の母はNormalで、Domの父から不当な扱いを受け続け、不幸になった。俺は、父のようにジェシカを不幸にしたくない」
「でも、ジェシカ嬢の近くにはいたい。だから、騎士団に入ってそばにいるってか?」
「ただそばにいる分には、問題ないだろう」

 なにか痛みを堪えるような顔をして遠い目をするイライアスに、レオナルドはもはやため息をつくしかない。この男は本気で、ジェシカと結ばれようとは夢にも思っていないらしい。
 イライアスは普段、ほとんど自分の我を出さない男だが、ときおり頑固な一面を見せる。こうなると、イライアスは梃子でも動かない。

(まったく、面倒なことになった。俺の将来のために、イライアスを出世させたいと思ってたのに……)

 レオナルドは内心、舌打ちが止まらなかった。
 イライアスのような便利な駒は、なるだけ手元に置いておきたいが、まさかその当人が、恋愛ごときで出世の道を捨ててしまうとは。
 だいたい、恋愛でおかしくなってしまうような輩は、自制心が足りないのだ。自分の立場を弁えていれば、そんなくだらない感情に流されはしないはずなのに。
 なんとか説得できないかと考えあぐね、庭の方を見ると、ふと若いメイドの姿が目に入った。なにやら、庭園の片隅でオロオロしている。お仕着せのメイド服から判断するに、どうやら招待客が連れて来たメイドだろう。
 イライアスも、レオナルドの視線を追って、遅れて異変に気付いた。

「庭の方で問題があったらしいな」
「ああ。まあ、様子を見に行くか」

 面倒なことに気付いてしまったと、一瞬眉根を寄せたレオナルドだったが、無視するわけにもいかない。こういう時に、他人に親切にして貸しを作っておくと、のちのち便利なことをレオナルドはよく知っている。
 レオナルドは、イライアスを連れて大広間から庭に通じる階段に出る。

(やれやれ、面倒な問題でなければいいんだが……)

 レオナルドは人好きのする笑顔を浮かべると、メイドと貴族令嬢に近づく。
 
「ご機嫌よう、レディ」
 
 そう問いかけると、若いメイドが驚いた顔をする。突然あらわれた一国の王子に、親しげに声を掛けられたのだから、その反応も当然だ。
 
「れ、レオナルド殿下!? 栄えある王国の御子に、ご挨拶を――」
「そこまで畏まることはない。それより、なにかお困りのようだが?」
「実は、お嬢さまが胸がドキドキすると仰って、倒れられてしまって……」
 
 メイドは縋るようにレオナルドを見つめている。
 体調を崩してしまった主人を、若いメイド一人で運ぼうとするのは無理があるため、助けを求めていたらしい。
 お嬢さま、と呼ばれた人物は、庭の木陰のベンチに苦しそうに胸を押さえて座っていた。輝くような亜麻色の髪をした令嬢だ。俯いているため顔は見えないが、おそらくレオナルドより年下に見えた。薄桃色のフワフワとしたドレスは真新しく、デビュタントしたばかりなのだろう。

(ふむ、『見知らぬ令嬢を助けた第二王子』という構図も、なかなか悪くはない)
 
 打算的なことを考えたレオナルドは、安心させるように微笑んだ。

「それは大変だ。王宮医のところに連れて行きましょう。幸いにも、ここに馬鹿力だけが取り柄の男がいる」
「だれが馬鹿力だけが取り柄だ」

 散々な言い草に、イライアスは不満そうな顔をした。レオナルドはそれを華麗に無視スルーして、木陰にいる令嬢に声をかける。

「失礼、小さなレディ――」

 声を掛けられた令嬢がゆっくりと顔を上げた。亜麻色の髪がさらさらと肩口からこぼれ、けぶるような長い睫毛に縁取られた瞳が、ゆっくりと開かれる。
 そして、二人の視線が絡み合った。

「――――――――………………」

 レオナルドは思わず息を呑んだ。
 これほどまでに美しい女性を、レオナルドは見たことがなかった。
 甘く整った顔立ちは、全てのパーツが完璧な位置に配置されている。体調が悪いためか、白皙の頬は青白いが、今すぐに触れたくなるほどに滑らかだ。
 風が吹けばすぐに飛んでいってしまいそうなほど華奢な身体は、見ているだけで庇護欲が刺激されて仕方ない。
 そして、なによりもレオナルドの心を容赦なく揺さぶったのは、潤んだ菫色の瞳だった。
 光の加減によって色を変える輝く瞳は、まさにアメジストの宝石のようだ。レオナルドはその美しい瞳を、いつまでも見つめられると思った。その瞳に、自分しか映したくないという苛烈な独占欲が、レオナルドの胸を支配する。
 
(好きだ。俺のものに、したい――……)

 レオナルドを見つめる菫色の瞳の令嬢もまた、レオナルドから視線が逸らせないようだった。澄んだ大きな瞳が、徐々に熱を帯びて潤んでいく。
 まるで魔法にかかってしまったように、二人はお互いを見つめ合う。
 彼女は、レオナルドが生まれてはじめて感じた衝動を、一瞬にして引きずり出した。
 そして、頓悟する。これが恋なのだ。
 抗うことなど到底不可能で、いつも冷静なイライアスすら、冷静でなくなってしまうような。
 レオナルドの背後で、イライアスがメイドが喋っている内容が、断片的に耳に入る。

「心拍数の上昇と意識混濁という症状か。これはダイナミクス初期発現時の、典型的な症状だ。ダイナミクスが分かった時、こうして体調を崩すことがよくある」
「……もしかしたら、お嬢様はSubになられたのかもしれません。奥様もSubでいらっしゃいますし、家系的にもSubの方が多く……」

 この不思議な魅力をたたえた少女は、Subらしい。そう気づいた瞬間、耳の奥で荘厳な鐘の音が鳴り響き、目の前が明るく開けた気がした。世界が一変してしまったような、そんな気さえする。

「君は、Subなのか……?」

 思わず訊ねると、亜麻色の髪の令嬢はかすかに頬を赤らめてコクリと頷いた。

「そうなのかも、しれません……」
 
 ぽってりした唇から紡がれた一言は、まるで鈴の音や小鳥の歌声のように可憐だった。その声は、レオナルドの心を奥底から甘く掻き乱す。
 自分がDomであることに、これ以上の歓びを感じたことはない。この苦しんでいる可憐な令嬢を自分が救ってやらなくてはならない。Domとしての本能が、そうレオナルドに告げていた。
 運命の相手に出会ってしまったのだ。運命のSubに。
 レオナルドは、勢いよくイライアスを振り返った。

「イライアス! 正直な話をすれば、長らく片思いをしているお前を、先ほどまで心底馬鹿にしていた。自制心がないから、恋なんかに溺れるんだと。しかし、俺が間違っていた。前言撤回だ」
「はあ?」

 イライアスは怪訝そうな顔をした。レオナルドは構わず続ける。
 
「お前はNormalに恋をしてしまった可哀想なヤツだ。心底同情する。幸せになれ」
 
 そこまで一気に言うと、レオナルドは再び美しい令嬢に向かいあった。アメジストのような双眸が、レオナルドをひたむきに見上げている。その輝きが、他の何よりも美しい。

「美しい人よ。名前を聞いても?」
「……リーデ・シャルロットと申します」
「リーデ……」

 レオナルドは彼女の名前を舌の上で転がした。何度も呼びたくなるほど、可愛らしい名前だ。
 普段のレオナルドであれば、シャルロット家がどのような家門だったかを抜け目なく考えていたはずだ。王族として、相手は自分にとって最大のメリットをもたらす相手と結婚すると決めていた。
 しかし、運命の相手に出会ってしまった今、シャルロット家がどんな家門であれ、どうでもいい。今はこの令嬢リーデしか、考えられないのだから。
 レオナルドは、勢いよく跪き、リーデの白い手をそっと持ち上げる。
 
「リーデ、“俺と結婚しろ”」
「レオ、お前は何を言っているんだ!?」

 レオナルドが口にしたのは、DomがSubを支配するためのコマンドだった。常識人であるイライアスは面食らった顔をする。
 そして、さらにイライアスをギョッとさせたのは――、

「――はい♡」

 リーデがうっとりした顔で、しかしハッキリとそれに頷いたことである。
 ――その場にいる全員が大パニックになったのは、言うまでもない。
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