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本編
最後の足掻き (2)
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この国の貴族の男たちは、嗜みとして一通り剣術を学んでいる。オリヴェルもまた、例外ではなかったようだ。
無駄のない身のこなしで、オリヴェルは容易にイライアスの懐に入る。
抜刀していなかったイライアスは、剣の柄に手を伸ばしていたが、ワンテンポ遅かった。間に合わない。
イライアスの群青色の目が、ジェシカを見る。
その瞬間、ジェシカは反射的に動いていた。
「させない!」
オリヴェルがイライアスの胸に短刀を突き立てるより速く、ジェシカがイライアスとオリヴェルの間に割って入った。ジェシカは低い位置から過たずオリヴェルの手首に手刀を入れ、武装を解除する。オリヴェルがよろめいた隙に、ジェシカは素早く彼の手を捻りあげ、足払いをかけた。彼が手に持っていた短刀が、音を立てて床に落ちると同時に、オリヴェルも床に倒れこむ。
一瞬の出来事だった。
何が起こったかわからないまま形勢逆転されてしまったオリヴェルは、しばし呆然とする。
「そ、そんな、馬鹿な……」
ジェシカは落ちていた短刀を拾うと、オリヴェルに冷たい視線を投げた。
「私より弱いDomが、私を支配できるとは思えませんね」
その一言に、オリヴェルはしばし目を見開き、口惜しげに歯ぎしりをする。白皙の頬が、屈辱で赤く染まった。
「……くっ、Subのくせに、生意気な! コマンドで命じて、再び私の足元に跪かせても――」
「“黙れ”」
オリヴェルの言葉を遮るようにイライアスがコマンドを発する。オリヴェルは床に膝をついたまま、ヒュッと喉を鳴らした。
イライアスのグレア交じりのコマンドは、Domであるはずのオリヴェルをも従わせる。強者としての支配者の風格が漂い、その場にいる誰もを圧倒した。
隣にいるジェシカさえも、イライアスのコマンドの影響で、声帯が硬直したように動かせない。しかし、不思議なことにそれを不快だとは思わなかった。それどころか、まるで優しく抱きしめられているような、心が安らぐような感覚に酔いしれる。
(ああ、イライアスのコマンドだ……)
イライアスのコマンドが、身体にすんなりなじんでいく。身体がふわりと温かくなる。ジェシカはうっとりと目を細めた。身も心も委ねられる相手からのコマンドは、こんなにも心地よい。
やはり、ジェシカが従いたいと思えるDomは、イライアスだけだ。
イライアスはオリヴェルをじっと見下ろす。
「Domのコマンドは、Subからの信頼があって初めて成り立つものだ。お前のコマンドは、Subを支配下に置こうとするだけ。それは、ただの暴力でしかない」
「なにを、偉そうに……! 貴様に指図される謂れはない!」
オリヴェルがよろよろと床から立ち上がる。身体からはうっすらとグレアが漂い出した。丸眼鏡の奥の眼に宿るのは、怒りと憎悪だ。イライアスを射殺さんばかりの眼差しで睨みつける。
しかし、イライアスはそれすらも意に介さずオリヴェルの邪悪なグレアから守るように、ジェシカを抱き寄せた。まるで、ジェシカのパートナーは誰か、オリヴェルに見せつけるかのように。
「お前のような卑劣なDomに、俺のSubは渡さない。ジェシカは返してもらう」
「貴様……ッ、ジェシカを……」
「“地に伏せろ”。気安くジェシカの名前を呼ぶな」
「ぐッ……」
圧倒的なコマンドは、オリヴェルをついに床に這いつくばらせた。もはや、オリヴェルは無力に喘ぐことしかできない。
「こんな屈辱を、私に与えるなんて……ッ!」
「これで、ジェシカや他のSubの令嬢たちがどれほどまでの恐怖や苦痛を感じていたか、少しは理解できただろう。もし、これでも理解できないと喚くのであれば、これ以上の辱めを与えるまでだが」
イライアスに冷たく睥睨され、オリヴェルは唇をわななかせて押し黙る。
そんな折に、しんと静まり返っていた屋敷が、にわかに騒がしくなった。複数の足音が聞こえ、どんどんこちらに近づいてくる。ドアを大開きにし、部屋に転がるように入ってきたのは、第一騎士団の同僚であるダンだ。遅れて、騎士団の騎士たちもなだれ込んでくる。
ダンは、入ってきて早々、ぎょっとした顔をした。不穏な雰囲気を醸し出すイライアスの前で、オリヴェルが苦しそうに這いつくばっていたのだから、無理もない。
「おいおいおいおい、なにやってるんだよイライアス! せっかく追い詰めた容疑者を殺す気か!」
ダンはイライアスとオリヴェルの間に割って入った。騎士たちが手早くオリヴェルを抑えつける。もはや抵抗する気力もないらしく、オリヴェルはあっさりと捕縛の上、連行されていった。これから、オリヴェルは厳しい取り調べを受けることになるのだろう。
部屋の隅にいたリーデも、無事に保護され、騎士たちに運ばれていった。別の部屋にいるという令嬢たちも、すぐに保護されるだろう。
ダンはジトっとした目をイライアスに向けた。
「まったく、作戦はもう少し待つように言われていたのに、お前だけ突っ走っていくから、本当に焦ったんだぞ。どこぞのイノシシ娘じゃないんだから、もうちょっと足並み揃えてくれたらよかったんだけどなぁ」
「十分待った」
それだけあっさり言うと、イライアスは隣に立っていたジェシカの肩にジャケットを羽織らせ、いきなり横抱きにする。ジェシカは悲鳴をあげた。
「それじゃ、あとは任せた。ジェシカはケアが必要だ」
「ちょっと、なにするのよ! おろして!」
「ダメだ」
あっさり言うと、イライアスはジェシカを抱き上げたまま、問答無用でスタスタと歩きだす。ジェシカが暴れても、逞しい腕はびくともしない。
ダンは半笑いでひらひらと手を振った。
「あー、はいはい。後始末はなんとかこっちでやっとくから、ごゆっくり」
こうして、イライアスに横抱きされたまま、ジェシカはオリヴェルの屋敷を後にした。
無駄のない身のこなしで、オリヴェルは容易にイライアスの懐に入る。
抜刀していなかったイライアスは、剣の柄に手を伸ばしていたが、ワンテンポ遅かった。間に合わない。
イライアスの群青色の目が、ジェシカを見る。
その瞬間、ジェシカは反射的に動いていた。
「させない!」
オリヴェルがイライアスの胸に短刀を突き立てるより速く、ジェシカがイライアスとオリヴェルの間に割って入った。ジェシカは低い位置から過たずオリヴェルの手首に手刀を入れ、武装を解除する。オリヴェルがよろめいた隙に、ジェシカは素早く彼の手を捻りあげ、足払いをかけた。彼が手に持っていた短刀が、音を立てて床に落ちると同時に、オリヴェルも床に倒れこむ。
一瞬の出来事だった。
何が起こったかわからないまま形勢逆転されてしまったオリヴェルは、しばし呆然とする。
「そ、そんな、馬鹿な……」
ジェシカは落ちていた短刀を拾うと、オリヴェルに冷たい視線を投げた。
「私より弱いDomが、私を支配できるとは思えませんね」
その一言に、オリヴェルはしばし目を見開き、口惜しげに歯ぎしりをする。白皙の頬が、屈辱で赤く染まった。
「……くっ、Subのくせに、生意気な! コマンドで命じて、再び私の足元に跪かせても――」
「“黙れ”」
オリヴェルの言葉を遮るようにイライアスがコマンドを発する。オリヴェルは床に膝をついたまま、ヒュッと喉を鳴らした。
イライアスのグレア交じりのコマンドは、Domであるはずのオリヴェルをも従わせる。強者としての支配者の風格が漂い、その場にいる誰もを圧倒した。
隣にいるジェシカさえも、イライアスのコマンドの影響で、声帯が硬直したように動かせない。しかし、不思議なことにそれを不快だとは思わなかった。それどころか、まるで優しく抱きしめられているような、心が安らぐような感覚に酔いしれる。
(ああ、イライアスのコマンドだ……)
イライアスのコマンドが、身体にすんなりなじんでいく。身体がふわりと温かくなる。ジェシカはうっとりと目を細めた。身も心も委ねられる相手からのコマンドは、こんなにも心地よい。
やはり、ジェシカが従いたいと思えるDomは、イライアスだけだ。
イライアスはオリヴェルをじっと見下ろす。
「Domのコマンドは、Subからの信頼があって初めて成り立つものだ。お前のコマンドは、Subを支配下に置こうとするだけ。それは、ただの暴力でしかない」
「なにを、偉そうに……! 貴様に指図される謂れはない!」
オリヴェルがよろよろと床から立ち上がる。身体からはうっすらとグレアが漂い出した。丸眼鏡の奥の眼に宿るのは、怒りと憎悪だ。イライアスを射殺さんばかりの眼差しで睨みつける。
しかし、イライアスはそれすらも意に介さずオリヴェルの邪悪なグレアから守るように、ジェシカを抱き寄せた。まるで、ジェシカのパートナーは誰か、オリヴェルに見せつけるかのように。
「お前のような卑劣なDomに、俺のSubは渡さない。ジェシカは返してもらう」
「貴様……ッ、ジェシカを……」
「“地に伏せろ”。気安くジェシカの名前を呼ぶな」
「ぐッ……」
圧倒的なコマンドは、オリヴェルをついに床に這いつくばらせた。もはや、オリヴェルは無力に喘ぐことしかできない。
「こんな屈辱を、私に与えるなんて……ッ!」
「これで、ジェシカや他のSubの令嬢たちがどれほどまでの恐怖や苦痛を感じていたか、少しは理解できただろう。もし、これでも理解できないと喚くのであれば、これ以上の辱めを与えるまでだが」
イライアスに冷たく睥睨され、オリヴェルは唇をわななかせて押し黙る。
そんな折に、しんと静まり返っていた屋敷が、にわかに騒がしくなった。複数の足音が聞こえ、どんどんこちらに近づいてくる。ドアを大開きにし、部屋に転がるように入ってきたのは、第一騎士団の同僚であるダンだ。遅れて、騎士団の騎士たちもなだれ込んでくる。
ダンは、入ってきて早々、ぎょっとした顔をした。不穏な雰囲気を醸し出すイライアスの前で、オリヴェルが苦しそうに這いつくばっていたのだから、無理もない。
「おいおいおいおい、なにやってるんだよイライアス! せっかく追い詰めた容疑者を殺す気か!」
ダンはイライアスとオリヴェルの間に割って入った。騎士たちが手早くオリヴェルを抑えつける。もはや抵抗する気力もないらしく、オリヴェルはあっさりと捕縛の上、連行されていった。これから、オリヴェルは厳しい取り調べを受けることになるのだろう。
部屋の隅にいたリーデも、無事に保護され、騎士たちに運ばれていった。別の部屋にいるという令嬢たちも、すぐに保護されるだろう。
ダンはジトっとした目をイライアスに向けた。
「まったく、作戦はもう少し待つように言われていたのに、お前だけ突っ走っていくから、本当に焦ったんだぞ。どこぞのイノシシ娘じゃないんだから、もうちょっと足並み揃えてくれたらよかったんだけどなぁ」
「十分待った」
それだけあっさり言うと、イライアスは隣に立っていたジェシカの肩にジャケットを羽織らせ、いきなり横抱きにする。ジェシカは悲鳴をあげた。
「それじゃ、あとは任せた。ジェシカはケアが必要だ」
「ちょっと、なにするのよ! おろして!」
「ダメだ」
あっさり言うと、イライアスはジェシカを抱き上げたまま、問答無用でスタスタと歩きだす。ジェシカが暴れても、逞しい腕はびくともしない。
ダンは半笑いでひらひらと手を振った。
「あー、はいはい。後始末はなんとかこっちでやっとくから、ごゆっくり」
こうして、イライアスに横抱きされたまま、ジェシカはオリヴェルの屋敷を後にした。
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