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本編

最後の足掻き (1)

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 部屋のドアが開かれた瞬間、黒髪の男が飛び込んでくる。そして、凄まじいグレアが放たれた。苛烈な怒りを含んだ凄まじい波動を、オリヴェルは正面からまともに食らう。

「ぐ……っ!」

 くぐもった声を上げ、オリヴェルは糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
 このくらくらするほどの圧倒的なグレアを放つ人間を、ジェシカはよく知っている。信じられない思いで顔をあげると、そこには正装のままのイライアスがいた。腰ベルトに彼が愛用しているやや大ぶりの剣が差さっている。髪は乱れ、額には汗をかいていた。

「イライ、アスっ……!」
「ジェシカ!」

 名前を呼ばれただけで、緊張を強いられていた全身の力がどっと抜けていくのを感じた。オリヴェルからのコマンドから解放されたジェシカは、吐き気を堪えながら身体を起こす。
 イライアスはジェシカに走り寄り、抱きしめた。彼の胸はドクドクと早鐘のように鼓動し、抱きしめる腕の力はあまりに強い。いつも冷静な彼が、焦りと心配を露わにしている。

「よく、耐えてくれた……。いい子だ」

 イライアスのリワードで、ジェシカの身体がたちまち軽くなっていく。手足の強ばりが薄れ、身体の支配権がようやく自分に戻ったのだと実感する。
 ジェシカは必死で訴えた。

「イライアス、リーデ様が……! それに、他のご令嬢たちも他の部屋にいるって……」
もう大丈夫だ。すぐに助けは来る。だから、ジェシカは何も心配しなくていい

 優しく労わるように言われ、目の奥がじんわりと熱くなる。

(もう、大丈夫……)
 
 イライアスの言葉を、心の中で反駁する。心の中の不安が一気に溶け出して、熱い息となって零れた。鼻の奥がツンとする。
 背中に回されていた手が、そっとジェシカの頭を撫でる。サブドロップしかけて狭くなっていた視界も徐々に正常になり、ようやく嫌な音をたてて脈動していた心臓も落ち着いた。
 イライアスが側にいるというだけで、酷く苦しかった胸がひどく凪いでいく。
 ようやくジェシカの呼吸が安定したと同時に、イライアスは静かにオリヴェルを振り返った。
 
「よくも、ジェシカを……」
 
 地を這うような低い声が部屋に響く。それに加え、容赦ないグレアを放たれた。ジェシカに向けられたものではないとはいえ、気を抜くとジェシカまで気を失ってしまいそうだ。ぐらぐらと視界が揺れる。
 パートナーであるSubが危険に晒された時、DomはSubを守ろうとするあまり、攻撃的になってしまう。いわゆるディフェンス状態に、イライアスは陥っていた。
 群青色の瞳は、ギラギラと憎しみに燃え、彼の手は剣の柄に伸ばされている。イライアスは騎士団の中でもトップクラスの剣の使い手だ。このまま抜刀すれば、間違いなくオリヴェルは大怪我を負うだろう。

「イライアス、落ち着いて。相手に敵意はないわ」

 ジェシカは落ち着いた声で言う。
 現に、オリヴェルはイライアスの強いグレアをまともに浴びて、何とか片膝をつくのが精いっぱいという状態だった。とても反撃ができる状態ではない。
 イライアスはしばらくきつくオリヴェルを睨んだが、ふっとグレアを解いた。

「……今もまだ胴と首がくっついているだけ、幸運だったと思え。次はない」

 ようやく身体が自由になったオリヴェルはよろよろと立ち上がり、丸眼鏡を押し上げ、服の汚れを払う。イライアスの圧倒的なグレアをまともにくらったせいか、その顔は青ざめている。

「私はこの国の副宰相ですよ。勝手に人の屋敷に入るなど、許されると思っているのですか?」
「リーデ嬢をはじめとしたSubの令嬢の誘拐容疑はかねてからあった。それに、俺のパートナーが攫われたのは歴とした事実。俺がこの屋敷に入る理由は十分過ぎるほどある。……お前が、ジェシカを囮にすれば食いつくと分かってたぞ」
「さすが、冷徹騎士の名は伊達ではないようですね。自分のパートナーを囮にして、動かぬ証拠を掴みにくるとは」
「ずっと、ジェシカのことを嗅ぎまわっている情報は掴んでいたからな」
「ああ、私としたことが、こんなことになるなんて……。あまりに魅力的なSubを前に、私も周りが見えなくなっていたようだ」

 オリヴェルは苦笑しながらソファに座る。そして、眉根を寄せてジェシカを見た。その顔は、いつも通りの善人そうな男の顔に戻っている。

「しかし、ジェシカ。私は心配です。DomにとってSubは守るべき相手であり、庇護の対象であるはず。それなのに、イライアス・ローデは貴女を囮にするような真似をした」
「…………」
「こんな冷血漢よりも、私の方がずっと大切に貴女を支配すると誓いますよ。Subは弱い存在だからこそ、強いDomを必要としている。DomはSubをいかなる時も庇護しなければならない。これが正しい在り方であるのに、この男はそんなことすらも分かっていないようだ。DomはSubをいかなる時も庇護し、守り、幸せにしなければならないというのに」

 その言葉に、一瞬イライアスの瞳が揺れた。整った顔に、深い罪悪感と後悔が浮かぶ。――それは、イライアスが見せた、一瞬の隙だった。
 抜け目ないオリヴェルは、その隙を見逃さない。

「この私が、なんの対策もしていないとでも?」

 跳ねるようにソファから立ち上がったオリヴェルは、大きく右足を踏み出し、イライアスとの間を詰めた。手には、隠し持っていたらしい鈍く光る短刀が握られている。
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