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本編
金猫亭での再会(2)
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「なるほど。それでは今日が酒場に来たのは初めてなんですね」
「はい。……でも、誰も話かけてくれないので、やっぱり私みたいな見るからにガサツな女は難しいのかなって」
「とんでもない。貴女はすごく魅力的な人ですよ。――ここにいる、誰よりも。でも、貴女は美しすぎて、普通のDomでは声をかけることすら尻込みするでしょうね」
「や、やだ、そんな……」
「自信を持ってください。貴女は魅力的な人ですから」
オリヴェルの心地よい低い声が、じわじわと心の内側に染み込んでいく。
(褒められた……)
Subとしての「相手に認められたい」という本能が満たされ、ジェシカの身体の芯が仄かに暖かくなった。しかし、自分の置かれている境遇を思い出して、途端に気持ちが沈んでいく。
(……なんか、イライアスを裏切ってるような気分)
パートナーを解消したいのであれば、新たなパートナーを探すよう言ってきたのはイライアスだ。それなのに、他のDomと話しているとなぜか不誠実なことをしているようで胸が痛む。
表情が暗くなったジェシカの顔を、オリヴェルは気遣わしげに覗き込んだ。
「なにかお悩みですか? 私で良ければ、相談にのりますよ。なにかお力になれるかもしれません。まあ、お話する前に、飲み物を頼んでおきましょうか。この店のリンゴ酒はユークリスト産のもので、珍しいんですよ」
「じゃあ、リンゴ酒をお願いします。すみません、気を遣わせてしまいましたよね」
「いいんですよ。今日は完全にプライベートでここにいるんですから、そんなに畏まらないでください」
オリヴェルはウェイターを呼び、リンゴ酒とワインをオーダーした。
「パートナーは、どんな人なんですか?」
「……幼なじみなんです」
「ほう、ジェシカ嬢のパートナーはイライアス・ローデなんですね」
オリヴェルはいきなり切りこんできた。ジェシカは驚いた顔をする。
「ええっ、すごい! なんで知ってるんですか?」
「ジェシカさんが子爵家のご令嬢だというのも、出会った当初から気付いておりましたよ。貴女の父上は伝説の騎士、ジェイス・ウォグホーン。お母上のメリッサ・ウォグホーンは、ローデ伯爵夫人と大親友。イライアス・ローデと貴女が幼い頃から親交があるのは、母親同士の付き合いによるものですよね?」
淀みなく言いあてられ、返す言葉もない。ジェシカは目を丸くしたまま、思わず拍手をした。
「す、すごいですね……」
「仕事柄、貴族の家系図や人間関係はすべて頭に入っているんです。覚えておくと何かと便利ですからね。それで、相手がローデ家の嫡男であるイライアス・ローデとなれば、パートナーとして申し分ないでしょう。どうして貴女は彼を避けるのですか?」
「それは……」
ジェシカは言いよどむ。
「この関係はあくまでも一時的なものだと言われているんです。イライアスはずっと片思いをしている相手がいるのに、幼なじみだからって、義務感でパートナーになってくれたみたいで……」
義務感という言葉が、意外と自分の胸にぐさりと刺さる。
言葉にすると、よく分かる。現状は、言うなれば泥沼なのだ。このままこの状況に甘んじていたとしても、ずぶずぶと沈んでいくだけ。ジェシカとイライアスはこれ以上の関係に進めない。
「別に、イライアスさんが同意してパートナーになったのであれば、ジェシカ嬢がそこまで気に病むことではないと思いますが……」
「迷惑をかけたくないんです。イライアスは立派なローデ伯爵家の跡継ぎで、それに対してウォグホーン子爵家はほとんど没落している平民に近い立場です。……本当は、私なんてイライアスに釣り合わない」
「イライアス・ローデを利用してやったらいいと思いますけどね。ローデ家の資産があれば、ウォグホーン子爵家はあっという間に立て直せるでしょうし」
「それじゃ嫌なんです。イライアスに、迷惑が掛かってしまうかもしれないから……」
首を振るジェシカを、オリヴェルはじっと見つめた。眼鏡の奥の瞳が、微かに光る。
「ジェシカ嬢は、パートナーのことを、すごく思っているんですね。ちょっと羨ましいくらいだ」
オリヴェルの冷たい指先が、ジェシカの頬をなぞった。
「そこで、提案があるのですが、私のパートナーになるのはいかがでしょう?」
「え、ええ……っ!? 冗談、……ですよね?」
「いいえ、私は真剣ですよ」
Domだと証明する赤い紐が手首に巻かれた手が、ジェシカの手に重なる。男性らしく節ばったその手は、ひやりと冷たい。熱心に見つめてくるその瞳は優しそうに細められているのに、なぜか底なしの闇が広がっているようで、なぜか目が離せない。
「私は今、ちょうどパートナーはいません。それに、出会った時から貴女に惹かれていました。貴女は強く、美しい。だから、どうか真剣に考えていただけませんか?」
「そ、それは……」
ジェシカは狼狽えた。まさか初めての酒場で、こんな展開になると思っていなかった。
(オリヴェルさんと、パートナー……)
いい条件のような気もする。オリヴェルはこれまで会ったDomの中でもかなり穏やかで、紳士的だ。きっと良いパートナーになってくれるだろう。
それに、ジェシカに新しいパートナーができれば、イライアスとのパートナー関係を解消できる。
(イライアスを、解放してあげることができる……)
願ってもない申し出だ。頷くべきなのはわかっている。しかし、ジェシカはどうしても頷けなかった。
こんな時ですら、イライアスのことばかり脳裏に浮かぶ。怜悧な横顔や、プレイ中のこの上なく優しい笑顔。そして、ジェシカの名前を呼ぶときの胸が苦しくなるほどの甘い声。
この期に及んで、ジェシカはイライアスのことが好きなままなのだ。
オリヴェルのことは良い人だと思うし、嫌いではない。一緒にいて楽しいとも思う。けれど、イライアス以外を選べない。
(いつの間に、こんなにも好きになっちゃったんだろう……)
ジェシカは戸惑いを隠せないまま、ただ俯くしかできなかった。
「そんな顔をしないでください、ジェシカ嬢。私は貴女を困らせたかったわけではないのですよ」
「ごめんなさい、あの……」
「いいんですよ。謝らないで。急に距離を詰めた私が悪かったのです。貴女があまりに魅力的な人だから、どうしても欲しくなってしまった」
そう言って、オリヴェルはくつくつ笑いながらジェシカの手を解放し、頬杖をついた。相変わらず、謎めいた視線はこちらに向けたままだ。
「すぐに答えが欲しいわけではありません。選択肢の一つとして、まずは考えていてください」
「わかりました。すぐに結論はでないと思いますが……」
「いくらでも待ちますよ。もちろん、何もせずにじっと待つ気はさらさらありませんが」
オリヴェルは意味深に微笑む。
「はい。……でも、誰も話かけてくれないので、やっぱり私みたいな見るからにガサツな女は難しいのかなって」
「とんでもない。貴女はすごく魅力的な人ですよ。――ここにいる、誰よりも。でも、貴女は美しすぎて、普通のDomでは声をかけることすら尻込みするでしょうね」
「や、やだ、そんな……」
「自信を持ってください。貴女は魅力的な人ですから」
オリヴェルの心地よい低い声が、じわじわと心の内側に染み込んでいく。
(褒められた……)
Subとしての「相手に認められたい」という本能が満たされ、ジェシカの身体の芯が仄かに暖かくなった。しかし、自分の置かれている境遇を思い出して、途端に気持ちが沈んでいく。
(……なんか、イライアスを裏切ってるような気分)
パートナーを解消したいのであれば、新たなパートナーを探すよう言ってきたのはイライアスだ。それなのに、他のDomと話しているとなぜか不誠実なことをしているようで胸が痛む。
表情が暗くなったジェシカの顔を、オリヴェルは気遣わしげに覗き込んだ。
「なにかお悩みですか? 私で良ければ、相談にのりますよ。なにかお力になれるかもしれません。まあ、お話する前に、飲み物を頼んでおきましょうか。この店のリンゴ酒はユークリスト産のもので、珍しいんですよ」
「じゃあ、リンゴ酒をお願いします。すみません、気を遣わせてしまいましたよね」
「いいんですよ。今日は完全にプライベートでここにいるんですから、そんなに畏まらないでください」
オリヴェルはウェイターを呼び、リンゴ酒とワインをオーダーした。
「パートナーは、どんな人なんですか?」
「……幼なじみなんです」
「ほう、ジェシカ嬢のパートナーはイライアス・ローデなんですね」
オリヴェルはいきなり切りこんできた。ジェシカは驚いた顔をする。
「ええっ、すごい! なんで知ってるんですか?」
「ジェシカさんが子爵家のご令嬢だというのも、出会った当初から気付いておりましたよ。貴女の父上は伝説の騎士、ジェイス・ウォグホーン。お母上のメリッサ・ウォグホーンは、ローデ伯爵夫人と大親友。イライアス・ローデと貴女が幼い頃から親交があるのは、母親同士の付き合いによるものですよね?」
淀みなく言いあてられ、返す言葉もない。ジェシカは目を丸くしたまま、思わず拍手をした。
「す、すごいですね……」
「仕事柄、貴族の家系図や人間関係はすべて頭に入っているんです。覚えておくと何かと便利ですからね。それで、相手がローデ家の嫡男であるイライアス・ローデとなれば、パートナーとして申し分ないでしょう。どうして貴女は彼を避けるのですか?」
「それは……」
ジェシカは言いよどむ。
「この関係はあくまでも一時的なものだと言われているんです。イライアスはずっと片思いをしている相手がいるのに、幼なじみだからって、義務感でパートナーになってくれたみたいで……」
義務感という言葉が、意外と自分の胸にぐさりと刺さる。
言葉にすると、よく分かる。現状は、言うなれば泥沼なのだ。このままこの状況に甘んじていたとしても、ずぶずぶと沈んでいくだけ。ジェシカとイライアスはこれ以上の関係に進めない。
「別に、イライアスさんが同意してパートナーになったのであれば、ジェシカ嬢がそこまで気に病むことではないと思いますが……」
「迷惑をかけたくないんです。イライアスは立派なローデ伯爵家の跡継ぎで、それに対してウォグホーン子爵家はほとんど没落している平民に近い立場です。……本当は、私なんてイライアスに釣り合わない」
「イライアス・ローデを利用してやったらいいと思いますけどね。ローデ家の資産があれば、ウォグホーン子爵家はあっという間に立て直せるでしょうし」
「それじゃ嫌なんです。イライアスに、迷惑が掛かってしまうかもしれないから……」
首を振るジェシカを、オリヴェルはじっと見つめた。眼鏡の奥の瞳が、微かに光る。
「ジェシカ嬢は、パートナーのことを、すごく思っているんですね。ちょっと羨ましいくらいだ」
オリヴェルの冷たい指先が、ジェシカの頬をなぞった。
「そこで、提案があるのですが、私のパートナーになるのはいかがでしょう?」
「え、ええ……っ!? 冗談、……ですよね?」
「いいえ、私は真剣ですよ」
Domだと証明する赤い紐が手首に巻かれた手が、ジェシカの手に重なる。男性らしく節ばったその手は、ひやりと冷たい。熱心に見つめてくるその瞳は優しそうに細められているのに、なぜか底なしの闇が広がっているようで、なぜか目が離せない。
「私は今、ちょうどパートナーはいません。それに、出会った時から貴女に惹かれていました。貴女は強く、美しい。だから、どうか真剣に考えていただけませんか?」
「そ、それは……」
ジェシカは狼狽えた。まさか初めての酒場で、こんな展開になると思っていなかった。
(オリヴェルさんと、パートナー……)
いい条件のような気もする。オリヴェルはこれまで会ったDomの中でもかなり穏やかで、紳士的だ。きっと良いパートナーになってくれるだろう。
それに、ジェシカに新しいパートナーができれば、イライアスとのパートナー関係を解消できる。
(イライアスを、解放してあげることができる……)
願ってもない申し出だ。頷くべきなのはわかっている。しかし、ジェシカはどうしても頷けなかった。
こんな時ですら、イライアスのことばかり脳裏に浮かぶ。怜悧な横顔や、プレイ中のこの上なく優しい笑顔。そして、ジェシカの名前を呼ぶときの胸が苦しくなるほどの甘い声。
この期に及んで、ジェシカはイライアスのことが好きなままなのだ。
オリヴェルのことは良い人だと思うし、嫌いではない。一緒にいて楽しいとも思う。けれど、イライアス以外を選べない。
(いつの間に、こんなにも好きになっちゃったんだろう……)
ジェシカは戸惑いを隠せないまま、ただ俯くしかできなかった。
「そんな顔をしないでください、ジェシカ嬢。私は貴女を困らせたかったわけではないのですよ」
「ごめんなさい、あの……」
「いいんですよ。謝らないで。急に距離を詰めた私が悪かったのです。貴女があまりに魅力的な人だから、どうしても欲しくなってしまった」
そう言って、オリヴェルはくつくつ笑いながらジェシカの手を解放し、頬杖をついた。相変わらず、謎めいた視線はこちらに向けたままだ。
「すぐに答えが欲しいわけではありません。選択肢の一つとして、まずは考えていてください」
「わかりました。すぐに結論はでないと思いますが……」
「いくらでも待ちますよ。もちろん、何もせずにじっと待つ気はさらさらありませんが」
オリヴェルは意味深に微笑む。
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