[短編]白薔薇の女騎士は元騎士団長に愛を乞う

沖果南

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隻腕の男

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 リンゼイ王国の王都の大通りにあるすすけた酒場のカウンターで、隻腕の男がひとり酒をあおっていた。彼の前にはすで数杯分の空のグラスが並んでいるが、いまだ前髪に隠れた青灰色の瞳の眼光はギラギラと鋭い。
 たったひとりで酒を飲む男は、低く唸った。

「この程度では酔えるわけがない。もっといい酒はないのか」
「おうおう、あの誇り高きレンナート・ベルナク騎士団長殿はずいぶん落ちぶれたもんなぁ」

 酒場のマスターに、レンナートと呼ばれた男は顔をしかめた。

「騎士団長と呼ぶな。片手を失った今、俺はただの穀潰しだ」

「はいはい、元・騎士団長殿。あんまり飲みすぎるなよ」

 そういいながら、マスターはドンとなみなみと注がれた麦酒をレンナートの前に置く。その麦酒をぐいっと一気に半分程度まで飲んだレンナートは、荒々しく口元を拭った。伸ばしすぎて乱れた黒髪と、無精ひげが顔を覆っているが、目を凝らして見るとなかなかに精悍だ。ゆったりしたシャツを着ていてもなおわかる厚い胸板は、彼が昔騎士だった名残だ。
 酒場の小さな窓から秋の夕陽が差し込んでいる。そろそろこの酒場にも仕事を終えた街の男たちが、こぞってやってくるだろう。これから押し寄せて来る客のためにせっせとグラスを磨いていたマスターが、レンナートにちらりと目をやる。


「今日こそ早めに帰らないと、新妻が寂しがるぞ」
「ロゼッタは別に、関係ない」

「関係ないわけないだろう。この際だから言わせてもらうが、俺たちみんなロゼッタちゃんの味方なんだからな。お前が酔いつぶれたら、いつも迎えに来るのはロゼッタちゃんなんだ。あんなに心配そうな顔して、見ていてこっちが辛くなる。美人な嫁さんにあんな顔させちゃだめだろう」

「……余計なお世話だ」

 そっけない口調でレンナートは答え、一気に麦酒の半分まであおる。酔いはまだ、来そうにない。
 マスターは大げさにため息をついた。

「まったく、あんな美人を捕まえたっていうのに、しけた面しやがってよ」
「捕まえたわけじゃない。俺の腕がこんなんになったから、ロゼッタは同情して結婚しただけさ」

 レンナートはポンポン、と自分の左肩あたりを叩く。筋骨隆々だった左腕は、そこにはない。
 ちょうど一年前、レンナートは国王暗殺をたくらむ逆賊どもから国王を守り抜き、その代償として片腕を失った。
 自らの命を賭けて王を守ったことから、王はレンナートに深い信頼を寄せ、騎士団長として留まるよう求めた。しかし、片腕になったことから思うように戦えなくなったレンナートは、騎士団長の座を自ら辞し、騎士団を去った。

 そんなレンナートをなかば押しかけるようにして結婚したのが、レンナートの部下だった女騎士ロゼッタだ。彼女は半ば強引に、左腕を失ったレンナートには手助けが必要だろうと家に転がり込み、自暴自棄になったレンナートと結婚した。

「俺みたいなろくでなしと結婚するなんて、ロゼッタアイツも酔狂なヤツだ」
「ロゼッタちゃんはそういう子じゃないだろ。確かにちょっと人形みたいに綺麗な顔してるし、無口でとっつきにくい感じだが、根はいい子だし……」
「俺にはもったいないって言いいたいんだろ」

 青灰色の瞳が、陰鬱な色を帯びる。

 ロゼッタは優秀な女騎士だ。王国への忠誠心も高く、誠実な人柄から人望も厚い。その上、誰もが息をのむほどの美貌の持ち主だ。その美しさからついたあだ名は、白薔薇の女騎士。市民からも絶大な人気を誇り、騎士団の中でもロゼッタに熱をあげる騎士はあとを絶たない。
 だからこそ、輝くように美しい妻と対峙するたびに、レンナートの胸は引きつるように痛む。

 かつてのレンナートは多くの部下を持ち、リンゼイ王国最強の騎士と呼ばれ、誇り高くこの国を守ると誓い、両の腕はこの世界のすべてを守れると思っていた。しかし、左腕を失くした瞬間、多くのものがこぼれ落ちた。盾と剣をもって戦うことすらままならない。あっという間に最強の騎士の座から陥落したレンナートのプライドは粉々に砕けた。
 騎士団を去った時に国王から与えられた報奨金は、ことごとく酒代に溶かしている。酒に溺れている間だけ、この恥ずかしい己自身の境遇を忘れられた。

 それなのに、ロゼッタはそんな自分を決して見捨てない。毎日王都のどこかで酔いつぶれたレンナートを探し出し、黙って家に連れて帰る。頼んでいないと抵抗しても、馬鹿な女だと侮蔑の言葉を吐かれても。こんなに惨めな思いをするなら、いっそ見捨ててくれた方が、はるかに気が楽なのに。

 レンナートは伸びきった無精ひげを指でなぞって、遠い目をした。

「ロゼッタはまだ23歳。将来だってある。俺となんて別れたほうが……」

 その瞬間、酒屋の扉がバァンと勢いよく開いた。
 夕陽を背負って現れたのは、輝く銀髪の女騎士だった。凛とした顔立ちは名匠が作ったビスクドールのように整っており、長いまつ毛に縁どられた瞳は冴えわたる冬の空を切り取ったような碧眼。均整の取れた四肢はすらりとしていて、街を行く人々が思わず振り返り、見惚れてしまうほど美しい。

 そして、彼女の身を包むのは、誉れある王宮騎士団の制服。

 王に側に仕えことを許された者だけが身に着けられる華麗な騎士服は、群青色。上衣は襟が高く、胸元には金糸と銀糸で鷹が刺繍されており、夕陽を浴びてキラキラと輝いている。右胸の飾緒かざりおは真紅で、群青色によく映える。やはり群青色の細身の下衣に、編み上げのロングブーツは、女性らしい曲線を残しつつも引き締まった身体を強調するようだ。

 彼女の名は、ロゼッタ・ベルナク。誇り高い王宮騎士団の騎士であり、レンナートの妻である。

「おう、噂をすればロゼッタちゃんじゃないか。今日のお迎えはずいぶん早かったなぁ」

 のんびりとマスターは微笑んだが、ロゼッタの顔を見たレンナートは訝しげな顔をした。なんだか違和感がある。いつもはポーカーフェイスでなにを考えているかわからないロゼッタが、心なしか笑っているような――。

「……? ロゼッタ、お前どうしたん――」
「たのもーう! 私のかわいいダーリンはいずこか!」
「へぁ!?」

 突然の白薔薇の騎士の一言に、レンナートは目を見開き、その場は騒然となった。
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