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トカゲの尻尾切り
二
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「とにかくメイジ。あの人のゆーことをまともに聞いちゃいかんよ。大事なネジを一個、いまだ紛失中だから」
「卓ちゃ~ん。それはねえだろ」
それにしてもきょうのジョーさんはしつこい。まだ向かってこようとする。
すると、メイジが手を広げ、ジョーさんの行く手を阻んだ。
「だからお触り禁止ですって。先輩。うちの卓は」
「あ? なんだ、お前もあれか。つうかお前、このあいだまさ──」
「ああー!」
と、メイジが大声を出した。
その大きさにびっくりして、俺は思わず身を縮めた。
維新も、藤堂さんも鷲尾さんも、黒澤さえも、こっちへ視線を向けている。
「なんだ、てめえ。いきなり大声出しやがって」
「先輩、あっちにいい女がいます」
「なに?」
メイジが指さしたほうへジョーさんは素早く振り向いた。
しかし、すぐに顔を戻すと、メイジの頭を一発叩いた。
「ここに女なんかいるか。あそこの看護師だって野郎なのに」
「ですよねー」
「ジョーさん!」
トラックから鋭い声が飛んできた。俺たちの近くを走っていた黒澤が顎をしゃくってどこかを示す。
グラウンドを覆うように伸びている木々のあいだからミツさんが姿を現した。こっちへ来いと叫ばんばかりに手を振っている。それを見たジョーさんは慌てて走り出す。
俺は、ほっと息をついた。
「ああ、やっと行ったぁ。ミツさんに感謝」
ぱんと手を合わせ、二人の消えたほうを拝む。
「卓。つーか、ミツさんだけかよ」
「いえっ。メイジさまさま」
俺はすぐさまメイジへ振り返り、合わせた手を揉んで、もっと拝んでやった。
「お前、投げやりだろ。それ」
固くつむっていた目を開けてメイジを見上げると、俺へと注がれていた視線が急に跳ね上がった。表情も変わる。メイジの視線を追うようにして俺は振り返った。
まず、その服装へ目がいった。サスペンダーつきのピンストライプのズボンに、淡い色のワイシャツを着ている。ネクタイをしっかりしめ、ハンチング帽を被っている。まるで絵に描いたような「お坊っちゃん」が、こっちへ向かって悠々と歩いていた。
風見館の人は、なにげにオシャレさんばっかりだ。きのうのあの人……柳さんだっけ。あの人も、学校のない日だっていうのにジャケットを羽織っていた。
「マキさんまで来たよ」
「お、おお。あれじゃん。会長として、顔出しくらいはってな」
「ま、そっか。普通そうなるよな」
「おっはー」
メイジと話しているうちに、俺のすぐ横までマキさんは来ていた。にっこりとして言ったあと、腕時計へ視線を落とす。笑みは消したままトラックを見て、俺にも目をやる。
「残り三十分くらいか。松は大丈夫そうだな」
「そっすね。ジョギングはたぶん余裕なんじゃないですかね」
「そ。まあ、じゃないと困るわな」
朝日が当たってるせいか、きょうのマキさんは一段と輝いている。立ち居振る舞いもしゃんとしてて、なんだか「お人形さん」みたいだ。カッコイイというか、カワイイ。
「おはよう」
メイジを改めて見て、マキさんはまた笑顔になった。
それなのに、俺の横から返ってきたのは、「どうも」という余所余所しい調子だった。
維新と同様、こないだまで部長だったマキさんをメイジは尊敬している。ならばもっと気合の入った挨拶をするのが普通なんじゃないだろうか。
たとえば、「うっす!」とか。……いや、メイジがそんなあからさまな体育会系の挨拶をしているところを見たことはないけど。
首を傾げていたら、俺の頭上を通して、メイジがマキさんに話しかけた。きょうはいい天気ですね、とか、ずっと観てるんですか、とか。
一歩、俺が下がってみる。それと同時に二人してこっちへ視線を向けた。
しかし、マキさんはぱっとまたどこかを見た。目つきも険しくなる。メイジもゆっくりとそのほうへ顔を動かしたとき、マキさんが俺の肩を叩いて走り出した。途中でハンチング帽を取る。
走り去っていく後ろ姿を見て俺はちょっと心配になった。なにせマキさんは病気持ちだ。軽度と言えども薬を飲んでいるんだから、無理は禁物なんじゃ……。
「てかさ、メイジ。なんか変じゃね」
「え? なにが」
「ジョーさんもマキさんも、ミツさんも」
マキさんが駆けた先を見つめたままメイジはぼそっと言う。
「んー……なんかネズミが──」
「ネズミ?」
俺が訊くと、明らかにびくっとなって、メイジは頭を動かした。その視線は今度、変わらぬペースで走っている維新へと投げられた。
「あと少しだ。頑張れよー」と、わざとらしいくらいに声を張っている。
「メイジさん、メイジさん。ちょっと」
「ほら、卓も応援しろ」
「……」
俺が目を据えても、見ないフリをカマしてる。
「てか、カラスの次はネズミかよ。すげーやな予感しかしねえんだけど」
「いやいや、かわいいネコちゃんもいるから」
「ネコ?」
「そそ。かんわいーのがな。三匹も」
メイジはさも嬉しそうに目尻を下げていたけど、それは俺は笑えない。そのうちの一匹を、「卓に決まってんだろ」とか吐かすんだから。
ようやく場も落ち着き、はたと携帯を確認すれば、あと十分足らずというところまできていた。
メイジがまたなにか呟く。
次は俺が聞こえないフリをカマし、維新を後押しするべくトラックへ注視した。
「卓ちゃ~ん。それはねえだろ」
それにしてもきょうのジョーさんはしつこい。まだ向かってこようとする。
すると、メイジが手を広げ、ジョーさんの行く手を阻んだ。
「だからお触り禁止ですって。先輩。うちの卓は」
「あ? なんだ、お前もあれか。つうかお前、このあいだまさ──」
「ああー!」
と、メイジが大声を出した。
その大きさにびっくりして、俺は思わず身を縮めた。
維新も、藤堂さんも鷲尾さんも、黒澤さえも、こっちへ視線を向けている。
「なんだ、てめえ。いきなり大声出しやがって」
「先輩、あっちにいい女がいます」
「なに?」
メイジが指さしたほうへジョーさんは素早く振り向いた。
しかし、すぐに顔を戻すと、メイジの頭を一発叩いた。
「ここに女なんかいるか。あそこの看護師だって野郎なのに」
「ですよねー」
「ジョーさん!」
トラックから鋭い声が飛んできた。俺たちの近くを走っていた黒澤が顎をしゃくってどこかを示す。
グラウンドを覆うように伸びている木々のあいだからミツさんが姿を現した。こっちへ来いと叫ばんばかりに手を振っている。それを見たジョーさんは慌てて走り出す。
俺は、ほっと息をついた。
「ああ、やっと行ったぁ。ミツさんに感謝」
ぱんと手を合わせ、二人の消えたほうを拝む。
「卓。つーか、ミツさんだけかよ」
「いえっ。メイジさまさま」
俺はすぐさまメイジへ振り返り、合わせた手を揉んで、もっと拝んでやった。
「お前、投げやりだろ。それ」
固くつむっていた目を開けてメイジを見上げると、俺へと注がれていた視線が急に跳ね上がった。表情も変わる。メイジの視線を追うようにして俺は振り返った。
まず、その服装へ目がいった。サスペンダーつきのピンストライプのズボンに、淡い色のワイシャツを着ている。ネクタイをしっかりしめ、ハンチング帽を被っている。まるで絵に描いたような「お坊っちゃん」が、こっちへ向かって悠々と歩いていた。
風見館の人は、なにげにオシャレさんばっかりだ。きのうのあの人……柳さんだっけ。あの人も、学校のない日だっていうのにジャケットを羽織っていた。
「マキさんまで来たよ」
「お、おお。あれじゃん。会長として、顔出しくらいはってな」
「ま、そっか。普通そうなるよな」
「おっはー」
メイジと話しているうちに、俺のすぐ横までマキさんは来ていた。にっこりとして言ったあと、腕時計へ視線を落とす。笑みは消したままトラックを見て、俺にも目をやる。
「残り三十分くらいか。松は大丈夫そうだな」
「そっすね。ジョギングはたぶん余裕なんじゃないですかね」
「そ。まあ、じゃないと困るわな」
朝日が当たってるせいか、きょうのマキさんは一段と輝いている。立ち居振る舞いもしゃんとしてて、なんだか「お人形さん」みたいだ。カッコイイというか、カワイイ。
「おはよう」
メイジを改めて見て、マキさんはまた笑顔になった。
それなのに、俺の横から返ってきたのは、「どうも」という余所余所しい調子だった。
維新と同様、こないだまで部長だったマキさんをメイジは尊敬している。ならばもっと気合の入った挨拶をするのが普通なんじゃないだろうか。
たとえば、「うっす!」とか。……いや、メイジがそんなあからさまな体育会系の挨拶をしているところを見たことはないけど。
首を傾げていたら、俺の頭上を通して、メイジがマキさんに話しかけた。きょうはいい天気ですね、とか、ずっと観てるんですか、とか。
一歩、俺が下がってみる。それと同時に二人してこっちへ視線を向けた。
しかし、マキさんはぱっとまたどこかを見た。目つきも険しくなる。メイジもゆっくりとそのほうへ顔を動かしたとき、マキさんが俺の肩を叩いて走り出した。途中でハンチング帽を取る。
走り去っていく後ろ姿を見て俺はちょっと心配になった。なにせマキさんは病気持ちだ。軽度と言えども薬を飲んでいるんだから、無理は禁物なんじゃ……。
「てかさ、メイジ。なんか変じゃね」
「え? なにが」
「ジョーさんもマキさんも、ミツさんも」
マキさんが駆けた先を見つめたままメイジはぼそっと言う。
「んー……なんかネズミが──」
「ネズミ?」
俺が訊くと、明らかにびくっとなって、メイジは頭を動かした。その視線は今度、変わらぬペースで走っている維新へと投げられた。
「あと少しだ。頑張れよー」と、わざとらしいくらいに声を張っている。
「メイジさん、メイジさん。ちょっと」
「ほら、卓も応援しろ」
「……」
俺が目を据えても、見ないフリをカマしてる。
「てか、カラスの次はネズミかよ。すげーやな予感しかしねえんだけど」
「いやいや、かわいいネコちゃんもいるから」
「ネコ?」
「そそ。かんわいーのがな。三匹も」
メイジはさも嬉しそうに目尻を下げていたけど、それは俺は笑えない。そのうちの一匹を、「卓に決まってんだろ」とか吐かすんだから。
ようやく場も落ち着き、はたと携帯を確認すれば、あと十分足らずというところまできていた。
メイジがまたなにか呟く。
次は俺が聞こえないフリをカマし、維新を後押しするべくトラックへ注視した。
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