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急な引き
五
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第一声で、職員室の消灯を指摘され、ほっとした僕は、つい表情を緩めてしまった。そのことも怒られた。
自分のデスクへと戻り、肩を落としていたら、椅子の背もたれになにかが当たった。振り向いてみれば、逢坂先生が僕の背後をすり抜け、自分のデスクへつくところだった。
反射的に、僕は立ち上がった。
かすかに煙草の匂いがした。またどこかで一服してきたあとなのかもしれない。
「お、おはようございます。お疲れさまですっ」
朝はバタバタしていたし、一時間目のあとも僕は出かけていて顔を合わせてなかったから、いま挨拶を済ませた。
挨拶は、余計な会話じゃないと思う。
だけど逢坂先生からは、いつものようになんの返しもない。
きょうも機嫌がよろしくないのかも。朝は弱いんだって言っていたし。
それとも、きのうのことをまだ怒っているのだろうか。いや、さすがにいい大人なんだから、もう引きずってはいないだろう。
僕は再び椅子に腰かけ、次の授業の準備を始めた。
気を抜くと、ついついとなりに目をやってしまう。
すると、向こうの目もこっちに──。
慌てて顔をそらした。なにも見てないと訴えるように手を動かした。
こういう休み時間のときって、いつもはどうしてたんだろう。こんなにとなりを気にしてたっけ?
逢坂先生と普通に喋っていた気もするし、朝は向こうがご機嫌ななめだから、無言でいた気もする。
妙にいたたまれない気分になって、僕は早々に職員室を出た。できることなら、いますぐにでもあのウワサの真偽を確かめたい。
だけど、肝心の生徒の顔を覚えていないから、行動に移せない。手当り次第に訊くわけにもいかない。
三時間目の授業を終え、礼の声とともに教室を出る。
教室の角を曲がったところで生徒とぶつかりそうになった。
若いエネルギーを持て余しているやつらだから、授業から解放された途端、前後の確認もせずに走り出す。
僕はいつも以上に子どもたちへの注意喚起を撒き散らしながら、職員室へ戻った。
あー、イライラするっ。腹ぺこだからなおさらだっ。
デスクにつくや昼食を広げた。朝、暇を見て、近くのコンビニへ出かけて買ってきたものだ。
食べようとして、そういえば昼休みに、同じ教科担任の先輩に講義のアドバイスをもらうことにしていたのを思い出した。
授業は一応、年度始めに立てた年間スケジュールに合わせて行ってはいる。
いまはフランス革命のところ。
そこでも訊きたいことがあるし、来年度の参考に、違うところも訊いておきたい。
僕は顔を上げた。峯口(みねぐち)先生の姿を捜す。
すると先生は、カップ片手に自分のデスクの椅子に腰かけ、お弁当を広げようとしていた。
食べ始める前にと思い、講義ノートを手にして、先生のところへ向かった。
「峯口先生、お食事中のところすみません」
僕の呼びかけに箸を置き、先生はこっちを振り仰いだ。
そのにっこり笑顔は相変わらず、年の割に若く見える。
「はいよ。なんでしょう?」
「あの、国民公会のギロチンの件で……」
僕は自分の講義ノートを開いて見せた。
それから、あっと思った。
いまはお昼時なのに、処刑の話なんて持ち出してしまった。しかもさっき、お食事中のところすみませんと、自分で断ったばかりだった。
峯口先生もぎょっとしている。周りに目をやって、頭を下げている。
僕も「すみません」と謝って、ほかの先生方にも頭を下げた。
「その辺のことは、そんなに掘り下げなくてもいいんじゃないかな」
「そうですよね。すみません……。それと、いまのところとは関係なくて、ゲルマン大移動後のフランク王国で、カール大帝のこれはっていうのありますか? ……やっぱりローマ教会ですかね?」
「ルネサンスか。またずいぶん遡るね。ああ、ちょっと待って──」
と言いながら引き出しを開け、自分の講義ノートを出すと、峯口先生は何枚かめくった。
僕はまた頭を下げ、そのノートに視線を落とした。
こまかい字でびっしりと書かれてある。
「うん、そうだね。ローマ教会はフランク王国と密接だったし、宗派とかにも関係してくるから」
「……ローマ=カトリックですよね」
「そうそう。分裂とか、カールの戴冠にも関わってるでしょ。イコンとかも交えて話したら面白くなるんじゃないかな。……というか、もしかして渡辺先生、もう来年の心配してるの? それとも、この辺の宗教は苦手?」
「……はい。少し」
自分のデスクへと戻り、肩を落としていたら、椅子の背もたれになにかが当たった。振り向いてみれば、逢坂先生が僕の背後をすり抜け、自分のデスクへつくところだった。
反射的に、僕は立ち上がった。
かすかに煙草の匂いがした。またどこかで一服してきたあとなのかもしれない。
「お、おはようございます。お疲れさまですっ」
朝はバタバタしていたし、一時間目のあとも僕は出かけていて顔を合わせてなかったから、いま挨拶を済ませた。
挨拶は、余計な会話じゃないと思う。
だけど逢坂先生からは、いつものようになんの返しもない。
きょうも機嫌がよろしくないのかも。朝は弱いんだって言っていたし。
それとも、きのうのことをまだ怒っているのだろうか。いや、さすがにいい大人なんだから、もう引きずってはいないだろう。
僕は再び椅子に腰かけ、次の授業の準備を始めた。
気を抜くと、ついついとなりに目をやってしまう。
すると、向こうの目もこっちに──。
慌てて顔をそらした。なにも見てないと訴えるように手を動かした。
こういう休み時間のときって、いつもはどうしてたんだろう。こんなにとなりを気にしてたっけ?
逢坂先生と普通に喋っていた気もするし、朝は向こうがご機嫌ななめだから、無言でいた気もする。
妙にいたたまれない気分になって、僕は早々に職員室を出た。できることなら、いますぐにでもあのウワサの真偽を確かめたい。
だけど、肝心の生徒の顔を覚えていないから、行動に移せない。手当り次第に訊くわけにもいかない。
三時間目の授業を終え、礼の声とともに教室を出る。
教室の角を曲がったところで生徒とぶつかりそうになった。
若いエネルギーを持て余しているやつらだから、授業から解放された途端、前後の確認もせずに走り出す。
僕はいつも以上に子どもたちへの注意喚起を撒き散らしながら、職員室へ戻った。
あー、イライラするっ。腹ぺこだからなおさらだっ。
デスクにつくや昼食を広げた。朝、暇を見て、近くのコンビニへ出かけて買ってきたものだ。
食べようとして、そういえば昼休みに、同じ教科担任の先輩に講義のアドバイスをもらうことにしていたのを思い出した。
授業は一応、年度始めに立てた年間スケジュールに合わせて行ってはいる。
いまはフランス革命のところ。
そこでも訊きたいことがあるし、来年度の参考に、違うところも訊いておきたい。
僕は顔を上げた。峯口(みねぐち)先生の姿を捜す。
すると先生は、カップ片手に自分のデスクの椅子に腰かけ、お弁当を広げようとしていた。
食べ始める前にと思い、講義ノートを手にして、先生のところへ向かった。
「峯口先生、お食事中のところすみません」
僕の呼びかけに箸を置き、先生はこっちを振り仰いだ。
そのにっこり笑顔は相変わらず、年の割に若く見える。
「はいよ。なんでしょう?」
「あの、国民公会のギロチンの件で……」
僕は自分の講義ノートを開いて見せた。
それから、あっと思った。
いまはお昼時なのに、処刑の話なんて持ち出してしまった。しかもさっき、お食事中のところすみませんと、自分で断ったばかりだった。
峯口先生もぎょっとしている。周りに目をやって、頭を下げている。
僕も「すみません」と謝って、ほかの先生方にも頭を下げた。
「その辺のことは、そんなに掘り下げなくてもいいんじゃないかな」
「そうですよね。すみません……。それと、いまのところとは関係なくて、ゲルマン大移動後のフランク王国で、カール大帝のこれはっていうのありますか? ……やっぱりローマ教会ですかね?」
「ルネサンスか。またずいぶん遡るね。ああ、ちょっと待って──」
と言いながら引き出しを開け、自分の講義ノートを出すと、峯口先生は何枚かめくった。
僕はまた頭を下げ、そのノートに視線を落とした。
こまかい字でびっしりと書かれてある。
「うん、そうだね。ローマ教会はフランク王国と密接だったし、宗派とかにも関係してくるから」
「……ローマ=カトリックですよね」
「そうそう。分裂とか、カールの戴冠にも関わってるでしょ。イコンとかも交えて話したら面白くなるんじゃないかな。……というか、もしかして渡辺先生、もう来年の心配してるの? それとも、この辺の宗教は苦手?」
「……はい。少し」
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