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もりひろ

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遠慮は却って

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「……」

 でも、一つ問題がある。
 指導担当は僕も含め男しかいない。この字はかなり達筆できれいだから、現国の先生だと思う。
 そうなると、当てはまるのは中畠先生だ。
 唸りながら頭が下がる。プリントに額をつけ、もっと唸った。
 もしかして……逢坂先生は、男の人と女の人と両方いけるクチなのだろうか。年齢的ストライクゾーンもかなり広い。
 うむむ。
 なにがなんだかわからなくなってきたところで、根津先生と逢坂先生の声が聞こえてきた。
 あたふたするあまり、僕は投げ捨てるようにして、逢坂先生のデスクへプリントを返した。




 放課後、部活の時間も終わり、生徒をみんな帰したことを確認し、音楽室と音楽準備室の戸締まりをする。
 僕は職員室へ戻ると、鍵を保管場所へ返して、自分のデスクについた。
 だれもいない。静かな職員室だ。
 吹奏楽部は文化部のようであって体育部よりも体育会系だ。まず走り込みから始まるし。解散時間だってどの部よりも遅いから、職員室へ戻るといつもひっそりしている。
 僕は音楽の先生じゃないけど、吹奏楽経験者として顧問に名を連ねている。

「あー、疲れた」

 僕はデスクへ突っ伏し、机上でしばらく沈んでいた。目をつむると寝てしまいそうになる。お腹も空いた。
 ふと小さな風が起こって、僕のいるデスクが軋んだ。なんだろうと思い目を開けたら、だれかの腕がデスクにつかれていた。
 太い筋の走っている褐色の腕を、目線だけで辿っていく。不意に、眼鏡越しのあの瞳が視界へ入ってきた。

「具合悪いわけじゃないよな」
「わあっ!」
「ああ? そんなにビビんなよ」

 あまりにびっくりして、椅子から落ちそうになった。なんとか背もたれにしがみつき、落下はまぬかれる。

「お、逢坂先生。まだいたんですか」

 てっきり帰ったと思っていたから二重にびっくりした。
 逢坂先生は自分のデスクについた途端、なにを考え込んでいるのか微動だにしなくなった。
 さらに空気がしんとなる。
 でも、僕を突き放すような態度ではなく、ちょっと安心した。具合が悪いんじゃないかと心配もしてくれたみたいだし。
 逢坂先生がおもむろに一枚のプリントを掴んだ。
 こっちへ流された視線と、この目が合う。

「いや、僕はなにも見てません。なにも見てませんよ、ほんとっ」

 首をとっさに振った。
 そんな僕の前に、あのプリントが差し出される。

「え?」

 違うやつだったかと恐る恐る受け取ってみた。しかし、昼に見たメッセージがやっぱりある。

「あの……これ」
「渡辺先生にだ」
「ええ! ぼ、僕に?」

 驚いて声を上げると、逢坂先生が顔をしかめた。
 こ、このメッセージ、僕宛だったのか!

「お前だって指導担当だろ」
「そうですけど。でも、このメッセージ……」
「まあ、そういうことで」
「この字、中畠先生……ですよね?」

 逢坂先生は目を丸くしたあと、さらに顔をしかめた。
 そうだよな。「土曜の夜あいてる?」なんて、さすがに男の先生はないよな。

「じゃあ、やっぱり吉井先生ですか? それとも戸田先生ですか?」

 僕は首を傾げながら訊いた。吉井先生でも戸田先生でも、なんで僕を誘うのか疑問に思う。担当教科が同じでもないし、担任している学年も違う。
 逢坂先生は頭をがしがし掻いたあと、カバンを持って椅子を立ち上がった。

「帰るわ」
「え。あ、はい──」

 お疲れさまでした、と言いかけて、僕も立ち上がった。

「逢坂先生! これって結局だれからなんですか?」
「吉井先生か戸田先生だろうよ」

 もう壁の向こうになった逢坂先生が鋭い声を飛ばす。

「ていうか、このメッセージ、逢坂先生も見ましたよね?」

 職員玄関で逢坂先生に追いついた。
 僕はもう一度プリントを見て、「あいてる?」のとなりに書きかけの字があるのに気づいた。
 逢坂先生にも目をやる。
 もしかするとこのメッセージは──。
 逢坂先生は脱いだサンダルを自分の下駄箱へ突っ込もうとしている。

「先生!」
「なんだよ」

 とても投げやりな返事。

「逢坂先生が書いたんですか?」
「……」
「土曜の夜、あいてる? って、逢坂先生が書いたんですか?」

 僕が指先をつけようとしたプリントを、逢坂先生は奪い、くしゃくしゃに丸めた。
 あっと思い、僕はすぐさまプリントを取り返した。待っててくださいと、手振りで言って、職員室へ向かう。デスクに転がっているペンを取り、小走りで戻った。
 逢坂先生がちゃんといてくれたことにほっとしながら、床を下敷きにして、くしゃくしゃのプリントを伸ばす。あのメッセージの横に一言書き加えた。
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