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鈍感ロミオ
二
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先生は微笑み、近くの布巾を取ってくれた。
「じゃあ次郎さんは、先生に会ったときはもうパティシエに?」
「そうだな……。たしか、入り直した養成学校の二年生だった。本格的な勉強をしにいつかフランスへ行きたいとも言っていた。俺はそのとき進路に迷っていて、自分の夢に一直線に進んでいる次郎を見て、いろいろと刺激されたよ」
「先生はいつごろから教師になろうと思っていたんですか?」
「漠然とは、高校くらいから考えてはいたかな。さっきも言ったように、大学のときは自分が本当に教師としてやっていけるんだろうかと悩んでもいたから、正式に決めたのは実習が終わったあとだな。そこで出会った先生や生徒のお陰で、道が決まったというか」
そう言いながら先生はどんどん食器を洗う。
ぼくはゆっくりと手を動かして、ため息をついた。
「どうした」
「え?」
「なにか将来のことでも悩んでるのか?」
「悩んでるというか……。悩んでないことに、悩んでるというのか……」
先生が小首を傾げた。
ぼくも、いまの自分の状態をどう言ったらいいのかわからない。だから、お兄ちゃんが言っていた先生の名言や、健ちゃんや勇気くんがもう進路を決めている話をした。
「学校へ行って、勉強をして、友だちと話をして。家では宿題して、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。いまはそれで充分だとぼくは思っていたけど、みんなはもっといろんなことを考えて、先のことを見据えて、いろんなことをしている。ぼくの好きなことといったら、本を読むことだけで……。だからこのままじゃダメなのかなって」
「べつにそれでもいいんじゃないのか。中学のときから将来をきちんと決めてるやつは、そんなにいないだろ。仙道も三津谷も、将来というより、いま自分がやりたいこと、その、篠原が好きな本を読むようにやっているだけだ。目標だって、趣味だって、人それぞれなんだから、周りに合わせる必要なんてない」
「……」
「篠原は、もう少しいろんなやつといろんな話をしたほうがいい。そうすれば自分が遅れてるなんて思えないはずだ。高校は自分のできる範囲、もしくは、ちょっと背伸びしたくらいで選んで、それから将来のことを考えてもぜんぜん遅くはない。たしかにこんなご時世だし、いろいろ不安もあるだろうけど、中学も高校も三年間しかないんだ。思いっきり楽しまなきゃ損だろ」
先生はそう言ったあと、これは教師として誉められるアドバイスじゃないかもしれないなと笑った。
それでもぼくにとっては、先生の言葉は心強くて安心もできた。
とりあえずいまのまんま、高校はぼくの行けるところを選ぼう。勇気くんが目指す光明のことも気になるけど、それは絶対に無理なんだから、いまの、中学の残された時間を有意義に過ごすことを考えようと思った。
九時を回ったころ、ようやく次郎さんが帰ってきた。
お店を閉めたあとも、後片づけや伝票整理といった仕事があって、すぐに帰れるわけじゃないみたいだ。
それなのに次郎さんは、これっぽっちも疲れを見せないで、玄関へ出迎えに行ったぼくに「いらっしゃい」と微笑んでくれた。
ぼくは次郎さんの晩酌を眺めながら、このあいだお兄ちゃんの高校へ遊びに行った話をした。
「学園祭か。楽しそうだね」
「うん。ほとんど見て回ることしかできなかったけど、結構よかったよ。お兄ちゃんの高校がどういうとこか知れたし」
「そうか。それはよかった。僕も、人夢くんが豪とうまくやってくれてて安心だ」
「うまくやれてるのかな。だってお兄ちゃん、機嫌のいいときと悪いときの差が激しくて、ときどきどうしたらいいかわからなくて困るよ。もちろん、ちゃんと優しいときもあるけれど」
次郎さんは笑う。あいつらしいね、なんて呟いて、ポトフをあてに焼酎を飲む。
お兄ちゃんのことをいまさらああだこうだ言っても仕方ないのはぼくもわかっているから、それ以上は愚痴らない。
そこへ、いつの間にかいなくなっていた小林先生が、お風呂が沸いたと言ってリビングのドアを開けた。
ヒトの家の一番風呂をもらうのは悪いと思って、ぼくは遠慮していたら、次郎さんと先生が揃って手を振った。
「僕らはまだすることがあるから」
と、次郎さんがさらに勧める。
それじゃあと、ぼくは着替えを取ってきて、リビングのドアへ手を伸ばした。ノブを回そうとして、あっと思い出したことがあった。
「じゃあ次郎さんは、先生に会ったときはもうパティシエに?」
「そうだな……。たしか、入り直した養成学校の二年生だった。本格的な勉強をしにいつかフランスへ行きたいとも言っていた。俺はそのとき進路に迷っていて、自分の夢に一直線に進んでいる次郎を見て、いろいろと刺激されたよ」
「先生はいつごろから教師になろうと思っていたんですか?」
「漠然とは、高校くらいから考えてはいたかな。さっきも言ったように、大学のときは自分が本当に教師としてやっていけるんだろうかと悩んでもいたから、正式に決めたのは実習が終わったあとだな。そこで出会った先生や生徒のお陰で、道が決まったというか」
そう言いながら先生はどんどん食器を洗う。
ぼくはゆっくりと手を動かして、ため息をついた。
「どうした」
「え?」
「なにか将来のことでも悩んでるのか?」
「悩んでるというか……。悩んでないことに、悩んでるというのか……」
先生が小首を傾げた。
ぼくも、いまの自分の状態をどう言ったらいいのかわからない。だから、お兄ちゃんが言っていた先生の名言や、健ちゃんや勇気くんがもう進路を決めている話をした。
「学校へ行って、勉強をして、友だちと話をして。家では宿題して、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。いまはそれで充分だとぼくは思っていたけど、みんなはもっといろんなことを考えて、先のことを見据えて、いろんなことをしている。ぼくの好きなことといったら、本を読むことだけで……。だからこのままじゃダメなのかなって」
「べつにそれでもいいんじゃないのか。中学のときから将来をきちんと決めてるやつは、そんなにいないだろ。仙道も三津谷も、将来というより、いま自分がやりたいこと、その、篠原が好きな本を読むようにやっているだけだ。目標だって、趣味だって、人それぞれなんだから、周りに合わせる必要なんてない」
「……」
「篠原は、もう少しいろんなやつといろんな話をしたほうがいい。そうすれば自分が遅れてるなんて思えないはずだ。高校は自分のできる範囲、もしくは、ちょっと背伸びしたくらいで選んで、それから将来のことを考えてもぜんぜん遅くはない。たしかにこんなご時世だし、いろいろ不安もあるだろうけど、中学も高校も三年間しかないんだ。思いっきり楽しまなきゃ損だろ」
先生はそう言ったあと、これは教師として誉められるアドバイスじゃないかもしれないなと笑った。
それでもぼくにとっては、先生の言葉は心強くて安心もできた。
とりあえずいまのまんま、高校はぼくの行けるところを選ぼう。勇気くんが目指す光明のことも気になるけど、それは絶対に無理なんだから、いまの、中学の残された時間を有意義に過ごすことを考えようと思った。
九時を回ったころ、ようやく次郎さんが帰ってきた。
お店を閉めたあとも、後片づけや伝票整理といった仕事があって、すぐに帰れるわけじゃないみたいだ。
それなのに次郎さんは、これっぽっちも疲れを見せないで、玄関へ出迎えに行ったぼくに「いらっしゃい」と微笑んでくれた。
ぼくは次郎さんの晩酌を眺めながら、このあいだお兄ちゃんの高校へ遊びに行った話をした。
「学園祭か。楽しそうだね」
「うん。ほとんど見て回ることしかできなかったけど、結構よかったよ。お兄ちゃんの高校がどういうとこか知れたし」
「そうか。それはよかった。僕も、人夢くんが豪とうまくやってくれてて安心だ」
「うまくやれてるのかな。だってお兄ちゃん、機嫌のいいときと悪いときの差が激しくて、ときどきどうしたらいいかわからなくて困るよ。もちろん、ちゃんと優しいときもあるけれど」
次郎さんは笑う。あいつらしいね、なんて呟いて、ポトフをあてに焼酎を飲む。
お兄ちゃんのことをいまさらああだこうだ言っても仕方ないのはぼくもわかっているから、それ以上は愚痴らない。
そこへ、いつの間にかいなくなっていた小林先生が、お風呂が沸いたと言ってリビングのドアを開けた。
ヒトの家の一番風呂をもらうのは悪いと思って、ぼくは遠慮していたら、次郎さんと先生が揃って手を振った。
「僕らはまだすることがあるから」
と、次郎さんがさらに勧める。
それじゃあと、ぼくは着替えを取ってきて、リビングのドアへ手を伸ばした。ノブを回そうとして、あっと思い出したことがあった。
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