11 / 11
神業
しおりを挟む
柄杓を手にしたまま、久秀が井戸へ向かう。冬場の井戸水は温さを残しているが、それも外気に触れればじきに冷気を漂わせる。久秀は柄杓に水を汲むと、手近な巨岩の一つに近づいた。
「そもそも、岩というものは石目に沿って打てばきれいに割れるようにできておる。岩の亀裂も石の弱いところ、石目に入ることが多い」
久秀は巨岩の上部を見やる。そこにあった亀裂に、柄杓を持って近づき、亀裂の中に静かに水を溜めた。
「山中は冷える。ここは特にな。この水もじきに凍るであろう。面白いもので、凍った氷は元の水より少し大きゅうなる。亀裂に入った水が氷となって膨らみ、自然の楔となって石目を少しずつ広げてゆく。広がった亀裂にはさらに雨水が溜まり、また凍る。それをくり返せば」
久秀が懐から取り出した小石は、きれいな断面で二つに割れていた。
「この通り、数年後には石が割れる。この巨岩も同様。毎年柄杓で石目の亀裂に水を入れてゆけば、数十年、数百年のうちにはきれいに割れるであろう。その割れ方が見事なあまり、人の手で為されたものと誤解されるに過ぎん」
宗厳は反論もせず、ただ無言で久秀の言葉を聞いている。
「だいたい、すっぱり割れた大岩など全国各地にある。鬼の仕業じゃ神の仕業じゃと有難がられているが、なんのことはない、たまたま雨水が石目に沿って岩を割ったものに過ぎぬ。同じ道理で、石目に沿って楔を均等に打ちこんでいけば、己が手できれいに割ることもできる。柳生の名を天下に知らしめたおぬしの天狗斬りも、実体はこんな小細工に過ぎないということじゃ」
哄笑する久秀から目をそらし、宗厳は大きく息を吐き、拳を握った。怒りで体を震わせるなど何年ぶりのことだろう。
「その話を聞いて、明音はなんと」
「泣いておったよ。とんだ与太話を真に受けてしまったとな」
「わしはなんという未熟者だ。守らねばならなかった娘を、みすみす失意のうちに死なせてしまうとは。己の目指した道がまやかしと言われ、もはや邪法の剣しか残されていないと思いつめてしまったか。わしはなにを伝え、なにを教えてやれば、あの娘を救ってやれたのであろう……」
つぶやきつつ、腰の刀を抜く。大天狗正家と呼ばれる、柳生家随一の大業物である。
危機を感じたのか、久秀が後ずさる。
宗厳は呼吸を整えると、太刀を両手で天高くかざし、脇にあった巨岩めがけて裂帛の気合いと共に打ち下ろした。寸分違わず石目に直撃した斬撃は鋭い反響音を社中に広げ、岩はぱっくりと一刀両断され、鋭利な切り口を見せて地面に転がった。
驚愕し、呆然とする久秀に宗厳は一喝した。
「新陰流を見くびるでない!」
久秀はしばらく言葉もない様子だったが、やがて我に返ると、
「まさに、道理を超える神業の剣。よもやこれほどまでとは」
脂汗を浮かべつつも、皮肉な笑みを見せた。
「いやはや、恐れ入った。明音の目指した道は確かにあったということか。業が深いのう、宗厳。ならばおぬしは天狗斬りをあえて教えなかったということになる。活人剣が正しいと信じ、明音にそれを押しつけ、死なせたのじゃ」
宗厳が抜き身の太刀を持ったまま久秀に向き直る。久秀はすでに刀の届かない間合いまで距離を取っていた。そのままゆるゆると離れながら、言葉を重ねる。
「おぬしの剣は崇高すぎる。太平の世なら君子を育てもしようが、戦国乱世に活人剣は望まれぬ。剣を持ちながらにして戦を避けるなど、夢物語よ。理想をほざくばかりでは娘一人救えぬのだ……」
久秀が闇に溶け込んでゆく。天を仰ぎ、宗厳は瞑目した。
「明音、そなたを救えなかった愚かな師を許せ。せめて姉君と寄り添い安らげるよう、祈らせてくれ……」
時は天正四年。こののち、宗厳の子、宗矩が活人剣の技法から編み出した『活人剣』の思想を完成させる。その思想は戦の終わった世での武士の在り方を定義し、江戸幕府三百年の平和の礎となった。しかしそれにはあと三十年以上の歳月を待たねばならなかった。
了
「そもそも、岩というものは石目に沿って打てばきれいに割れるようにできておる。岩の亀裂も石の弱いところ、石目に入ることが多い」
久秀は巨岩の上部を見やる。そこにあった亀裂に、柄杓を持って近づき、亀裂の中に静かに水を溜めた。
「山中は冷える。ここは特にな。この水もじきに凍るであろう。面白いもので、凍った氷は元の水より少し大きゅうなる。亀裂に入った水が氷となって膨らみ、自然の楔となって石目を少しずつ広げてゆく。広がった亀裂にはさらに雨水が溜まり、また凍る。それをくり返せば」
久秀が懐から取り出した小石は、きれいな断面で二つに割れていた。
「この通り、数年後には石が割れる。この巨岩も同様。毎年柄杓で石目の亀裂に水を入れてゆけば、数十年、数百年のうちにはきれいに割れるであろう。その割れ方が見事なあまり、人の手で為されたものと誤解されるに過ぎん」
宗厳は反論もせず、ただ無言で久秀の言葉を聞いている。
「だいたい、すっぱり割れた大岩など全国各地にある。鬼の仕業じゃ神の仕業じゃと有難がられているが、なんのことはない、たまたま雨水が石目に沿って岩を割ったものに過ぎぬ。同じ道理で、石目に沿って楔を均等に打ちこんでいけば、己が手できれいに割ることもできる。柳生の名を天下に知らしめたおぬしの天狗斬りも、実体はこんな小細工に過ぎないということじゃ」
哄笑する久秀から目をそらし、宗厳は大きく息を吐き、拳を握った。怒りで体を震わせるなど何年ぶりのことだろう。
「その話を聞いて、明音はなんと」
「泣いておったよ。とんだ与太話を真に受けてしまったとな」
「わしはなんという未熟者だ。守らねばならなかった娘を、みすみす失意のうちに死なせてしまうとは。己の目指した道がまやかしと言われ、もはや邪法の剣しか残されていないと思いつめてしまったか。わしはなにを伝え、なにを教えてやれば、あの娘を救ってやれたのであろう……」
つぶやきつつ、腰の刀を抜く。大天狗正家と呼ばれる、柳生家随一の大業物である。
危機を感じたのか、久秀が後ずさる。
宗厳は呼吸を整えると、太刀を両手で天高くかざし、脇にあった巨岩めがけて裂帛の気合いと共に打ち下ろした。寸分違わず石目に直撃した斬撃は鋭い反響音を社中に広げ、岩はぱっくりと一刀両断され、鋭利な切り口を見せて地面に転がった。
驚愕し、呆然とする久秀に宗厳は一喝した。
「新陰流を見くびるでない!」
久秀はしばらく言葉もない様子だったが、やがて我に返ると、
「まさに、道理を超える神業の剣。よもやこれほどまでとは」
脂汗を浮かべつつも、皮肉な笑みを見せた。
「いやはや、恐れ入った。明音の目指した道は確かにあったということか。業が深いのう、宗厳。ならばおぬしは天狗斬りをあえて教えなかったということになる。活人剣が正しいと信じ、明音にそれを押しつけ、死なせたのじゃ」
宗厳が抜き身の太刀を持ったまま久秀に向き直る。久秀はすでに刀の届かない間合いまで距離を取っていた。そのままゆるゆると離れながら、言葉を重ねる。
「おぬしの剣は崇高すぎる。太平の世なら君子を育てもしようが、戦国乱世に活人剣は望まれぬ。剣を持ちながらにして戦を避けるなど、夢物語よ。理想をほざくばかりでは娘一人救えぬのだ……」
久秀が闇に溶け込んでゆく。天を仰ぎ、宗厳は瞑目した。
「明音、そなたを救えなかった愚かな師を許せ。せめて姉君と寄り添い安らげるよう、祈らせてくれ……」
時は天正四年。こののち、宗厳の子、宗矩が活人剣の技法から編み出した『活人剣』の思想を完成させる。その思想は戦の終わった世での武士の在り方を定義し、江戸幕府三百年の平和の礎となった。しかしそれにはあと三十年以上の歳月を待たねばならなかった。
了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる