天狗斬りの乙女

真弓創

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奈落

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 明音は震える手を握りしめた。

「うれしいです。あたしもお師さまのこと、本当の父親のように思っていました。でも、だから許せない。ずっと無駄なことをさせられていたなんて。裏切られていたなんて」

「それは違うぞ、明音」

「ならば、天狗斬りを授けてください。あれがまやかしではなく、新陰流の奥義であることを見せてください」

 宗厳は無言で答えない。それが答えだった。

「明音は今日を限りに新陰流を去ります。今までお世話になりました」

 一礼し、その場を走り去る。兄弟子たちのどよめく声と、幾人かの追いかける足音が聞こえたが、すべてを振り切って明音はただ駆けた。

 あふれ出そうな感情を抑え、ひと気のない場所へとひたすら走った。紅葉に熟れた山中をくぐり抜け、たどりついたのは天乃石立神社。一刀石の前に立ち、両断された巨岩を見ているうち、涙がとめどなくあふれた。やるせなさも、悲しさも、嗚咽と共に自分の体から流れ去っていく。やがて涙が尽きる頃に残ったのは己自身への怒りだった。

 うすうすわかっていたことではないか。活人剣の先に天狗斬りはなかった。そして目指していた天狗斬りそのものも、陽炎かげろうのようにあやふやなものだった。そんなものにすがって、役に立たぬ技を磨いて、師から認められ、いつしか心地よい居場所を受け入れかけていた。苦悶の中で死んだ姉を放って、仇討ちからどんどん遠ざかっていたのだ。

 力が欲しい。辰巳兄弟を地獄に落とす力が。それ以外の救いはいらない。どんなものを代償にしてもいい。仇討ちを成すための手段が欲しい。

「奇遇だのう」

 心の声に応えるように、声がかかった。泣きはらした顔を上げると、そこにはあのときの老人の姿があった。

「神岩を眺めに来たらおぬしがいたのでな。会いに来たわけではなかったのだが、これも宗厳との約定に反することになるのかな」

「道意さん。いえ、霜台さま。お師さまが昔仕えていたお殿さまと聞きました。偉いお人だったのですね」

「呼び方など、どうでも」

 久秀が一刀石の割れ目を指先でゆっくりなぞる。怪しい手つきに思わず背筋が粟立った。

「どうやら宗厳から話を聞いたようじゃな。不憫なおなごよ。天狗斬りなどまやかしと言うたであろう」

「柄杓一つあれば、岩など両断できると言いましたね」

「できるぞ」

 久秀が禍々しい笑みを浮かべる。

「天狗斬りの正体も教えてやらんことはない。だが、まことに知りたいのは別のことであろう」

「はい。仇討ちを成す術を」

「よかろう。わしならおぬしの望みを叶えてやれる。だが、奈落に落ちる覚悟はあるかね」

 間髪入れずうなずく。明音の胸中には、解き放たれたどす黒い炎がゆらめいていた。
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