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1章

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「いいえ、どういたしまして。あなたはたまに突拍子も無い事をするので、見ていて飽きませんね」

 小さく微笑む千尋を見て鈴はまた泣きそうになる。

「嫌われて……しまったかと思っていました……」

 ポツリと鈴が言うと、千尋は持っていたハンカチをポロリと落として固まった。

「千尋さま?」
「……」
「……やっぱり……もう……」
「……私が……私があなたを嫌うだなんて事、あるはずがないでしょう!?」

 初めて聞いた千尋の荒々しい声に思わず鈴がビクリと体を強張らせると、突然千尋に肩を掴まれた。

 こんな間近で千尋を見たことが無い鈴は驚いたが、千尋の悲痛な顔を見てゴクリと息を呑む。

「私は、あなたを失いたくない。けれどあなたの気持ちも無碍にしたくない。最初はいつも通り龍神の花嫁だと思っていました。けれどあなたは……あなたはどんどん私の心に入り込んでくる! 拒もうとしても拒めず、龍神の立場でも居られない! それなのにあなたは……あなたは……今までの花嫁のように私の元から去ろうとする……」
 
 あまりにも悲痛な千尋の声に鈴はそっと千尋に抱きついた。そんな鈴の反応に千尋は体を硬直させたが、こんな事を家族でもない異性にするのは初めてで自分でも驚く。

「……千尋さま……ごめんなさい……。やっぱり私が我が儘を言ったのです。千尋さまが好んで歴代の花嫁達を犠牲にした訳ではないと知っているのに、千尋さまがその事を何よりも悔やんでいると知っているのに、私は自分の事しか考えず千尋さまに残酷なお願いをしてしまいました。最低なのは……私です」
「はは、あなたが最低であれば、私などもうとっくに地獄に落ちていますよ」
「そんな事はありません。千尋さまは口では歴代の花嫁を犠牲にした、助けなかったと仰いますが、あなたが歴代の花嫁達を忘れた事など無い事を私は知っています」
「……え?」
「あの祠のさらに奥に、ピカピカの石碑を見つけてしまいました。そこには沢山の女性の名前が刻まれていた。石碑の周りは綺麗な花が咲き乱れていました。あれは、歴代の花嫁たちですよね?」
「……」
 
 無言の千尋の背中を撫でながら鈴は静かに言う。

「あなたがどんな想いであの石碑に花嫁達の名を彫ったのか、どんな気持ちで石碑を磨いているのか、雅さん達さえ知らない、あそこはあなたと花嫁達だけの秘密の場所なんですよね?」
 
 あの冷たい石碑の前で、千尋はいつも何を想うのだろうか。一人一人の名を呼び、生前には出来なかった沢山の会話をしているのだろうか。それを思うと胸が締め付けられるかのようだ。そしていつかあの石碑に自分の名も刻まれるのかと思うと、あの時は誇らしく感じる事が出来た。

 けれど、今はもうそんな風には思えなくなってしまっている。

 千尋を抱きしめる手に力を込めると、千尋の体から不意に力が抜けていくのが分かった。

 千尋は鈴を抱き返すこともせず、鈴の肩口におでこを押し当ててくる。

「あそこは禁足地だと言うのに、いけない人ですね」
「すみません……祠を直すのに設計図を書いたのですが、それが風で飛ばされてしまったんです」
「それで見つけたのですか?」
「……はい」

 あの辺り一帯が禁足地だという事は雅から聞いていたけれど、設計図を取りに行くだけだと千尋に心の中で断りを入れて入ったところ、石碑を見つけてしまった。

「そうですか……確かに私はあそこに歴代の花嫁の名前を刻みました。ですが、磨くようになったのは最近なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。毎日手は合わせに行っていましたが、綺麗にしようと思ったのは、あなたがやってきてからなんです」
「……」
「あなたを今までの花嫁と比べだして、ふと言い知れぬ罪悪感に駆られたのですよ。私は龍神で、そのために沢山の花嫁を犠牲にしてきた。それなのに、今回の花嫁だけこんなにも必死になって守ろうとしている。それは、今までの花嫁への裏切りではないのか? とね」
「裏切り?」

 不思議に思って鈴が千尋から体を離すと、千尋は小さく頷く。

「ええ。花嫁の中には私に愛されたいと願う人も居ました。ですが、私はあくまでも龍神として彼女たちに接してきたのです。それを今更、鈴さんにだけ龍神で居る事を止めたいだなんて、あまりにも虫の良い話ではないですか。そういう意味で、私は最低だと言ったのですよ」

 それを聞いて鈴はガバリと顔を上げて千尋を見上げた。

「でもそれは! 千尋さまにも心があるからです! それを最低と言うのであれば、分かっていて傷つけた私の方が最低です!」
 


「鈴さん……」

 鈴の怒鳴る様子が珍しすぎて思わず千尋が鈴の顔を覗き込むと、鈴は唇を噛み締めて拳を強く握りしめていた。その顔は怒りを堪えているようにも見える。

「千尋さまは以前、仰いました。昔は花嫁の方からやってきた、と。けれど今はそんな時代じゃない。千尋さまが選ぶ立場になったんです。でもあなたは150年もの間、何かしらの理由をつけて花嫁を選ばなかった。それは、あなたが花嫁の辿る運命を知っていたからです。あなたが歴代の花嫁のお話をする時はいつも辛そうな顔をします。苦しそうな顔をします。そりゃそうです。千尋さまは龍神様であると同時に一人の龍です。心だってあるし、感情だってある……それなのに私は、私達はあなたに龍神であるよう役目を無理やり押し付けてしまったのです……あなたは神様だから大丈夫だろう、だなんて……そんな事、ある訳ないのに……あなただって……幸せになるべきなのに……」

 そう言ってとうとう鈴は涙を零した。

 鈴の言葉は千尋の中に深く深く染み込んでくる。ずっと抱えていた違和感は、罪悪感は、これだったのだ。

 千尋は鈴の涙を指先で掬うと、静かに話し出した。
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