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1章
71話
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「流星さま、これ、お土産です。こちらは息吹さまの分です」
「なに? ありがとう。何か良い匂いするね」
「クッキーという焼き菓子なんです。大した物ではないのですが、良かったらお持ち帰りください」
「焼き菓子? 焼き菓子って言ったら俺の中では煎餅だけど、匂いが全然違う。地上はまた進化したねぇ!」
喜ぶ流星に千尋は静かに言った。
「鈴さんは海外で幼少期を過ごしているので、西洋のお菓子が得意なんです。粗末にしたら許しませんよ。心して食べてくださいね」
「そ、そんな心して食べる程大層な物ではなくて申し訳ないのですが……」
「いやいや! 俺たちの食事って地上よりもずっと遅れてるんだよ。だから嬉しい。ありがとう」
「そうなのですか?」
「うん。龍ってあんまり食べ物に執着が無くてね、それこそ昔は木の実やら野菜やら獣をそのまま食べてたんだけど、ある龍が人間と婚姻を結んだ事で都にも地上の食事が入ってきたんだ」
「!」
「そういう龍が定期的にいるから都の食が発展するんだよ。まぁ、中には昔ながらの食事の方が良いって言う奴らもいるけどさ」
「さきほど言っていた高官や高位の方たちは未だに頑なに地上の物は口にはしないんです。呆れるでしょう?」
変わることを恐れているのか、人間に食という文化で負けたのが悔しいのかは分からないが、バカバカしい話だ。
千尋が肩を竦めてそんな事を言うと、鈴はにこやかに首を振る。
「きっとその方達は龍であるという事に誇りを持っているのだと思います。自信の無い私からすれば、それはとても羨ましいと思います」
ニコニコとそんな事を言う鈴を見て、流星がコソコソと千尋に耳打ちしてくる。
「鈴さん……良い子すぎない?」
「そうでしょう?」
そんな会話が聞こえない鈴は一人首を傾げているが、千尋と流星はそんな鈴を見てとりあえず微笑んでおいた。
流星が庭から大空に舞い上がり龍の都へ帰って行くのを千尋と見届けた鈴は、屋敷に戻る途中にふと思い出して千尋を見上げた。
「千尋さま」
「はい?」
「あの、先程されていたお話は本当なのですか?」
「どの話でしょう?」
「その、初さまの……」
鈴が言い淀むと、千尋はいつものようににこやかに頷く。その笑顔が本心なのかそうでないのかはまだ鈴には分からない。
「本当ですよ。流石に私も犯罪を侵した人と番でいる訳にはいきませんから」
「それが間違いだったという事はないのですか?」
「まだ何とも言えませんが、鈴さんは私が初と番で居た方が良いのですか?」
そう言って鈴を見下ろす千尋は、何故か少しだけ傷ついて見えた。
「そういう訳ではないのですが……もしも千尋さまが初さんを愛していたのなら、それは辛いな……と」
そこまで言って鈴は自分の胸が傷むのを感じた。これは初と千尋の愛を思って傷んでいるのか、それともそれを肯定されたら自分が辛いから傷むのかよく分からない。
思わず俯いた鈴の頭に千尋の手の平が乗った。そしてその手はゆっくりと鈴の頬を撫でる。
「すみません、言い方を間違えたようです。私は、どんなにそれまで愛していたとしても、一度でも裏切られたら絶望してしまいます。そういう方とは幸せになど絶対になれません。しかも今回の私と初の関係は元々が愛から始まった訳ではないのです。私は私の為に利用された彼女が不憫だったのですよ」
「不憫?」
「ええ。あの事件で直接金庫を開いたのは初です。王の娘がそれをしたのです。たとえ巻き込まれただけとは言え、世間的にもあまり良い顔はされません。だから私は何でも償うと初に言ったのです。そうしたら彼女は私と番になりたいと言いだしました。私を心配して金庫を開けてしまったのは、番の約束をしていたからだという方が印象が良くなるから、という理由です。幸い私には特に番になりたい相手も居なかったのでその条件を飲んだのですよ。なので、私達の間に特別な愛があったかと聞かれたら、私は迷わずいいえと答えるでしょう」
「そ、そうだったのですか……」
「失望しましたか?」
「いえ、失望だなんて! ただ……私はとんだ勘違いをしていたのだなと……恥ずかしいです。お節介さんでした、すみません」
そうか……千尋は初に特別な感情を懐いてはいなかったのか。それでも番になれるのは凄いと思うが、以前千尋が言っていたように、龍の本質が優秀な遺伝子を残すためなのだとしたら、千尋がその条件を飲んだのも頷ける。
鈴の言葉に千尋はおかしそうに笑った。
「お節介ですか! たとえお節介だったとしてもあなたが私の幸せを願ってくれた事は一生忘れませんよ、きっと」
「そ、それは別にお節介って訳じゃないです! 千尋さまにはいつまでも笑っていてほしいですから」
「ええ。ありがとうございます」
にっこり笑った千尋を見て、鈴も釣られたように微笑んだ。
「ですが、だとしたら千尋さまはまた番を探さなければならないのですか? 優秀な遺伝子を探すのは大変ですよね……」
龍の都がどんな所かは分からないが、千尋と釣り合いの取れるような龍が沢山いるのだろうか? だとしたら龍の都は凄い所だ。
鈴の言葉に千尋は少しだけ困ったような顔をして困ったように微笑む。
「そうなんですよね……以前の私は本当にそれだけの理由で番を探していたんですよね……」
「今は違うのですか?」
「ええ。今回の事があって私は心の底から湧き上がる感情を知ってしまったので。次はもう、そんな理由で選びませんよ」
そう言って千尋はいつも以上に優しく微笑む。そんな千尋を見て鈴は嬉しくなる反面胸が苦しくなるけれど、それは千尋に告げてはいけない。
「では次の方とこそ千尋さまは幸せになれるのですね」
かろうじて言えたのは、そんなありきたりな事だった。そんな鈴に千尋は頷く。
「ええ、そう願っています」
そう呟いた千尋の言葉はとても切実で、何だか鈴まで切なくなってしまった。
鈴にはまだ恋というものがどんな物かはっきりと分からない。だから余計にこの気持ちをどう受け入れれば良いのか分からなかった。
千尋と別れて鈴が洗濯をしに屋敷の裏に回ると、楽が足を投げ出して冷たい石段に座り込んで俯いていた。
鈴は何て声をかければ良いのか分からなくてとりあえず洗濯物を始めると、楽は鈴が居る事に気づいたのか、こちらを見もせずにポツリと言う。
「なんで千尋さまは人間の為に里帰り返上してまで戻ったんだよ」
「……それは……申し訳無く思ってます」
「その原因お前だろ? お前、千尋さまに何かしたのか?」
楽の言葉に鈴は思わずキョトンとしてしまった。
「私が千尋さまに、ですか?」
一体鈴が千尋に何を出来るというのか。むしろ何も出来なくていつも何か出来ないかと考えているというのに。
「私は何も持っていません。楽さんの言うように千尋さまの為に出来る事もないです。出来るのなら毎日こんな思いをしていません」
何せ自分に自信の無い鈴だ。蘭や菫であれば多少は言い返す事も出来たのだろうが、鈴には誇れる事が何もない。
鈴の言葉に楽はいきなり立ち上がって叫んだ。
「なに? ありがとう。何か良い匂いするね」
「クッキーという焼き菓子なんです。大した物ではないのですが、良かったらお持ち帰りください」
「焼き菓子? 焼き菓子って言ったら俺の中では煎餅だけど、匂いが全然違う。地上はまた進化したねぇ!」
喜ぶ流星に千尋は静かに言った。
「鈴さんは海外で幼少期を過ごしているので、西洋のお菓子が得意なんです。粗末にしたら許しませんよ。心して食べてくださいね」
「そ、そんな心して食べる程大層な物ではなくて申し訳ないのですが……」
「いやいや! 俺たちの食事って地上よりもずっと遅れてるんだよ。だから嬉しい。ありがとう」
「そうなのですか?」
「うん。龍ってあんまり食べ物に執着が無くてね、それこそ昔は木の実やら野菜やら獣をそのまま食べてたんだけど、ある龍が人間と婚姻を結んだ事で都にも地上の食事が入ってきたんだ」
「!」
「そういう龍が定期的にいるから都の食が発展するんだよ。まぁ、中には昔ながらの食事の方が良いって言う奴らもいるけどさ」
「さきほど言っていた高官や高位の方たちは未だに頑なに地上の物は口にはしないんです。呆れるでしょう?」
変わることを恐れているのか、人間に食という文化で負けたのが悔しいのかは分からないが、バカバカしい話だ。
千尋が肩を竦めてそんな事を言うと、鈴はにこやかに首を振る。
「きっとその方達は龍であるという事に誇りを持っているのだと思います。自信の無い私からすれば、それはとても羨ましいと思います」
ニコニコとそんな事を言う鈴を見て、流星がコソコソと千尋に耳打ちしてくる。
「鈴さん……良い子すぎない?」
「そうでしょう?」
そんな会話が聞こえない鈴は一人首を傾げているが、千尋と流星はそんな鈴を見てとりあえず微笑んでおいた。
流星が庭から大空に舞い上がり龍の都へ帰って行くのを千尋と見届けた鈴は、屋敷に戻る途中にふと思い出して千尋を見上げた。
「千尋さま」
「はい?」
「あの、先程されていたお話は本当なのですか?」
「どの話でしょう?」
「その、初さまの……」
鈴が言い淀むと、千尋はいつものようににこやかに頷く。その笑顔が本心なのかそうでないのかはまだ鈴には分からない。
「本当ですよ。流石に私も犯罪を侵した人と番でいる訳にはいきませんから」
「それが間違いだったという事はないのですか?」
「まだ何とも言えませんが、鈴さんは私が初と番で居た方が良いのですか?」
そう言って鈴を見下ろす千尋は、何故か少しだけ傷ついて見えた。
「そういう訳ではないのですが……もしも千尋さまが初さんを愛していたのなら、それは辛いな……と」
そこまで言って鈴は自分の胸が傷むのを感じた。これは初と千尋の愛を思って傷んでいるのか、それともそれを肯定されたら自分が辛いから傷むのかよく分からない。
思わず俯いた鈴の頭に千尋の手の平が乗った。そしてその手はゆっくりと鈴の頬を撫でる。
「すみません、言い方を間違えたようです。私は、どんなにそれまで愛していたとしても、一度でも裏切られたら絶望してしまいます。そういう方とは幸せになど絶対になれません。しかも今回の私と初の関係は元々が愛から始まった訳ではないのです。私は私の為に利用された彼女が不憫だったのですよ」
「不憫?」
「ええ。あの事件で直接金庫を開いたのは初です。王の娘がそれをしたのです。たとえ巻き込まれただけとは言え、世間的にもあまり良い顔はされません。だから私は何でも償うと初に言ったのです。そうしたら彼女は私と番になりたいと言いだしました。私を心配して金庫を開けてしまったのは、番の約束をしていたからだという方が印象が良くなるから、という理由です。幸い私には特に番になりたい相手も居なかったのでその条件を飲んだのですよ。なので、私達の間に特別な愛があったかと聞かれたら、私は迷わずいいえと答えるでしょう」
「そ、そうだったのですか……」
「失望しましたか?」
「いえ、失望だなんて! ただ……私はとんだ勘違いをしていたのだなと……恥ずかしいです。お節介さんでした、すみません」
そうか……千尋は初に特別な感情を懐いてはいなかったのか。それでも番になれるのは凄いと思うが、以前千尋が言っていたように、龍の本質が優秀な遺伝子を残すためなのだとしたら、千尋がその条件を飲んだのも頷ける。
鈴の言葉に千尋はおかしそうに笑った。
「お節介ですか! たとえお節介だったとしてもあなたが私の幸せを願ってくれた事は一生忘れませんよ、きっと」
「そ、それは別にお節介って訳じゃないです! 千尋さまにはいつまでも笑っていてほしいですから」
「ええ。ありがとうございます」
にっこり笑った千尋を見て、鈴も釣られたように微笑んだ。
「ですが、だとしたら千尋さまはまた番を探さなければならないのですか? 優秀な遺伝子を探すのは大変ですよね……」
龍の都がどんな所かは分からないが、千尋と釣り合いの取れるような龍が沢山いるのだろうか? だとしたら龍の都は凄い所だ。
鈴の言葉に千尋は少しだけ困ったような顔をして困ったように微笑む。
「そうなんですよね……以前の私は本当にそれだけの理由で番を探していたんですよね……」
「今は違うのですか?」
「ええ。今回の事があって私は心の底から湧き上がる感情を知ってしまったので。次はもう、そんな理由で選びませんよ」
そう言って千尋はいつも以上に優しく微笑む。そんな千尋を見て鈴は嬉しくなる反面胸が苦しくなるけれど、それは千尋に告げてはいけない。
「では次の方とこそ千尋さまは幸せになれるのですね」
かろうじて言えたのは、そんなありきたりな事だった。そんな鈴に千尋は頷く。
「ええ、そう願っています」
そう呟いた千尋の言葉はとても切実で、何だか鈴まで切なくなってしまった。
鈴にはまだ恋というものがどんな物かはっきりと分からない。だから余計にこの気持ちをどう受け入れれば良いのか分からなかった。
千尋と別れて鈴が洗濯をしに屋敷の裏に回ると、楽が足を投げ出して冷たい石段に座り込んで俯いていた。
鈴は何て声をかければ良いのか分からなくてとりあえず洗濯物を始めると、楽は鈴が居る事に気づいたのか、こちらを見もせずにポツリと言う。
「なんで千尋さまは人間の為に里帰り返上してまで戻ったんだよ」
「……それは……申し訳無く思ってます」
「その原因お前だろ? お前、千尋さまに何かしたのか?」
楽の言葉に鈴は思わずキョトンとしてしまった。
「私が千尋さまに、ですか?」
一体鈴が千尋に何を出来るというのか。むしろ何も出来なくていつも何か出来ないかと考えているというのに。
「私は何も持っていません。楽さんの言うように千尋さまの為に出来る事もないです。出来るのなら毎日こんな思いをしていません」
何せ自分に自信の無い鈴だ。蘭や菫であれば多少は言い返す事も出来たのだろうが、鈴には誇れる事が何もない。
鈴の言葉に楽はいきなり立ち上がって叫んだ。
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