上 下
72 / 135
1章

71話

しおりを挟む
「流星さま、これ、お土産です。こちらは息吹さまの分です」
「なに? ありがとう。何か良い匂いするね」
「クッキーという焼き菓子なんです。大した物ではないのですが、良かったらお持ち帰りください」
「焼き菓子? 焼き菓子って言ったら俺の中では煎餅だけど、匂いが全然違う。地上はまた進化したねぇ!」

 喜ぶ流星に千尋は静かに言った。

「鈴さんは海外で幼少期を過ごしているので、西洋のお菓子が得意なんです。粗末にしたら許しませんよ。心して食べてくださいね」
「そ、そんな心して食べる程大層な物ではなくて申し訳ないのですが……」
「いやいや! 俺たちの食事って地上よりもずっと遅れてるんだよ。だから嬉しい。ありがとう」
「そうなのですか?」
「うん。龍ってあんまり食べ物に執着が無くてね、それこそ昔は木の実やら野菜やら獣をそのまま食べてたんだけど、ある龍が人間と婚姻を結んだ事で都にも地上の食事が入ってきたんだ」
「!」
「そういう龍が定期的にいるから都の食が発展するんだよ。まぁ、中には昔ながらの食事の方が良いって言う奴らもいるけどさ」
「さきほど言っていた高官や高位の方たちは未だに頑なに地上の物は口にはしないんです。呆れるでしょう?」

 変わることを恐れているのか、人間に食という文化で負けたのが悔しいのかは分からないが、バカバカしい話だ。

 千尋が肩を竦めてそんな事を言うと、鈴はにこやかに首を振る。

「きっとその方達は龍であるという事に誇りを持っているのだと思います。自信の無い私からすれば、それはとても羨ましいと思います」

 ニコニコとそんな事を言う鈴を見て、流星がコソコソと千尋に耳打ちしてくる。

「鈴さん……良い子すぎない?」
「そうでしょう?」

 そんな会話が聞こえない鈴は一人首を傾げているが、千尋と流星はそんな鈴を見てとりあえず微笑んでおいた。
 
 
 
 流星が庭から大空に舞い上がり龍の都へ帰って行くのを千尋と見届けた鈴は、屋敷に戻る途中にふと思い出して千尋を見上げた。

「千尋さま」
「はい?」
「あの、先程されていたお話は本当なのですか?」
「どの話でしょう?」
「その、初さまの……」

 鈴が言い淀むと、千尋はいつものようににこやかに頷く。その笑顔が本心なのかそうでないのかはまだ鈴には分からない。

「本当ですよ。流石に私も犯罪を侵した人と番でいる訳にはいきませんから」
「それが間違いだったという事はないのですか?」
「まだ何とも言えませんが、鈴さんは私が初と番で居た方が良いのですか?」

 そう言って鈴を見下ろす千尋は、何故か少しだけ傷ついて見えた。

「そういう訳ではないのですが……もしも千尋さまが初さんを愛していたのなら、それは辛いな……と」

 そこまで言って鈴は自分の胸が傷むのを感じた。これは初と千尋の愛を思って傷んでいるのか、それともそれを肯定されたら自分が辛いから傷むのかよく分からない。

 思わず俯いた鈴の頭に千尋の手の平が乗った。そしてその手はゆっくりと鈴の頬を撫でる。

「すみません、言い方を間違えたようです。私は、どんなにそれまで愛していたとしても、一度でも裏切られたら絶望してしまいます。そういう方とは幸せになど絶対になれません。しかも今回の私と初の関係は元々が愛から始まった訳ではないのです。私は私の為に利用された彼女が不憫だったのですよ」
「不憫?」
「ええ。あの事件で直接金庫を開いたのは初です。王の娘がそれをしたのです。たとえ巻き込まれただけとは言え、世間的にもあまり良い顔はされません。だから私は何でも償うと初に言ったのです。そうしたら彼女は私と番になりたいと言いだしました。私を心配して金庫を開けてしまったのは、番の約束をしていたからだという方が印象が良くなるから、という理由です。幸い私には特に番になりたい相手も居なかったのでその条件を飲んだのですよ。なので、私達の間に特別な愛があったかと聞かれたら、私は迷わずいいえと答えるでしょう」
「そ、そうだったのですか……」
「失望しましたか?」
「いえ、失望だなんて! ただ……私はとんだ勘違いをしていたのだなと……恥ずかしいです。お節介さんでした、すみません」

 そうか……千尋は初に特別な感情を懐いてはいなかったのか。それでも番になれるのは凄いと思うが、以前千尋が言っていたように、龍の本質が優秀な遺伝子を残すためなのだとしたら、千尋がその条件を飲んだのも頷ける。

 鈴の言葉に千尋はおかしそうに笑った。

「お節介ですか! たとえお節介だったとしてもあなたが私の幸せを願ってくれた事は一生忘れませんよ、きっと」
「そ、それは別にお節介って訳じゃないです! 千尋さまにはいつまでも笑っていてほしいですから」
「ええ。ありがとうございます」

 にっこり笑った千尋を見て、鈴も釣られたように微笑んだ。

「ですが、だとしたら千尋さまはまた番を探さなければならないのですか? 優秀な遺伝子を探すのは大変ですよね……」

 龍の都がどんな所かは分からないが、千尋と釣り合いの取れるような龍が沢山いるのだろうか? だとしたら龍の都は凄い所だ。

 鈴の言葉に千尋は少しだけ困ったような顔をして困ったように微笑む。

「そうなんですよね……以前の私は本当にそれだけの理由で番を探していたんですよね……」
「今は違うのですか?」
「ええ。今回の事があって私は心の底から湧き上がる感情を知ってしまったので。次はもう、そんな理由で選びませんよ」

 そう言って千尋はいつも以上に優しく微笑む。そんな千尋を見て鈴は嬉しくなる反面胸が苦しくなるけれど、それは千尋に告げてはいけない。

「では次の方とこそ千尋さまは幸せになれるのですね」

 かろうじて言えたのは、そんなありきたりな事だった。そんな鈴に千尋は頷く。

「ええ、そう願っています」

 そう呟いた千尋の言葉はとても切実で、何だか鈴まで切なくなってしまった。
 鈴にはまだ恋というものがどんな物かはっきりと分からない。だから余計にこの気持ちをどう受け入れれば良いのか分からなかった。
 
 千尋と別れて鈴が洗濯をしに屋敷の裏に回ると、楽が足を投げ出して冷たい石段に座り込んで俯いていた。

 鈴は何て声をかければ良いのか分からなくてとりあえず洗濯物を始めると、楽は鈴が居る事に気づいたのか、こちらを見もせずにポツリと言う。

「なんで千尋さまは人間の為に里帰り返上してまで戻ったんだよ」
「……それは……申し訳無く思ってます」
「その原因お前だろ? お前、千尋さまに何かしたのか?」

 楽の言葉に鈴は思わずキョトンとしてしまった。

「私が千尋さまに、ですか?」

 一体鈴が千尋に何を出来るというのか。むしろ何も出来なくていつも何か出来ないかと考えているというのに。

「私は何も持っていません。楽さんの言うように千尋さまの為に出来る事もないです。出来るのなら毎日こんな思いをしていません」

 何せ自分に自信の無い鈴だ。蘭や菫であれば多少は言い返す事も出来たのだろうが、鈴には誇れる事が何もない。

 鈴の言葉に楽はいきなり立ち上がって叫んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する

真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。

そんな事言われても・・・女になっちゃったし

れぷ
恋愛
 風見晴風(はるか)は高校最後の夏休みにTS病に罹り女の子になってしまった。  TS病の発症例はごく僅かだが、その特異性から認知度は高かった。 なので晴風は無事女性として社会に受け入れられた。のは良いのだが  疎遠になっていた幼馴染やら初恋だったけど振られた相手などが今更現れて晴風の方が良かったと元カレの愚痴を言いにやってくる。  今更晴風を彼氏にしたかったと言われても手遅れです? 全4話の短編です。毎日昼12時に予約投稿しております。 ***** この作品は思い付きでパパッと短時間で書いたので、誤字脱字や設定の食い違いがあるかもしれません。 修正箇所があればコメントいただけるとさいわいです。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

夢は職業婦人〜カラクリ御曹司と偽お嬢様の恋

有住葉月
恋愛
帝都華やぐ女学校で2人は出会います。 一流のお嬢様に紛れた1人の女学生と帝都大を出て気ままな絡繰(カラクリ)研究をする講師との恋模様☆ でもでも、お嬢様と御曹司には秘密があったのです、、、 大正浪漫あふれる、文化の薫りを出した作品です。自由恋愛を選んだ2人に何が待つ!?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

夜這いを仕掛けてみたら

よしゆき
恋愛
付き合って二年以上経つのにキスしかしてくれない紳士な彼氏に夜這いを仕掛けてみたら物凄く性欲をぶつけられた話。

処理中です...