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1章

69話

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「何も鈴さんが謝る事は無いですよ。でも珍しいですね。久しぶりにサンドイッチを食べた気がします」
「それは……千尋さまは最近お仕事が立て込んでいると雅さんが仰っていたんです。食事の時間をそろそろ潰さないとなって仰ってたので、サンドイッチならおにぎりみたいに片手で食べられるし、千尋さまは洋食がお好きだから少しでもお仕事がはかどるかなって思ったんですが……」

 そう言ってシュンと項垂れた鈴を見て、正面に居た流星が持っていたサンドイッチをポトリとお皿に落とした。

「あ、大丈夫ですか? すぐに替えをお持ちましょうか?」

 鈴が立ち上がろうとすると、それを流星は手を振って笑った。

「いや、大丈夫! ごめんごめん。いやービックリした。人間って凄いねぇ、千尋くん」
「そうでしょう? 情緒のほとんど無い私にはもう鈴さんは眩しくて眩しくて」
「そうだろうね。こういう子が良いんだね、君は」
「ええ。とても大切にしてくれそうでしょう?」
「確かに! いや、鈴さんは良い子だね。お兄さんビックリしちゃった」

 そう言って流星はサンドイッチをあっという間にぺろりと平らげたけれど、鈴にはどうして褒められたのかさっぱりだ。

 きっと不思議そうな顔をしていたのだろう。千尋が笑いながら説明してくれた。

「龍というのはね、あまり他人に干渉しないのですよ。それは別に無関心とかそういうのではないのですが、自分の面倒は自分で見るものだと言う認識があるんです」
「それは人間もそうですよ?」
「いいえ、人間よりもずっとそうなんです。例えば今流星が驚いたのは、私の仕事が立て込んでいるからと言って、あなたは私の為に食事の内容を考えてくれましたよね? そういう事を龍はしないのですよ」
「そ、そうなのですか? たとえ夫婦やえっと、番であっても?」
「ええ。夫婦でも番でも、お互いの事にはあまり干渉しないんです」
「それは……お互いを尊敬して尊重しているからですよね?」

 何だか千尋の言い方では良くない事のように聞こえたが、鈴には良い関係のようにも思えるのだが、違うのだろうか?

「とても良い解釈をするねぇ、鈴さんは。そうそう、龍は個人を何よりも大事にしてる。そのね、もっとも代表的なのがこの人だったんだよ」
「流星、余計な事は言わなくていいんですよ」

 この人、と言われた千尋は少しだけ不機嫌そうに流星を睨んで小さく咳払いをした。

「流星の言う通り、以前の私は誰にも興味などなく、誰からも興味を持たれたくありませんでした。それこそ以前鈴さんが言ったように、煩わしいのは苦手だったんです。ですが、あなたがここに来てから屋敷の雰囲気が変わった。それは、あなたのその思いやりや優しさが招いた結果なのだと知りました。確かに楽の言う通り、そういう意味ではあなたが来てから私は変わったのかもしれませんね」

 微笑みながらそんな事を言う千尋に、鈴は自分の頬が赤く染まるのを感じていた。面と向かって誰かにそんな風に言われた事などない。千尋はいつも鈴をこんな風に褒めてくれる。

「そ、それは神森家の皆さんがとても優しくしてくださるからです。もう帰る場所の無い私を置いてくださって、それどころか色んな行事をしてくれたり、歌を歌っても踊っても叱られなくて……私こそ、いつもいつも皆さんに、千尋さまに貰ってばっかりで」

 それはまるでこんな鈴でも良いと言ってくれているようで、いつも泣きそうなほど嬉しくなる鈴だ。それどころか、もしかしたら鈴は国を守るという役目も担えるかもしれないのだ。

「いえ、それを言うなら私の方が――」
「はい、ストーップ! お兄さんね、別に君たちの惚気話聞きに来た訳じゃないんだ。でも安心した。鈴さんなら多分楽もすぐに懐くんじゃない?」
「どうでしょうね。楽は少し初に感化されすぎているようですから」
「そこなんだよ。鈴さん、先に俺からも謝っておくね。楽はきっと君が、君たちが傷つくような事を言ってくる事があるかもしれない。でもそれが龍の価値観なんだ。もっとも今もそんな事を考えているようなのは一部なんだけど、その一部の人と長く居すぎたせいで楽はちょっと、その……何ていうか捻くれちゃってるっていうか、とにかく! イラっとしたら遠慮なく殴っていいからね!」
「突然放り出すのは止めてくださいよ。鈴さん、正直に言うとその一部の人たちは極度の人間嫌いなのですよ」
「え?」
「人間は姿形は私達と似ているけれど、龍に姿を変える事も出来なければ、力もない。それはただ単に進化の過程でそうなっただけなのですが、龍の中にはそういう所を持ち出して優劣をつける方たちが居るんです。というよりも、ほとんどの高官や高位の龍はそう思っていると思います。そして、それは以前の私もそうでした」
「……」

 千尋の言葉に鈴は言葉を失った。元々、千尋は人間が嫌いだった。その事実は鈴にとっては衝撃だったのだ。

 そんな鈴を見て千尋は何を勘違いしたのか申し訳無さそうな顔をするが、鈴が衝撃を受けたのはそこではない。

「やっぱり千尋さまは凄いですね……」

 思わず漏れた鈴の声に千尋はおろか流星までキョトンとしているが、鈴は今、とても感動していた。

「えっと、鈴さん? 今は私が最低だったという話をしているのですが……」
「最低なんかではありません! 嫌いだった人間を守るために地上に自ら降りて来られたのでしょう?」
「え? ええ、まぁそうですね。罰というのはそういうものなので」
「そんな罰をあえて選んだというのが凄いと思うのです。やっぱり、千尋さまは愛に溢れた方でした!」

 鈴の言葉に、正面の流星が噴き出した。それに気づかず鈴は続ける。

「嫌いな種族を守ろうだなんて、そしてそれを実際にやってのけるなんて、そうそう出来る事ではありませんから。千尋さまは単なる義務感でそれをしていたのかもしれませんが、千尋さまが私達の為に心を砕いてくれていた事を私も知っているので」
「そ、そうですか……?」
「だって、花嫁をあれほど厳選するような方です。適当に守ってくれている訳ではない事ぐらい、私にも分かります。雅さん達がずっとここに居るのも、きっとそう思っているからに違いありません」
「……」
「あ、すみません……つい生意気を言ってしまいました」

 黙り込んで片手で顔を覆った千尋を見て鈴が慌てて謝ると、千尋はポツリと言った。

「ありがとう……ございます。今のあなたの言葉で何だか全てが報われたような気がします」

 と。
 
 
 
 どうして鈴はこんなにも千尋の心を救ってくれるのだろう。

 千尋は自分の顔が赤くなっているのを見られないように鈴にお礼を言うと、やっぱり自分は間違っていなかったと確信していた。

 鈴と番になりたい。婚姻を結びたい。この娘でないと嫌だ。

 一人きりで長い年月を過ごしてきたけれど、どうして今までこんなにも単純な気持ちに気づかなかったのだろう? 

 その理由はとても簡単だ。千尋の周りに居た誰も、鈴では無かったからだ。
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