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1章

68話

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「千尋さま」
「はい?」
「いつも、ありがとうございます」

 鈴の心に気づいてくれて。そんな言葉を飲み込んで鈴がお礼を言うと、千尋は微笑んで鈴の頭を撫でてくれた。

 部屋に戻ると、流星と楽が目の前のサンドイッチを凝視していた。その姿はまるで「待て」を言い渡された犬のようだ。

「すみません。それでは頂きましょうか。あれ? 鈴さんの分はどうしたのです?」
「え? わ、私の分、ですか?」
「ええ。食事はせめて一緒にしましょう?」
「は、はい! す、すぐに持ってきます! あの、先に召し上がっていてください」

 鈴はチラリと楽を見て思わず言った。楽はサンドイッチを穴が開くんじゃないかと思うほど見つめていて、さっきからずっと生唾を飲み込んでいる。

 けれど千尋は首を横に振るばかりだ。そんな千尋を見て鈴は急いだ。

 炊事場に戻って喜兵衛に事情を話すと、喜兵衛も青ざめてすぐに鈴の食事の用意をしてくれる。

「行ってきます! ありがとうございました、喜兵衛さん!」
「いえ、どういたしまして! 気をつけてくださいね」 
「はい!」

 前にもこんな事があったなぁと思いながら鈴が廊下を早歩きしていると、お菓子を買って帰ってきた雅とばったり出くわした。

「なんだい、そんな急いで」
「あ、その。千尋さまが一緒に食べようと……」
「またか! 前にもあったね、こんな事」
「はい!」

 雅も覚えていてくれたのかと思うと何だか嬉しい。些細な事だけれど、神森家での思い出がどんどん増えるのは思い出の少ない鈴にとってはとても幸せな事だった。
 
 雅と別れて急いで客室に戻ると、待ってましたとばかりに千尋が手招きして、自分の隣を指さした。

 千尋の隣で食事をするなんて初めての事で思わず鈴は尻込みしそうになったが、ここで鈴がおかしな対応をしたら、それはそのまま千尋の評価に繋がるのだと考えた鈴は、深呼吸をして千尋の隣に腰掛ける。

「すみません、お待たせしてしまいました」
「さほど待っていませんよ。それでは頂きましょう」

 千尋の声に待ってましたと言わんばかりに流星がサンドイッチに手を伸ばそうとして躊躇った。

「えっと、千尋くん、これはどうやって食べたらいいの?」
「手で持つんですよ、そのまま」
「手で?」
「ええ。このように」

 そう言って千尋はサンドイッチを手で持って上品に齧る。それを見て流星は目を丸くして楽は驚いたような顔をしている。

「どれどれ。あ、美味い。これ、何が挟んであるの?」
「えっと、ローストビーフと――」

 鈴が説明をしようとしたその時、突然楽が怒鳴った。

「お、お前! 千尋さまに何てもの食べさせてんだ!」
「おいおい、急にどうしたの? 楽」
「そうですよ、楽。座りなさい」
「千尋さま! 流星さまも! だって、こんな下品な食べ方……おにぎりの時も思ったけど、千尋さまも流星さまも高官なのに……駄目ですよ!」

 突然の楽の怒りに鈴は驚いたが、確かに言われてみればそうだ。千尋は龍神様なのだ。その方にサンドイッチやおにぎりなんて物を勧めた鈴は間違っていた。

「ご、ごめんなさい」

 そう言って思わず頭を下げようとした鈴を、千尋が手で制した。

「楽、今すぐ出て行きますか?」
「ち、千尋さま?」
「私は今、あなたに心底がっかりしています。たった100年の間に、あなたも随分変わってしまったようですね。まるで初のように」
「!」

 どうしてここで初の名が? そう思って流星を見ると、流星も何故か厳しい視線を楽に向けている。

「楽さーそんなだからお前、良いように初に利用されたんだよ? 分かってんの?」
「!?」

 一体何の話をしているのだ? 意味が分からなくて鈴が右往左往していると、千尋が静かに言った。

「すみません、鈴さん。せっかく鈴さんが初との事を応援してくれていたのに、私は初とは番を解消する事になりそうです」
「え!?」

 驚いた鈴に、流星がへらりと笑った。

「あのね、千尋くんってば、ずーっと初に騙されてたの。ていうか初ともう一人、千眼って言う奴に――」
「流星」
「はいはい、ごめんごめん。まぁ色々あったんだよ、今回の里帰り。それでね、君がぶっ倒れてくれたおかげで千尋くんは無事に地上に戻れたんだけど、その代わりに楽が追い出されちゃってさ」

 そう言って流星は親指で楽を指さした。楽は楽で青ざめて膝の上で拳を震わせている。

「だ、大丈夫ですか? 楽さん」

 何だかいたたまれなくて思わず鈴が楽に声をかけると、楽はキッと鈴を睨みつけてくる。

「お前の……お前のせいだ! 俺たちが変わったんじゃない! 千尋さまが変わっちゃったんだ! 全部お前のせいだからな!」
「楽!」

 とうとう千尋が怒鳴ると、楽は突然席を立ってそのまま部屋を飛び出して行ってしまった。

 突然の事に鈴が目を白黒させているにも関わらず、千尋と流星は二人共そんな楽に興味すら無いかのようにサンドイッチを頬張っている。

「い、いいんですか? お二人共……」
「あー、いいのいいの。ああいうお年頃なんだよ、楽は」
「そうですよ。鈴さん、すみません。私の躾不足のようです。先程の楽の言葉は忘れてください。どのみち結界があるので楽はこの屋敷の外には出られません。私達はゆっくり食事をしましょう」

 千尋はサンドイッチを片手に握りしめたまま、自分の隣をポンポンと叩いた。それでも鈴は楽が心配だったのだが、そんな鈴の心を見透かしたかのように千尋が言う。

「少しだけね、頭を冷やして欲しいのですよ、楽に」
「頭を?」
「ええ。あの子はさっき自分で言ってたように、都を追放されたようです。私とは違って自ら望んだのではなく、強制的に」
「何故そんな事に……?」
「私の暗号を盗んだのは、楽ではないかという疑いをかけられたのです。初に」
「!」

 どうしてそんな事に……。鈴はそんな言葉を飲み込んで俯いた。

「間違いなくそれは初の嘘ですが、それでも楽は初には従わなければならない。龍の世界は優劣がとてもハッキリしているので」
「そそ。だからね、あの子の濡れ衣を俺たちが晴らす間、ちょっとだけあいつをここに置いてやって欲しいんだよ。鈴さん、あんな奴だけど仲良くしてやってね」
「もちろんです! そうだったんですね……楽さんは、お二人の事をとても尊敬していらっしゃるのですね。それなのにサンドイッチだったばっかりに……すみません」

 どうして今日はこんなにもタイミングが悪いのだ! よりによって洋食の中でも一番フランクな食べ物を昼食に選んだばっかりに!
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