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1章

17話

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「やっぱ音楽にはうるさいんだね、あんた達は」
「天上の楽しみと言えば音楽ですからね。人間が龍に勝っている物、それは声質でしょう。龍族にあの声は出せません」
「そりゃまぁ、あんた達本体はデカいしな。声帯自体が違うんだろうさ。あたしでさえ初めてあんたが一時帰宅する時に空に帰ってくの見て腰抜かしたんだから」
「その節は説明不足で申し訳ありませんでした。あなたは雷も苦手ですもんね」
「そうだよ。雷と本物の龍だ! 腰抜かすに決まってるだろ」
「帰ってきてからそれを聞いて私は最初信じられませんでした。あの雅が? と思いましたよ」

 雅と言えば千尋にも横柄な態度で誰にも忖度しないし怖いものなど何も無さそうなのに、雷と水だけはとても嫌がる。さすが猫だ。

「それで? どうすんだい?」
「どうしたものですかね……どのみちもう少し経たないと分かりませんね」
「ああ、そうだった。あんたの神通力を受け取る事が出来るかどうか、だっけ?」
「そうです。それが分からない事にはどのみち決められません」

 それに気になるのがあの薬品の匂いだ。強い薬ではないようだが、時折匂いが変わるので定期的に飲んでいるようだ。

 けれど特に病気の匂いはしない。血も健康そのものだ。その理由が分からないので躊躇っているというのもある。
 
 かと言ってズケズケと聞いてしまってもいいものかどうなのか、千尋は悩んでいた。
 
 

「朝っぱらから何作ってんだい? 二人して」
「喜兵衛さんがとても質の良い小麦粉とバターを街で分けてもらったというので、パウンドケーキを焼いていたんです」

 鈴が神森家にやってきてそろそろ一ヶ月が経とうとしている。大体今までの人たちも一ヶ月過ぎた頃に追い出されたと聞いたので、鈴はここに居られる間に少しでも神森家に恩返しをしようと思っていた。

 千尋は洋食が好きなので、もしかしたら洋菓子も好きかもしれないと思っていた所に喜兵衛が良質な小麦粉とバターを持ち帰ってきたという訳だ。

「ぱうんどけーき?」
「はい。材料はたったの4つで、小麦粉、砂糖、バター、卵のみなんですが、全て1ポンドずつ使うのでそう呼ばれているんです」
「へぇ、面白いね。で、その1ポンドってのはどれぐらいの量なんだい?」
「大体450グラムでしょうか。でも今回はこの型を使うのでそんなに多くは入れてないですよ。ところで雅さんはケーキは好きですか?」

 鈴が材料を混ぜながら尋ねると、雅は人型に戻って首を傾げた。

「そもそもケーキというものを一度しか食べた事がないから何とも言えないね。その時食べたのは千尋が買ってきた奴だったんだけど、ボソボソしてて甘いだけで、あれならおはぎの方がはるかに好きだね。でもこれは材料を聞く限り美味しそうだ」

 雅は匂いを嗅ぐ仕草をしながら鈴の手元を興味津々で覗き込んでくる。

 パウンドケーキを型に流し入れて用意していた天火に入れ、しばらくするとバターの何とも言えない匂いが炊事場中に広がった。

「これはいい匂いだ!」

 先程から雅は嬉しそうに天火の前を行ったり来たりしてバターの香りに喜んでいる。

「やっぱり西洋のお菓子とこちらのお菓子は作り方が全然違いますね」
「どうしてこんな風に違うんでしょうね? 不思議です」
「そりゃあんた、発展の仕方が全然違うからじゃないか? 採れる物も違うしな。昔は輸入とかも無かったんだ。そこにある物で工夫していたんだよ」
「なるほど。勉強になります。そういうのは歴史書を読めばよいのですか?」

 恥ずかしい話だが、学のない鈴にはこんな簡単な事さえも分からない。どうしてだろう? と思うことは沢山あるが、文字が読めなかった為に本で調べる事すら出来なかった。

「なんだい、あんた。わざわざ調べるのかい? 真面目だねぇ」
「ようやく字を覚えたので今は本を読むのが楽しいんです。千尋さまが勧めてくださった少女小説も面白かったのですが、私には少し早かったようです」

 恋愛物語などが多い少女小説は、恋がどんなものかよく分からない鈴にとってはハードルがまだ高すぎたのだ。

「少女小説って奴はそんなに難解なのかい?」
「どうなのでしょうか? 恋愛について書かれているのですが、私にはまだよく分からなかったんです」
「ははは。でも少女小説は人気ですよね。自分も里帰りする時に妹が好きなんでよく買って帰るんですが、しばらくはその話ばかりしてますよ」
「妹さんも字が読めるのですか? すごいですね!」
 
 素直に感心した鈴を見て喜兵衛が照れたように笑った。

「自分たちの一族は長命なので、結構人間に化けて暮らしてるのも多いんですよ。だから困らないように俺が文字を教えたんです」
「喜兵衛さんは優しいですね。だから喜兵衛さんが作るお料理もあんなにも丁寧で優しい味なんでしょうか」
「そ、そんな事は……あ! そろそろですよ!」
「あんた、今は狐の姿だったら良かったのにね。顔真っ赤だよ」
「姉さん!」
 
 慌てる喜兵衛と雅に思わず笑いながら鈴は天火を覗き込むと、いい具合に膨らんで真ん中が綺麗に割れているのが確認出来た。
 
 綺麗に焼き上がったパウンドケーキを天火から取り出し、目立たない場所に消毒をした針を突き刺して中が焼けているか確認した鈴は、型からそっと取り出した。

「出来上がりかい? 綺麗なキツネ色だね」
「本当ですね。これはもう食べられるんですか?」
「食べられるには食べられますが、冷ました方が味も馴染んで美味しいですよ」
「なんだ! まだ食べられないのか!」
「はい。なので三時のおやつにしましょう」
 
 そう言って鈴はパウンドケーキにカバーをかけた。
 
 三時。炊事場には待ちきれなかったのか既に雅が待機していた。

「早く早く!」
「今切り分けますね」

 鈴は雅に急かされるままパウンドケーキを人数分に切り分けると、一つずつお皿に乗せていく。

「一番おっきいのはこれだな! あたしはこれにする」
「どれも同じ大きさですよ、姉さん。自分もいいんですか?」
「もちろんです。今から休憩ですよね? これを弥七さんにも持って行ってあげてください」
 
 そう言って鈴は喜兵衛に弥七の分のパウンドケーキを持たせると、自分も2つの皿を持った。

「それじゃあ私は千尋さまにお渡ししてきます。美味しく出来ているといいのですが」
「大丈夫、絶対に美味い匂いがしてる。ちなみに千尋はこの時間は中庭の四阿にいるよ。毎日このぐらいの時間になるとどっかにフラっと居なくなって、気付いたらそこに居るんだ」
「そうですか。それじゃあ行ってきます」

 鈴はそう言って2つの皿を持って四阿に向かった。
 
 神森家の敷地は広い。庭も広大で、和と洋が入り混じっていて散策するだけでも楽しい庭だ。この広い庭には2つの四阿が作られていた。
 
 鈴も時間がある時はたまにその四阿でこっそり歌を歌っていたりしたが、もう既にバレてしまったので最近はもうここまで歌を歌いにはやってこない。最近はもっぱら四阿で本を読むのがお気に入りだ。
 
 1つ目の四阿には残念ながら千尋は居なかったので、仕方なく鈴がもう一つの四阿に向かう途中で池を覗き込む千尋を発見した。

 声をかけようと千尋に近寄った鈴だったが、何だか千尋の横顔があまりにも冷たくて声をかけるのを躊躇ってしまう。
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