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1章

14話

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「鈴さんはあまり手を差し出されるのはお好きではないですか?」

 思わず千尋が正直に問いかけると、鈴はハッとして千尋を見上げて言った。

「私が好きか嫌いかというよりも、相手に何か失礼をしてしまわないか不安です」
「なるほど。それでは鈴さんが私と手を繋ぎたいと思った時に自分から私の手を取るのを待ちましょうか」

 そう言って千尋が意地悪に微笑んで見せると、鈴は目を見開いて千尋を凝視してきた。

「多分それは……一生無理かと……」
「一生ですか? それは残念ですね」

 恥じるでもなく照れるでもなく青ざめた鈴を見て千尋は笑いを噛み殺した。

「ど、努力……してみます」
「ええ、是非ともそうしてください。さぁ、街でのお話を聞かせてください」

 千尋は今度こそ手を差し出すと、いつものように鈴が指先だけをそっと重ねてくる。その指先を握って千尋は廊下をゆっくりと歩き出した。



「それでね、最初はこのワンピースだけだったんだけど、これ見た喜兵衛が――」
「姉さん! 自分はあくまでブラウスも良かったんじゃないですか? って言っただけで、その他のは姉さんの独断と偏見で勝手に買った物ですよ!」
「あんた言うじゃないか。だったらあの話をここでしてやるよ。千尋、こいつってばミルクホールでコーヒー頼んで――」
「わぁぁぁ! 姉さん! それは誰にも内緒だって言ったじゃないですか!」
「……」
「……」

 千尋に言われて街であった事を話してくれと言われたが、鈴が口を挟む間もなく、さっきからずっと雅と喜兵衛がまるでマシンガンのように話し続けている。

 流石に千尋もうんざりしてきたのか、チラリと鈴を見て苦笑いを浮かべた。

「この人たちは置いておいて、鈴さんは楽しかったですか?」
「はい。初めて見るものばかりで少し疲れてしまいましたが、賑やかで明るくて楽しかったです」
「そうですか、それは良かった。ところでミルクホールに行ったのですね。何か美味しい物を食べましたか?」
「シベリアを食べました。それからミルクコーヒーも」
「どちらも初めて聞く名です。ミルクコーヒーは想像できますが、シベリアとは?」
「シベリアはカステラに羊羹が挟んであるんです。最初は美味しいのかどうか半信半疑でしたが、実際に食べてみたらすごく合っていました」
「へぇ、美味しそうですね」
「美味しかったよ! 今度千尋にも買ってきてやるよ。本当はフルーツパーラーにも行きたかったけど、この二人が千尋の夕飯の支度があるってせっつくからさ。仕方なく帰ってきたんだよ」
「姉さんがいつまでも百貨店で買い物してるから時間が無くなったんですよ」
「あたしのせいだって言うのかい? あんただってミルクホールで豆菓子の作り方しつこく聞いて迷惑がられてたじゃないか!」
「あの豆菓子、絶対に普通のじゃ無かったんですよ! それがもう気になって気になって」
「豆は豆だよ。煮ても焼いても!」
「あれは多分、キャラメリゼをしてあったのではないでしょうか?」

 何だかまた口喧嘩が始まりそうな雰囲気を察して鈴が口を開くと、雅と喜兵衛がキョトンとしてこちらを見てくる。

「なんだい? キャラメリゼって」
「お砂糖とお水を一つの鍋で煮て軽く焦がした所にナッツ類を入れてコーティングするお菓子です。多分、それを豆でしたんじゃないかなと思いました」
「それだ! だから甘かったんですね! あれは美味しかったです」
「コーヒーが思ってたよりも苦かったもんな?」
「も、もうその話はいいじゃないですか!」

 ワイワイ騒ぐ二人を見て鈴が思わず目を細めると、正面で千尋が複雑そうな顔をしている。

「どうかされましたか?」
「ああ、いえ、楽しかったのだな、と少しだけ羨ましかったんです」

 ぽつりと千尋はそんな事を言った。その声があまりにも切なくて鈴は思わず言っていた。

「日本のお菓子はあまり作れませんが、良ければ西洋のお菓子を作りましょうか? ミルクホールの真似がもしかしたら出来るかもしれません」
「あなたはお菓子まで作れるのですか?」
「はい、簡単な物であれば。幼い頃は母とよく作っていて、レシピもあるんです」

 鈴が大きくなったら好きな人に作ってあげてね、と母は鈴に簡単なお菓子のレシピをノートに書き残してくれた。それは本当に簡単なお菓子のレシピだったが、きっと千尋は食べた事が無いだろう。

「それは楽しみですね。私の容姿もあなたと同じように目立つので、洋菓子など外で食べる機会が本当に無いんですよ。本当は噂に聞くコーヒーも飲んでみたいんですけどね」
「コーヒーは危険ですよ! 千尋さま! あれは危険です!」
「そうなのですか?」
「はい! もうビックリするほど苦いんです! とてもではありませんが、砂糖を入れないと飲めません!」
「そんなにですか」
「そんなにです! 姉さんに至っては一口飲んで物凄い顔してました!」
「あんたは倒れそうになってたじゃないか! 平気だったのは鈴だけだよ」
「鈴さんは飲めたんですか?」
「あ、はい。子供の頃、父がよく飲んでいたので。ミルクコーヒーもだから、とても懐かしかったです」

 よく父親の真似をしてブラックコーヒーを飲んで母親に叱られていた。その度にミルクを注がれ、はちみつまで入れられたものだが、実を言うと鈴は大人になった気がするのでブラックの方が好きだった。それでも今回ミルクコーヒーを注文したのは、母の味がするかどうか試してみたかったからだ。残念ながら母の作るミルクコーヒーとは違ったが、それでも十分懐かしかった。

「そうですか。それは機会があれば私も是非飲んでみたいですね」

 千尋はまるで鈴が何を考えているのかが分かるかのように微笑む。

「はい、是非」

 まるで鈴を気遣うような千尋に鈴も小さく微笑んだ。
 
 怒涛のような一日が終わり、翌日から鈴の服装は雅が大量に購入した洋服になった。千尋の言う通り、サイズの合わない着物よりもサイズのあった洋服の方がまだ見苦しくないだろう。

「鈴、あんた今日は弥七の所行くんだろ?」
「雅さん、おはようございます。はい。今日は注文していた新種のお花が届くそうなんです」
「へぇ。弥七がわざわざあんたに教えたのかい?」
「はい。先日庭を散策していたら教えてくれました」

 この庭には見たことも無い花や木が沢山ある。佐伯家では食事の準備をする以外はほぼ蔵に居たので、こんなにも間近で花や木を愛でるのは初めてだ。

「あんた花が好きだねぇ」
「形がどれも綺麗なんです。何ていうか、花びらの一枚一枚が計算されつくした完璧な形をしているじゃないですか」
「う~ん……あたしは花なんて食べられないから好きでもないけど、そういや今までの娘たちも花が好きだったね」

 雅はそう言っておもむろに部屋を出ていこうとする。

「あ、雅さん、一緒に行かないんですか?」
「ちょいと用事を思い出したんだよ。あんたは楽しんできな」
「……はい」

 勝手に着いてきてくれるだろうと思い込んでいた自分が恥ずかしいやら寂しいやらで思わず俯くと、そんな鈴の頭を雅がポンポンと撫でてくる。

「用事が終わったら追いかけるよ。だからそんな顔しなさんな」
「はい」

 それを聞いて現金にもすぐに顔を上げた鈴を見て、雅が苦笑いを浮かべ猫の姿になり、部屋を出ていった。

 鈴は弥七へのお土産になけなしのお金で買った金平糖を持って庭に出ると、既に弥七は門の内側にある花壇の辺りで作業をしていた。

「弥七さん、おはようございます」
「ああ、来たか。届いたぞ」
 
 そう言って弥七は鈴に土のついた丸い何かを見せてくれた。

「これは?」
「チューリップの球根。春に咲く花なんだ。江戸時代に話だけは聞いてたんだが、なかなか手に入らなくてな。ようやく日本でも栽培が始まったって新潟の同胞から連絡が入って、無理言って取り寄せてもらったんだ」
「チューリップ!」 

 鈴が思わず声を上げると、弥七が驚いたようにこちらを見てきた。
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