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三学期・後半

第162話 卒業生謝恩会 (5)

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 外ではまだ雪がちらつく中、謝恩会が開宴した。

 音楽研究部に与えられたのは五分間。
 出番は、一番最後の大トリだ。

 しかし、ラス前の軽音楽部のステージは、持ち時間を遥かに超え、音楽研究部の演奏する時間が無くなってしまう。
 軽音楽部は、卒業生を対象とした大切なイベントでも、駿たちを貶めようと画策していたのだ。

 軽音楽部とつながっている生徒会長の澪は、ステージイベントがすべて終了したと、無情なアナウンスを行った。

「ふざけんな!」

 体育館に響き渡る怒りの叫び。
 ステージ前で、澪に声をあげているのは光だった。

「時間守んねぇ軽音の連中が原因だろうが! 何で音楽研究部がアイツらのケツ拭かなきゃいけねぇんだ!」
『そうは言っても、近隣にお住まいの方々との約束もありますので……』

 澪は、マイクを通して説明している。

「五分位いいだろう!」
『私たちにとっては、たかが五分でも、近隣の方々からすれば……』
「だったら、てめぇが後で頭下げてこいよ! それが生徒会長の役目だろうが!」
『そんな仕事は存じません……長嶺(光)さん、あなたこそ音楽研究部の高橋(駿)くんから相手にされないからって、ここで私にそのストレスをぶつけられても……』
「なっ!」

 怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にした光。

「ふざけんじゃねぇ!」

 光は、澪に掴みかかる。

「長嶺先輩!」

 教員たちが動く前に待機スペースから飛び出し、光を止めた駿。

「くそっ……」

 光は、澪を突き放すように手を離す。
 安堵のため息をついた駿。

「高橋! オマエ悔しくねぇのかよ! こんな仕打ちされて!」
「長嶺先輩、落ち着いて……」
「オマエら、みんな必死で練習してたじゃねぇか! 与えられたのはたった五分でも、卒業生に喜んでもらいたいって! 卒業生に気持ち良く旅立ってもらいたいって! 卒業生の良い思い出にしてもらうんだって! ずっと、そう言ってたじゃねぇか!」

 光の声は震え、涙声で絶叫している。
 卒業生たちも、その親たちも、教員たちも、誰も言葉を発せなかった。

「なんでろくに練習もしてねぇ軽音だけが優遇されて、真面目にやってる音楽研究部が馬鹿見なきゃいけねぇんだ! アタシは納得いかねぇ!」

 光の瞳からは、涙がポタポタと床に落ちていく。

「ちくしょう! ちくしょう……うぅぅぅ……うぁぅぅ……」

 駿は、嗚咽を漏らす光を優しく抱き寄せた。

「光、ありがとう……本当にありがとう……」

 そのまま、卒業生たちに向き直る駿。
 シーンとしている体育館に駿の声が響く。

「三年生の皆様、この度はご卒業おめでとうございます」

 駿が頭を下げると、卒業生やその親達も頭を下げた。

「本来であれば、ここで我々から一曲お贈りさせていただき、お祝いの言葉に変えさせていただきたいところなのですが、今、中山会長から説明がありました通り、近隣にお住まいの方々との取り決めもございます」

 卒業生たちは駿を見つめ、真面目にその言葉を聞いている。

「ですので、残念ですが……ここで我々は演奏ができません。これは誰が悪いという話ではなく、結果としてそうなってしまった、ということです」

 残念そうな表情を浮かべる卒業生たち。
 駿の胸に顔をうずめる光も、駿を強く抱きしめた。

 一方、澪は感じ取っていた。
 駿が自分を庇い立てしていることを。

 本来であれば、責め立てられてもおかしくない自分を「誰が悪いという話ではない」と、非難の矛先が自分に来ないように話をしてくれていることを感じ取っていたのだ。
 押し寄せる罪悪感に、澪はただうつむくしかなかった。

 言葉を続ける駿。

「別途、近日中に何らかのかたちで、皆様に一曲お贈りしたいと思いますが、それで――」

「ちょっと待て!」

 駿の言葉へ被せるようにして声をあげたのは、前生徒会長の山辺だった。

「山辺先輩……」

 そのまま立ち上がり、駿のところにやってくる。
 駿から身体を離す光。
 山辺は、澪からマイクを受け取った。

『高橋くん、久しぶりだな』
「山辺先輩、ご卒業おめでとうございます」
『ありがとう。ところで、今回の件、後日では我々卒業生は困ってしまうんだ』
「それはなぜでしょうか?」
『我々は、大学や専門学校などに進学するものもいれば、就職したり、家業を継いだりするものもいる』

 頷く駿。

『我々卒業生はこの学校から巣立つと同時に、それぞれが新しい生活、そしてひとりの大人として、新しい生き方をすることになる』
「そうか……」
『うん、高橋くんは気がついたようだね』
「はい……」
『私もそうだが、この地を離れ、新しい土地での生活を始めるものも大勢いるんだ。また、就職ともなれば、しばらくは仕事に集中しなければいけない時期も続くだろう』

 卒業生たちは、皆頷いている。

『だから、我々卒業生には、今しかないんだ』
「はい、おっしゃる通りです……浅はかでした……」
『いや、高橋くんの気持ちは良く分かる。キミは誰よりも優しい男だ。何とかしたい気持ちでいっぱいだろう』

 駿は頷いた。
 澪に向かい合う山辺。

『どうだろう、中山くん。五分だけステージを延長させてもらえないだろうか』
「そ、それは……」
『それで、後日近隣の家々を一緒に回ろう。私は大半の家には何度も足を運んだことがあるから、皆さんのこと、よく知っているんだ。今回のお詫びと一緒に、キミをその家々に紹介してあげよう』
「!」
『今後、生徒会長として活動するにあたって、決して悪い話ではないだろう』

 山辺は校長に尋ねた。

『校長先生、それならいいですよね?』

 笑顔で、両手で頭の上で丸を作る校長。
 卒業生たちから歓声が上がった。

『それから、もうひとつ!』

 マイクを通し、大声を上げる山辺。

『軽音楽部の薄井(小太郎)くん、隠れていないで出て来なさい!』

 電源室側の扉に視線が集まる。

『早く!』

 ガチャリ

 山辺の怒号で、扉から出てきた軽音楽部部長の小太郎。
 体育館の中は、静寂の空気に包まれている。

『薄井くんは、この決定に文句はないね?』
「会長がいいんだったら、いいんじゃないですか……?」

 小太郎は、ボソボソっと投げやりに答えた。

 ぷちっ

 堪忍袋の緒が切れた山辺。

『オレはお前に聞いている! 文句はないな⁉』

 山辺の怒りが満ちた言葉に、ビビる小太郎。

「あ、ありません……」

 澪の方を向き、ニッコリとマイクを返した山辺。

「あとは頼んだよ、中山会長……」

 山辺は、席に戻っていく。
 そして、マイクでアナウンスする澪。

『それでは、最後のステージイベント、音楽研究部、お願いします』

 卒業生たちから悲鳴のような歓声と大きな拍手があがった。
 駿と光の顔にも、ぱぁっと笑顔が浮かぶ。

 同時に、小太郎と軽音楽部のメンバーたちは、そそくさと体育館を後にしていった。

 待機スペースに、光と共に急いで戻る駿。

 ガチャッ

「みんな……!」

 扉を開けると、すでに準備を整えたメンバーたちが待っていた。
 みんな笑顔で駿の次の言葉を待っている。

「ほら、頑張ってきな!」

 光は、駿の背中をポンッと押し出した。
 笑顔になる駿。

 駿が手を伸ばすと、メンバーたちも自分の手を重ねていく。
 円陣を組んだ音楽研究部。

「よーし! 音楽研究部、いくぞ!」
「おーっ!」

 全員が笑顔で声を上げた。

 音楽研究部、たった一曲のステージが始まる。

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