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二学期・後半

第70話 文化祭 (4)

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 ――文化祭 二日目の午後

 あと三時間弱でライブが始まる。
 ライブ会場である講堂は、生徒会主催のイベント「さよなら講堂」で一般に開放され、まばらではあるが本校出身者であろう来校者が思い出話に花を咲かせていたり、休憩スペースとして利用されたりしていた。

 そんな中、ステージ上では夕方からのライブの準備が着々と進んでいる。
 ドラムセットやキーボードの他、PC、アンプなども積まれており、講堂備え付けのプロジェクターがステージ背面のスクリーンを青く照らしていた。
 照明も、ステージ前と後ろにそれぞれ設置され、壁際二階通路にもピンスポットを設置、それぞれジュリアとココアがついて、すべての照明を操作することになっている。

 そんな中、達彦と亜由美は、ギターを小型のポータブルアンプに接続して、音を確認していた。
 ふたりに近寄る駿。

「悪いな、思いっ切り音が出せなくて」
「いや、しょうがねぇだろ。騒音の問題もあるしな」
「うん、その分、ライブで発散するから」

 達彦も亜由美も笑っていた。
 ふたりとも緊張することなく、ステージを楽しみにしているようだ。

 タン タン ド ド ド

 太が軽くスネアとバスドラムを叩いている。

「太の方も問題ないか?」
「うん、全然問題ないよ。いいドラム手配してくれて、ありがとう!」

 にこやかに笑う太に、サムズアップを送った駿。
 太もリラックスしている様子だ。

 ステージの隅では、幸子が床に座り込んで、紙を見ながら何やらブツブツ言っていた。
 幸子に近寄る駿。幸子は気付いていない。

「さ~っちゃん」

 ビクッとして、驚きの表情で顔を向ける幸子。
 幸子は、写真撮影の時のメイクと髪型(ポニーテール)をそのままにしていた。

「び、びっくりしました……」
「さっちゃんは歌詞のチェックかい?」

 幸子は、紙に目を落とす。

「はい、間違えないようにしないと……」
「真面目だね、さっちゃんは」
「あと……問題は……デュオ……ですね……」

 声のトーンが落ちた幸子。

 今回のライブでの最後の曲は、駿と幸子がデュオで歌うことになっているが、練習においてまだ一度もうまくいったことがなかった。
 駿と幸子、それぞれの力量に問題はなく、それぞれ個別に歌うとまったく問題無く聴こえるのだが、デュオになると幸子の声がどうしても引っ込んでしまうのだ。
 駿の声量や声の太さも原因のひとつなのだが、一番の原因は幸子側にあった。
 駿の声に、幸子の自信がシュリンクし、無意識のうちに萎縮してしまうのだ。生来の気の弱さが出てきてしまっていた。
 声を加減するなど駿側の調整を色々と試してみたものの、今度は全体的に弱々しく聴こえてしまうため、幸子が自信を持って声を張る必要があるのだが、自分なりに精一杯の声を出すものの、どうしても駿の声に押されてしまい、きれいなハモりを出すことができなかったのだ。

「さっちゃん、あまり気負いせずにいこう。ね」
「はい……とにかく、最後まで諦めません!」

 幸子の目にやる気がたぎる。

「OK! 気楽に楽しもう!」

 幸子の肩をポンポンと叩いた駿。

 ステージ端の階段を下りた先にある踊り場的なスペースでは、ジュリアとキララが打ち合わせをしている。

「どう? 問題なさそう?」
「あ、駿、あーしは問題なし! ココアとバッチリ決めるから!」
「私の方も、画面切り替える練習たくさんしたし、大丈夫!」

 ジュリアとキララは、駿に自信満々の笑顔を浮かべた。

「おぉ~、心強いね! ……で、ココアは?」

 ふたりが少し困ったような表情をする。

「緊張MAXみたいで……あーしが一緒にいようと思ったんだけど、ひとりにしてくれって……」
「多分、講堂の裏あたりにいると思う。あんまり戻るのが遅かったら、様子見に行こうと思って……」
「そうか……うん、わかった。オレ、ちょっと覗いてみるよ。本番よろしくな!」
「うん、がんばるよ!」
「あーしたちに任せとけって!」

 笑顔のふたりの肩をポンポンと叩いた駿。

 その足で一旦講堂を出て、裏へ向かう。
 向こうにココアがいた。

 しかし、様子がおかしい。
 講堂の壁に片手をついて、吐き戻しているようだ。

「ココア!」

 駿がココアの元へ駆け寄る。
 駿に気付きハッとしたココア。
 見られたくない一心で、口を手で押さえる。

「し、駿……ぉぐぇ……ごぶっ」

 指の隙間から吐瀉物がしたたっていた。

「バッカ! 全部吐いちまえって!」

 慌ててココアの背中をさする駿。

 ばちゃばちゃばちゃ ばちゃばちゃ

 息は少々荒いが、吐き戻し終えて、少し落ち着いたようだ。

「ほら、ココア、こっち向け」

 駿は、ココアを自分の方に向かせて、吐瀉物で汚れた顔と手をハンカチで拭く。

「ぉぇ……ぉえぇ……」

 ココアは、まだ少しえづいていた。

「ココア、お前体調悪いのか……?」

 駿の問いに、首を横に振るココア。

「緊張して……ぉぇぇ……」

 具合が悪いわけではなかったことに、駿はホッとした。

「そっか……まぁ、正直オレも気を抜くと吐きそうだわ……」
「駿も……?」
「緊張してる、思いっ切り。みんなの手前、そうは言えないけどな」

 駿は苦笑いする。

「私~……鈍くさいから、失敗したらどうしようって~……」

 不安そうなココア。

「失敗したってどうもなんないから、安心しな」

 ココアは、ホッとした表情で頷く。

「まぁ、一年位はそのネタでネチネチいじめるけどな」

 イジワルっぽく笑った駿。

「え~」

 ココアの顔に笑顔が戻る。

「あんだけ練習したんだから、大丈夫だって」
「うん……」
「それから、ココアが笑顔じゃないと、みんな元気でないからな」
「そうなの……?」
「キララやジュリアが元気なかったら、ココアだって元気でないだろ? それと同じだよ」
「うん! わかった~!」

 緊張が少しほぐれたようだ。

「OK! ココアはどうする? 戻るか?」
「うん、戻る~」
「んじゃ、一緒に行くか」

 ハッとするココア。

「駿~……」
「ん?」
「駿の靴に、ゲロかけちゃった」

 ココアは、テヘッと笑った。
 駿が足元を見ると、靴がココアの吐瀉物で汚れていた。

「オ、オマエーッ!」

 無邪気に笑いながら逃げていくココア。
 それを見守りながら、駿は小さなため息をついた。

(まぁ、オレもホントに吐きそうだわ……)

 駿もまたプレッシャーを感じていた。
 音楽研究部にとって最初のイベントであり、講堂の千秋楽のイベントでもある。
 うまくいけば学校や生徒会とのパイプを太くできるが、下手を打てば彼らの顔に泥を塗ることになる。
 特に、山辺会長がまとめてくれたライブでもあり、彼が生徒会長として携わる最後の大きなイベントでもあるので、彼の顔を潰すことだけは絶対にできない。
 内側に目を向ければ、このライブを通じて幸子の自信回復を図りたいと考えているが、デュオという問題を抱えたままの状態だ。
 また、ジュリアとココアの噂対策のトドメとして、この機会に汚名返上を図りたいと考えている。

(失敗は許されない……)

 大きなプレッシャーの中、駿は決意を新たにした。

 ◇ ◇ ◇

 ――ライブ開始三十分前

 駿たち音楽研究部八人が、ステージ脇の踊り場的なスペースで円になって集まっていた。
 発破をかける駿。

「みんな、三十分後にライブが始まる」

 誰かがツバを飲み込む音が聞こえた。

「客もぼちぼち入り始めている」

 十六時から校長や山辺生徒会長の挨拶があるため、すでに徐々に人が集まり始めている。

「みんなそれぞれプレッシャーはあると思う」

 全員真剣な表情だ。

「でも、オレたちが楽しまなきゃ、聴いてる方も楽しめない」

 みんなが頷く。

「楽しんでいこう! そして、ライブを成功させよう!」

 全員が腕を伸ばし、手を重ねた。

「ライブを成功させるぞ!」
「おーっ!」

 全員笑顔で雄叫びを上げる。

「よし! ジュリア、ココア、二階通路で待機。合図を出したら開始だ!」
「はいよ!」
「わかった~!」

「キララ、PCの操作とふたりのサポートを頼むな。練習通りやってくれ!」
「OK、了解!」

「さっちゃん、タッツン、亜由美、太、オレらはここで待機だ。ピックとかの予備の確認をもう一度しといてくれ!」
「はい、わかりました!」
「OKだ!」
「うん、ダブルチェックしとく!」
「ボクの方は大丈夫だよ!」

 今回音響周りの面倒を見てくれている叔父の龍司と綾のところへ駆けつけた駿。

「叔父さん、綾さん、ありがとうございます!」

 ステージ脇、ミキサーの前に龍司が座り、その横に綾が立っている。

「おう、駿。悪いが、音響は完璧じゃない。大きな音はほとんど出せなかったからな。だから、オレのこれまでの経験と感で調整してるから、それだけ理解しといてくれ」
「わかりました。叔父さんを信用してますので、そこはお任せします」

 龍司は、ニッと笑い駿に手を挙げた。

「駿、今回は私いらなかったみたい。龍司さん、女子高生でデレデレになると思ったんだけど、みんなのやる気にあてられちゃって」

 綾が龍司に目をやると、真剣な表情で、今回のセットリストを見ながら何やら細かくメモをしている。

「私、龍司さんのサポートするので客席側にいるから。駿、しっかりね」
「はい、綾さん!」

 駿の頭をくしゃくしゃっと撫で、綾は客席側に向かった。

 全員が気負いせず、良い緊張感に包まれている。

(きっとうまくいく)

 駿はそう確信した。

 ◇ ◇ ◇

 ――ライブ開始十五分前、十六時ちょうど。

 体育館でのイベントがすべて終わったこのタイミングで、校長の挨拶が始まった。
 現段階で、客は講堂の四割程度を埋めており、さらに増えていっているのがわかる。
 在校生だけでなく、来校者の姿も目立っている。

 待機する駿の元に、山辺生徒会長がやってきた。

「高橋(駿)くん、調子はどうだい」
「はい、お陰様で全員ベストの状態です」
「じゃあ、今日は期待してもいいのかな?」
「もちろんです。今回の文化祭では、我々音楽研究部のライブが最高だったと、必ず言わせてみせます」

 その言葉に笑みを浮かべて手を差し出す会長。
 駿は、がっちりと会長と握手を交わした。

 ◇ ◇ ◇

 ――ライブ開始五分前

 校長の挨拶が終わり、会長が挨拶のためにステージへ上っていった。
 駿たちの緊張が最高潮に達する。

 ◇ ◇ ◇

 ――ライブ開始一分前

「それではこの後、この講堂最後のイベントとして、音楽研究部によるライブを行いますので、皆さんごゆっくりお楽しみください」

 観客に頭を下げる会長に、観客から拍手が湧いた。
 駿たちが待つステージ袖に帰ってくる会長。

 会長は、駿たちに声をかけた。

「さぁ、キミたちの時間だ」

 その言葉に全員のボルテージが上がる。

「よし! みんな、行こう!」

 駿、達彦、亜由美、太、そして幸子がステージに上がっていく。
 ついにライブの幕が上がった。

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