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二学期・前半

第64話 少年と少女が抱えた闇 (3)

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 駿は、幸子の身体の秘密を知った。
 そばかすだらけの身体を持つ自分を、バケモノだと言う幸子。
 そんな幸子を、駿は優しく抱き締めたのだった。

 部屋着を着た幸子。

「見苦しいものをお見せして――」
「眼福でした!」

 駿は、幸子の言葉に被せる。

「できれば、ついでにこう……」

 両手をワキワキと、何かを揉むようなジェスチャーをした。

「いいですよ、こんなペッタンコでも良ければ……」
「へっ? あ、いや、あの……」
「はい、どうぞ……優しくしてくださいね?」

 駿に身体を寄せる幸子。

「だーっ! 冗談だよ! 冗談! セクハラジョーク言ってゴメンナサイ!」
「はい、分かってます」

 幸子はクスクス笑った。

「さっちゃん、最近マジで手強いな……」

 笑い合うふたり。

「駿くん」
「ん?」
「駿くんは、どうして私が帰ったって分かったんですか?」
「実はね、さっちゃんのお母さんから連絡をもらったんだ」
「えっ? お母さん?」
「うん、携帯に連絡くれて。お母さん、電話口で泣いてたよ」
「…………」
「あとで、ちゃんと話しな。ね」
「はい……」

 うつむく幸子の頭を軽くポンポンと叩いた駿。

「それと、みんな心配してたからさ、あとでみんなが入ってるグループチャットに招待するから、メッセージ入れてあげてくれる?」
「はい……」
「みんなを安心させてあげてね」
「はい……ご心配をおかけしまして、本当に申し訳ございませんでした……」

 うなだれる幸子。
 駿は、そんな幸子の顔を覗き込んだ。

「さーっちゃん」

 両方の頬を軽くつねる。

「は、はひ。ひたひでふ……」
(は、はい。痛いです……)

「そんなにしょぼくれないの!」

 こんにゃろー、と笑った駿。
 静かで穏やかな空気が覆う。

「さっちゃん」
「はい」
「また、さっちゃんの気持ち考えないで、言っちゃうのかもしれないけど……誰にも言えない悩みをずっと抱えて、本当に辛かったと思う」
「…………」
「さっちゃんの気持ちが分かるなんて、かんたんには口にできない」
「…………」
「それでも、さっちゃんが勇気を出して、知られたくなかったことをオレに教えてくれて……」
「…………」

 駿は、ふぅ、と小さく息を吐いた。

「オレにさっちゃんの悩みは解決できない……」
「…………」

 ――一瞬の静寂

「でも! ……でもね、支えることならできるんじゃないかって」
「……!」
「さっちゃんの心が折れそうになった時、何もかもから逃げ出したくなった時、どうしようもなくて、どうしたらいいのか分からなくなった時、辛くて苦しくて泣き叫びたい時……さっちゃんが何も考えずに飛び込んでこれる……そんな存在になりたいと思ってる」

 両手で顔を覆い、うつむいた幸子。

「きっと、オレだけじゃなくて、みんな、さっちゃんのお母さんもそうだと思う」

 顔を覆う手の指の隙間から、微かに幸子の嗚咽が漏れる。

「オレ、図々しいから、さっちゃんの心に土足で踏み込むようなこと言っちゃうかもしれないし……ジュリアやココアなんかは、とんでもないこと言い出しそうだしな」

 苦笑した駿。

「こんなオレたちだけど……さっちゃんを支えさせてくれないかい?」

 幸子は手で顔を覆ったまま、小さく頷く。

「亜由美も、タッツンも、太も、ジュリアも、ココアも、キララも、もちろんオレやさっちゃんのお母さんも。みんな、さっちゃんのこと、大好きだよ」

 涙に濡れた顔を上げた幸子。

「私も……私もみんなのことが大好きです! みんなに、会いたいです……」
「うん、みんなもさっちゃんと会いたがってる」
「今回のこと、みんなにちゃんと謝りたいです……」

 駿は、そっと幸子の頭を撫でる。

「じゃあ、ちゃんと身体と心を休めないとな」
「はい……」
「明日からの週末は、ゆっくり休んで。もしも不安とかに襲われそうになったら、いつでも電話かけて。夜中でも、早朝でも、いつでも大丈夫だから」
「はい、ありがとうございます」

 笑顔でペコリと頭を下げた幸子。

「駿くんも……」
「ん?」
「駿くんも、背負い込み過ぎないようにしてくださいね……私も、愚痴聞く位はできますので……」
「うん、その時は胸貸してね!」
「ペッタンコですけど……」
「その自爆ネタはもういいっちゅーの!」

 笑い合うふたり。

「じゃあ、オレ、そろそろ行くね」
「色々ありがとうございました」

 部屋を出る幸子と駿。
 一階へ降りると、キッチンから幸子の母親・澄子が出てきた。

「ちゃんとお話しできたみたいね」
「お母さん……ごめんなさい……それと、ありがとう……」

 うなだれる幸子の頭を優しく撫でる澄子。

「すみません、自分はこれで失礼いたします。お邪魔いたしました」

 駿は、玄関で澄子に頭を下げた。

「さっちゃん、お母さんちょっと高橋(駿)くんとお話ししてくるね」
「うん、わかった」

 駿と共に玄関から出ようとする澄子。

「じゃあね、さっちゃん。LIME招待するから、スマホ握っといて」
「駿くん、ありがとうございます。お気をつけて」

 片手を上げて幸子と別れた。

 バタン

 玄関が閉まる。

「高橋くん、今日はありがとうございました」

 駿に深々と頭を下げた澄子。

「いえ、お母さんに連絡いただけて良かったです」
「高橋くんしか頼る人がいなくて……」
「逆に、お母さんにそう言っていただけると嬉しいです」
「あの……私、澄子と申します。澄子でいいですよ」

 澄子は、うふふっと笑う。

「えっ! あー……澄子さん……?」
「はい」

 顔を真っ赤にする駿。

「あ、あの、大人の女性を名前呼びするのは……死ぬほど照れますね……」
「あら、こんなオバサンを女性扱いしてくれるなんて、嬉しいわ」

 嬉しそうに微笑む澄子に、駿は顔を赤くして頭を掻いていた。

「えーと、では、澄子さん。幸子さんのことですが、何かありましたら、今日みたいに連絡をいただけますでしょうか。時間は問いませんので。バイトとかの時もありますけど、必ず折り返し連絡します」
「そう言っていただけると、こちらも心強いです。信頼していますので」
「ありがとうございます!」
「親の前で娘とセックスしたいって言っちゃう男の子だけどね」
「あっ……!」

 気まずそうにする駿。

「うふふふ。娘をよろしくお願いしますね、高橋くん」
「は、はい!」

 まいったなぁ、と頭を掻く駿を、澄子は優しい眼差して見つめていた。

 ◇ ◇ ◇

 帰りのバスの中。駿は流れる車窓を眺めていた。

(さっちゃん、これでもっとオレらを頼るようになってくれれば……)

 ふと視線を上げると、夜になりきっていない空に、珍しく月がくっきり浮かんでいる。

(確かに、誰にも言えないよな……ずっと抱え……ずっと苦しんで生きてきたんだよな、さっちゃんは……オレたちが少しでも支えになれればいいけど……)

 もうひとつのことを思い出して、渋い顔になった駿。

(不能のこと、さっちゃんに言っちまったなぁ……情けねぇなぁ……思わず泣いちまったし……)

 どこまでも追い掛けてくる月をじっと見つめる。

(さっちゃんは、こんな情けないオレを受け入れて……くれた……のかなぁ……)

 大きくため息をついた駿。
 幸子には色々言ったものの、自分の不安が拭いきれない。

 月は何も答えてくれなかった。

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