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一学期

第16話 花壇 (2)

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 ――花壇が荒らされた日の夜

 自宅のベッドに横たわる幸子。
 落ち込んでいた幸子に<声>が追い打ちをかけていた。

 <アンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ>
 <アンタ、疫病神か何かじゃないの>

(…………)

 ベッドの上で頭を抱え、身体を丸める幸子。もはや<声>に抗う気力は無かった。

(駿くんは、ああ言ってくれたけど……やっぱり私が……)

 心が<声>で押し潰されそうになった時、勉強机の上に置いておいたビニール袋が視界に入る。比較的状態の良かった花を持ち帰ってきたのだ。

 <アンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ>

(何もできないんじゃない……だって、私は何の行動も起こしていないじゃないか……)

 <アンタ、疫病神か何かじゃないの>

(疫病神だって、抗うことはできる。行動を起こすことができる!)

 頭の中で繰り返し響く<声>を振り切り、ベッドからガバッと起き上がる幸子。その目には、強い意志が宿っていた。
 部屋を出た幸子は、そのまま一階のキッチンに向かう。

「お母さん」

 夕飯を料理中の母親・澄子が振り向いた。

「ん? どうしたの、さっちゃん?」
「電子レンジ、借りていい?」

 ◇ ◇ ◇

 ――花壇が荒らされてから数日後、LIMEのグループチャット。

19:41 駿[なるほどね、もう準備できてるの?]

19:41 幸[はい]

19:42 駿[じゃあ、明日のLHRロングホームルームでやるんだね]

19:42 幸[はい]

19:43 駿[そっか、わかった]

19:43 幸[駿くん]

19:43 幸[お願いがあります]

19:44 駿[うん、何でも言って]

19:45 幸[明日、横にいてくれませんか?]

19:45 幸[いてくれるだけでいいですので]

19:46 駿[OK、いるだけでいいの?]

19:47 幸[はい]

19:48 幸[勇気をもらえるような気がするので]

19:48 駿[わかった]

19:49 達[さっちゃんはつえーな]

19:49 亜[うん、私もそう思う]

19:49 太[同意]

19:50 幸[私が?]

19:50 達[おぅ、さっちゃんのことだ]

19:50 達[俺にはそんな真似できねぇよ]

19:50 亜[タッツンだったら、多分ひたすら荒れるよねw]

19:50 亜[(アチョー! のスタンプ)]

19:51 達[間違いねぇな、暴れると思うわ]

19:51 太[机を蹴っ飛ばしてる姿が目に浮かぶwww]

19:51 駿[タッツン、悪い]

19:51 達[何]

19:52 駿[明日は席にいてくれ、威圧感で周りが出てこれないから]

19:52 達[あー、確かにそうだな。そうするわ]

19:53 達[さっちゃん、わりぃ、陰ながら応援してるからな]

19:53 幸[はい、タッツンさん、ありがとうございます]

19:54 亜[さっちゃん、私にもちょーだいね(ハート)]

19:54 幸[はい、もちろんです]

19:54 亜[(I LOVE YOUのスタンプ)]

19:55 駿[じゃあ、明日頑張ろう!]

19:55 幸[はい!]

19:55 亜[私たち、隣のクラスから応援してるからね!]

19:55 太[がんばれ、さっちゃん!]

19:56 幸[はい、がんばります!]

 ◇ ◇ ◇

 ――翌日、ロングホームルームの時間。

 委員長が教壇に立ち、学校や生徒会からの伝達事項などを説明していた。教卓に両手をつき眼力強く話す姿は、本物の指導者のようにも見える。
 が、聞いている方は、半分以上がダルそうにしていた。ロングホームルームの見慣れたいつもの光景である。

「伝達事項は以上です。他に皆さんの方から何かありますか?」

 教室を見渡した委員長。挙手している幸子に気が付く。

「山田さん、何かありますでしょうか」
「はい、環境委員から報告があります」
「では、こちらに来て、報告をお願いできますか?」
「はい」

 小さな箱を持って、教壇に上がった幸子。

 ガガガッ

 クラスの視線が、椅子を引く音がした教室の後ろの方へ向かう。
 駿が立ち上がり、教壇へと向かっていった。

 ――あれ? 高橋くんって環境委員じゃないよね? クラスにひとりだし。
 ――ん? 高橋くん、どうしたのかな?
 ――例の花壇の件じゃねぇの?

 ざわつく教室。
 幸子は、自分が立つすぐ横に、普段教員が利用している折りたたみの椅子を広げた。

「高橋くん、こちらへお願いします」

 幸子の指示に従って椅子に座る駿。身体が教卓に半分ほど隠れた感じだ。
 教卓を前に、幸子が顔を上げる。幸子は、そばかすだらけの気持ち悪い顔を大勢の前で晒したくないのだが、自分から行動を起こしたいという強い思いが、そんな自分の弱い思いを覆った。
 ざわつく教室を前に、幸子が口を開く。

「環境委員から報告します」

 直立不動のまま、幸子はゆっくりと、ひとつひとつ言葉を確かめるように話していった。

「これまで環境委員では、学校の環境美化を目的に様々な活動を行ってきました。その中には、校舎の前にある大きな花壇の世話も含まれています」

 隣に座る駿を紹介するように幸子は続ける。

「とても大変でしたが、これまでの約一ヶ月半、ここにいる高橋くんの協力を得て、花壇を世話することができました。この場を借りて改めて高橋くんに御礼申し上げます」

 駿に頭を下げた幸子。
 ざわつきも止み、見つめるクラスメイトたちに幸子は続ける。

「そして、前期の卒業生が在学中に撒いた種がこの春に芽吹きました。花も少しずつ咲いていき、花壇が花でいっぱいになる、満開になる、皆さんにも花が咲き誇る美しい花壇を見ていただける。その直前のことでした」

 直立不動のまま、クラスメイトたちを見据え、手をぎゅっと握った幸子。

「花壇は……」

 あの荒らされた花壇を思い出し、次の言葉が出てこない。

「花壇は……花壇は……」

 誰も音を発せず、物音ひとつしない教室。静寂の時間が続く。
 クラスメイトもわかっていた。あの花壇の惨状を見たものもいる。幸子と駿が花壇を世話していることを知っていたものもいる。噂は広まるものなのだ。
 教卓を前に肩を震わせる幸子を、クラスメイトはただ無言で見つめるしかなかった。

(泣いたらダメ! 泣いたらダメ!)

 涙が出そうになり、言葉の出ない幸子。
 そんな時、握りしめる右手がふっと暖かくなる。
 視線を右手にやると、隣に座っていた駿が、そっと自分の手を優しく握ってくれていた。駿の視線は正面で、教卓の影に隠れ、クラスメイトたちからは、それを窺い知ることができない。

(やっぱり、こうやって駿くんから勇気をもらっちゃうんだなぁ……弱いなぁ、私……)

 手を握られた恥ずかしさよりも、駿から伝わる勇気に心が熱くなる幸子。
 再度クラスメイトを強く見据える。

「花壇は……荒らされてしまいました。花は、全滅です……」

 静まり返る教室。

「皆さんに、満開の花壇をお見せすることができなかったことを、環境委員のひとりとして、深くお詫び申し上げます」

 駿の手から離れ、教壇を降り、教卓の前に移動してクラスメイトに向けて深々と頭を下げた幸子。

「ちょっと待ってよ! おかしいよ! なんでさっちゃんが頭下げんのさ!」

 声を上げたのは、ギャル軍団のジュリアだった。

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