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第二部

71 災い転じて福となる

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 久我家は代々、悲劇の英雄を輩出してきた。
 しかし。
 実は、俺はあてはまらないんだよね。

 別の世界で生まれ育ち、いざとなったら向こうに帰れば、古神ロボットうんぬんは関係ない。てか、たぶん俺の先祖は、そのために別の世界に渡ったんだろーな。 
 悲劇を悲劇のままで終わらせない。
 よりよい明日に向かってチャレンジし続ける。たとえ失敗しても、次の子孫に賭ければいい。
 そうやって生み出された「俺という選択肢」。だから、俺は自分のご先祖様を尊敬する。彼らが大切に受け継いできた霊力という大きな贈り物を、簡単に手放せる訳がない。
 ご先祖様は、子孫の俺達を本当に大切にしてくれたんだから。
 
「そういう訳だから、景光。霊力が多ければ恵まれているかというと、そうでもないのかもしれない」
「……」
「それでもお前は……って、何? どうして泣いてるの?」
 
 いつの間にか、景光は瞳をうるませて滂沱の涙を流していた。
 
「なりやすぁん~~!」
「うわ! 抱き着くな!」
 
 景光は鼻水を垂らし、嗚咽で台詞が子供還りしている。
 
「おれは、みんな事情があるって、頭で分かっていても、分かってなかった。うぅ、ごめんなさい」
「え? いやそうだけど、そんな感動することじゃ」
 
 こいつ無茶苦茶、純粋じゃね。
 俺は予想外の効果にうろたえた。
 
「霊力なんか要りません! 普通に生きられたら、それでいい。そうですよね!」
「う、うん。まあそうだけど」
 
 ありきたりな結論に落ち着いたぞ。
 これでいいのか。
 
「……虫唾が走る茶番劇でしたね」
 
 抱き合う俺達を見下ろして、佐藤さんは眉間にシワを寄せた。
 
「普通の人生? 世間一般の人間が言う普通とは、そこそこの金を持っていて衣食住に困らず、家族全員が健康で生存し、誰かを殺したり殺されたりせずに大往生する――それは普通ではありません。非常に恵まれているのです。持たない者が、普通の人生を送ることなど不可能だ」
 
 佐藤さんは吐き捨てる。
 俺は「その通りだ」と頷いた。
 
「俺達は少ないリソースを奪いあって生きている。だけど、その行為を正当化して、他人のものを奪っていいかというと、俺はそうは思わないな。佐藤さん、あんたは危険な存在だ。外に出るべきじゃない」

 いつの間にか復活した狸が、俺の隣をすいすい泳いでいる。
 腕を上げて「たぬき」と呼ぶと、意図を察した相棒は「ぽふん」と音を立てて泡になった。
 泡の中から、切れ味の良さそうな日本刀が現れる。
 俺は刀をつかんで、前触れなく佐藤さんに斬りかかった。
 
「ここで終わりにしよう」
「ふははっ、それが君の本性ですか、村田くん! 邪魔なものは切り捨てる! 非常にシンプルで分かりやすい! いいですよ、私はそういうのは大好きです!」
 
 胸を日本刀で刺し貫かれても、佐藤さんは平然と笑っている。
 
「あいにく私は不死身でしてね。刃物で切られたくらいで死なないのですよ。ふふふ。もうここに用はありません。次の場所で、悪意の種を蒔くことにしましょう……」
 
 佐藤さんは地面を蹴って、水面へと上昇する。
 日本刀は水を切ったように手応えなく、すり抜けた。
 駄目だ、このままじゃ犯人を逃がしてしまう。
 
「あはははは!!」
 
 高笑いしながら離脱しようとする佐藤さん。
 しかし、その時。水面が暗くかげり、俺たちを中心に水流が渦を巻いた。
 
「何?」
 
 どこからか、低くエコーがかった声が聞こえる。
 
『奪うが福か。与えるが福か』
「誰だ?!」
 
 渦巻く水流の向こうに、巨大な魚の影が見えた。
 あれは、鯨?
 
『我が依り代は、後者を選んだ。ゆえに禍は福に反転する――』
 
 水面まであと少しのところまで来ていた佐藤さんの前で、巨鯨が口を開ける。
 
「なっ?! ヒルコ?! 待ちなさい! あなたは天照大神を憎んでいたのでは! 私は敵ではないのに、なぜ邪魔をする!」
『姉を羨むは、愛を求める心あればこそ。死してなお飢え渇きし哀れな人の魂よ、死神たる我が体内で眠るがいい』
「やめろっ! それが神の慈悲だというのか?! 私は悪魔だぞ!」
 
 必死に巨鯨から逃れようとする佐藤さん。
 しかし圧倒的スケールで迫る鯨からは逃れられない。
 大きな口が、ぱっくりと佐藤さんの体を飲み込んだ。
 まるでオキアミやプランクトンを飲み込んだ鯨のように。ヒルコは悠々と海を泳ぐ。
 俺と景光は、呆然とその光景を見上げていた。
 
『生ありし人の子よ。答えよ。奪うが福か。与えるが福か』
 
 頭上で旋回しながら、鯨は俺達に問いかけた。
 まるで謎かけのようなそれに、佐藤さんの最期を見た衝撃で魂が飛んでいた俺は、我に返る。
 
「そうか。与えるが福……そういうこと」
 
 俺は、ヒルコの気が変わらない内にと、慌てて景光と向き合った。
 
「景光。今から俺の霊力を半分、お前に渡す」
「!……え、俺、さっき断りましたよね」
「いいから、黙って受け取れ」
 
 景光の肩をつかみ、自分の額を彼の額に押し当てて強く念じる。
 俺の体が淡く光った。
 霊力が景光に移り始める。
 
「駄目です、響矢さん! そんなことしちゃ」
「俺のご先祖様も、人助けのためだったら、霊力を渡してもいいと言うだろ」
 
 霊力百万と有り余ってるし、半分でも十分に古神に乗れる。
 それにヒルコの問いかけを深読みすれば、これは消費ではなく投資だ。
 
「響矢さん!」
  
 離れようともがく景光をつかみ、霊力を流し込む。
 あとは野となれ、山となれ、だ。
 急激な霊力の低下で、貧血のように眩暈がした。
 俺を呼ぶ景光の声が遠くなる……。
 
 

 
 気が付くと、俺達は死神ヒルコのコクピットに戻ってきていた。

「響矢さん! 良かった! 目が覚めたんですね!」
 
 景光が俺を介抱している。
 いつの間にか立場が逆転したようだ。
 俺はふらつく体を叱咤しながら、上体を起こす。
 その時、上着のポケットに入れていた端末が振動した。
 
『響矢くん! 状況は?! はやくコンゴウから脱出して!』
「恵里菜さん、俺は無事です。景光も。これからコンゴウを脱出します」
 
 戦艦コンゴウは、ヒルコもろとも海に落ちて沈みかけている。
 景光と一緒にクラミツハに戻って脱出しないと。
 
『無事で良かった……いい。よく聞いて。戦艦コンゴウの件で怒った英国が、古神部隊を派遣してきたわ。天岩戸が無いから、すぐに接敵する。あなたの古神としてスサノオを準備しているけど、射出が間に合うか』
「え? 英国?」
 
 ヒルコはまだ起動中だ。
 景光がモニター操作すると、海の彼方から古神の一団が近づいてくるのが見えた。
 
『基地の建て直しもまだなのに……このままでは防衛も難しいかもしれない』
 
 恵里菜さんの声は絶望しているようだった。
 トラブルに次ぐトラブルで、精神的に参っているようだ。
 俺は操縦席に寄りかかりながら、立ち上がった。
 
「禍は福に転ず――大丈夫だろ。死神ヒルコで撃退すればいい」
『え?! 響矢くん、それは災いの古神よ?!』
 
 きょとんとする景光に微笑みかけ、俺は再び操縦席のアームレストに埋め込まれた勾玉に手を伸ばした。
 血のような勾玉の色が、俺の触った場所から淡いブルーに変化していく。
 空中にメッセージが浮かんだ。
 
『死神ヒルコ…停止』
 
 一瞬、操縦室が暗くなった。
 まるで夜明けの空のように、操縦室内壁が端から紺碧の色に変化していく。
 ガリガリと外で音がして、ヒルコの機体が動いている。
 あの気味の悪い棺桶は砕け散り、中から手足が現れた。
 コンゴウと再び接続し、クラミツハの機体を収容しながら、海中でヒルコ=コンゴウは一体となり、再構成を遂げる。
 鯨にまたがる武者のような古神の姿だ。
 
『起動処理終了――海福神ヒルコ、再誕しました』
 
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