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竜の娘

66 まったく予想外の子が生まれました

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 今までかえる気配を見せなかった竜の卵が、動き始めている。
 俺は卵を庭石の上に置いて見守った。
 
「なんだなんだ?」
 
 惰眠をむさぼっていたクロス兄が、俺の隣にやってくる。
 ウォルト兄も片目を開けて興味津々だ。
 
「どんな竜が生まれるのかな……」
 
 俺たちが見守る中で、卵が揺れ動き、真ん中からパリンと割れた。
 
「おぎゃあ!」
 
 卵の中身を見て、俺は硬直した。 
 
「え……?!」
「これは……」
 
 クロス兄も仰天して言葉を無くしている。
 黙って見ていたウォルト兄が重々しく言った。
 
「……どう見ても、人間の子供だな」
 
 割れた卵の中で泣いているのは、竜の仔じゃない。
 なんで竜の卵から人間の赤ちゃんが出てくるんだよ!
 
「なんだあ、近所で赤ん坊が生まれたのか?」
 
 泣き声を聞き付けたのか、庭にロイドが現れた。
 商会から逃げ出した件で一時的にタヌキになってもらっていたロイドだが、今はもう人間の姿だ。猫背で長髪を適当にひとくくりにした、おっさんくさい雰囲気の青年である。彼は成り行きで何となく、俺たちの領事館の使用人になっていた。
 俺はロイドを振り返った。
 
「ちょうど良いところに来たね、ロイド」
「は? お、おい、その赤ん坊はなんで卵のからの中に」
「俺にだって分かんないよ……」
 
 あまりに予想外すぎて、俺、ちょっと半泣き。
 目の前で赤ちゃんがギャン泣きしているのだ。
 前世の人生経験でも子供を持った事が無いので、どうして良いかさっぱり分からなかった。
 
「ロイド、赤ん坊の世話をしたことある?!」
「いや、知らねえよそんなの!」
 
 俺たちが右往左往していると、途中でミカがやってきた。
 ミカは目を丸くしたが状況を把握すると「師匠! お湯とタオルを持ってきて!」と一喝《いっかつ》する。
 赤ん坊の世話の仕方を知る人物が登場したことで、現場の混乱は一旦収まった。
 
 
 
 エスペランサ人の下働きに、母乳の代わりになるものを買ってきてもらい、赤ん坊を室内の揺り籠《かご》に移動して、やっと落ち着く。
 騒ぎを聞いたロキとティオもやってきて、関係者一同集結って感じだ。
 
「今度は何をやったんだ、フェンリルくん?」
「何もやってない」
 
 俺は無罪だ。ふるふる首を横に振る。
 ティオは卵から人間の赤ん坊が生まれるという珍事態に、すっかり俺への怒りを忘れてしまったようだ。
 天真爛漫な様子で赤ん坊を見ている。
 
「本当に人間の子供なの? ゼフィみたいに変身してる訳じゃなくて?」
 
 その可能性もあったか。
 だが、卵から生まれたばかりで完全な人間の姿に変身する生き物は、普通は考えにくい。俺だって人間の姿に変身するには、教えてもらう必要があったのだ。
 
「……稀《まれ》に、純粋な人間同士の婚姻から、異種族の子供が生まれる事があるといいます。取替子《チェンジリング》と呼ばれるそうですが」
 
 ミカがゆっくり呟いた。
 
「もしかしたら、その取替子チェンジリングの竜バージョンなのかもしれませんね」

 取替子チェンジリングの伝承は、俺も人間時代に聞いた事があった。確か、妖精が子供を取り替えてしまうお伽噺伽噺とぎばなしだった気がする。
 しかし現状は、取替子チェンジリングの説が一番しっくりくるように思えた。
 誰かが卵の中身を取り替えてしまったのだろうか。
 
「……俺のゆで卵が」
「ゼフィ……」
 
 ぽつりと漏らした俺の言葉に、ティオは呆れた顔をした。
 
「……ぱあぱ……」
 
 赤ん坊が、小さな両手を俺の方に伸ばして目をキラキラさせている。
 俺は思わず後ずさった。
 
「ちょっと待て! 俺はお前の親じゃ」
 
 親じゃないと言いかけて、途中で黙る。
 赤ん坊に罪は無いのだ。
 突き放されたら傷付くだろう。
 赤ん坊はうるうるした瞳で俺を見ている。
 
「ゼフィ、この子の名前、どうする?」
「どうするって……」
取替子チェンジリングにしろ何にしろ、ここで育てるしかないでしょ。ゼフィの卵から出てきたんだから、名前はゼフィが付けてあげてね」
 
 ティオが駄目押しのように告げる。
 こうなった以上、腹をくくるしか無さそうだ。
 俺は赤ん坊に近寄って観察した。
 ミカの診察によると、女の子らしい。まだ薄い髪の毛は淡い金色で、瞳の色は薄い赤、明るい薔薇色《ピンク》だった。
 
「ローズ」
 
 俺が名前を口にすると同時に、雪の結晶のような光が、キラキラと赤ん坊の周囲を舞った。赤ん坊がキャッキャと笑う。
 
「神獣の祝福か。丈夫に育ちそうだな」
 
 ロキが感心したように言った。
 俺また何かやっちゃいました?
 
「可愛い名前ですね! ローズちゃん!」
 
 ミカが両手を打ち合わせる。
 育児は彼女に任せよう……。
 
「そういえばフェンリルくん、アールフェス・バルトの件はどうするつもりだ? もたもたしていると本当に処刑されてしまうぞ」
「忘れてた!」
 
 卵の中から生まれた赤ん坊の対応で、もう半日以上、経ってしまっている。ロキの指摘に、俺は直前まで考えていたことを思い出した。
 
「ゼフィ、やっぱり、アールフェスを助けてくれるの?!」
 
 ティオが顔を輝かせる。
 俺はぎょっとした。
 
「い、いや助けるとは一言も」
「あの後、考えてたんだ。ゼフィは僕の王子としての体面を守るために、アールフェスを引き渡すフリをしてくれたんじゃないかって! 本当はアールフェスをこっそり助けるつもりなんだよね?!」
「ええっと……」
 
 だらだら汗を流す俺の手を、ティオはガシッと握って、希望に満ちた瞳をする。うう、止めてくれ、そんな瞳で俺を見ないでくれ……。
 
「……助けられるって、決まった訳じゃないからな」
「ゼフィ、ありがとう!」
 
 ティオは勢いあまって俺に抱きつく。
 いったい何で俺は正義の味方みたいな事をやってるんだ。英雄はとっくに卒業して、田舎いなかでスローライフする気満々だったのに。
 
 
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