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天使様と里帰り
第65話 女王の誇り
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「……天使様は、北の大地を気にしておられた」
シエロは、老騎士の剣を慎重に押し返しながら言う。
「国を守る勇士たちに、ふさわしい報酬が与えられないばかりか、政治の目も行き届いていない、と。せめて傷付く者を労らんと、クラヴィーアには無償で治療薬を送るよう、天翼教会に指示しておられたが、届いていないか?」
「!!」
天使である正体は秘密なので、司教という立場を踏まえた発言だったが、それは天翼教会を管理している者しか知らない情報だった。
老騎士ウーゴの怒気が揺らぐ。
見物していた騎士たちが「そういえば」と呟いた。
「この前、一緒に戦っていた傭兵たちが、クラヴィーア駐屯地には治療薬が揃ってるって、驚いてたな……」
治療薬の話は、昨日今日の事ではないのだろう。
昔から、天翼教会は支援をしていたのだと気付き、シエロを見る目が変わる。
しかし、ウーゴは戦いを止めなかった。
「だとしても今、見極めたいのは、お主の性根よ……!」
頑固な老騎士の行動に、見ていた騎士団の者たちも、止めた方が良いかと、騒ぎ始める。
ネーヴェは、立ち上がった。
「女王陛下、何を」
夏の暑い中で観戦しているため、水袋を携帯している。
ネーヴェは今朝中身を入れ換えたばかりの、ぱんぱんの水袋を空き地中央へと放り投げ、用意していた弓矢を手に取り、ひょうと射た。
水袋は、試合に夢中の二人の真上に差し掛かる。そして、ちょうどそこにネーヴェの射た矢が刺さり、破裂した。
まるで晴天の雨のように、空中で四散した水滴が、ウーゴとシエロの頭上に振り掛かる。
「そこまで!」
ネーヴェが鋭く声を上げると、全員が女王を見た。
水に濡れたウーゴも、呆然と見上げてくる。
「もう良いでしょう。シエロ様の実力は、分かったはずです。今は北の蛮族の襲撃で大変なのでしょう。それなのに、互いが傷付くまで、試合を続けるつもりですか」
そう言うと、大の男たちは、しゅんとして鎮まり返った。
彼らを見渡し、ネーヴェは声を張り上げる。
「シエロ様は、私が選んだ方です。彼への誹謗中傷は、私に唾を吐く行為と同じと心得よ」
女王の威厳をもって宣言する。
「ウーゴ、そなたの忠誠心、まことに有り難く思います。しかし、私はもう守られるだけの子供ではないのです。今度は、私にクラヴィーアを守らせて下さい」
「姫……」
そう言って微笑み掛けると、ウーゴは感激したように瞳にうっすら涙を浮かべ、跪《ひざまず》いた。
「戦の状況と、お父様がどうしているか。話して下さいますね?」
「もちろんです、姫!」
騎士団の者たちが、次々とネーヴェに向かって跪く。
もはや、ネーヴェに逆らう者はいなかった。
久し振りに会った父の姿は記憶よりも儚く、病床に伏していた。痩せ細り、白髪も増えている。もともと小柄な男だったが、余計に小さくなったようだった。
ネーヴェは、眠っている父親を起こさないよう、静かに歩み寄る。
「お父様……」
「ノルド様は、姫様に知らせぬように厳命されていました。女王として戴冠し、大切な時期だから、煩《わずら》わせたくないと……」
ウーゴが、目を伏せながら言う。
騎士たちがネーヴェに黙っていた理由が分かった。そして、他愛ない賭け事ひとつで、打ち明ける気になった理由も。
クラヴィーアは、危機に瀕している。
彼らはネーヴェに助けて欲しかったのだ。だから、賭け事は彼らにとっても渡りに船だった。
「……う」
人の気配に気付いたのか、父ノルドは呻いて目を開ける。
寝台の横に佇む娘の姿に気付き、瞠目した。
「……お帰り、ネーヴェ。僕はどうやら、間に合わなかったようだね」
「無理なさらないで下さい」
「お前が帰ってくるまでに、体も治して、ついでに侵入者もさくっと追い返して、格好いいところを見せるつもりだったのになぁ」
ノルドは、弱々しい笑顔で言った。
ネーヴェは胸が熱くなる。
「お父様は、昔から格好良いです」
「本当かい?」
「ちょっと抜けているところも含め、尊敬しております」
そうか、とノルドは複雑そうに笑う。
敏《さと》い父親は、ネーヴェがどうしてここにいるのか、これからどうするつもりなのか、お見通しのようだ。
「クラヴィーアのこと、任せても構わないだろうか……」
「お任せください」
体が動かないので仕方ないと、自らネーヴェに指揮権を委譲する。
ネーヴェは父親の手を握り、勝利を約束した。
ゆっくり休むよう言い聞かせ、寝室を出る。
廊下では、シエロが待っていた。
「敵の拠点は、分かっていないようだな」
しつこく襲ってくる敵の兵士たちが、どこで補給しているのか、父ノルドは調べさせていたようだが、斥候は帰ってきていないらしい。
「それに関しては、私に考えがありますの」
「考え?」
「せっかくですから……鳥たちに教えてもらおうと、思いまして」
先日、妖精王から、ネーヴェは鳥と話す能力があると教えてもらったばかりだ。
空を飛ぶ鳥たちを使えば、敵の全容を把握できるかもしれない。
シエロは、老騎士の剣を慎重に押し返しながら言う。
「国を守る勇士たちに、ふさわしい報酬が与えられないばかりか、政治の目も行き届いていない、と。せめて傷付く者を労らんと、クラヴィーアには無償で治療薬を送るよう、天翼教会に指示しておられたが、届いていないか?」
「!!」
天使である正体は秘密なので、司教という立場を踏まえた発言だったが、それは天翼教会を管理している者しか知らない情報だった。
老騎士ウーゴの怒気が揺らぐ。
見物していた騎士たちが「そういえば」と呟いた。
「この前、一緒に戦っていた傭兵たちが、クラヴィーア駐屯地には治療薬が揃ってるって、驚いてたな……」
治療薬の話は、昨日今日の事ではないのだろう。
昔から、天翼教会は支援をしていたのだと気付き、シエロを見る目が変わる。
しかし、ウーゴは戦いを止めなかった。
「だとしても今、見極めたいのは、お主の性根よ……!」
頑固な老騎士の行動に、見ていた騎士団の者たちも、止めた方が良いかと、騒ぎ始める。
ネーヴェは、立ち上がった。
「女王陛下、何を」
夏の暑い中で観戦しているため、水袋を携帯している。
ネーヴェは今朝中身を入れ換えたばかりの、ぱんぱんの水袋を空き地中央へと放り投げ、用意していた弓矢を手に取り、ひょうと射た。
水袋は、試合に夢中の二人の真上に差し掛かる。そして、ちょうどそこにネーヴェの射た矢が刺さり、破裂した。
まるで晴天の雨のように、空中で四散した水滴が、ウーゴとシエロの頭上に振り掛かる。
「そこまで!」
ネーヴェが鋭く声を上げると、全員が女王を見た。
水に濡れたウーゴも、呆然と見上げてくる。
「もう良いでしょう。シエロ様の実力は、分かったはずです。今は北の蛮族の襲撃で大変なのでしょう。それなのに、互いが傷付くまで、試合を続けるつもりですか」
そう言うと、大の男たちは、しゅんとして鎮まり返った。
彼らを見渡し、ネーヴェは声を張り上げる。
「シエロ様は、私が選んだ方です。彼への誹謗中傷は、私に唾を吐く行為と同じと心得よ」
女王の威厳をもって宣言する。
「ウーゴ、そなたの忠誠心、まことに有り難く思います。しかし、私はもう守られるだけの子供ではないのです。今度は、私にクラヴィーアを守らせて下さい」
「姫……」
そう言って微笑み掛けると、ウーゴは感激したように瞳にうっすら涙を浮かべ、跪《ひざまず》いた。
「戦の状況と、お父様がどうしているか。話して下さいますね?」
「もちろんです、姫!」
騎士団の者たちが、次々とネーヴェに向かって跪く。
もはや、ネーヴェに逆らう者はいなかった。
久し振りに会った父の姿は記憶よりも儚く、病床に伏していた。痩せ細り、白髪も増えている。もともと小柄な男だったが、余計に小さくなったようだった。
ネーヴェは、眠っている父親を起こさないよう、静かに歩み寄る。
「お父様……」
「ノルド様は、姫様に知らせぬように厳命されていました。女王として戴冠し、大切な時期だから、煩《わずら》わせたくないと……」
ウーゴが、目を伏せながら言う。
騎士たちがネーヴェに黙っていた理由が分かった。そして、他愛ない賭け事ひとつで、打ち明ける気になった理由も。
クラヴィーアは、危機に瀕している。
彼らはネーヴェに助けて欲しかったのだ。だから、賭け事は彼らにとっても渡りに船だった。
「……う」
人の気配に気付いたのか、父ノルドは呻いて目を開ける。
寝台の横に佇む娘の姿に気付き、瞠目した。
「……お帰り、ネーヴェ。僕はどうやら、間に合わなかったようだね」
「無理なさらないで下さい」
「お前が帰ってくるまでに、体も治して、ついでに侵入者もさくっと追い返して、格好いいところを見せるつもりだったのになぁ」
ノルドは、弱々しい笑顔で言った。
ネーヴェは胸が熱くなる。
「お父様は、昔から格好良いです」
「本当かい?」
「ちょっと抜けているところも含め、尊敬しております」
そうか、とノルドは複雑そうに笑う。
敏《さと》い父親は、ネーヴェがどうしてここにいるのか、これからどうするつもりなのか、お見通しのようだ。
「クラヴィーアのこと、任せても構わないだろうか……」
「お任せください」
体が動かないので仕方ないと、自らネーヴェに指揮権を委譲する。
ネーヴェは父親の手を握り、勝利を約束した。
ゆっくり休むよう言い聞かせ、寝室を出る。
廊下では、シエロが待っていた。
「敵の拠点は、分かっていないようだな」
しつこく襲ってくる敵の兵士たちが、どこで補給しているのか、父ノルドは調べさせていたようだが、斥候は帰ってきていないらしい。
「それに関しては、私に考えがありますの」
「考え?」
「せっかくですから……鳥たちに教えてもらおうと、思いまして」
先日、妖精王から、ネーヴェは鳥と話す能力があると教えてもらったばかりだ。
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