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【第二幕開始】天使様の嫉妬
第21話 婚約
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宰相ラニエリは、引きこもってそうな見た目に反して、耳が早い。
いち早く噂を聞きつけ、予想どおりネーヴェの元にやって来た。
「退位後に、あの大司教の元へ嫁ぐ提案を受けたというのは、本当ですか?」
ネーヴェは落ち着き払って答えた。
「本当です」
花祭りの翌日、司教がシエロの代理で書状を持って王城を訪れた。
天翼教会は、女王陛下の貞潔の宣誓に心動かされた。その高潔な志を守るため、退位後は天翼教会の庇護下に入ってはどうか……大司教の元に降嫁しないか、というお誘いである。
天翼教会という宗教組織が絡んでいるので分かりにくいが、実質はシエロから正式な婚約の申し入れだ。
「聖下のご提案は、私にとって渡りに船。お受けするつもりですわ」
まだ返事はしていないが、これは事前に打ち合わせた通りである。
後は、ラニエリを説得するだけだ。
宰相である彼を通さずして、シエロとの婚約も上手くいかない。ある意味、最大の関門だった。
ラニエリはネーヴェに歪んだ恋心を抱いている。
女王の命として無理やり押し通すことも可能だが、政治の実務を取り仕切る彼が反対すれば、事態がこじれる可能性もある。
案の定、ラニエリは不快そうな顔をして聞き返してくる。
「なぜ……」
「私は、自分の子供を王位につけるつもりはありません」
ネーヴェは、険しい表情のラニエリに臆さず、はっきり述べる。
「あくまでも代理王のつもりですので、必要以上の権力を持ってしまい、家族が王権絡みの争いに巻き込まれることを避けたい。しかし、穏便に退位できたとしても、元女王ということで、私が嫁ぐ先は様々な陰謀に見舞われるでしょう。であれば、天翼教会の庇護下に入るのも一手です。天翼教会は、政治に直接関わりませんので」
筋は通っているはずだ。
聖女のイメージを損なわず、世間が納得する形でシエロと結婚するために、ネーヴェは一芝居打った。
「……分かりました」
ラニエリは眉をしかめたまま、おとなしく頷く。
てっきりシエロとの婚約を邪魔されると思っていたのだが、すんなり承諾の返事がかえってきてネーヴェは拍子抜けした。
雰囲気でこちらの内心を察したらしい、ラニエリは皮肉げに口の端を上げる。
「私が邪魔するとでも思ったのですか? あなたの強情さは、よく知っています。戦うべきは、あなたではなく、あの大司教の皮を被った天使でしょう」
「天使様に対して不敬ですよ」
「ふん。あの男は、これくらいで目くじら立てたりしないでしょう。寛容な天使様ですからね」
婚約の件は進めれば良い、とラニエリは言う。
「どうせ退位後の話でしょう。時間はたっぷりある。手はいくらでもあります」
「何を企んでいるのですか」
「あなたに白状するとでも? キスの一つでもくれるなら、考えますが」
一筋縄ではいかない男だ。
ネーヴェは「キスなど論外です」と冷たく却下する。
「……そうそう。サボル侯の娘が提案した、魔術の国アウラとの交換留学について。アウラから、向こうの王子が使者としてフォレスタに来るとのことですよ。楽しみですね?」
ラニエリは置き土産のようにそう言い、妙に軽い足取りでネーヴェの執務室を後にした。
「……ふぅ」
ネーヴェは額の汗をぬぐう。
とりあえず、シエロとの婚約の話は、前に進みそうだ。これでやっと、人目をはばからず彼と会うことが出来る。結婚までは節度を保ったお付き合いが求められるが、頻繁に会っても問題なくなるし、人前で好意を口にしても不自然ではなくなる。
今まで我慢していた、あれやこれや……身だしなみが疎かなシエロの髪をいじくったり、着せ替えして楽しみたい。司祭服以外の姿も見てみたい。きっとシエロは文句を言いつつ、なんだかんだで付き合ってくれるだろう。
最近、気付いたのだが、ネーヴェはシエロの困った顔を見るのが好きだ。彼は尊大な癖に優しいから、多少の我が儘は受け入れてくれる。
私の天使様。
自分より人生経験豊富で、強くて凛々しい特別な男が、借りてきた猫のように毛並みを撫でることを許してくれる。それはとても、優越感をくすぐられることだった。
いち早く噂を聞きつけ、予想どおりネーヴェの元にやって来た。
「退位後に、あの大司教の元へ嫁ぐ提案を受けたというのは、本当ですか?」
ネーヴェは落ち着き払って答えた。
「本当です」
花祭りの翌日、司教がシエロの代理で書状を持って王城を訪れた。
天翼教会は、女王陛下の貞潔の宣誓に心動かされた。その高潔な志を守るため、退位後は天翼教会の庇護下に入ってはどうか……大司教の元に降嫁しないか、というお誘いである。
天翼教会という宗教組織が絡んでいるので分かりにくいが、実質はシエロから正式な婚約の申し入れだ。
「聖下のご提案は、私にとって渡りに船。お受けするつもりですわ」
まだ返事はしていないが、これは事前に打ち合わせた通りである。
後は、ラニエリを説得するだけだ。
宰相である彼を通さずして、シエロとの婚約も上手くいかない。ある意味、最大の関門だった。
ラニエリはネーヴェに歪んだ恋心を抱いている。
女王の命として無理やり押し通すことも可能だが、政治の実務を取り仕切る彼が反対すれば、事態がこじれる可能性もある。
案の定、ラニエリは不快そうな顔をして聞き返してくる。
「なぜ……」
「私は、自分の子供を王位につけるつもりはありません」
ネーヴェは、険しい表情のラニエリに臆さず、はっきり述べる。
「あくまでも代理王のつもりですので、必要以上の権力を持ってしまい、家族が王権絡みの争いに巻き込まれることを避けたい。しかし、穏便に退位できたとしても、元女王ということで、私が嫁ぐ先は様々な陰謀に見舞われるでしょう。であれば、天翼教会の庇護下に入るのも一手です。天翼教会は、政治に直接関わりませんので」
筋は通っているはずだ。
聖女のイメージを損なわず、世間が納得する形でシエロと結婚するために、ネーヴェは一芝居打った。
「……分かりました」
ラニエリは眉をしかめたまま、おとなしく頷く。
てっきりシエロとの婚約を邪魔されると思っていたのだが、すんなり承諾の返事がかえってきてネーヴェは拍子抜けした。
雰囲気でこちらの内心を察したらしい、ラニエリは皮肉げに口の端を上げる。
「私が邪魔するとでも思ったのですか? あなたの強情さは、よく知っています。戦うべきは、あなたではなく、あの大司教の皮を被った天使でしょう」
「天使様に対して不敬ですよ」
「ふん。あの男は、これくらいで目くじら立てたりしないでしょう。寛容な天使様ですからね」
婚約の件は進めれば良い、とラニエリは言う。
「どうせ退位後の話でしょう。時間はたっぷりある。手はいくらでもあります」
「何を企んでいるのですか」
「あなたに白状するとでも? キスの一つでもくれるなら、考えますが」
一筋縄ではいかない男だ。
ネーヴェは「キスなど論外です」と冷たく却下する。
「……そうそう。サボル侯の娘が提案した、魔術の国アウラとの交換留学について。アウラから、向こうの王子が使者としてフォレスタに来るとのことですよ。楽しみですね?」
ラニエリは置き土産のようにそう言い、妙に軽い足取りでネーヴェの執務室を後にした。
「……ふぅ」
ネーヴェは額の汗をぬぐう。
とりあえず、シエロとの婚約の話は、前に進みそうだ。これでやっと、人目をはばからず彼と会うことが出来る。結婚までは節度を保ったお付き合いが求められるが、頻繁に会っても問題なくなるし、人前で好意を口にしても不自然ではなくなる。
今まで我慢していた、あれやこれや……身だしなみが疎かなシエロの髪をいじくったり、着せ替えして楽しみたい。司祭服以外の姿も見てみたい。きっとシエロは文句を言いつつ、なんだかんだで付き合ってくれるだろう。
最近、気付いたのだが、ネーヴェはシエロの困った顔を見るのが好きだ。彼は尊大な癖に優しいから、多少の我が儘は受け入れてくれる。
私の天使様。
自分より人生経験豊富で、強くて凛々しい特別な男が、借りてきた猫のように毛並みを撫でることを許してくれる。それはとても、優越感をくすぐられることだった。
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