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天使の裁定
第68話 翼の生えた殿方は初めて見ました
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耐えきれず吹き出して笑っているシエロの、肩に連動して翼が上下に揺れている。彼の翼は今、肩より低い位置にあり、体の前側に向かって開いている。まるで翼で抱き締めるような形だが、目の前の空中には何もない。単に口元に手をあてて猫背気味になっている彼の肩に翼がつられているようだった。
「本当に、天使様なのですね……」
ネーヴェは翼を凝視しながら呟く。
「なんだ? 翼が付いただけで、俺自身は元のままだろう。何をそんな驚くことがある?」
シエロがおかしそうに言うと、翼がやや後ろに下がった。
彼の感情を表しているかのような動きだ。
それにしても、普通は二枚一対の翼だが、シエロには翼が一枚しかない。ただ、その一枚しかない翼が立派で、真っ白に輝いているので、天使の威厳はいささかも失われていない。
「……翼の生えた殿方は、初めて見たもので」
ネーヴェは困惑して言う。天使様の尊いお姿を拝見して、と言った方が良かったかしら。
しかし、シエロはネーヴェの言葉に面白そうに笑った。
「そうだな。翼の生えた男は、だいぶ珍しいに違いない。この姿でしか、できないこともある……ちょうど良いから、このまま窓から飛び降りて地上に戻るか」
「ちょ、ちょっと」
シエロはネーヴェの手を引き、窓際に移動しようとする。
ネーヴェは床に転がっているままの、気を失ったエミリオ王子が気になった。
「殿下は、あのままで良いんですの?! 魔術師は?!」
「転がしておけ。後で司祭や兵士を呼んで、片付けさせれば良いだろう」
王子の扱いが雑だ。しかし、一番偉い天使様の言うことなので、まあ良いかとネーヴェも考え直した。単純に王子を背負っていくのは面倒くさい。
納得したネーヴェの腰がぐいと引かれ、次の瞬間、力強い腕に抱き上げられる。
「しっかり掴まっていろ」
「!!」
そこはもう、外に面する窓だった。
丘の上に立つ古城の二階で、たいそう見晴らしがいい。無数の星が散りばめられた夜空、遠く森の彼方に王都の灯りが見える。
ふわりと、体が宙に浮いた。
想像していたのと違い、激しい風圧は感じられない。秋の涼しい風は、柔らかいクッションのようにネーヴェを取り巻き、スカートの裾を優しく膨らませる。
まるで星空の中に投げ込まれたようだ。
見上げると、シエロの凛々しい横顔が満天の月に照らされ、星のように輝く黄金の髪がなびく。
夢のような時間は、ほんの数瞬だった。
あっという間に地上が近付く。
「着いたぞ」
「ありがとうございます」
シエロの腕から地面に降りながら、ネーヴェは過ぎ去った時間を名残惜しく感じた。
「村まで飛んでも良いが、あまり人目に付きたくはない。ここから歩きだな」
「村まで行けば、アイーダやグラート様と合流できますわね」
暗い森に足を踏み入れながら、ネーヴェは隣を歩くシエロをちらと見た。彼はもう翼を消し去って、普通の人間のように見える。
「……村まで行って……そこで、お別れでしょうか」
共に、魔物の虫を巡る事件を追いかけていた。その事件が解決したからには、ネーヴェとシエロは元の通り、関係ない間柄に戻るだろう。
「どうかな」
「え?」
淡い恋心を自覚していたネーヴェだったが、この恋は前途多難だと分かっている。闇雲にシエロに告白したとて、彼を困らせるだけだ。
半ば諦め掛けていたのだが、シエロが期待を持たせるような返事をしてきたので、うつむきかけていた顔を上げる。
「確かに、村に戻れば一旦お別れだ。俺も聖堂に戻って事の整理をする必要がある。だが、お前とは……お前たちには用事がある。ネーヴェ、落ち着いたら、アイーダと共に聖堂に来い」
シエロの深海色の眼差しは謎めいていて、彼が何を企んでいるか分からない。ネーヴェは密かにどきどきしながら「分かりましたわ」と行儀良く頷いた。
「本当に、天使様なのですね……」
ネーヴェは翼を凝視しながら呟く。
「なんだ? 翼が付いただけで、俺自身は元のままだろう。何をそんな驚くことがある?」
シエロがおかしそうに言うと、翼がやや後ろに下がった。
彼の感情を表しているかのような動きだ。
それにしても、普通は二枚一対の翼だが、シエロには翼が一枚しかない。ただ、その一枚しかない翼が立派で、真っ白に輝いているので、天使の威厳はいささかも失われていない。
「……翼の生えた殿方は、初めて見たもので」
ネーヴェは困惑して言う。天使様の尊いお姿を拝見して、と言った方が良かったかしら。
しかし、シエロはネーヴェの言葉に面白そうに笑った。
「そうだな。翼の生えた男は、だいぶ珍しいに違いない。この姿でしか、できないこともある……ちょうど良いから、このまま窓から飛び降りて地上に戻るか」
「ちょ、ちょっと」
シエロはネーヴェの手を引き、窓際に移動しようとする。
ネーヴェは床に転がっているままの、気を失ったエミリオ王子が気になった。
「殿下は、あのままで良いんですの?! 魔術師は?!」
「転がしておけ。後で司祭や兵士を呼んで、片付けさせれば良いだろう」
王子の扱いが雑だ。しかし、一番偉い天使様の言うことなので、まあ良いかとネーヴェも考え直した。単純に王子を背負っていくのは面倒くさい。
納得したネーヴェの腰がぐいと引かれ、次の瞬間、力強い腕に抱き上げられる。
「しっかり掴まっていろ」
「!!」
そこはもう、外に面する窓だった。
丘の上に立つ古城の二階で、たいそう見晴らしがいい。無数の星が散りばめられた夜空、遠く森の彼方に王都の灯りが見える。
ふわりと、体が宙に浮いた。
想像していたのと違い、激しい風圧は感じられない。秋の涼しい風は、柔らかいクッションのようにネーヴェを取り巻き、スカートの裾を優しく膨らませる。
まるで星空の中に投げ込まれたようだ。
見上げると、シエロの凛々しい横顔が満天の月に照らされ、星のように輝く黄金の髪がなびく。
夢のような時間は、ほんの数瞬だった。
あっという間に地上が近付く。
「着いたぞ」
「ありがとうございます」
シエロの腕から地面に降りながら、ネーヴェは過ぎ去った時間を名残惜しく感じた。
「村まで飛んでも良いが、あまり人目に付きたくはない。ここから歩きだな」
「村まで行けば、アイーダやグラート様と合流できますわね」
暗い森に足を踏み入れながら、ネーヴェは隣を歩くシエロをちらと見た。彼はもう翼を消し去って、普通の人間のように見える。
「……村まで行って……そこで、お別れでしょうか」
共に、魔物の虫を巡る事件を追いかけていた。その事件が解決したからには、ネーヴェとシエロは元の通り、関係ない間柄に戻るだろう。
「どうかな」
「え?」
淡い恋心を自覚していたネーヴェだったが、この恋は前途多難だと分かっている。闇雲にシエロに告白したとて、彼を困らせるだけだ。
半ば諦め掛けていたのだが、シエロが期待を持たせるような返事をしてきたので、うつむきかけていた顔を上げる。
「確かに、村に戻れば一旦お別れだ。俺も聖堂に戻って事の整理をする必要がある。だが、お前とは……お前たちには用事がある。ネーヴェ、落ち着いたら、アイーダと共に聖堂に来い」
シエロの深海色の眼差しは謎めいていて、彼が何を企んでいるか分からない。ネーヴェは密かにどきどきしながら「分かりましたわ」と行儀良く頷いた。
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