実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉

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旅館経営、そして実りの秋へ

第32話 約束

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 オセアーノ帝国から持ち帰ったのは、貝殻の粉とレモンだけではない。ネーヴェは教会の掃除の時に、海藻の灰を分けてもらった。
 量にして瓶一杯分ほど。少ない量なので大切に使わないといけない。失敗は許されないので、ネーヴェは慎重に作業することにした。
 灰を井戸水に漬け込んで一日以上置き、さらに鍋に入れてコトコト煮立てる。十分に成分を煮出したところで、灰を取り出した。
 その間に、分けてもらったオリーブの実を絞る。
 オリーブオイルの上澄みは料理に使うため別瓶に保存し、実を粉砕した緑色の部分を丁寧に濾《こ》した。濃い緑のどろどろとした液体は、見た目に反してとても良い匂いがする。森の生命を凝縮したような濃さと、沢を駆け抜ける風のような爽やかさが同居した香りだ。
 こうして出来た石鹸用オリーブオイルを湯煎で温めて、灰汁と同じ温度にする。
 あとは、両方を少しずつ、少しずつ、合わせて混ぜていくだけ。
 温度が高すぎても低すぎても混ざらないので、ぬるい適温を保ちつつ、ひたすらかき混ぜる。
 完全に両方が溶け合ったことを確認し、ようやくネーヴェは手を止めた。
 若葉色の液体を、予め用意しておいた長方形の型にゆっくり流し入れる。香り付けに、白いカモミールの花のポプリを散らすと、甘いリンゴの香りが漂った。

「…………できた」
 
 数時間後、ネーヴェは石鹸が固まったことを確認し、嬉しくて小躍りしたい気持ちになった。
 やっと! やっと念願の石鹸が手に入ったのだ!
 しかも手作りの高級石鹸。商人から買ったものよりも、自分で作ったものの方が可愛くて品質も高いなんて、最高ではないか。

「シエロ様!」
 
 ネーヴェは作業着にエプロンを付けた格好のまま、旅館の受付奥にある事務室に駆け込んだ。

「できましたわ!」
「……そうか」
 
 シエロは真顔で、重々しく頷いた。
 彼は今、常日頃は冷静なネーヴェが少女のように興奮し、無表情ながら瞳をきらきら輝かせて部屋に飛び込んできたので、ちょっとびびって…驚いていた。
 しかし、彼は分別ある大人の男として、動揺は顔に出してはいけないと考えていた。

「それで、何ができたんだ?」
「石鹸ですわ! オリーブの実で、石鹸を作りました!」
「……オリーブの実で」
 
 ネーヴェの嬉しそうな雰囲気に嫌な予感を覚えたシエロは、腰を浮かせた。

「約束でしたわね?」
「……何の話だ」
 
 彼女の勝ち誇った顔も可愛らしいと思いつつ、それはそれとして自分が清掃されるのは断固阻止したいシエロだった。
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